ラスト夏休み

8月 29th, 2010

みなさんこんにちは(*^-^*)

今日もまだまだ暑い予科練平和記念館です。

午後から曇ってきたので外に出てみると、もう秋の雲でした。



でもあと一週間は気温30度以上の暑さが続くそうですね・・・(*´Д`)=з

みなさんも熱中症には引き続きお気をつけくださいね。


今日は8月最後の日曜日です。

すこし寂しさも混じる今日ですが、みなさんは今年の夏、どんな思い出が

できましたか?夏にやり残したことはありませんでしょうか?


本日の予科練平和記念館には、ご家族でいらっしゃるお客様が多く、

館内には小学校にあがらない小さいお子さんの姿もたくさん見られました。



阿見町の小中学生は8月いっぱい夏休みなので、もしかしたら宿題の関係かな・・・?と

思われる中学生も来館しています。



8月最後の日曜日にご来館くださったお客様は、

どんなお気持ちでここにいらっしゃったのだろう・・・と、ふと思いました。


お客様は様々なところからいらっしゃり、当館で展示をご覧になった後、

またどこか、それぞれの場所へと戻られます。

それは、駅や高速道路のサービスエリアなどで感じる、

いろんな人がそれぞれの目的地へ行く途中、

今一瞬だけ同じところにいる、というちょっとわくわくする感覚に似ています。


駅もサービスエリアも、旅のよい思い出になる場所ですが、

予科練平和記念館も、お客様の人生という長い旅路のなかで、

思い出に残る場所でありたいと思っています。



館内では今日も展示解説員さんが一生懸命お客様をご案内しています。



こうしてお会いするのも一期一会。ご案内はお客様の思い出を左右する

大事なお仕事です。

解説員の皆さんは空いている時間に資料を読んだりして勉強をしています。

こつこつと知識を積み重ねる努力が、お客様の感動やありがとうにつながっていきます。

館内展示案内は無料で、ご予約をいただければ何名様でもご案内いたしますので、

これから来る秋の行楽シーズンにぜひご利用ください。

(お問い合わせ:029-891-3344)



秋の予科練平和記念館は、20世紀ホールで展示しています

所蔵資料の展示替えを予定しています。

(常設展示の展示替えではありません)

規模は大きくありませんが、常設展には展示していない資料をご覧いただけるよう

準備を進めています。

これに関連して、演劇鑑賞会や映画会なども予定しています。

詳細はHPやチラシ、ポスターなどでお知らせいたしますので、ぜひご覧ください。


「元予科練生の体験を聞く」

8月 24th, 2010

2010.8.22
猛暑の続く中、8月22日(日)に第二回目の
「元予科練生の体験を聞く会」を開催しました。

体験を語って頂いたのは、稲敷市在住の仲川武男さん(81歳)です。
仲川さんは、乙種第20期、当時14歳で予科練に入隊しました。

当日の会場は、老若男女を問わず大勢の人のご参加を頂き、
大盛況でした。ありがとうございました。感謝申し上げます。

戦後65年を迎えますが、「忘れてはいけないもの」
「語り継がなくてはいけないもの」
を、大切にしたいと思う人の多さに、改めて感銘を受けました。

話を聞かれた人から、
「予科練で鍛えられた人は、今でもすごく元気ですね」
と言われました。本当に頭の下がる思いです。

私たちも、先人の思いを感じ、いつまでも平和な日本でありますよう、
努力していきたいものです。

これからも、このような企画をより充実し、後世に語り継いで行きたいと
考えています。

館長 糸賀 富士夫

元予科練生の体験を聞く会

8月 22nd, 2010

みなさんこんにちは(^-^)

今日も残暑厳しい予科練平和記念館です。


本日は「元予科練生の体験を聞く会」がありました。

元乙種第20期予科練生の仲川武男さん(稲敷市在住)をお迎えして

予科練時代の体験や思い出に残っていることなどのお話をうかがいました。


仲川さんは1929(昭和4)年生まれの81歳。

14歳のときに予科練に合格しました。

その時の身長は147㎝ぐらいで、同期生の中でも小さいほうだったそうです。

お尻を叩かれ、頬をなぐられながら厳しい訓練の一日を終えると、夜ハンモックの中で

故郷を思い出し涙する予科練生もいたんだそうです。

実際私も泣きました、と仲川さん。


手旗や、バッターという野球のバットぐらいの固い木の棒、竹やりなどを

お持ちになり、実演も交えてお話をしてくださる姿を見ていると、

まるで実際の予科練生活を目にしているかのように感じられました。


これは、手旗で「ヨ・カ・レ・ン・ヘ・イ・ワ・キ・ネ・ン・カ・ン」を表現しているところです。



1944(昭和19)年にはいると、仲川さんは岡山県にあった倉敷海軍航空隊で

特別陸戦隊の訓練を受けるようになります。

”予科練”は、本来ならば飛行機に乗るための基礎訓練の時間であるはずですが、

もうそんなことが言っていられなくなった日本の厳しい状況がわかります。

ここでは竹やりで攻撃する訓練や、地面に穴を掘ってひそみ、棒地雷で

攻撃する訓練などをしていたそうで、実際に竹やりを使って実演もしてくださいました。


特攻隊の募集を受けたときの話や、広島の原爆を目撃した時の話・・・

短い時間の中でもいろんなお話をわかりやすく聞かせてくださり、

最後には暑い夏にぴったりな予科練にまつわるちょっとこわーいエピソードまで

披露してくださった仲川さん。

信じるか信じないかは皆さん次第ですよ!と、まるで都市伝説を語っているかの

ような名調子でした。


元校長先生だけあって、お話がとっても上手で、気が付くとあっという間に

時間が経っていました。

午前の会には150名、午後の会には110名がご参加くださり、立ち見になってしまった

方もたくさんいらっしゃいました。



終わった後も質問攻めだった仲川さん。昔の先輩や教え子の方もお見えになったようで、

握手を交わして旧交をあたためあう一場面もありました。

それが終わった後すぐに、取材に来ていたNHK水戸放送局の

インタビューに答えていらっしゃいました。


とってもハードな一日でお疲れだったと思いますが、仲川さんは始終にこやかに、

また私でできることがあれば何でもやりますから!!と言ってくださいました。

本当にありがとうございました。


当館ではこれからも、こうした予科練生の貴重な生の声を聞いていただける機会を

作っていきたいと思いますので、今回聞き逃してしまわれた皆さんも、もう一度

聞きたいという皆さんも、ぜひご参加をお待ちしております。


8月7日(土)・22日(日)の2日にわたって行ないました「元予科練生の体験を聞く会」。

激動の昭和を生きたかつての少年たちのお話は、ご来場くださった皆さんの心の中に

いつまでも残る夏の思い出になったのではないでしょうか。


「時をこえ」

8月 19th, 2010

みなさんこんにちは(*’ー’*)

今日は曇り空が広がって、いつもより少し涼しい予科練平和記念館です。

コヒルガオが、ちょっとほっとしたような顔で咲いています。



朝晩は大分涼しくなり、夜は虫の声も聞こえますね。

記念館のお隣さんのおうちの栗の木もイガイガが大きくなっていて、

着々と秋の準備を進めているようです。



先日の終戦記念日の8月15日には、入館料が無料になったこともあり、

たくさんのお客様がご来館くださいました。


アンケートには「終戦記念日を実感するために来ました」というご意見もありましたが、

戦後65年目の8月15日、皆さんにとってどんな一日でしたか?


私はその日の夜、NHKで放送されたドキュメント「僕らが伝えなきゃ 

HY 沖縄から“命”をうたう」を見ました。


皆さんはHYというバンドをご存知でしょうか。

10代後半でメジャーデビュー後、大ブレイクした沖縄出身の5人組で、

いばらきの夏の風物詩にもなっているひたち海浜公園

(茨城県ひたちなか市にある国営の広い公園です)

でのロックインジャパンフェスにもよく参加しています。

共感したり切なくなったり、心が温かくなったり考えさせられたり。

すてきな曲をたくさん聴かせてくれるバンドで、ライブもあったかくて

とても楽しいのですヽ(oゝω・o)ノ

メンバーが仲良しな雰囲気とか、地元の沖縄を愛している感じとかも

とってもほほえましいです。


彼らは今、ある曲を届けるため全国ツアーの真っ最中です。

アルバム「Whistle」の最後の曲「時をこえ」です。

キーボードの仲宗根泉さん(いーず)が、厳しくも優しい自分のおばぁの話を聞いたりして

書きました。

おばぁは、たくさんの人が亡くなった沖縄戦を経験しています。

いーずは、おばぁやおじぃたちが、希望を捨てずに辛い戦争の時代を

生き抜いたから、今こうして自分が生きている。

その想いを歌にしたのです。


「時をこえ」のレコーディングでは、英語のコーラスを入れるかどうかで

メンバー同士の意見が分かれたり、

ツアーのアンコールで、沖縄戦の話をして「時をこえ」を歌っても

真剣に聞いてもらえなかったり。

苦悩しながら、それでも“つながる命”を伝えるために全身で進んでいく彼らの姿が

とても印象的でした。

何よりも一番すばらしいのは、ひとごとにしていないところだと思います。

記憶を後世に、とか、若い世代に戦争を伝える、とよく言われますが、

それができるのは、年齢に関係なく、あなたもわたしも含めて、

今を生きている人みんなです。


自分たちで伝える。

あたりまえでいてとても難しいことです。

HYは自分たちができることを自分たちでやっていく。それも真っ直ぐに。

そういう姿勢がほんとにすてきだと思います。


より深く“つながる命”の響きを届けるため、

今回のツアーは、ライブハウスのように観客に近い会場を選んでいるそうです。

12月14(火)・15(水)にはつくばでもライブがありますので、

チケット入手が難しいかもしれませんが、行きたいなと思っています。

 みなさんもぜひ、ライブでもCDでも、HY聴いてみてくださいね。

「時をこえ」は、心の奥からあたたかい涙が流れてくるような曲です。


ツアーは来年の2月まで続きますので、きっと全国でたくさんの人たちが

HYの想いを受け取っていくのでしょう。

とってもハードなスケジュールだと思いますので、

メンバーの皆さんやスタッフの皆さんには、各地でおいしいものや

珍しいケンミン的なものも食べて、体に気をつけて、

すてきなステージを見せていただきたいなと思っています。

頑張れHY!


HYオフィシャルHP

http://www.hymode.net/index.html


「65回目の終戦記念日」

8月 16th, 2010

平成22年8月15日、65回目の終戦記念日を迎えました。

とても熱い一日となりましたが、
当館始まって来の1,400人余りの方が入館されました。
この日は、終戦記念日ということで、無料開放いたしましたが、
これ程の方が興味を持たれ来館された事は、意義深いこと感じています。
これからも、当館の主旨にご賛同、ご協力を頂き、
「命の尊さ、平和の大切さ」を後世に伝えることを、責務と感じています。

たくさんの方のご来館を心よりお待ちしております。

館 長 糸賀 富士夫

ハスの花が咲いています

8月 11th, 2010

みなさんこんにちは(o・ω・o)ノノ゙

台風4号の影響なのか、今日は雲の多い予科練平和記念館です。



もっこもこの雲の上には、きれいな青い空が広がっています。

この先には広い宇宙があって、そこには宇宙飛行士の人たちがいるんですね。

人類はどこまでいくことができるのでしょうか。


さて、館の周りのハス畑には、今ハスの花がたくさん咲いています。



本当はもっと早くお知らせしたかったのですが、連日のあまりの暑さに

なかなか外に出る勇気がなかったのでした。

ちょっと盛りは過ぎ・・・かけ・・・かな?という感じですが、まだまだ

十分に楽しめます。



ハスは泥の中から美しい花を咲かせるので、仏教では聖なる花とされていますね。

仏像や仏画を見ても、仏様がハスの花をかたどった蓮華台に乗っていたり、

ハスの花を持っていたりと深い関係性を感じることができます。

最近あまり聞かなくなりましたが、「一蓮托生(いちれんたくしょう)」という

言葉もあります。

よい行いをした人は、亡くなった後極楽浄土の同じハスの葉の上に

生まれ変わるのだそうです。

なるほど確かに、ハスは花もきれいですが葉もやわらかで美しい形をしています。



間もなく終戦記念日です。

予科練平和記念館は、この日一日無料でご覧いただけます。

この機会にぜひご来館いただき、戦争の時代の少年たちに

思いを馳せてみてください。


お盆で里帰りをするご先祖様と一緒に帰ってきた予科練生たちも

もしかしたら館のまわりのハスの葉の上で笑っているかもしれません。



元予科練生の体験を聞く会

8月 7th, 2010

みなさんこんにちは( ^ ^ )/

暦の上では「立秋」の今日も、暑い暑い予科練平和記念館です。


さて、先日開館より5万人目のお客様をお迎えいたしまして、

館長より感謝のご挨拶です。


「開館来、6ヶ月が過ぎました。

お陰様を持ちまして、50,000人の入館者を迎えることができました。

予科練出身及びその遺族はもとより、県内外の各種団体のご来館が数多く、

好評を得ております。

最近になりまして、小・中・高等学校の生徒さんが授業の一環として

来館される様になりました。

同世代の予科練生を自分と重ね、何を感じているのでしょうか。

暑い8月がやってまいりました。65年前の少年達(予科練生)を見て下さい。

忘れがちなものを思い起こし、忘れることのなきよう次世代に語り継いでいきたいものです。」



今日は、戦後65年目の夏の企画として、「元予科練生の体験を聞く会」を行ないました。

午前11時からと午後2時からの2回、元予科練生の

戸張礼記さんを囲んで、予科練時代の体験談などをうかがいます。


戸張さんはこのブログでも度々登場されていますが、当館の資料調査委員として

勤務されるかたわら、ボランティアでご来館のお客様にお話をしてくださっています。



熱心に語りかける戸張さん。

あこがれの予科練に16歳で入隊した戸張さんですが、待っていたのは

「こんなとこに入らなきゃよかった・・・」と後悔するぐらい厳しい訓練の毎日。

「バッター」と呼ばれる太い棒でおしりを叩かれ叩かれ、それでも歯を食いしばって

必死で過ごした日々は、今も戸張さんの中にリアルに残っています。


午後の部は立ち見の方もいらっしゃるくらい大盛況で、会が終わった後も

戸張さんへ質問やお話をする方がたくさんいらっしゃいました。



時には笑いも交えながら、体験者でなければ語ることのできない貴重なお話を

たくさん聞かせてくださった戸張さん、本当にありがとうございました。


また、当館でこうした催し物を行なうのは初めてでしたので、いろいろ不手際も

あったと思いますが、午前の部には60名、午後の部には80名と多くの方に

ご参加いただくことができました。ご来場のみなさん、ありがとうございました。



昨日の広島の平和式典には、国連の事務総長や、核保有国の代表の方々も

参列されましたね。

一連のニュースを見ていて、「核」や「戦争」は、過去のものではなくて、

日本のみならず世界中で、複雑な歴史や状況をはらみながら進んでいる、

今、この時のものなのだということを改めて感じました。

そして、戦後65年経っても癒えることのない傷を心や体に負わされた

被爆者の方々、関係される方々の苦しみ、悲しみはいかばかりかと思いました。


この仕事をしていると、たくさんの元予科練生や戦争体験者の方にお会いしますが、

やっぱり、唯一の被爆国として、そしてたくさんの若者を戦争で失った国として、

あの時代の体験を語り継ぎ、伝えていくことが、これからの未来を考える上で

本当に必要だし、待ったなしの課題であると思います。


戸張さんも最後に、「特攻隊として亡くなった先輩たちが「あとは頼んだぞ」と言って

突っ込んでいった。先輩たちが守ってくれたお陰で今の自分がある。

たくさんの若い人たちに体験を語り継いでいきたい」とおっしゃっていました。


今月22日(日)には、別の元予科練生をお迎えして体験を聞く会があります。

違った角度から見た予科練のお話を聞くことができると思いますので、

こちらもぜひご参加をお待ちしています。


青空記念館

8月 5th, 2010

みなさんこんにちは(^^♪

先日の入館者5万人のニュースと、当館のディスプレイデザイン大賞受賞をお知りになって

お祝いを述べてくださるお客様がたくさんいらっしゃいます。

ディスプレイデザイン大賞という素晴らしい賞をいただけたのも、

展示デザインを担当した乃村工藝社さんが素晴らしかった

こともありますし、予科練平和記念館事業にご尽力いただいた

皆さんや元予科練生の皆さん、阿見町民の皆さん、

その他多くの皆さんからいただいたお力の結果だと思います。

深く感謝申し上げます。

これからもたくさんの方にご来館いただけるよう頑張ってまいりますので、

今後とも予科練平和記念館を宜しくお願い申し上げます。


社団法人日本ディスプレイデザイン協会HP

http://www.dda.or.jp/news/detail/news_100624



さて、今日も本当に暑い一日ですねε=(・д・`*)

気温が33度です、とか35度です、と言われることに慣れてきている自分に

ちょっと驚いています。

こんなに暑いと、いろんな虫たちのサイズが大きくなってしまうのではないかと

ひそかに心配です。


本日も予科練平和記念館上空は晴天なり、です。

展示解説員Hさんが、休憩時間にご自分の携帯で撮った記念館の写真を

見せてくれました。

そこには、雲一つないラムネ色の空と、亜鉛メッキ鉄板の外壁が空を映して

真っ青に染まっていて、まるで空と同化したかのような記念館が写っていました。


「予科練生は空にあこがれた少年たちだったので、この記念館では、彼らがあこがれた

空の色だけが映るように、外壁がステンレスではなくて鉄板なんですよ」と

お客様に説明しているんです、とHさん。


ご指名で案内のご予約をいただくこともあるHさんの言葉は、とっても説得力があって、

なるほどおっしゃるとおりだなと思いました。

みなさんにもお見せしたかったので、Hさんにお願いして撮っていただいたのがこれです↓




8月のカレンダー写真になっていそうな1枚です☆

光線の加減が一番いい場所だと、このようにきれいに撮れるんだそうです。

年代物の500万画素のデジカメで撮ったとは思えない素敵さですよね。

Hさん、暑い中ありがとうございました!



館内ラウンジの窓からは、水平線ならぬ雲平線になっている雲が見えました。

どこから来たのか、雲と同じぐらいの高さを旅客機がすーっと飛んでいきます。



外のモワァーやムシムシを忘れてしまうほど、

ラウンジでは穏やかな気持ちで夏空の美しさを堪能していただけます。

暑さでやりきれなくなったら、ぜひご来館ください。


今週末7日(土)・8日(日)は阿見町で「まい・あみまつり」、

お隣の土浦市では「キララまつり」が行なわれます。

お祭で熱く燃えたあとは、涼しい予科練平和記念館でのんびりと

祭りの余韻を楽しんでみてはいかがでしょうか。


5万人目のお客様

8月 4th, 2010

みなさんこんにちは(- -)“

毎日毎日暑い日が続いて、体も疲れ気味ではありませんか?

そんな暑さにも関わらず記念館には、毎日たくさんの人がお見えになっています。


予科練平和記念館は、今年2月2日の開館から早くも6ヶ月が過ぎました。 

開館してから156日目の8月3日午前10時50分に、5万人目のお客様をお迎えすることができました。


そのお客様は、阿見町の隣町の稲敷市にお住まいの黒田伸治(くろだしんじ)さん63歳です。 

記念館の前を走る道路を利用し、通勤していた黒田さんは、昨年の建設工事中から、何ができるのか興味を持っていたそうです。

開館後は、足しげくおいで頂き、今回で4回目のご来館だそうです。

 


「新聞やテレビで何万人達成というのはよく聞くが、この様な場面に、自分が遭遇するとはびっくりです。通ってみるものですね。」とおっしゃられて、テレビや新聞の取材を快く受けておられました。

 


記念のくす玉を割って頂き、記念品として町長より、赤とんぼの模型、ハンドタオル、ネックストラップ、予科練ものがたり、ボールペンなどを進呈しました。これらの品は、記念館の売店でも販売しています。

 


「来るたびに、このような資料がどこに埋もれていたか感心します。手紙などを見るたびに目頭が熱くなります。年齢を問わず、たくさんの人見てもらいたい施設です。たくさんの人に見てもらうためにたくさんPRしてください。私もPRしますから、」といって、今日も館内をゆっくりご覧になっていました。

オープンから記念館にいらしてくださった、たくさんの皆さま、ありがとうございました。

皆さまに支えられて5万人目のお客様をお迎えすることができました。

心より感謝申し上げます。


 これからも皆様にご満足いただけるよう、スタッフ一同努力してまいります。

そして、皆様のご来館を心よりお待ちしています。

69年前の少女

8月 1st, 2010

みなさんこんにちは☆

あっという間に8月に入りましたね。

お祭り、花火、音楽フェスなど、夏のイベント真っ盛りです。

予科練平和記念館でも、7日(土)に、元予科練生の体験を聞く会を

開催します。

当時、予科練生はどんなことを思って訓練していたのか、

どんな気持ちで入隊したのか、生の声を直接聞くことができる

貴重な機会です。

皆さんのご参加をお待ちしております。

詳細はこちらをごらんください。

https://www.yokaren-heiwa.jp/kantan/?detail=true&id=26


さて、今日はすてきなお客様にお会いすることができました。

展示室当番の解説員さんが、こういうお客様がお見えですよ、と教えてくれたので

お会いすることができた方です。

Kさんありがとうございます!


当館展示室5「交流」のパネルの中に、昭和16(1941)年、

霞ヶ浦に流入する桜川が氾濫して、土浦の街が大水に襲われたときの写真があります。

どんな写真かというと、土浦の大通りに面した商店の1階部分が

ほとんど水に浸かっていて、人々は2階に避難しています。

道路だったところは川のようになり、舟が通っています。

ちょっとびっくりするようなこの写真の中に、

小さなおかっぱの少女が一人映っています。


この写真におさめられた少女、増田和江さんがお見えになったのです。

当時10歳だった増田さん。大水の時のことを、こうお話ししてくださいました。


「昭和13年と16年と大水がありました。この時海軍さんが助けにきてくれて、

おにぎりをくれました。そのことを良く覚えています。」


当時、増田さんのお父さんは土浦の街中の大通りで家具屋さんを営んでいました。

写真の中で彼女がいるところが、そのお店の屋根の上です。

足元には幅広のはしごのようなものがあるのですが、これは、お見舞いに来てくれる人に

自分のお店がわかるようにと、お父さんがつけた看板だそうです。


この大水のとき、予科練生や海軍の人たちは、土浦の街を救出すべく、

桜川に土嚢を積むなどの作業にあたりました。

土浦の人たちは、今でもそのことを良く覚えていらっしゃるのです。


増田さんは、戦時中のご自身の体験もお話してくださいました。


3人兄弟の真ん中だった増田さんは、上と下の兄弟が疎開したので、父と2人で家具店を

守っていたそうです。

土浦の女学校に通い、当時は長男がどこの家でも出征してしまって、

田んぼや畑をつくる人手が足りなくなっていたので、他の女学生たちと一緒に、

勤労奉仕でそういう家を回って農作業をしていました。

食べ物はいつもジャガイモばかりで、連日アメリカ軍の飛行機が頭上を飛んできたので、

防空頭巾を被って家を出て、木の下や車の下などで寝たんだそうです。


あるとき、増田さんが病院の近くの坂を歩いていると、艦載機が彼女を狙って

機銃を撃って来ました。


「脇に逃げたりすればよかったんだけど、まだ小さかったから、もう親の元に帰ることしか

頭になくて。飛行機が来る!ってわかって、もう夢中で必死で逃げました。

桜川沿いを必死に走って家に飛び込みました。」


危機一髪難を逃れることができた彼女ですが、それにしても、まだ幼い少女が

戦闘機に命を狙われる時代が日本にあったのだということを考えると、

本当に恐ろしく、なんとも言えない気持ちになります。


「いろんな経験をしたからでしょうかね、今日までいろんなことがあっても

がんばってこれました。」


そういってにっこり笑う増田さんの笑顔はとっても穏やかで、深い優しさに満ちていました。


せっかくなので、昔のご自身と一緒に撮りませんか?とお誘いして

記念写真を撮らせていただきました。



10歳の増田さんと現在の増田さん。69年の時を経ての邂逅です。


息子さんと、お嫁さんと3人でいらっしゃった増田さん。

まだまだ暑い日が続きますが、お体に気をつけて、いつまでも優しい笑顔で

いらしてくださいね。

またお会いできたら嬉しいです。