みなさんこんにちは(^o^)
今日の阿見町は、弾力のありそうなもくもくした雲が
青空に浮んでいました。
週明けからは晴れの日が多く、暑くなるようです。
少しずつ少しずつ、夏に近づいている感じがします。
今日は予科練の体現者ともいうべきお客様がいらっしゃいました。
角田(つのだ)和男さん、現在91歳。1918(大正7)年のお生まれです。
1918年といえば、第一次世界大戦が終わった年であり、
田中角栄元総理や中曽根康弘元総理などもこの年に生まれています。
角田さんは、1934(昭和9)年、予科練の5期生として
横須賀海軍航空隊に入隊されました。
1930(昭和5)年に教育がスタートした予科練制度は、1937(昭和12)年以降
募集人員を増やすため、もともとのものを乙種とし、そのほかに
甲種・丙種・特乙種などのより短期間で訓練するコースが増えていきました。
最初の段階では、甲も乙もなかったのです。
角田さんは、この甲も乙もない時代、本当に初期の予科練の様子を
知っている数少ない人物です。
ちなみに、5期生は全部で200人が入隊し、うち109名が
戦争で亡くなっています。
今日はご家族と展示をご覧になった後、著書『修羅の翼』をご寄贈くださいました。
以前も同じタイトルで本を出版されており、当館のラウンジにもそなえて
ありますが、
今回は写真を増やした新バージョンだそうです。
予科練卒業後パイロットとして幾度も命の危険と向き合い、
仲間を失い、教え子を失い、
特攻隊を指揮した海軍中将 大西瀧治郎に会い、自身も零戦の特攻隊員となる。
今の日本では想像もつかないような、
「厳しい」という言葉もなおぬるく感じるような時間を生きていた角田さん。
それは、第一線で戦ったたくさんの予科練出身者たちが共有した時間でもあります。
今日の角田さんはしっかりと背広をお召しになり、ネイビーブルーのネクタイは
飛行機柄でした。
「角さん」と呼ばれて慕われたお人柄が伝わるようなやわらかいお顔だちですが、
厳しい時代を生きてきた方たちに共通する、ピンとした空気をお持ちでした。
角田さんのことは、本で読んで存じ上げておりましたが、
実際にお会いしてみて、歴史という地面に深く根を下ろした大きな木のイメージが浮びました。
屋久島の縄文杉のように、そこにあるだけで何かを教えてくれる、真っ直ぐ伸びた
一本の木です。
私たちは、その大きな木陰に憩うだけではなく、
そこからいろんなことを学ばなくてはならないのだなと思いました。
角田さん、本日はご来館誠にありがとうございました。
だんだん暑くなりますが、お体に気をつけて、ますますお元気でお過ごし下さい。
またのご来館、心よりお待ち申し上げております。