みなさんこんにちは。
学芸員Yです。
記録的な大雨となり、各地で大きな災害が起きましたね。
ニュースで被災地の様子が映るたびに、自然の強さの前に圧倒されます。
被害にあわれた方はどれほど怖くて、どれほど悔しくて、どれほど無念だったか。
察するに余りあります。
心よりお見舞い申し上げます。
先日、公益財団法人海原会の専務理事長さんとお話をする機会がありました。
毎年、予科練戦没者慰霊祭を5月下旬に行っていらっしゃるのですが、
今年はコロナウイルスの関係で例年通りの開催は見送り、関係者のみで執り行ったとのことでした。
お写真を拝見しましたが、予科練戦没者の慰霊に真摯に向き合う姿が感じ取れて、
亡くなられた予科練の皆さんも喜んでいらっしゃるのではないかなと思いました。
また、このような話もしてくださいました。
毎年慰霊祭に出席されている元予科練生の弟さんから、コロナウイルスに関して
国から支給された特別定額給付金10万円を海原会をはじめ各慰霊団体等へ全額寄付する、という
お申し出をいただいたそうです。
“特別の被害を受けているわけでない自分が受け取るものではないので、
予科練戦没者の慰霊のために使ってほしい。“
この方のお兄さんは1930(昭和10)年に予科練に入隊、
1938(昭和18)年に24歳の若さで大空に散っていかれました。
当時まだ10歳だったこの方に、詳しいことは知らされなかったのかもしれません。
月日が経ち、偶然書店で見かけた本の中にお兄さんの名前を見つけたことがきっかけとなって
本格的にお兄さんの人生と向き合われたようです。
お兄さんのご遺品の中には、小さな女の子を抱いたお兄さんの写真と、同じ女の子を抱いた
女性の写真がありました。
諸々の事情で入籍が叶わなかったお兄さんとその女性。
写真は、真珠湾攻撃後の休暇後にたった一度だけ撮られた親子写真でした。
女性は再婚し、時間が経つにつれ徐々に縁遠くなってしまいました。
思い立って尋ねあてた時には、女性も、その娘さんも彼岸へ旅立たれた後だったそうです。
二人を探す過程で得た写真や遺品をお兄さんのお墓におさめ、
72年ぶりに3人が一緒になったとのことでした。
事実は小説よりも奇なりと申しますが、このようなこともあるのだなぁとしみじみ思った
エピソードでした。
給付金の生かし方もすてきだなと思いますし、何よりも、そういうお気持ちを寄せていただくことが
予科練戦没者の慰霊にご尽力なさっておられる海原会さんの力強い後押しになるのではないかなと思いました。
以前のように、一般の方も参加できて、参加者全員で予科練戦没者をしのぶことができる素晴らしい慰霊祭が
早く復活できますように、願ってやみません。
さて、予科練平和記念館では、館内20世紀ホールにて「戦後75年交流企画
7つのテーマで知るシベリア抑留 平和祈念展示資料館所蔵資料展」を開催中です。
新宿にある総務省委託平和祈念展示資料館が所蔵している資料を、予科練生の
制服の7つのボタンにちなんで7つのテーマで展示しています。
シベリア抑留者とは、戦争が終結したにも関わらず、シベリアを
はじめとする旧ソ連やモンゴルの極寒の地に抑留され、乏しい食事と
劣悪な生活環境の中、過酷な強制労働に従事させられた約57万5千人の方々です。
そのうち、約5万5千人が栄養失調や伝染病などで命を落としました。(チラシより)
極寒の地の厳しさ、人間として扱われない不条理さ、その中でも希望を失わずに
故郷へ帰ろうとする人たちの強さが、展示された資料から伝わってきます。
現在はコロナウイルスの関係もあり、なかなか以前のように都内まで
気軽にでかけるという感じでもなくなってきていますので、
茨城にいながらシベリア抑留の実物資料が見られるのも、貴重な機会かなと思います。
平和祈念展示資料館の担当の方々が一生懸命作ってくださった展示です。
お近くにお越しの際には、ぜひご覧ください。
※予科練平和記念館の入館チケットでご覧いただけます。