第46回「予科練戦没者慰霊祭」開催

5月 31st, 2013

 平成25年、爽やかな5月の風に誘われ26日(日)、(財)海原会主催の第46回「予科練戦没者慰霊祭」が陸上自衛隊武器学校「雄翔園」に於いて厳粛かつ盛大に挙行されました。式に先立ち慰霊飛行が会場上空で幾度となく行われ、参列者の帽振れで開幕となりました。

 当日は主催者の(財)海原会をはじめとして、元予科練習生とご遺族、自衛隊の関係者、ならびに阿見町民代表として町長が参列しました。式典は国旗掲揚(国歌吹奏)に始まり、献火、追悼の言葉、献花と進み、音楽隊の演奏が行われ閉式となりました。

 元予科練生たちは80歳を越えられた方々ばかりでしたが、ご高齢とは思えぬしっかりとした立ち振る舞いに、私は只々感心するばかりでした。どのお顔もかつて大空に憧れた少年たちの面差しに戻っておられました。元予科練生の皆さんは来年の再会を誓い合い会場を後にしたようです。

 戦後生まれの一人として、当時の少年たちが国のため、親兄弟や愛する人たちのために、と純粋な気持ちで命を捧げたことを私たちは忘れてはならないと思います。そして戦争のない「平和な世界」と「命の重さ」を改めて考えて参ります。

 この度の慰霊祭開催にご尽力された(財)海原会及び陸上自衛隊土浦駐屯地の皆様に対して心より感謝申し上げます。 

 平成25年5月28日    館長 加藤力男

衣を替えて、気分を変えて

5月 29th, 2013

おはようございます。こんにちは。もしくは、こんばんは。

5月も今週で終わり、来週からは6月です。

6月と言えば、衣替えの季節。登下校中の中学生、高校生の制服も涼しげになることでしょう。

かく言う予科練平和記念館でも一足先に衣替えを行っておりまして、5月から阿見町役場 統一基準のクールビズとなりました。

男性陣はネクタイが外され、女性陣も制服の上着を脱いでおります。

皆様はお気づきになられたでしょうか。

 

 

歴史を紐解けば、平安時代の宮廷行事には既に衣替えがありました。時代が下り、鎌倉時代の衣替えでは、服どころか調度品まで替える一大イベントになっています。

今とは気合いの入れ方が違いますね。

旧暦なので現在の日付(6月1日)とは暦がずれて、4月1日からの衣替えですが、もはや一種の文化行事です。

昔の人の気構えを思い、私達も薄着と言う事で、だらしない恰好にならないよう気を付けていきたいと思います。

 

ちなみに、日本海軍が参考にしたイギリス海軍では衣替えはありません。そもそもイギリスでは季節での寒暖の差があまりなく、英語自体に、「衣替え」という意味の言葉がないのです。

明確な日付がないので、一般の人々等は寒ければ長袖、暑ければ半袖と、めいめい勝手に服を替えているそうです。

 

 

 

さて、そんな日本の風物詩である衣替えですが、もちろん予科練生にも衣替えがありました。

6月1日に一斉に行われるのは現在と同様ですが、一度に夏服から冬服へと完全に変わった訳ではないようです。

当館で活動している歴史調査員の方に伺ったところ、まず6月1日に上半身は夏服、下半身は冬服の、通称「ハンクロ」スタイルに衣替えします。

このハンクロは、漢字にすれば「半黒」と書きましょうか。

夏服である第2種軍装の上着の色は白で、冬服である第1種軍装のズボンの色は黒。

(正確には濃紺ですが、この場合は黒と呼んだようです) 

 

 

 

「半分だけ黒」だから「ハンクロ」ですね。

そして、一ヶ月後の7月1日に、もう1度衣替えをして上下共に夏服となります。

6月では、まだ肌寒い日もあると言う事でこういった移行期間があったようです。

近年は温暖化の影響なのか、6月は既に夏と言う気もしますが、昭和の6月はどうだったのでしょう。

暑かったのか、寒かったのか、暖かかったのか。

 

季節の変わり目は体調を崩しやすいですし、日射病、熱射病の恐れもある時期です。

予科練生のように、余裕を持った衣替えで、お体ご自愛くださいませ。

さんぽ日和

5月 17th, 2013

みなさま、いかがお過ごしでしょうか。

 

最近は、暑いと感じられる日が多くなってきました。

予科練平和記念館の周りは、霞ヶ浦から遮るものがないため

晴れた日に外に出ていると、とても風が気持ちよく感じられます。

 

 

新緑の季節となり、記念館の周りは次第に緑が濃くなってきています。

 

 

足元に目を落とすと、シロツメクサが花を咲かせていました。

 

  

 

シロツメクサといえば四つ葉のクローバー

小さいころ、よく探して見つけていましたが…

 

なんと、日本で56枚葉のクローバーが発見され、

ギネス認定されているそうです。

 

数のスケールが大きすぎて想像できませんね。 

きっとそれはそれは立派な葉っぱだったのでしょうね。

 

以前ご紹介したツバメさん家のご新居です。

 

 

お子さんも何羽かいらっしゃいます。

まだ赤ちゃんなので、もう少し大きくなったらご紹介しますね。

 

 

記念館の周りを散策していると、

風に乗って土の香りが感じられるようになってきました。 

代掻きをした田んぼから、土の香りを感じると、

いよいよ夏の足音が聞こえてくるような気がします。

 

まだ小学生だったころ、田んぼのあぜ道を歩いていて、

倒れたままぴくりとも動かないおじいちゃんを発見し、

本気で救急車を呼ぼうか迷ったことが思い出されます。

(実際には、ただ木陰で昼寝していただけでした。)

 

 

 

そんなことは置いておきまして、

予科練平和記念館では、来月の6月2日に

予科練平和記念館学習会として、史跡探訪を予定しています。

茨城県内に残る近代の史跡を、学芸員と一緒に巡るツアーです。

参加無料ですので、お気軽に予科練平和記念館までお問い合わせください。

 

初夏の香りを感じながら、歴史散策に出かけてみませんか?

みなさまのご参加を心よりお待ちしております。

青や、緑や、黄色や、白

5月 8th, 2013

おはようございます。こんにちは。もしくは、こんばんは。

五月に入り一週間が過ぎました。ゴールデンウイークも終わり、みなさまは行楽シーズンも一段落と言ったところでしょうか。

 

ところで、五月は旧暦で皐月(さつき)とも呼ばれますが、旧くは月の名前は、それ一つではありませんでした。

今でこそ呼ぶ人は居なくなってしまいましたが、五月で言えば、橘月(たちばなづき)や菖蒲月(あやめづき)など季節の草花を冠した呼び方や、季節ごとの風景や行事からとられた名前など、さまざまな呼び名があります。

 

風景で言えば、五月雨月(さみだれづき)。旧暦では、五月はすでに梅雨でした。

 

行事から取られた別名は、予科練平和記念館の周りでも見られる、ある光景から取られたものもあるのですが、分かりますでしょうか。

クイズと言う程の話でもありませんが、御存知ない方は、下の写真をヒントに頭をひねらせてみてください。

 

霞ヶ浦沿いを歩いていれば、今の時期ならば自然と目に入る光景だと思います。

 

 

 

 

さて、正解の発表です。

答えは「田植え」。

別名には、稲苗月(いななえづき)、早苗月(さなえづき)、田草月(たぐさづき)と、一つどころか複数の呼び方があり、日本人は、農耕の民族なのだなと言うのがこんなところからも感じてしまいます。

…予科練平和記念館の周囲では、れんこん田ばかりで、クイズとしては、少し意地悪でしたかね。

 

ちなみに、「田植えの月があるなら、稲刈りの月もあるの?」と思われた方、ちゃんとあります。

9月の別名の一つは「稲刈月」。

分かりやすい。

 

青々とした苗が、黄色の稲穂に変わり、白い御飯に変わるのが楽しみです。

 

 

 

 

 

 

 

  

さて、お米の話を出しましたが、予科練生はどういったものを食べていたのでしょうか。

基本的に御飯は麦飯。小麦ではなく大麦です。白い御飯は士官でないと食べられなかったそうです。

それに味噌汁と副菜がつくのが基本の食事で、時には霞ヶ浦のわかさぎ等も出ましたが、日によっては麦飯、味噌汁、漬物を3回と言った日もあったようです。

当館で調査委員として活動されている元予科練生の方にお聞きしてみると、ラッキョウの漬物がよくでていたとのこと。

量については、10代の食べ盛りには、まったく足りなかったようで、予科練生の書かれた書籍や、当館で展示している手紙の中に、食べ物のことが所々に出てきます。確かに、今の食卓と比べてみると、おかずの種類が少ないように思います。

 外出の出来る日は、甘いものが食べられるのが楽しみの一つだったことも書かれており、もし当館にお越しの際には、そんな文章や展示をさがしてみてください。

 

もしかしたら、予科練生も外出帰りに、霞ヶ浦や田植えの苗を見て、秋のお米を想像してお腹をすかせていたかもしれませんね。

なんとはなしに当時の予科練の光景を想像すると、残っている白黒の写真の印象が強いせいか、想像の中まで単色になってしまうかもしれませんが、そういった身近な「食」や「色」を通して、予科練生の見た色も同じ色であったのかなと想像してみれば、浮かぶ姿が鮮やかになりそうです。

そうなれば、予科練生がまた身近に感じられるかもしれません。

空や霞ヶ浦、苗や稲や、お米の色はそうは変わらないでしょうから。

 

 

 先日、特別展の準備と勉強を兼ねて、東京に行ってまいりました。

まずは 千代田区の「靖国神社」へ参拝し、併設されている「遊就館」を観覧。

「靖国神社」は新聞、テレビ等でも取り上げられますので御存知かとは思いますが、戦争で亡くなられた御霊をお祀りする神社で、「遊就館」は、その靖国神社の祭神ゆかりの資料や、戦没者、軍事関係のものを展示されている施設です。

現在「遊就館」では常設展と共に、特別展「大東亜戦争七十年展Ⅱ」が開催されております。

史実に基づいて、ミッドウェー作戦、ガダルカナル作戦など、日本軍の大きな戦闘を一つの単位にブースが分かれて展示がされており、展示の内容、展示の仕方ともに大変勉強させていただきました。

特別展は平成25年12月8日(日)までと長く開催しておりますので、皆様もいかがでしょうか。

 

 靖国神社 遊就館

http://www.yasukuni.jp/~yusyukan/

 

次は、同じ千代田区の「しょうけい館」。

前述の「靖国神社」から歩いて数分、地下鉄九段下駅のすぐ近くにある資料館です。

こちらの館では戦傷病者の、書籍、資料、証言を保存、展示をしており、結核や赤痢などの病気、義眼や義手を使わざる得ないような怪我。そういったものの証言映像や、実物資料に写真、手記などが展示されていました。

あまりテレビ等では見られない、戦争の一面を見ることができます。

オフィスビルの一角で、少し見つけにくいかもしれませんので、行かれる方はご注意を。観覧は無料です。

 

しょうけい館 戦傷病者資料館

http://www.shokeikan.go.jp/index.html

 

最後は新宿都庁前、新宿住友ビル48階にある「平和祈念展示資料館」を観覧。

こちらの館は、旧軍の兵士(特に恩給がもらえなかった方)、戦後シベリア等での強制抑留者、満州等からの引揚者の労苦を伝えるための施設で、展示もそれら三つのテーマごとに3室にわかれています。人形を使ったジオラマもあり、そこは一瞬、本当に人がいるかと錯覚するほどでした。

観覧は無料で、展示は映像資料や実物大の人形、解説資料にマンガを使い、企画ではゴールデンウイークにはアニメの声優さんの読み語りを行うなどして、分かりやすいものとなっています。

こちらもご紹介しておきます。

 

平和祈念展示資料館

http://www.heiwakinen.jp/