遥かなる先輩

1月 28th, 2014

 

みなさまいかがおすごしでしょうか。

 寒い日が続いていますね。

先日、朝起きると、車にうっすら雪が積もっていて驚きました。

昼前にはきれいに晴れたのですが、まだ筑波山方面にはどんよりと雲が残っていて

風が強かったせいか、晴れているはずの予科練平和記念館の周りに

雪が降っていました。

天気雨ならぬ天気雪とでもいうのでしょうか。

すぐ止んでしまいましたが、なかなか見られない光景で、心に残っています。

 

 

 

さて、当館には そんな寒い日々の中でも、元気に活動をしているおじいちゃんたちがいます。

今回は、そんな元気なおじいちゃんたちを紹介したいと思います。

 

まずご紹介するのは、戸張礼記さん。

当館で資料の収集や、調査研究を行っている歴史調査委員です。

なにを隠そう、この戸張さん、元予科練生です。甲種第14期海軍飛行予科練習生

今から68年以上前、当館の隣にあった土浦海軍航空隊で

日々猛訓練に明け暮れていたのです。

85歳になった今でも、その体力は衰えていません。

 

戸張さんが予科練に入隊した時期は、多くの予科練生たちが特攻へと駆り出された時期と重なります。

数多くの先輩たちが特攻部隊へと配属されていく中、

残された自分には何ができるのか、どうすればいいのか考えます。

 

戸張さんが出した答えは、伝えることでした。

68年以上前に終わった戦争の事は、言い換えれば68歳以下の人は知らないことです。

実際にその目で、体で体験したことを今を生きる人たちに伝えたい

戸張さんは、当館に来館される人たちによくお話をしています。

戦争で亡くなった先輩たちの事、先輩たちの想い、自分が残された意味

小学生や、親子連れ、観光でいらした方や自衛隊の方

皆さんにお話をしています。

 

最近は動画編集ソフトを駆使して、自身で作成したパワーポイントの資料を

ナレーションや動画を入れた一つの映像とするために、編集に勤しんでいたりします。

恐るべきパワーです。

鍛え方が、私なんかとは次元が違いますね。

 

 

 

続いてご紹介するのは、井元潔さん。

戸張さんと同じく、当館の歴史調査委員の方です。

井元さんは、当館が建っている阿見町の、当時の姿を調査しています。

 

たとえば調査の一つとして挙げられるのが、海軍飛行予備学生について。

当時、多くの予科練生が訓練に明け暮れていた、土浦海軍航空隊ですが

実は、多くの海軍飛行予備学生の練成地でもありました。

ですが、この事実はあまり良く知られていません。

海軍飛行予備学生制度は昭和8年に始まり、

終戦までに約1万5千人の飛行予備学生が入隊しています。

戦死された方は2千5百名にものぼり、特攻で亡くなられた方も約700名もいらっしゃいます。

その主な入隊先が土浦海軍航空隊だったのです。

みなさんご存じでしたか。

 

自分たちが住んでいる場所で、昔どんなことが起こったのか

どんな人たちがいて、どんな生活を送っていたのか、

昔を知る方たちは、もうほとんど残っていません。

 だからこそ、知っておかなければいけないのかもしれません。

 

阿見町は海軍の町として発展してきた背景を持っています。

そんな背景もあって、当時はたくさんの人たちが集まっていました。

今が過去を知る最後のチャンスなのかもしれません。

 

井元さんには、来月講演会をしていただく予定です。

内容は「阿見町の兵役」について

日本は明治初期から昭和20年の終戦時まで兵役に服する義務がありました。

現在は阿見町の一部となっている旧朝日村の資料の中に

兵役に関する貴重な資料が残っていました。

朝日村役場で兵事係をしていた青山さん(故人)のお話などを基に

当時の阿見町周辺の兵役について、お話をしていただます。

2月22日(土)14:00~ 予科練平和記念館情報ラウンジにて

興味のある方は是非聞きにきてください。参加は無料です。

 

 

 

そして、最後を飾るのは岡野正さんです。

この方にも来月、講演会をしていただく予定となっております。

岡野さんはちょっと異色です。

予科練ではなく、少年飛行兵出身。

少年飛行兵とは、陸軍において飛行機搭乗員を養成するための制度をいいます。 

つまり海軍ではなく、陸軍の方です。

お会いしたきっかけは、昨年夏に当館で開催させていただいた

陸軍少年飛行兵を扱った特別展でした。

岡野さんは第7期陸軍少年飛行兵

太平洋戦争開戦前に軍隊へと入隊した岡野さんは

戦時中、様々な戦線を経験されました。

満州からマレー半島、ビルマ、そしてフィリピンへと

あるときは飛行機で、ある時は船で、ある時は陸路で

長大な距離を移動していました。

そして、フィリピンのルソン島の森の中で迎えた終戦。

岡野さんは、当時の思い出を淡々と語ってくださいました。

 

太平洋戦争当時のお話を実際に聞くことができるのは

そう多い機会ではありません。

ましてや、実際に戦線を経験された方のお話では、なおさらです。

岡野さんももう92歳という高齢の方です。

ぜんぜんそんなふうには見えませんが・・・ 

やはり鍛え方がちがうのでしょうか。

 

岡野さんの講演会は、2月23日(日)14:00~

場所は当館の情報ラウンジです。通常観覧料金が必要となります。

とても貴重なお話を聞くことができる機会です。

興味のある方は是非ご来館ください。

 

 

 

寒いのにかこつけて、まったく体を動かさない今日この頃

遥かなる先輩方を見習って、体力をつけねばと思うこのごろです。

 

皆様もお体にお気をつけて

冬来たりなば、春も来て?

1月 22nd, 2014

おはようございます。こんにちは。もしくは、こんばんは。

新年あけましておめでとうございます。

遅ればせながら、今年一度目の更新ということで西暦2014年、平成26年の新春のご挨拶をさせていただきました。

本年もよろしくお願いいたします。

 

さて早速ですが、新春と言う事で今回は春の話題を一つ。

皆様が季節で「春」と言えば、寒さが緩み、草が芽吹き、虫が動き出す、3~5月くらいの時期を想像される方が多いのではと思われます。

しかし、旧暦の季節区分では1~3月が春に分類されています。先ほど申し上げた「新春」や「迎春」のように正月に春が使われるのは、その名残です。

今の感覚ですと1月2月は、まだまだ寒く、真冬の感があるのに不思議なものです。

実際気温データを見てみると、今月に入ってからの冷え込みは12月より厳しくなっております。

暖かくなるはずの春。昔と今で、この2ヶ月間のズレは、どこから来ているのでしょうか。

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まず思いつくのは旧暦から西暦に切り替えられたときのズレです。

もしかしすると旧暦では1月は既に暖かかったのかもしれません。

調べてみますと、今年の1月31日が旧暦の1月1日に当たります。1ヶ月のズレは解消できましたが、それでも今の2月。まだ寒いような気がします。

では、考え方を変えてみましょう。そもそも暦の上で春とはどう言う基準で決まっていたのでしょうか。

春の始まりの日である「立春」は、一年間で昼の一番短い「冬至」と、昼と夜が同じ長さになる「春分」の中間の日です。

また、春の終わりの日は、夏の始まりの日である「立夏」の前日で、「立夏」は「春分」と、一年間で昼の一番長い「夏至」の中間日となります。

つまり暦の上では、昼夜の長さが季節の基準と考えられていたようです。

そこで再び日付を調べてみますと、昨年の「冬至」は12月22日で、その日を旧暦換算すると11月20日です。

続いて今年の「春分」の日は3月21日。旧暦換算で2月21日。「夏至」は6月21日。旧暦換算では5月24日となります。

これで今年の春の期間を表してみると…

 「立春」2月4日(旧暦換算1月5日)~「立夏」前日5月4日(旧暦換算4月6日)

おお、辻褄が合いました。

季節は12ヶ月を均等に4等分しますので、基準日である「春分」や「冬至」の前後1ヶ月がその季節となるようです。

そういうわけで、春分の日がある旧暦2月の前後1ヶ月(1~3月)が春になるわけです。

意外にも気温は関係なかったようですね。

 疑問は解決しましたが、暦が「春」でも寒い日が続くのは変わりません。風邪など召されませぬよう、皆様お気を付けくださいませ。

 

  

 

去る平成25年12月17日(火)から、平成26年3月2日(日)までの会期で、第6回テーマ展『~海軍将校を目指す教科書~ 海軍兵学校と予科練』が開催されております。

今回は、予科練平和記念館にご寄贈、ご寄託いただいた資料の中から海軍兵学校の教科書を中心に構成した展示となりました。

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展示名にもある海軍兵学校は、明治9(1876)年に誕生し、終戦の昭和20(1945)年までの約70年の間、大日本帝国海軍における海軍将校の養成を目的として存在した教育機関です。

海軍将校は海軍士官とも呼ばれ、少尉より上の階級の海軍軍人であり、海軍兵学校は軍の中心とも言える人達を養成していたわけです。

展示内では、その海軍兵学校や、同じ教育制度の予科練との繋がりや影響、教科への解説などを加えております。

また、当時の海軍兵学校入試問題から数問を抜粋して作ったテスト用紙を無料配布もしております。

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 (テスト用紙の一部)

 

お暇であれば、ひとつ挑戦してみてはいかがでしょうか。

 

 

入試問題と言えば、今は受験シーズンの真っ最中でもあります。

今回のブログの題名は、イギリスの詩の一説である「冬来たりなば、春遠からじ」を、内容に合わせてもじったものです。

元の意味は「今は寒く厳しい冬のような苦境でも、耐え過ごしていれば、すぐに暖かい春のような幸せはやってくる」。そういった意味です。

旧暦では既に春。

受験生の皆様にとっても、春遠からざることをお祈り申し上げます。