博物館実習生日記②

8月 24th, 2014

残暑お見舞い申し上げます。まだまだ暑いですね。

集中豪雨による災害が全国各地で起きているようです。

ニュースではこれまでの「異常気象」はもはや異常とは言えない、現在における「当たり前」に変わった、という厳しい見解を伝えていましたが、地球環境を狂わせているのが人間の営みであろうことを考えると、地球という私たちの母なる星に対して、実は「一方的侵略」を行ってきたこの半世紀だったのかと深く反省しなければなりません。

人間同士の平和は無論、あらゆる存在に対して「和する」ことが、人間そのものを生き延びさせる絶対的な条件であることを考えさせられます。

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さて、先回に引き続き、博物館実習に来てくれた大学生の意見を皆さんにご紹介します。今回は3年生の女子に登場してもらいましょう。

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最初に私が学芸員という職業を知ったのは、中学生の時の適職診断でした。適職診断の結果の中で教師や大学教授の他に出てきたのが学芸員で、私は学芸員という職業をそれまで聞いたことが無く何も知りませんでした。これが学芸員に興味を持つきっかけとなり、どんな職業なのか調べて仕事内容をなんとなく理解した私は、美術品・芸術に囲まれて仕事ができる事に魅力を感じていました。それに加え、中学時代に私は美術部に所属しており顧問の先生がよく博物館や美術館に見学に連れて行って下さったこともあり、見学に行った館の学芸員の方々が作品の解説をスラスラと話し案内をされている姿に強く憧れました。

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今、自分が学芸員を目指す一番のきっかけとなったのは中学時代一番お世話になった顧問の先生が教師を辞め、学芸員になる事になった際に嬉しそうに学芸員になる事を話していたのが心に残りその時に、資格を取ろうと決心し学芸員の資格が取れる大学に行こうと考えていました。

 学校では専門的な知識や展示の方法等を学んできましたが、いざ現場での実習を受けてみると大学の先生が皆さんとても忙しく仕事をされていて所蔵資料の管理や整理に手が回らないという現状に驚きました。また、自分の専門外のことでも新しく学びながら仕事をする事も大変だと感じましたが、とてもやりがいのある仕事ではないかと感じました。展示の構成を考える事やポスターを作成する際にも多くの方に来ていただく為に様々な技術が必要であると自分でやってみて改めて感じ、作成がとても難しかったです。特にポスターは、一枚の紙で展示の伝えたいこと、見たときに目を引くレイアウトを作らなくてはいけないということで全然上手くできませんでした。現場調査、資料の管理、展覧会の企画作成など5日間で様々な事を体験見学させて頂きましたが、自分の中での学芸員という職業を具体的に理解することが出来た5日間だったと思います。学芸員への憧れがもっと強くなりました。

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予科練平和記念館は、数少ない予科練の事と戦争の事を未来に残し伝える事の出来る博物館です。美術品や芸術品を見る所は数多くありますが、予科練の事を伝え戦争を実際には知らない若い人達に正しい歴史を伝え、理解して貰うことが出来る場であるので今後も、戦争があった事を風化させない為、メッセージを発信し多くの方に伝えていく事が役割であると考えます。また、今後戦争を体験した方々が居なくなってしまう時が来ますがその方々が話して下さったこと、伝えて下さったことを予科練記念館が次の世代へと伝えて行かなくてはいけないのだと思います。

 

 

 

博物館実習生日記①

8月 17th, 2014

暦の上では既に秋を迎えています。

朝夕の空気が例年より涼しいと感じるのは間違いでしょうか。

外観(斜め)

8/15(金)の終戦記念日、予科練平和記念館は無料観覧日でしたが、今年も多くのお客様をお迎えすることができました。

当日は、茨城放送(ラジオ)で、予科練平和記念館や開催中の展覧会についてご紹介させていただく機会をもつことができましたが、お忙しい日常ではあると思いますが、落ち着いた時間が取れるときには、ぜひ予科練平和記念館にお越しいただき、命の尊さや平和の大切さについて改めて考える機会を作っていただきたいと思います。

ちなみに、次回の無料観覧日は12/25(木)のクリスマスです。

皆様、お誘い合わせのうえ、どうぞご来館下さい。

展示室4飛翔

さて、そうした意味では、予科練平和記念館の次代を担うべき若者が、博物館実習生として勉強をしに来てくれました。

今年は男女1名ずつ、阿見町内の大学生でした。

戦争を知らない私たち若い者がしっかりと先人の意思を継いでいくためにも、大学生のような若い人たちに記念館に来てもらい、しっかり勉強してもらうことは非常に大切な活動になります。

まず、4年生の男子(ちなみにもう1人は3年生の女子でした)K君の感想からご紹介します。

しっかりと予科練平和記念館を観察し、彼なりの考えを深めてくれたようで、たいへん心強く思いました。

 

①学芸員に興味をもった理由

 私にとっては、予科練平和記念館の展示を見たことが興味をもった大きな理由である。初めて私が記念館に来館したのは、まだ開館間もない時であり、私が高校生のときであった。以前から日本近現代史、特に太平洋戦争期の日本海軍に大きな関心をもっていたことや、祖父が少年期に航空隊近くの航空廠で勤労奉仕を行っていた頃の話を幼い頃から聞いて育ったことから、私にとって戦争中の出来事はどこか現実感があり、他人事に思えなかった。

 このように、日常的に戦争の情報が蓄積されていったことから、いつしか私はこの知識を生かした職業に就きたいと考えるようになっていった。そんな中、出会ったのが、この予科練平和記念館である。私は何か運命的なものを感じたことを覚えている。

展示室6窮迫

②現場を通して感じたこと

 一番に感じたことは、現場の学芸員に求められていることがとても多い、ということであった。これまで学校でも学芸員というものは「雑芸員」である、社会教育の普及だけが学芸員の業務ではない、と教わってきた。だが、この5日間の実習を通して学芸員が置かれている現状を確認したことで、それが本当であったことを改めて理解した。また、専門的な知識の他、この実習で学んだ技術は、学芸員以外の様々な分野の仕事で自分にとってもプラスとなる、極めて汎用性の高いものであることも肌身を通して理解することができた。

展示室7特攻

③記念館の今後の役割について

 今後、記念館は「海軍の町 阿見」という一種のブランドをさらに生かし、日本近現代史の中で日本海軍、引いては軍隊が担った発展の功績=プラス面と、軍隊がもたらしたマイナス面を取り上げて、比較検討し、双方の立場を見ていかなければならないと考える。戦争の悲惨さを伝え、過ちを二度と繰り返さないためにも、歴史を後世に連綿とつないでいかなければならないことは自明の理である。だが、昨今では、その方法が感情に訴えることだけに終始してしまっているように思えてならない。確かに、それは大切なテーマのひとつでもあるが、歴史を学ぶことの本質はそこではないはずである。史実を史実として受け止め、公正中立な立場で歴史を俯瞰して、そこから現代に生かせる要素を抽出することこそ、戦争の爪痕を現代にまで残す阿見町の記念館に求められていることではないだろうか。