幸せの黄色い数珠

6月 16th, 2012

みなさんこんにちは。

オリンピックイヤーということもあり、最近のニュースはスポーツの

話題で盛り上がっていますね。

そんななか、火曜日のサッカー日本代表対オーストラリア戦で、今週一週間分の

全体力を使い果たした学芸員Wです。

 

サッカーをよく知らない私でも、いろんな場面で疑問が残るジャッジが

下されていたように思われて、

個人的にはまだもやもやを引きずっていますが、

それが世界で戦うことの厳しさなのかも知れないな、と思って自分を納得させています。

そういう状況でも全力で戦っているザックジャパンのみなさんは、

ひかえの選手や裏方の方たちも含めて本当にすばらしいですね。

試合を見ている方たちにも、子どもたちにも、大きな夢を与えてくださっています。

私も勇気をもらいました。

エキサイティングな三連戦で毎日が楽しかったです。ありがとうございました!

 

オーストラリア戦応援のための弾丸ツアーに参加したサポーターさんたちの

帰りの飛行機が、たまたまザックジャパンのみなさんと同じだったそうですが、

監督や選手たちがサポーターさんの席をあいさつしてまわってくれたそうですね。

毎試合後のインタビューで、いつもサポーターさんたちへの感謝を

言葉にしてくださる選手のみなさんですが、

言葉だけではなく実際に行動なさるところが、とても男前だと思います。

さすがSAMURAI BLUE。強いからこそ優しくなれるんですね。

 

次の予選は鹿島アントラーズでも活躍されたジーコ監督が率いるイラク。

9月のこの試合も見逃せませんね。全力で応援したいと思います。

 

 

予科練平和記念館で今見逃せないものといえばこれ。

 

 

 

つばめさんたちです。

監視カメラの上でたまごをあたためています。

今日もなにか動きがあったのか、しきりにたまごを気にしているような

そぶりを見せています。

もしかしたらもう間もなく生まれるかな、と、みんなで楽しみにしています。

 

 

さて、先日6月10日(日)には、阿見空襲の慰霊祭が行われました。

今年もこのお二方がご来館くださいました。

 

 

元特別丙種予科練習生(台湾、朝鮮半島出身の予科練習生)の教員だった

橅木(かぶらぎ)光一郎さん(左)と、元甲種14期予科練生の佐藤彰男さん(右)です。

 

佐藤さんは、柔和な笑顔が印象的で、とっても紳士です。

記念館にもたくさん資料を寄贈してくださっていて、その一部を

展示させていただいております。

 

橅木さんは、展示室6「窮迫」の映像の中にも出演して

くださっています。

この映像を撮影したのは夏の暑い日だったのですが、

まわりが暑さでぐったりしているなか、

橅木さんはきちんとジャケットをお召しになり、背筋を伸ばして,

恐ろしい空襲の経験をお話してくださったのがとても印象に残っています。

 

91歳の今もお元気で、この日もご自分で車を運転してのご来館でした。

 

橅木さんはお見えになってすぐ、「これをあげるから」と、私の腕に

黄色い数珠をつけてくださいました。

戦後、受け持っていた台湾の予科練生たちの招待を受けて

台湾旅行をなさったときにいただいたものだそうです。

 

そんな大切なものをいただいていいものかどうか迷いましたが、

「孫娘のようなものだ」と言ってくださる橅木さんのお気持ちがありがたく、

喜んで頂戴することにいたしました。

 

橅木さんは、1942(昭和17)年徴兵により海軍に入団、巡洋艦「高雄」に乗り組みます。

沈没する船から日本兵を助けたり、ダッチハーバーで実戦に参加したりと

様々な経験をなさり、けがの療養後に土浦海軍航空隊に教員として赴任します。

その1ヵ月後、1945(昭和)20年6月10日、勤務地の土浦海軍航空隊は

大規模な空襲にみまわれました。

 

 

橅木さんはその日の朝、警戒警報が発令されたために見張りの責任者として

庁舎の屋上にいたそうです。

空襲は4回にわけて行われ、1回目はそれほど被害がなかったそうですが、

2回目は、低空で侵入してきたB-29が落とす爆弾が兵舎及び講堂に命中、

周りがものすごい勢いで火の海になったため、「総員退避」の命令で

あらかじめ決められていた退避壕に逃げたそうです。

 

その壕に何となく違和感を覚えた橅木さんが別な退避壕に移動したところ、

3回目の空襲で最初に入った壕と庁舎屋上が直撃され、

そこにいた方たちは全員死亡、あたりはおびただしいけが人と死体が散乱して、

橅木さんの言葉を借りれば「阿鼻叫喚(あびきょうかん)の修羅場」だったそうです。

 

まさに危機一髪命を永らえた橅木さん。

戦後は毎年欠かさず空襲の慰霊祭にご出席なさっておられます。

 

 

そんな強い運をお持ちの橅木さんが大切になさっていた数珠ですので、

きっと強いパワーを秘めているのではと思っています。

私Wも、橅木さんの強運を少し分けていただいて、

沈没したタイタニック号から生還した「不沈のモリー・ブラウン」のように

世間の荒波を乗り越えていきたいものです。

 

幸せの黄色い数珠は、今私の机に鎮座しています。

 

 

テープで貼ってあるのはご愛嬌ということで。

台湾の練習生から橅木さんへ、橅木さんから予科練平和記念館へ。

海をわたってやってきた数珠は、予科練平和記念館を護ってくださるのかもしれませんね。

ご縁というのは、本当に不思議なものです。

 

もし、幸せの黄色い数珠をご覧になりたいときには、どうぞ窓口にお声をおかけください。

みなさんにも強い力をわけてくださるかもしれません。