古関裕而さんと阿見町

10月 7th, 2020

みなさんこんにちは。学芸員Yです。

朝晩の空気の冷たさ、キンモクセイの香りに秋を感じますね。

いかがお過ごしでしょうか。

 

予科練平和記念館では、先週末10月4日(日)に戦後75周年交流展「7つのテーマで知る

シベリア抑留」が終了いたしました。

この特別展は、東京・新宿にある平和祈念展示資料館との交流展で、同館が所蔵している

シベリア抑留関係の資料を、予科練の7つボタンにちなんで7つのテーマで展示していました。

コンパクトな会場ながら内容の濃い展示でしたので、反響も大きかったように思います。

ご来場くださいましたみなさま、ありがとうございました。

 

 

現在は展示を撤去し、講演会スタイルに模様替えしました。

今後は講演会などの予定も徐々に復活させていこうと考えております。

詳細は決まり次第館のホームページやTwitter、Facebook等でお知らせいたします。

 

 

さて、みなさんは現在放送中のNHK朝の連続テレビ小説“エール”をご覧になって

いらっしゃいますでしょうか?

 

“エール”特設サイト

https://www.nhk.or.jp/yell/

 

 

ちょうど今日、俳優の窪田正孝さん演じる古山裕一(古関裕而がモデル)が

土浦海軍航空隊に来隊し、“若鷲の歌”を作曲するという場面が放送されましたね。

 

国のために厳しい訓練に明け暮れる予科練生の姿に触れ、彼らに寄り添う曲をと

裕一が一晩で書き上げた哀愁を帯びたメロディ。

少し幼さが残る予科練生たちが合唱する姿が、歌の力と、その後の彼らを待つ

運命を予感させるような、少し胸がざわつく感じの終わり方でした。

 

 

ドラマでは、裕一が土浦海軍航空隊で予科練生たちの訓練を体験し、

彼らの話を聞いて一晩で曲を書き上げた、というストーリーになっていました。

実際には、古関がすでに作曲していた勇ましい長調の曲を携えて常磐線に乗り、

利根川を渡って茨城県に入った頃、ふと頭に短調のメロディが浮かび、

土浦海軍航空隊で教官と練習生にどちらも聞かせたところ、教官たちは

勇ましいほうを選び、練習生は哀愁を帯びた短調のメロディを選んだ、

この短調のほうが現在も歌い継がれる“若鷲の歌”になった、というのは有名なエピソードです。

当時、レコードの販売数が戦時下にも関わらず23万枚という大ヒットで、

「露営の歌」とともに古関裕而の人気を確固たるものにした記念碑的な曲です。

 

“若鷲の歌”は、予科練生たちにとっても、結束を促し、自分たちのアイデンティティを

より強固なものにする役割を果たしていたようです。

 

1945(昭和20)年6月10日、土浦海軍航空隊はアメリカ軍のB-29爆撃機により

大規模な空襲に見舞われました。

この時の状況について元予科練生が次のように証言しています。

少し怖い表現がありますので、苦手な方はスルーなさってください。

 

 

・・・6月10日の空襲だけは、今でも年に何回か夢をみてうなされ、冷や汗をかいて

目が覚めることがある。恐ろしくて上空の敵機の飛行方向を見て逃げる方向を

判断する余裕もなく、練兵場ならば広いから逃げ場所があるのではとひたすら走った。

 みんなで走っている途中で、茨城県西出身のSがバッタリ倒れた。

「S、どうした。ここにいては危ないぞ!」と怒鳴ると、「俺の足がないんだ!」との返事。

よく見ると、たった今、眼前で炸裂した爆弾の破片がSの左足の踵の上部を貫通して

足が入ったままの靴がSの二メートルも先に吹っ飛んでいる。

 血だらけの足が入った靴をSに渡すと、Sは気丈にも「ここにいては危ない、

一刻も早くここを離れろ。俺はここにいる。後で来い。」と、言う。

 悪夢のような空襲が終わった後、急いでSの所に戻ると顔は青ざめて出血もしていたが、

気丈なSが自分自身でやった応急処置が良かったためか、予想以上に元気だった。

 早速、四名の隊員でSを担架に乗せて霞ヶ浦海軍病院まで歩いて運んだ。

途中、Sを元気づけるために若鷲の歌を歌いながら歩いたように覚えている。途中、長い

長い時間に感じた。(『阿見と予科練』より抜粋)

 

 

 若鷲の歌を歌いながら血だらけの同期生を担架で運ぶ予科練生の姿を想像すると、

何とも言えない気持ちになります。

 何に頼ることもできない極限状態の彼らを支え、俺たちは予科練だ、負けるものかと

友を運ぶ足を前に進める力をくれたのが若鷲の歌だったのでしょう。

元予科練生が当館によくいらしていたころ、若鷲の歌を歌ってくださる方も

たくさんいらっしゃったなぁ・・・と、ちょっと寂しい気持ちで思い出しました。

 

 

 予科練平和記念館では、若鷲の歌のワンフレーズが書かれた

古関裕而さんの色紙を展示しています。

 また、“エール”で予科練を紹介する際に使われていた映像も

館内の展示室でご覧いただくことができますよ。

古関裕而さんの色紙と若鷲の歌のレコードです。

展示室1「入隊」で展示しています。

 

 

予科練平和記念館がある阿見町は、実は古関裕而さんとつながりが深いのです。

町内には小中学校が全部で10校ありますが、町立阿見第二小学校と、町立朝日中学校の

校歌は、古関裕而さんの作曲なんです。

 

朝日中学校は1980(昭和55)年に新設されましたが、初代の校長先生は

なんと!元予科練生です。

1943(昭和18)年5月に乙種第20期予科練習生として土浦海軍航空隊に

入隊した仲川武男さん。初代の朝日中学校校長先生としての体験を次のようにお話ししてくださっています。

 

 

 ・・・初代の校長でしょう。校歌はなし、校訓はなし何もないでしょう。それで困った。

まず校歌、校訓を作らなきゃならない。そこで白羽の矢を立てたのが、予科練の「若鷲の歌」を

作ってくださった古関裕而先生。あの先生は私が昭和18年に予科練に入隊し

基礎訓練中に東京からおいでになり作曲を披ろうしてくれた方です。

 そういう恩恵があったかそれが縁かなにか分かりませんが、ちょうど古関先生の弟さんが

阿見においでになってます。その弟さんも何かの拍子で知り合いになったから援助してもらい、

古関先生に作曲してもらいました。作詞は「高校三年生」の丘灯至夫先生。

 ・・・二回くらいかな古関先生の家までお邪魔して、いろいろとお話ししてお願いしてきました。

(『続・阿見と予科練』より抜粋)

 

 

古関裕而さんが土浦海軍航空隊にいらした時、仲川さんも予科練生として同じ場所にいらっしゃり、

後年ご自身が校長先生になられた時に、また古関裕而さんとつながって、

たくさんの生徒さんたちが歌う校歌が誕生していたんですね。

 

実は、当館で展示している古関裕而さんの色紙は、この仲川武男さんが寄贈してくださったものです。

不思議なご縁がつながっているなぁと感じます。

 

 

古関裕而さん、丘灯至夫さんは生まれ故郷の福島県に記念館があります。

こちらもよろしければチェックしてみてくださいね。

ご来館の際には、開館状況やコロナウイルス対策の状況などをホームページやお電話でご確認いただけると確実です。

 

古関裕而記念館

https://www.kosekiyuji-kinenkan.jp/

 

丘灯至夫記念館

https://www.town.ono.fukushima.jp/soshiki/13/toshio-oka.html

 

 

 

 

 

 

天高く馬肥ゆる秋

10月 4th, 2020

9月下旬、今シーズン初めて台風12号が関東地方に近づきました。勢力もあまり大きな台風ではなかったため、大きな被害はありませんでしたが、「実りの秋」を迎えた農家の方にとっては気をもんでしまったのではないでしょうか。

 さて、台風が通過し、やっと厳しい夏から爽やかな秋の訪れを感じる季節となってまいりました。他の季節が好きな人には秋の訪れはさほど嬉しくないかもしれませんが、それでも秋の爽やかさは格別なものです。そのためでしょうか、秋は他の季節と比べ物にならないほど「〇〇の秋」と表現されることが多い季節です。「芸術の秋」「食欲の秋」「読書の秋」「スポーツの秋」・・・と、調べてみると多くの秋が新聞や雑誌に取り上げられております。それほど秋の訪れは私たちの生活の中で特別なものとなっているのかもしれません。

 また秋になると、時候の挨拶などにもよく使われる「天高く馬肥ゆる秋」という諺を思い浮べます。秋の素晴しさを表現した言葉で、「天高く」とは空が晴れて澄み渡っている様子を表し、「馬肥ゆる(馬肥える)」とは、馬の食欲が増してたくましく太ることを表現しているということです。この諺は中国唐代の詩人・杜審言(としんげん)が書いた詩にある一節からきたもので、正しくは「秋」が最初になる「秋高くして塞馬(さいば)肥ゆ」ですが、日本では「天高く馬肥ゆる秋」として定着したそうです。しかし元々の意味は「秋の素晴しい季節」を表現したものではなく、「警戒をしろ」と注意を促す言葉でした。匈奴(きょうど)という騎馬民族が秋になると北のほうから肥えてたくましくなった馬に乗って略奪に来るから気をつけろということを伝えるために、「雲浄(きよ)くして妖星(ようせい)落ち、秋高くして塞馬肥ゆ」と読んだといわれています。

新しい生活様式の実践の中で感染防止と社会経済の両立が大きな課題になっていますが、GoToトラベルの実施やイベント開催の制限が緩和されたことに伴い、9月下旬から観光地やイベント施設、交通機関等に多くの人の流れが戻ってまいりました。これまでどこにも行くことができず我慢していた方も、やっと「行楽の秋」を満喫できそうです。くれぐれも「警戒」を怠ることなく楽しい「〇〇の秋」を過ごしていただきたいと思います。

 予科練平和記念館から見た秋の空も清々しく爽やかな青空が広がっています。どうぞ皆様方のご来館をお待ちしております。