館長日記   ー退任にあたりー

3月 31st, 2012

 例年になく肌寒い日が続き、桜の開花も遅れておりますが

野原では雲雀のさえずりが聞こえてきました。

花香る暖かい日々はもうすぐですね。

 平成22年2月2日の開館以来、2年と2ヶ月の歳月が過ぎました。

この間、全国から多くの方々にご来館を頂き、

この3月で14万人にもなりました。誠にありがとうございました。

厚く御礼申し上げます。

 阿見町の歴史遺産の継承と命の尊さ、平和の大切さを

語り継いでまいりました。

 たくさんの人が心を打たれ

二度と戦争はしたくない、してはいけない。

平和なときが続いて欲しい願いが強く感じられました。

 これからも戦後に生まれた一人として、

70年前、ただただ愛国心一筋に

死地に身を投じて行った人たちのその心が

後世に語り継がれていけたら幸せです。

 ご協力、ご支援誠にありがとうございました。

 今後も予科練平和記念館をよろしくお願い致します。

 ちょうど、4月14、15日頃が桜の見ごろと思われます。

      ご来館をお待ちしております。

おはなしおさんぽの会&昔の遊びをやってみよう!の会

3月 23rd, 2012

みなさんこんにちは。

学芸員Wです。

今日は、明日開催のイベントをご紹介させていただきたいと思います。

 

 

「おはなしおさんぽの会&昔の遊びをやってみよう!の会」

3月24日(土) 10:30~・14:00~

絵本のよみきかせ 30分

どんぐりこま、どんぐりやじろべえづくり、お手玉、折り紙、ぬりえなど昔の遊び 30分

予科練平和記念館ラウンジにて

参加無料 予約不要 幼児~小学校6年生まで(幼児は保護者同伴)

※どなたでも参加OKです(大人の方もよろしければ)

途中入退場可

 

 

去年の夏に開催して好評だったイベントです。

今回は絵本の読みきかせに加えて、昔の遊びをいろいろと体験するという

親子で楽しんでいただける企画になりました。

 

 

前回の会はこんな感じです。

かわいいお子さんとお母さんが参加してくださって、記念館の中が

とってもにぎやかになりました。

お若いイクメンパパさんもいらっしゃいました。

 

 

 

 

きてくださったお子さんには、すてきなプレゼントもご用意しています。

 

 

このメダル、絵本を読んでくれる展示解説員さんの娘さんの

手作りなんです。

動物も何種類かいて、とってもかわいいんですよ!

ぜひ明日、ゲットしてくださいね。

 

明日土曜日は少し雨が残ってしまうようですが、外で遊べないと

残念がっているみなさん!

予科練平和記念館に遊びにいらしてくださいね。

きっと楽しい土曜日になりますよ!

皆さんのご参加をお待ちしています!

 

お問い合わせは

029-891-3344 まで。

 

 

実は今回、おはずかしながら私Wも絵本を1冊読ませていただくことになっております・・・。

今からちょっと緊張していますが、少しでも皆さんに楽しんでいただけるように

今夜も頑張って練習したいと思います。

挙動不審になっていても、どうぞ笑わずに大目にみていただければ嬉しいです。

 

 

 

絵本のよみきかせの練習をしていて、自分の「声」について改めて考えました。

というのも、先月、「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」というイベントに参加して、

「声」の大切さを感じたからです。

 

ご存知の方も、もう参加したよという方もいらっしゃると思いますが、

ダイアログ・イン・ザ・ダークは、視覚障害者の方に導かれて、真っ暗闇の空間で

いろんな体験をする、というものです。

以前から聞いていて興味があったのと、視覚に不安を持つお客様が

記念館に来てくださったときにはどのように誘導すると良いのか、

実際にその世界を体験してみたい、と思って、思い切って参加してみたのです。

 

10人ぐらいが一つのグループになり、白杖(はくじょう)という視覚障害者の方が持っている

杖をたよりに暗闇の中を歩いていきます。

その空間には木が生えていたり川があったりブランコがあったりして、

様々なものを手で触ったり足の感覚で感じたり、ブランコで遊んだりします。

 

何も見えない真っ暗闇で無言で動くと、迷ったり他の方に

ぶつかったりしてしまうので、

「Wここにいます!」

「Wしゃがみます!」

「みなさんどこですかー?」「こっち段差があります!」といった感じで

とにかく声を出していきます。

 

視覚に頼れない空間でおろおろしている私たちを

視覚障害者のアテンドさんが呼びかけたり手を叩いたりして、

とってもスムーズに誘導していきます。

私たちにとっては初体験の世界でも、彼らには日常の空間なんだなと

実感します。

そして不思議なことに、まわりの人たちの声を聞いていると、目で見ていた時よりも

その人となりがわかるような気がしてきます。

「大丈夫?」「こっちだよ」「三歩前に進むと橋があるよ」など

みんながみんなを気遣って声を出し合うので、その声に安心して、

さらにまた次の人も安心させたくて声をかけるようになります。

 

もし視覚障害者の方が道を探していたときには、いきなり触れるとびっくりするので、

まずは声をかけると安心していただける、ということが本当に実感できました。

 

そうしているうちに気付いたのが、自分の声の弱さでした。

それはもしかしたら、生きて行く上で身につけたものだったのかもしれないと

何となく思いました。

自分の考えや感情を伝えること以上に、声というものは

いろんな情報を発信しているのかもしれませんね。

私も長年のくせはなかなか治りませんが、少し大きな声でゆっくり話せるよう

気をつけるようになりました。

 

明日、絵本を読ませていただくときにも、ものがたりの持つ雰囲気やメッセージが

ちゃんと伝えられるように、

ひとつひとつの言葉を大切に読みたいと思います。

 

ダイアログのイベントで私たちのグループをアテンドしてくださったのは「はとさん」という

男性でした。(暗闇の中では皆ニックネームで呼び合います)

「はとさん」は就職活動中の大学生で、暖かくてのんびりした声で、

ときどき冗談を言ってなごませてくださいました。

就職活動はやっぱり大変だそうですが、希望するお仕事につけるといいなと、

応援しています。

 

皆さんも機会がありましたら、ぜひ五感が研ぎ澄まされる

真っ暗闇の世界を体験してみてくださいね。

最初は恐いのですが、最後のころになると居心地がよくなって

もとの日常に戻るのがちょっと残念な気持ちにもなりますよ。

  

ダイアログ・イン・ザ・ダーク

http://www.dialoginthedark.com/

 

 

 

それから、一緒のグループで、同じ職種の方がいらっしゃったのも

とても嬉しかったです。

高知から参加なさったそうで、まだ新しい美術館の学芸員さんです。

HP拝見しましたが、自由度の高い面白い企画をなさっているところで、

機会があったらお邪魔してみたいと思っております。

皆さんもよろしければ、こちらもぜひご覧ください。

 

高知 アートゾーン 藁工倉庫

http://warakoh.com/

 

 

生き抜くこと

3月 13th, 2012

 3月11日を迎えました。

 あれから1年が経ったわけです。

 

 一年前、私は別の職場にいて大地震を体験しました。大きな地鳴りに気付き、周囲へも注意を促しながら、しかしまさかあれ程の地震が襲ってくるとは予想だにしませんでした。

 揺れが落ち着いたとき、「これは大変なことになった」と思い、大急ぎで職場のテレビをつけると、それまで見たこともない「大津波警報」が太平洋沿岸の広域に渡って発令されており、しかもアナウンサーが深刻に避難を呼びかけているのを聞いて「一体、どうなってしまうのだろう」と固唾を飲む気持ちでいたことはまちがいありません。

 しかし、私の身内に震源に近く住んでいる者はおらず、旅行・出張の予定も聞いていないことを思い返すと、海から遠くにいる自身の安全を思い、携帯電話は繋がらず親兄弟の安否確認はすぐに出来なかったものの、私には安心感が生まれていました。

 昨年の私は、再び当事者でありまた傍観者であったわけです。

 

 私はこれまでいくつかの災害に遭遇してきました。

 学生時、まず阪神大震災を経験しました。あの朝の地鳴りは自身の人生における空前絶後の音として記憶しています。メキメキッ、バリバリッと地が裂けるような音でハッと目が覚め、布団の中でいろいろと避難方法を考えながら身構えていました。物は落ちたものの、生命を脅かされることはありませんでした。このように、私は生死を分けた渦中からは外れていたので、当時関西に住みながら同時に関東の人間として、私を見守る家族を含めて当事者であり傍観者でいたのです。

 東海村で臨界事故があったときは、たまたま事故現場からほど近い常陸太田駅前で仕事をしていたため、自覚できるほどの被爆をしています。頭が変にくらくらし、家に戻ってからも車に何か付いていたのでしょう、ドアを開けると「ブン」と音がしたかと思うとまた頭がくらくらしました。この先影響が出るのかもしれませんが、現在いたって健康です。私はここでも他界へ行くことを猶予された当事者そして傍観者であったわけです。

 また、新潟県中越地震があったときも仕事のため新潟にいました。仕事が早く終わり、家で夕食をとっている最中、立て続けに2度大きな地震がやってきました。とりあえず身の安全を確保して、揺れが収まった後、職場の安全確認に出かけた夜でした。被害が大きかった長岡市へ災害応援にも出向き、現場を見るにつれ、やはり私は当事者でありながら傍観者で済んでいる、という気持ちをもったものです。

 そして、昨年の東日本大地震を経験しました。両親が住む家や墓地は大分痛めつけられ、昨年一杯、修理に奔走することになりましたし、断水・停電など日常あるべきものが一時的にせよなくなる経験をしましたが、生死の別れを覚悟する状況には至りませんでした。

 

 身内に目に見える被害が出たことで、これまでより一歩進んでしまった感はあります。しかし、大津波が何もかもめくり上げて進むすぐその先に、何も知らないトラック群が信号待ちしている空撮映像を見て「早く逃げろ」と叫びを覚えたことに比べれば、私は平和に恵まれていたと思うほかありません。

 

 当事者であり傍観者である心構えは、川端康成が芸術の道に生きる覚悟を述べたことばの一つです。一口に言えば、物事の本質を見極めるための徹底した厳しくも優しい態度、と言えばよいでしょうか。

 皆さんにとっても耳馴染みかと思われる「般若心経」は一切の存在が「空」であるという真理を理解するための智慧を説くお経です。「…色不異空 空不異色 色即是空 空即是色…、羯諦(ぎゃてい) 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦…」有名なこれらの一説も真理を体得する智慧を説く場面です。

 

 それこそ昔には、富士山の大爆発で生き埋めになった人たちがいました。鎌倉も大津波を受けて壊滅しました。また、戦国時代には血みどろの戦いで多くの人たちが死にました。私たちはその時代に生きずに済んだ、つまり猶予されたと考えることが出来るでしょう。

 私は自身の経験から、当事者と傍観者の大きな相違を感じています。しかし、私たちは「運」ということばに恵まれています。当事者になることも傍観者で済むことも全て運ではないでしょうか。運を決めるのは、ちっぽけな私たち人間の業ではありません。

 当事者としての運がやってきたときは歯を食いしばって頑張る、傍観者で済んだときは出来る限りの援助を行う、私はそれでよいと考えています。そして、まだ生きることを許されている私たちは、命を決して無駄にしない、生きることに感謝して明日を作っていくだけだと思うのです。

 

 予科練平和記念館は戦争という人為的な惨禍を二度と迎えないよう皆さんに訴えかけています。見方を変えれば、天変地異によって命の尊さを教えられることは、宇宙そのものである仏の教えに通じることなのかもしれません。それは、人間が智慧を得ること、とも言えるでしょう。

 智慧が生まれれば慈悲も生まれる。仏像を見るときには思い出してください、智慧の文殊には慈悲の普賢が、智慧の勢至には慈悲の観音がパートナーとして存在していることを。

 

 私は一昨年に宮古を旅し、浄土ヶ浜などを観光しました。田老港のすぐ近く、三王岩へ徒歩で行ける民宿に泊まり、美味しい海の幸をご馳走になりました。その宿とも音信不通で、ご主人たちの消息も不明です。せめて高台に避難していたことを祈るばかりです。

 

 昨年来、ご不幸に遭われた方々のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

 生きている私たちは、命を大切に、しっかり生き抜いて参ります。

館長日記   ー少年たちの思い(2)ー

3月 7th, 2012

3月(弥生)に入りましたがまだまだ寒い日が続いております。しかし、陽だまりでは咲き始めた紅梅を見ることが出来ます。
寒い時期の中、濃いピンクの花がとてもきれいでほんのりと暖かさを感じます。
ーそんな中ー 3月2日夜半の降雪により、筑波山が薄化粧されました。久しぶりに見る雪化粧の筑波山。
朝日に輝く姿はいつもより勇壮でとても美しかったです。

さて、前回に続きまして予科練平和記念館に来られました、某小学校の6年生の当記念館での学習感想文を紹介いたします。
ーNくんー  ぼくは予科練生の暮らしにびっくりしました。なぜならハンモックで寝たり、
今の高校生から大学一から二年生のレベルの勉強をしたり、班行動で一人が出来ないと班の全員が
バッターでお尻をたたかれたりしてとても厳しかったからです。僕だったら耐えられずに弱音を吐いてしまうと思います。
そして、戦争が激しくなって予科練の卒業生が特攻に加わり、2800人というたくさんの人が亡くなったという話を聞いて、
信じられませんでした。このような人たちの犠牲のうえに今の平和があると思いました。

ーSさんー  私は戦争の話を聞いた時、自分はなんて平和な時代を生きているんだと思いました。
そして、戦争で亡くなった人の遺書、遺品を見たとき、本当の戦争の恐ろしさを知りました。
戦争に行った人たちに実際に会えるわけではないけれど、これから生まれてくる子供たちに戦争の恐ろしさを
言え伝えて行きたいです。これからは命を大切にしていきたいです。

ーIさんー  私が一番印象に残ったのは予科練生やさまざまな学生が「特攻」という爆弾をつけた飛行機や
魚雷に乗って体当たりする、自分の命と引き換えにした攻撃の映像です。
私はまだ20代前後の予科練生が2800人も亡くならないといけないのだろうと、とても衝撃的で悲しくなりました。
私は予科練平和記念館に行って改めて幸せということがわかりました。私たちは昔の学生たちが戦ってくれた
おかげで私たちが生きているんだと思います。
今はとても感謝しています。また家族と行きたいと思います。

生徒の皆さんは戦争は絶対にしてはいけない、命、平和の大切さを実感され、予科練生の思いが伝わったことと思います。
生まれてきたことに感謝し、夢を追う喜び、そして今いる自分に感謝し、これからの人生を謳歌して欲しいと思います。

これからの記念館周辺は予科練生も好きであった「桜」の見ごろとなります。
是非、ご来館のうえ風情を味わっていただきたいと思います。  お待ちしております。

石碑のような場所

3月 7th, 2012

みなさんこんにちは。

なでしこジャパン勝利のニュースに元気をもらった学芸員Wです。

最近気温の差が大きいので体調を崩しやすいですね。

みなさんもどうぞお気をつけください。

 

お隣の自衛隊武器学校さんの紅梅が見ごろになりました。

歩いていくと奥ゆかしい梅の香りがふわっと近寄ってきます。

 

 

記念館近くのお宅にある白梅のつぼみも開いてきています。

季節がゆっくりと春にむかっているのを感じます。

 

 

今週末の日曜日で、東日本大地震から1年になります。

みなさんにとって、どのような1年だったでしょうか。

 

私Wは、もう1年経ったのか、まだ1年だったのかと、とても不思議な気持ちです。

3.11前の世界には戻れないのが今だに何となく信じられなかったり、

でも、こうした状況に生きることが今の自分にとってのリアルなんだなと思ったりしています。

 

去年の3月11日、みなさんは何をしていらっしゃいましたか?

今年の3月11日、何をしてすごされますか?

 

予科練平和記念館では、地震のあった午後2時46分に黙祷(もくとう)をいたします。

当日ご来館のお客様は、どうぞご一緒にお願いいたします。

 

あらためまして、被害を受けて亡くなられた方々に心からお悔やみ申し上げます。

また、被災されて現在も辛い状況、辛いお気持ちを抱えて毎日を過されている方々に

心からお見舞い申し上げます。

3月11日、どうかみなさんが少しでも心静かにお過ごしになれますよう、お祈りしております。

 

 

 

去年、岩手県立博物館の方のお話をうかがう機会がありました。

岩手県では、この震災を忘れないように後世に伝えるため、

もともと進んでいた三陸ジオパーク(貴重な地形や地質を持つ土地を

保全し、研究したり学んだり観光したりする場所のことをいいます。

いわば自然の博物館です。)構想の中に、震災を知る施設を

盛り込もうという動きがあるそうで、被災したいろいろなものを収集しているそうです。

地震被害の大きさ、津波の恐ろしさを実感してもらうためには、

実物の資料が一番なので、本当は民宿の上に乗った船とかを

そのままの形で残したかったけれど・・・とおっしゃっていました。

 

この話をうかがって、岩手県宮古市姉吉地区にある石碑を思い出しました。

「此処(ここ)より下に家を建てるな」と掘られた石碑は、1933(昭和8)年3月3日にあった

昭和三陸大地震による大津波のときに建てられたものだそうです。

地域の方たちは教えを守ってこの石碑より高いところに住んだので、

今回の地震で大津波が来た時にも全員助かったそうです。

 

博物館、特に何かの出来事を記録し記念する博物館という場所には、

この石碑のような役割があると思います。

 

今回の例で言えば、津波で流されてぺしゃんこになった車や、

人間の背よりはるかに高いところまで水が来た跡が残っている壁、

泥だらけでぐちゃぐちゃになったランドセルや家族写真のアルバムなど、

被害の状況を伝えるいろんな資料を収集してみてもらうことで、

津波を実際に体験しなかった人も、その恐ろしさを感じることができます。

それは同時に、もし自分がそうなった場合にはどうしたらよいか、と、

自分の身に置き換えていろいろなことを考えるきっかけにもなります。

津波がきたときに、人びとはどう行動したか、どのようなことが危険だったのか、

どうすればより安全だったのか、という展示があるとしたら、

それによって防災意識を高めることもできますし、子どもたちにむけて

防災教育をすることもできます。

事実を知ってもらうことで、万が一同じようなことがあった場合に、

より多くの人が助かる可能性を高めることができます。

 

それは、博物館がある地域の人たちだけを対象にしたものではありませんし、

今現在だけを対象にするものでもありません。

 

展示を見たことが、もしかしたらその人のなかで10年後20年後に

何らかの形で生かされて

命が助かることがあるかもしれないからです。

また、見た人が誰かに話したことで、もしかしたらその人も同じように

助かるかもしれませんし、まわりの人も助かるかもしれません。

誰かを助けることができるかもしれません。

 

こうしたことは、数字のような形では表れてこない部分です。

財政難のなかにあっては、緊急性という点でほかのものが優先になりますし、

いろいろな面で本当に難しいことだと思います。

 

それでも、できれば、岩手県の三陸ジオパーク構想と、大震災の記録を残して

伝えていく施設は実現してほしい、と個人的に思っています。

 

 

 

博物館という場所は、100年200年先に責任を持つところだと思って、

学芸員という仕事をしています。

ここ予科練平和記念館は、もう二度と、夢も希望もある伸び盛りの少年たちが

戦争で命を落とすことがないように、歴史を伝え、知っていただく場所です。

 

今ここに生きる人、そしてこれからの未来の人たちに歴史を伝えることで、

経験を生かしてより良くなってほしい。

そういう願いがつまっている、石碑のようなところだと思っています。

 

今回改めて、博物館という場所の役割と自分の仕事を考えてみました。

長く語ってしまい、すみません。

ここまで読んでいただいて、ありがとうございました。