このところ天気が変わりやすく傘を手放せなくなっていますが、日一日と春めいてきています。間もなく桜の開花の便りが届くと思いますが、今回は町の桜並木の話です。
霞ヶ浦海軍航空隊は大正11年に開隊しましたが、開隊して間もなく航空隊本部から霞ヶ浦湖岸の土浦海軍航空隊(当時は霞ヶ浦海軍航空隊の水上班)まで直線で結ぶ幅員約15m(8間)の広い道路が建設されました。さらに土浦海軍航空隊の手前を左折して常磐線土浦駅まで向かう道路は曲がりくねった狭い道でしたが、拡幅され直線の道路に改良されました。霞ヶ浦海軍航空隊から土浦駅までの区間を結んでいた道路は「海軍道路」と呼ばれました。海軍道路は従来の道路を大幅に広げて(一部は新設された)コンクリート舗装された近代的なものでした。
戦後になると、海軍道路の一部で土浦駅から阿見坂下を通り稲敷市に向かう道路は、国道125号線になりました。また、土浦海軍航空隊があった阿見坂下から霞ヶ浦海軍航空隊までの海軍道路は県道竜ケ崎阿見線の一部となっています。どちらも阿見町の主要幹線道路です。
海軍道路の両側には大正の末から終戦後まで約10メートルの間隔で桜が植えられていたそうです。現在はほとんど見られなくなり、坂の途中にわずかに2本が残っています。
茨城大学農学部を通る県道竜ケ崎阿見線(通称「茨大通り」と呼ばれている)の両側には桜並木があり、満開になると多くの人が楽しんでいる町の桜の名所です。海軍道路の桜並木をほうふつさせますが、この桜は戦後に植えられたものです。
9日に「おはなしとむかしあそびの会」を開催します。霞ヶ浦高校演劇部の生徒の皆さんによる絵本の読み聞かせのほか、バルーンアートや「むかしの遊び」で楽しみましょう。同時に「おもちゃの病院」も開催します。
収蔵資料展「絵葉書と日記-日々を綴れば-」を開催しています。寄贈いただいた資料の中から昭和20年以前に発行された絵葉書75点と、阿見町出身の予科練生だった木村孝正さんが昭和17年に書いた日記(今回は3月と4月分)を展示しています。日記の原本と書き起した文をパネルにして展示しており、今月から4月分を展示します。ぜひご覧ください。