明日(8月16日)は、台風が接近しているため、終日零戦模型の展示を中止いたします。
ご見学をご予定されておりました皆様にはご迷惑をおかけいたしますが、ご理解・ご協力のほどお願いいたします。
8月, 2024 | 予科練平和記念館ブログ
【零戦模型展示情報】
8月 15th, 2024今年も原爆忌を迎えました
8月 9th, 2024皆様こんにちは。学芸員Yです。
暑い日が続いておりますが、いかがお過ごしでしょうか。
昨日の宮崎県日向灘を震源とする地震で被害にあわれた方々にお見舞い申し上げます。
また、これ以上の被害が出ませんようにと祈っております。
いつ、どこで大きな災害が起こるかわからない状況です。
当館でも避難経路の点検や調整をいたしました。
いざという時に備えることの大切さを感じております。
今日は長崎に原爆が投下された日です。
8月6日の広島と合わせて“原爆忌”と呼ばれており、8月15日の終戦記念日とともに、
たくさんの方が先の大戦で亡くなられた方々に心を向けていらっしゃることと思います。
原爆は、広島、長崎だけのことではなく、予科練平和記念館がある茨城県にも関係しています。
長崎に落とされた原子爆弾と同形状で、原爆投下時のデータ採取と投下訓練を目的とした爆弾、
通称模擬原爆が、昭和20(1945)年7月20日から8月8日にかけて投下されました。
日本全国18都道府県に落とされた49発の模擬原爆によって400名以上が死亡、1200名以上の負傷者を出しました。
この模擬原爆が最初に投下されたのが、茨城県北茨城市です。
7月20日に北茨城市、7月26日に日立市へ落とされています。
茨城は、広島、長崎へ続く道の始まりだった、とも言えます。
この模擬原爆、色や形状からパンプキン爆弾とよばれています。
北茨城市の着弾地点は、米軍の資料によれば不明とされていますが、着弾地点と思われる
場所から少し離れたところに石碑が建っています。
広島、長崎と被害状況は異なりますが、その痛みは決して他人事ではありません。
亡くなられた方々にも、その後後遺症で苦しまれた方々にも、ただただこうべを垂れて祈るばかりです。
写真は今日の予科練平和記念館です。
雲のせいか、なんだか空が近くに感じました。
明日午後2時から朗読劇を行う予定です。
今年は最初の特攻隊「敷島隊」の出撃から80年。
5名の隊員のうち、隊長を除いた4名が予科練出身者で、そのうち2名が
当館の隣にある陸上自衛隊土浦駐屯地武器学校、昔の土浦海軍航空隊の卒業生でした。
特攻の先駆けとなった予科練について、朗読劇でわかりやすくお伝えします。
入場無料で小中学生の平和学習にもおすすめです。
皆様のご来場をお待ちしております。
博物館実習生による展示のご紹介
8月 9th, 2024皆様こんにちは。予科練平和記念館にて実習をさせていただいている博物館実習生です。
本日はこの予科練平和記念館の展示の中でも特に私がお勧めしたい展示についてご紹介します。
今回ご紹介する展示は第3展示室「心情」です。
この展示室では予科練生が家族に宛てて書いた手紙を見ることができます。
手紙には故郷や家族への想いが綴られており、中には入隊する前の家族との暮らしを懐かしむ気持ちが書かれているものもあります。こうした手紙からは予科練生たちが軍人である前に1人の家族思いな少年であったことが伝わってきます。
彼らの様々な心情が綴られた手紙から皆様は何を感じ取るでしょうか。是非第3展示室内の展示を実際に観て予科練生たちに思いを馳せてみてください。
8月のはじまり
8月 3rd, 2024皆様こんにちは🍉学芸員Yです。
8月に入りましたね。いかがお過ごしでしょうか。
当館は、夏休み期間に入ったからか、お子様とご一緒のお客様が増えてまいりました。
また、本日は大学生らしきお客様もお見えになっていらっしゃいます。
毎年終戦記念日が近づく頃はお客様が多くお見えになる傾向にあるのですが、
今年は若い世代のお客様が多いように思います。
映画「あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。」の影響大なるものがありますが、
長引くロシアとウクライナの戦い、そして急速に事態が動いている中東情勢を背景に、
改めて戦争についてお考えになる方もいらっしゃるのかもしれません。
昨日、戦時を経験した方からお礼のお手紙を頂戴致しました。
昭和20年の夏、国民学校(現在の小学校にあたります)の2年生だったその方のお手紙には、
勤労奉仕の学生が一列にならんで「海ゆかば」や「若鷲の歌」(予科練を扱った映画の主題歌。
大ヒットしました)を歌っていた姿が忘れられない、決して戦争はやってはいけない、
平和な穏やかな日々であって欲しいと願います、とお人柄が伝わる美しい文字で綴られていました。
当館と霞ヶ浦の間にあるハス田では、優しい色合いのハスの花が湿気を帯びた暑い風に揺れています。
木々から蝉の声が聞こえます。
小学校の宿題で当館にご来館くださるお子様の姿もお見かけするようになりました。
先日は、当館がある茨城県阿見町の生涯学習課主催で行っている
「まちづくり探検隊」(町のいろんなことを調べて模造紙にまとめ、発表するものです)の
取材とのことで、かわいい小学生の女の子がお二人、お母様と一緒にお見えになりました。
熱心にご見学くださった後、ご質問に少しお答えさせていただきました。
そのなかで、とても鋭いご質問をいただきましたのでお伝えしたいと思います。
「どうして予科練平和記念館という名前なんですか?」
皆様は、どうしてだと思われますか?
全国の戦時の歴史を扱うところには、同じ読み方でも「祈念館」という表記のところが多くあります。
当館がなぜ「記念館」にしているかというと、
予科練や戦時の歴史を後世に伝えていくためには、「記録」し「記憶」することが
大切だと考えているからです。
どれだけの若者の命が戦争によって失われたか。
なかったことにはさせない。繰り返さないために忘れない。
そのような意味もあると私は思っております。
お二人は、お礼ですと言って手作りのしおりをくださいました。
案内を担当した者と私とで、ひとつづつ頂戴しました。
お気持ちがとてもありがたく、元気をいただきました。
お二人はきっと素晴らしい作品を作られることと思います。
陰ながら応援しております。
小・中・高・大学生の夏休みの宿題でのご質問は随時お受けしております。
学芸員が不在の日もございますので、対面でのご質問やインタビュー等をご希望の方は
予め電話かお問い合わせフォームからご連絡いただけますと確実です。
どうぞよろしくお願いいたします。
間もなく原爆忌。
戦後80年を目前に控え、改めて戦争と向き合う時期が来ているように感じます。
皆様はどうお過ごしになられますでしょうか。
連日暑い日が続いております。
ご自身の体の声に耳を傾けて、どうぞご無理なさらないでくださいね🍀