記念日に寄せて

2月 17th, 2012

 今週はバレンタインデーがありました。 

 こう言えば、私はプレゼントされることを期待する立場であったことがお分かりになると思いますが、振り返ってみると、三文判のような私ごときにも懐しい思い出があるものです。

 私は最近、小学校時代の旧友とまた会ってみたいなぁ、としきりに心が動くのですが、バレンタインデーの思い出も含めて「みんな元気にしていた?」など、ただ他愛ないそんな話をして1日を楽しく過ごしてみたいと思うのです。

 バレンタインデーのいわれは、戦士の士気低下をおそれ兵士たちの結婚を禁止したローマ皇帝に反して、恋人たちの結婚式を執り行ったために処刑された聖バレンティヌスの処刑日、ということです。キリスト教の聖人伝にはいろいろ考慮すべき点もあるようですが、とにかく今日まで連綿と続く儀式の内には「愛」を求める人間の悲しくも美しい本性が垣間見えるようです。

 バレンタインデーには不思議と歴史に名を残す事件が起きてきましたが、また著名人も多く生まれています。

 岡倉天心もバレンタインデーを誕生日とする1人です。明治の日本美術界を語る上でなくてはならない人ですが、本名・岡倉覚三、老荘思想に深く共感したと言われ「天心」と号しました。父親が明治に入り横浜の貿易商として活動した関係もあり、流暢な英語を操り、後年にはフェノロサの通訳をするなど活躍した大秀才です。

 天心が結婚したのは東大在学時の19歳の時で、妻・基子は16歳でしたが、妊娠中だった妻にヒステリーを起こされ、せっかく書いた卒業論文「国家論」を焼かれていまい、2週間で「美術論」を書き上げ、その後も日本の美術界をリードしたという因縁をもちます。天心は1913(大正2)年に新潟県妙高山麓の赤倉で亡くなるまで、光に満ちながらもまた不遇であったような人生を送ります。

 聖バレンティヌスは、天心に微笑んだのでしょうか、それとも冷たくあしらったのでしょうか。

 ともかく、昨年の大津波によって呑み込まれてしまった、天心ゆかりの五浦・六角堂の復元が決まりました。天心の没後約1世紀を経た今、大きな光が差し込みました。 こうしてみると「天心」はまだ生きているとも言えないでしょうか。輪廻転生、と昔から信じられてきた現実を目の当たりにするような思いです。

 人の心を支える存在は様々だと思いますが、バレンタインデーなどの記念日もそのような何かしらの拠り所になると言ってよいのかもしれません。

 こちら、予科練平和記念館も記念日を迎えたばかりです。平成22年2月2日、予科練平和記念館は開館いたしました。なんと、まぁ、めでたい数の並びではありませんか。

 過日、丸2周年の記念日を迎えました。皆様にも多数ご来館いただきました。ありがとうございました。

 国の将来のために全身全霊で戦った予科練生の足跡は、この予科練平和記念館も輪廻転生させていく所存です。戦ったくれた方々に残していただいた戦争のない社会にあって、一所懸命がんばっていきます。

 毎年、2/2は「予科練平和記念館の開館記念日」と覚えていただければ幸いです。

 この日は、無料観覧日になります。

 皆様のご来館をお待ちしております。