おはようございます。こんにちは。もしくは、こんばんは。
すっかり梅雨空です。
農作物には恵みの雨ではありますが、その一方、じめじめとして、カビが猛威を振るい始める季節でもあります。
木造で風通しの良かった昔の日本家屋と比べると、現代の家は気密性が高くなり一年中カビの恐怖に晒されるようになりましたが(お風呂場やクーラーの中等々)、梅雨の時期ともなればその繁殖力は段違いに跳ね上がります。
もちろん予科練平和記念館にとっても他人事ではありません。
虫の被害と並んで、カビは資料保存の大敵です。
紙を変色させ、資料の寿命を短くし、最悪破壊してしまいます。
資料を触るときには手袋をしますが、その理由の一つにカビの防止があります。手の垢も十分にカビの温床になってしまうのです。
また、資料を保管庫に入れる時などには、きちんと燻蒸(くんじょう)して、虫やカビ、菌を消毒してからでないと大変危険です。
うっかりカビを侵入させてしまうと保管庫内で大繁殖してしまいます。
職員一同、より気を引き締めて資料を管理しなければと決意を新たにしている次第です。
予科練生もまた、梅雨には困らされたようです。
元予科練生の歴史調査委員の方に聞いてみると、梅雨の思い出として、2つのエピソードを聞かせて頂きました。
まずは「洗濯物」。
現代でも頭痛の種ですから、さもありなん。
予科練では、自分の服や下着は自分で洗う決まりになっており、全自動洗濯機などありません。自分の下着は洗濯板で手洗いです。
これが、なかなかの重労働ですが、少しでもさぼうろうものなら日々の訓練で吸った汗が悪臭を放ちだします。
悪臭の元は、先ほど同様カビです。
そして、きちんと洗濯しても、くだんの天気です。乾燥機もないため、干してもなかなか乾きません。
カビは一度生えると、胞子で増殖します。
もしかしたら、無精な人も居たかもしれません。そんな人が一人でもいると…
容易に想像できるのでこの辺にいたしますが、とにもかくにも洗濯物では大変な思いをしたそうです。
もう一つの話題は、「インキン」です。
御存知ない方に説明いたしますと、男性の陰嚢で発生する真菌(カビの一種)が原因の皮膚感染症です。
想像しづらい方は、水虫の痒みが股間に移ったものとご想像ください。原因は一緒です。
そう、ここでもカビです。
調査委員の方の話では、梅雨のある日。誰かの菌が風呂場でうつされたらしく、同じ隊の複数人が罹患。痒くてしょうがなかったそうです。
その後、なんとかしてもらおうと医務室に行って治療を受けるのですが、その時に使われたのはサリチル酸。
サリチル酸は水虫対策等に今でも使われており、患部に塗って処置するのですが、これが焼けるような感じがして相当にスースーするもの。
そこで予科練生の皆さん、我慢できずに精進川(現 花室川)横の土手で患部を丸出しにして、帽子であおぎながら涼んだそうです。
基地内とは言え、なかなかに凄い光景ですね。
数日たつと、薬を塗った場所の皮膚が剥け落ちて完治したそうですが、本当にカビは怖いです。
現代でもプールや銭湯でうつる可能性があるので、体は清潔にしましょう。
男性の皆様、お気を付けくださいませ。
6月10日(月)に慰霊祭が執り行われました。
場所は、土浦市大岩田の法泉寺です。
御存知の方もいらっしゃいますでしょうが、法泉寺は県立土浦第三高等学校の西側にあるお寺です。
当日は、当館調査委員の方々も参列し、記念館からも献花いたしました。
上の写真は法泉寺にある、犠牲になられた方の慰霊碑です。
阿見町は昭和20年(1945)6月10日(日)にB-29他による大規模な空襲に見舞われました。
予科練生の居た土浦海軍航空隊だけではなく、阿見町は海軍施設が集中していたため攻撃目標となり襲撃を受けたのです。
犠牲者は数百人に上ります。予科練の建物も過半数が破壊されました。
丁度日曜日だったので、予科練生に面会に来た家族の方々も巻き込まれてしまったそうです。
当館の展示室6では、その時の証言映像や落とされた爆弾の破片を展示していますが、それが人に突き刺さったのかと思うと、ぞっとします。
御遺体は荼毘に付され、残った御遺骨は法泉寺で供養されたそうです。
ただただ、ご冥福をお祈りするばかりです。
洗濯物で困っていた話やインキンの話。
阿見町の空襲の話。
まるで印象が違いますが、同じ場所で起こった出来事です。
戦争中でも面白いことはあったでしょうし、楽しいこともあったと思います。
日常生活が戦争で一気に豹変し、悲しいことも酷いこともあったと思います。
梅雨のもやもやとした空を見上げて、もやもやと結論もない、そんなことを考えてしまいました。
皆様はいかがでしょうか。