65年目の日

6月 10th, 2010

みなさんこんにちは。

今日は全国的に晴れて気温が高かったようですが、

予科練平和記念館の上空にも真っ青な空が広がっていました。



記念館も青空色になっています。

外壁が鉄板なので、その日の空と同じ色になるのです。


今日は、阿見町にとって忘れられない日です。

65年前の今日、予科練の訓練をしていた

土浦海軍航空隊(今の陸上自衛隊土浦駐屯地武器学校)を目標に

米軍の大規模な空襲があったからです。


1945(昭和20)年の今日も、少し蒸し暑い一日だったと聞いています。

午前8時から4回にわたってB-29が飛来し、

落とされた250キロ爆弾が、爆発や飛び散った鉄の破片によってたくさんの命を奪い、

木造の建物に燃え広がった炎が被害をさらに大きくしました。


亡くなったのは予科練生ばかりではありませんでした。

日曜日だったこの日、わが子との面会を楽しみに隊門前で待っていた練習生の家族や、

隊周辺の一般住民も巻き込まれます。

家を失ったり、家族を亡くしてしまった人が少なくありませんでした。


以前この空襲を経験されたお客様がぽつんと

「地獄のようだったよ」

とおっしゃっていたことを思い出します。


今日はこの空襲で亡くなった方の慰霊碑がある法泉寺(土浦市大岩田)で

慰霊祭がありましたので、

参列された元予科練の皆さんがご来館くださり、思い出話に花を咲かせていらっしゃる

ようでした。


当館のあるあたりも、空襲によって凄まじい様相を呈していたと思われます。

現在ののどかな風景から想像することは難しいのですが、しかしその地層は確実に、

今見えている景色の下にあるのだと思います。



裏手のハス田からは、新しい葉っぱが水面からにゅっと

顔を出していました。



近くにはシロツメクサの花がかわいらしく咲いています。



記念館が映し出す空が、いつまでも穏やかなものであってほしいと思いながら

自分の机に戻りました。