みなさんこんにちは。
今日は全国的に晴れて気温が高かったようですが、
予科練平和記念館の上空にも真っ青な空が広がっていました。
記念館も青空色になっています。
外壁が鉄板なので、その日の空と同じ色になるのです。
今日は、阿見町にとって忘れられない日です。
65年前の今日、予科練の訓練をしていた
土浦海軍航空隊(今の陸上自衛隊土浦駐屯地武器学校)を目標に
米軍の大規模な空襲があったからです。
1945(昭和20)年の今日も、少し蒸し暑い一日だったと聞いています。
午前8時から4回にわたってB-29が飛来し、
落とされた250キロ爆弾が、爆発や飛び散った鉄の破片によってたくさんの命を奪い、
木造の建物に燃え広がった炎が被害をさらに大きくしました。
亡くなったのは予科練生ばかりではありませんでした。
日曜日だったこの日、わが子との面会を楽しみに隊門前で待っていた練習生の家族や、
隊周辺の一般住民も巻き込まれます。
家を失ったり、家族を亡くしてしまった人が少なくありませんでした。
以前この空襲を経験されたお客様がぽつんと
「地獄のようだったよ」
とおっしゃっていたことを思い出します。
今日はこの空襲で亡くなった方の慰霊碑がある法泉寺(土浦市大岩田)で
慰霊祭がありましたので、
参列された元予科練の皆さんがご来館くださり、思い出話に花を咲かせていらっしゃる
ようでした。
当館のあるあたりも、空襲によって凄まじい様相を呈していたと思われます。
現在ののどかな風景から想像することは難しいのですが、しかしその地層は確実に、
今見えている景色の下にあるのだと思います。
裏手のハス田からは、新しい葉っぱが水面からにゅっと
顔を出していました。
近くにはシロツメクサの花がかわいらしく咲いています。
記念館が映し出す空が、いつまでも穏やかなものであってほしいと思いながら
自分の机に戻りました。