フロアガイド
フロアマップ
バリアフリー情報
障がい者とその介護者1名は入館無料です。入館の際に障がい者手帳などをご提示ください。
車いすは借りられるか?
無料で車いすの貸出を行っております。受付の職員までお申し出ください。
車いすで通行の困難な場所はあるか?
館内には段差等はございませんので、車いすで自由にご移動いただけます。なお、映像の流れる展示室では、室内に椅子が設置されております。ある程度スペースは確保されておりますが、ご利用の際にお申し付けいただければ椅子の移動をいたします。
オストメイト用設備
館内多目的トイレ内に、オストメイト(人工肛門、人工膀胱保有者)用の設備がございます。
小さいお子様をご同伴のお客様へ
ベビーベッド(おむつ交換台)は、館内多目的トイレ内にございます。
館内情報ラウンジ内にキッズスペースがございます。お子様の一休み、水分補給、簡単なおやつなどにご利用ください。お食事はご遠慮いただいております。
AED(自動体外式除細動器)
心停止状態に陥った時、心臓に電気ショックを与えて心臓の働きを戻すことを試みる医療機器です。館内情報ラウンジに設置されています。
展示構成
『予科練』の代名詞とされ、『若鷲の歌』にも歌われた『七つボタン』を展開の素材とし、七つのテーマを持った部屋で空間を構成しています。
また、『予科練』にスポットを当て、当時を生きた町の人々がどのような生活や時代を体験したかを基本に、予科練とはどのような制度なのか、成り立ちから大空への憧れを胸に予科練習生となった少年たちが どのような訓練や教育を受け、日々の生活を送っていたかを紹介する展示となっています。
各コーナーの紹介
予科練習生を模したガラスケースが立ち並ぶ展示室1「入隊」では、少年たちがどのようにして予科練習生となっていったのか、その状況や入隊までの様子を、映像を交えて展示しています。そして、これまであまり知られることのなかった台湾・朝鮮半島出身の練習生たちについても、貴重な写真や資料とともに紹介しています。
試験を突破して晴れて航空隊の門をくぐった少年たちには、朝早くから夜寝るまで、分刻みの訓練が待っていました。普通の少年から軍人へ。彼らがどのような生活を送っていたのか、寝起きした兵舎と勉強した教室を部分的に再現した展示室でその実情にせまります。
予科練習生が、どのような気持で日々を過ごしていたのかを、残された手紙などから探っていきます。 隊内でこまごました私物を入れた「手箱」とよばれる木製の箱を模した展示ケースのなかには、練習生たちが家族や友人に宛てて書いた手紙の実物が展示されます。また、同じく手箱をモチーフにした箱の中には、手紙を書き起こして本にしたものが入っており、自由に手にとってご覧いただけるようになっています。白を基調とした展示室内は、練習生たちが残した手紙の言葉ひとつひとつが、静かに語りかけてくるような空間です。
搭乗員にあこがれて入隊した予科練習生たちですが、彼らが予科練時代に飛行機に乗れるのはたった一度、飛行機の操縦員か、通信や航法などをおこなう偵察員かに進路をわける試験のときだけでした。進路別にそれぞれの課程を終えて予科練を卒業すると、どちらも「予科」がとれて「飛行練習生」となります。ここからが本格的な飛行訓練のはじまりです。この飛行練習生課程(飛練)では、予科練以上に厳しい訓練が彼らを待っていました。猛訓練の日々を経てすべての課程を終えると、練習生たちは一人前の搭乗員として第一線へ飛び立っていきます。展示室4「飛翔」では、予科練卒業後の練習生たちの姿を追います。
緊張が続く日々を送る予科練習生にも、思い出に残る楽しいひとときがありました。それは、日ごろの訓練から開放されて、隊の外で羽を伸ばすことができるたまの日曜日であったり、離れて暮らす家族との面会であったり、隊内での映画会など、娯楽の時間でした。また訓練の厳しさをよく知る阿見や土浦の人たちは、予科練習生をあたたかく見守っていました。そうしたさまざまな人たちとの交流や、練習生の思い出の場所などを、展示室5「交流」でご紹介します。また、この中には戦時下の暮らしを解説するコーナーもあり、当時の様子を写真などで紹介するほか、実際に使われていたものも展示する予定です。
約7分間の映像が流れます。上映中は展示室への出入りができません。
昭和20(1945)年に入り、空襲がますます激しくなるなか、予科練教育を行なっていた土浦海軍航空隊も攻撃目標となります。予科練習生だけではなく、付近の住民も巻き込んで大勢の人が亡くなった阿見の空襲。それは昭和20年6月10日、日曜日の朝のできごとでした。展示室6「窮迫」では、展示室の天井と壁面に映し出される映像によって、当時の状況や空襲の恐ろしさを擬似的に体感することができます。また、実際の空襲を体験した人たちが、その様子を映像のなかから語りかけます。展示室6を抜けると、白い壁と外が見える四角い窓、そして言葉が記されただけのスペースになっています。窓に切り取られた空は、空襲があったあの日と同じかもしれない。そんなことを考えさせてくれる静かな空間です。
約7分間の映像が流れます。上映中は展示室への出入りができません。
~エピローグ
平和な現在とは違い、当時の日本では、非情な作戦が決行されようとしていました。少ない兵力で確実に戦果を上げるため、爆弾を抱えて体当たり攻撃をする特別攻撃、通称「特攻」です。最初の特別攻撃は海軍によって行なわれ、土浦海軍航空隊で予科練時代を過ごした甲種第10期生を中心として隊が編成されたことは、あまり知られていないかもしれません。予科練出身者は海軍の航空機による特別攻撃戦死者の7割にあたります。
展示室7「特攻」では、予科練と「特攻」作戦のかかわりを、予科練出身の特攻戦死者を象徴する命の光が浮かび上がる展示室のなかで紹介していきます。
多くの犠牲を払い、今なお続く傷を残して終った戦争。復員した予科練習生たちはそれぞれの生活へと戻り、戦後の混乱期から高度経済成長を経て激動の昭和を駆け抜けました。これから先の未来をどうするかは、今を生きる私たちにかかっています。過去を知り、未来を見つめる。予科練平和記念館のメッセージであり、エピローグです。