忘れられない日

6月 10th, 2011

みなさんこんにちは。

震災後、ガソリンをセルフで給油できるようになった学芸員Wです。

それまでは、遠回りをしてでもお店の人がやってくださるガソリンスタンドへ行っていましたが、

今では得意になって一人で給油しています。

できることがふえると、生きる場所の幅が広がったような気がして嬉しいですね。

 

 

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さて、今日は予科練平和記念館のある阿見町にとって忘れられない日です。

 

今から66年前の6月10日、記念館があるあたりは大きな空襲を受けました。

土浦海軍航空隊(現陸上自衛隊土浦駐屯地武器学校一帯)を中心に、

午前8時ごろからB-29の大編隊による4度の空襲を受け、

ちょうど日曜日だったので、土浦海軍航空隊にいた予科練生たちと、

その家族やまわりの一般の人たちもたくさん巻き込まれてしまいました。

 

今日は、その中のお一人である戸張園子さんがご来館くださいました。

所蔵資料展が今週末までだということでお越しくださったそうです。

戸張さんは、当館で、ボランティアでお話をしてくださっている元予科練生の

戸張礼記さんの奥様です。

 

航空隊の近くに住んでいた戸張園子さんは、66年前の今朝、

空襲の第一波で落とされた爆弾の破片で深い傷を負ってしまいました。

土浦海軍航空隊の中にある医務科に運ばれ、寝かせられたのは廊下の水道の下でした。

一緒にいた姉に、「ここは危ないからおねえちゃん逃げて!」と言ったそうです。

空襲がおさまって、姉に背負われて病院に行ったのよ、と教えてくださいました。

 

 

 

今朝はね、主人としみじみ話をしたの。

思い出したくもない記憶だけど、そういう経験があるからどんなことでも

頑張ってこれたのよ。

今の若い人はね、生まれたときから平和だから恵まれているのね。

昔はね、本当に我慢強い時代だったんです。

 

 

 

そうおっしゃる園子先生(以前教師をしていらっしゃったので、先生とお呼びしています)は

今日を「バクダンの日」とおっしゃって、展示室6「窮迫」の空襲の映像をご覧になりました。

この映像にはご自身も出ていらっしゃいます。

 

 

今日一日、空襲の展示室の前にお花が置いてあります。

お花と同じぐらいチャーミングな笑顔の園子先生です。

 

園子先生はお肌がとってもきれいで、張りのあるほっぺと福耳がすごくすてきだなと思います。

女学校を出てずっと先生をなさっていただけあって、お話もとても面白いです。

今日のバッグは光沢のあるパープル。首にはラピスラズリのネックレスでおしゃれです。

ミニ園子先生情報でした。

 

 

 

 

午後には、元特別丙種予科練習生の教員で、6月10日の空襲に遭われた

橅木(かぶらぎ)光一郎さんと、

元甲種第14期予科練生佐藤彰男さんがおみえになりました。

 

橅木さんは、90を超えた今でもご自分で車を運転なさって記念館までいらっしゃいます。

いつもお元気で、数年前は肋骨を骨折しながらも予科練の慰霊祭に参加なさったぐらい

強靭な精神の持ち主でもあります。

園子先生と同じく、空襲の映像の中で当時の体験をお話してくださっています。

 

佐藤彰男さんは、当館に貴重な資料をたくさんご寄贈くださっていて、その一部が

展示室1と5に展示されています。

 

橅木さんは、いらっしゃるたびにいろんなお話を聞かせてくださいます。

今日も、空襲のお話や受け持った台湾の予科練生のお話をしてくださいました。

 

戦後は台湾の予科練に本当にお世話になった。

3度も台湾に招待してくれた。

世話はしたけれども、戦後世話になっていろいろ教えられたのはこっちのほうだ。

 

みんな年とってしまった。

(台湾予科練に関係した人で)今生きてるのは、金子さん(分隊士)と私だけになってしまった。

 

そうおっしゃったときは、少しさみしげでした。

 

 

ちょうど園子先生のだんな様で元予科練の戸張さんもおみえになったので、

せっかくだから記念写真を撮りませんか?とお誘いしてみました。

 

 

 

左から甲14期戸張礼記さん 橅木光一郎さん 甲14期佐藤彰男さんです。

 

 

 

今日はいい記念になった。こんなにしてもらってありがたいよ、と橅木さんが言ってくださいました。

 

 

 

悲惨な空襲を経験され、それを乗り越えられた方と、

66年後の今日お会いしてお話できるというのは、とても不思議な感覚です。

お元気なお姿を拝見して、笑ってお話ができることがとてもありがたく、

嬉しく思いました。

 

 

またいつでもお待ちしております。いつまでもお元気でご来館ください。

 

 

 

今日はその他にも、お兄様が予科練で、当館に遺品のほとんどをご寄贈くださった方や、

元甲種第16期生、前阿見町長など、予科練や当館にゆかりの深い方々がたくさんお見えになり、

思い出深い66年目の今日となりました。

 

 

 

また、今日はもうお一方、予科練平和記念館のデザイン・建築を担当なさった

(株)乃村工藝社のクリエイティブディレクター 吉永光秀さんがいらっしゃいました。

読売新聞さんの取材を受けられ、3時間近く熱心にお話しをなさっていました。

 

 

スミマセン・・・写真が下手で・・・。

前にいらっしゃるのが読売新聞の記者さんで、真中の黒いジャケットの男性が吉永さんです。

 

 

詳しくお知りになりたい方はこちら↓↓

英語ですが、吉永さんのお写真と当館の写真が載っています。

  http://www.nomurakougei.co.jp/nomura_design/en/professional/yoshinaga/

 

 

吉永さんには記念館建設前から大変お世話になっておりますが、

いつもスマートでいらっしゃいます。

今日のバッグは黒いアニエス・b。

日本の現代アートを応援してくれているあのアニエス・bです。

ミニ吉永さん情報でした。

 

 

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本日、懐かしい方々とお会いして思ったのは、変わらずお会いできることの

ありがたさでした。

あの震災でそれが難しくなってしまったたくさんの人たちを思うと、本当に胸が痛くなります。

もしかしたらそれは自分だったかもしれず、いつ何が起こるかわからないということでは、

全ての人が同じ地点に立っているのだ、と改めて思いました。

 

明日で東日本大震災から3ヶ月。

みなさんはどのようにお過ごしになるでしょうか。

 

 

~後世に伝える~

6月 7th, 2011

5月29日(日)第44回予科練戦没者慰霊祭が挙行され
昨年に続き参列いたしました。

大震災の後でもあり、開催が危ぶまれましたが
厳粛の中にも盛大に行われました。
生憎の雨でしたが、大震災等の不幸な出来事を洗い流してくれそうな雨でした。
元予科練生は雨も苦にせず
英霊に対し特別な思いを胸に”きりっ“とした姿勢で参列されました。
感心するばかりでした。

国を思い、家族を思い、平和を願う思いは
今もしっかりとお持ちになっている様子が感じられ、
予科練生の思いを後世に伝える者として考えさせられるものがありました。

また、海原会様代表の挨拶の中で当記念館への思いの言葉を頂きました。
“雄翔園、雄翔館、そして予科練平和記念館と予科練への思いは消えず
命の尊さ、平和の大切さを後世に伝える施設として
意義深いものがある”との事でした。

後世に伝える施設としての責任の重大さを重く感じる言葉でした。
彼らに見放されないよう、精進せねばなりません。

今後も引き続き御支援下さいます様お願いいたします。
元予科練生は来年も再会することを誓い合い散会いたしました。

話題は変わりますが
某テレビ局の番組“おひさま”の中で予科練生が誕生しました。
須藤陽子の次兄茂樹です。

昭和14年4月1日、海軍飛行予科練習生として入隊し、
ここ阿見町の霞ヶ浦海軍航空隊で訓練を受け、戦地に就かれたようです。
そして長兄春樹も軍医として海軍に入るようです。

さて今後は・・・・。テレビにて。

その舞台でもあった阿見町には昨年2月2日にオープンした
予科練平和記念館があります。

阿見町は1921年(大正10年)霞ヶ浦海軍航空隊の開設より
海軍の町として90年の歴史を刻んでおります。
当館は、その中でも特に関わりの深い予科練(海軍飛行予科練習正)の歴史を
展示公開しています。

忘れてはならない歴史の1ページを知るため、
そして命の尊さ、平和の大切さを後世に伝える施設であります。

是非、ご来館いただき七つボタンの予科練生にお会いし、
少年たちの思いを感じて欲しいと思います。

お待ちしております。
平成23年6月7日
予科練記念館館長 糸賀富士夫

祝!10万人

6月 5th, 2011

 予科練平和記念館は、本日午後に10万人目のご来館者をお迎えすることができました。

 

 記念すべきお客様は、野口政次(のぐちまさじ)さん、87歳です。阿見町上長にご在住で、本日は娘さん、お孫さんお二人とご来館いただきました。

 記念のくす玉を割っていただき、町長・教育長から赤とんぼの絵画など記念品を贈呈させていただきました。「絵は部屋に飾りたい」と喜んでいただきました。

 野口さんは戦時中陸軍中尉でいらっしゃったとのことで、岡山方面で任務に就かれていたそうです。当館が開館してからずっと来てみたいと希望していただいていたそうで、本日お越しいただくことが叶いました。ありがとうございました。戦争を知る方に、記念すべきご来館者となっていただいたことにご縁を感じます。館内を見学いただき「昔日の苦しみ、大変さを思い出した」とのことで、涙を流されてもいらっしゃいました。

 「また来たい」と野口さん、ご家族に言っていただくことができました。またのご来館を心よりお待ちしております。

 

 昨年2月2日の開館以来1年4ヶ月、379日目の開館日で記念日を迎えることが出来ました。ご来館いただいた方々をはじめ、皆様にご関心をもっていただき、心より御礼申し上げます。

 

 本年は未曽有の大地震もあり、命について考える機会が多いのではないでしょうか。国を守るため命を懸けた若者がいたことを是非皆様に知っていただき、今日の生活に還元していただきたいと当記念館は考えております。

 

 引き続き、予科練平和記念館へどうぞご来館ください。

スタイル、というもの。

6月 3rd, 2011

  先回の話題に引き続くことになりますが、予科練戦没者慰霊祭(5/29)に参列させていただき私(A)が感じたことを書きたいと思います。

 

 私がこの慰霊祭において一番心に残ったことは元予科練生の敬礼でした。(ちなみに敬礼の分類によると「挙手の敬礼」と言うのだそうです。)

 

  式中、様々な方がご挨拶され、また献花などをされましたが、参列者に対する礼の形も様々でした。挙手の敬礼は現役自衛官もされましたが、元予科練生の「敬礼」は、私には別の光景に映ったのです。

 

 私は戦後生まれで、東京オリンピックも知らない世代に属します。戦争時を知る方々からお話を伺うほか、書籍・遺品などを通じて予科練や戦時の世相、また阿見町について知識を広げ、理解を深めています。私にも想像力はあり、また中年にかかる自身の人生体験を通して他者を類推することも可能、ではあるでしょう。しかし、元予科練生の敬礼を見て「自分は戦争を経験していないのだ」ということが改めて実感されたのでした。

 

 ハッと構えた元予科練生の敬礼から私は音を感じるようでもありました。戦後復員されてからは挙手の敬礼を必要としない世界で生きてこられた元予科練生の方も多いかと拝察します。しかし、敬礼でした。直立し、手腕で三角形を成し、元に直るまで、万感の思いが籠められていたように感じたのです。そのスタイルを、予科練という、戦後もまた別の厳しさに直面した方々の人生そのものと私は拝見しました。式では若鷲の歌が斉唱されましたが、まさに「若い血潮」は消えていないように感じられました。

 

  自身には到底体験できない人生の存在に改めて気付くことが出来たことは私にとって貴重な経験と考えています。学芸員は、真実を捉え、様々な観点から対象に光を当て声なき声を忠実に拾い上げていくことが重要な仕事となります。歴史をありのままに捉え、戦時を想像力でしか把握出来ない者と自覚し、その上で自身も含め、今後の世代に平和を訴えかけることを、私は自身のスタイルとしてお見せしていきたいと考えています。(A)

予科練戦没者慰霊祭

5月 29th, 2011

みなさんこんにちは。

今日は台風が近づいている影響で、予科練平和記念館も朝から雨降りお天気です。

先日関東地方も梅雨に入ったそうですが、

体調などくずしていらっしゃいませんでしょうか。

 

と申し上げつつ、若干風邪気味の学芸員Wがお送りいたします。

 

 

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本日はお隣の陸上自衛隊武器学校内の雄翔園にて、

第44回予科練戦没者慰霊祭が行なわれました。

あいにくのお天気ですが、若くして亡くなった予科練生を悼む涙雨のようでもありました。

 

66年前を考えると、1945(昭和20)年4月末には、日本の同盟国である

イタリアのムッソリーニが射殺され、ドイツのヒトラーが自殺しています。

日本はこの頃、たくさんの犠牲者をだした沖縄戦の最中で、

沖縄への特攻作戦も行なわれていました。

4月には、当時の日本海軍が誇る戦艦大和が沖縄に特攻出撃して沈没しています。

5月初旬にはドイツが無条件降伏し、ヨーロッパにおける第二次世界大戦は終わりますが、

日本は泥沼の戦いを続けていきます。

 

6月には予科練の訓練が中止となり、練習生たちは防空壕や飛行機を守る掩体壕を作る

作業にかりだされるようになります。

 

梅雨にはいり、ちょうど今日と同じような雨の日に作業を行なうこともあったでしょう。

しめやかに行なわれた慰霊祭にご参列の元予科練生たちは、何を想われたのでしょうか。

 

式典が終わってご来館くださった元予科練生のみなさんのお姿を拝見して、

また来年もお元気でいらしてください、と、心の中でお声をおかけしました。

 

 

慰霊祭にあわせ、本日は予科練平和記念館も無料となりました。

当館では、年に数回同じように無料の日を設けておりますので、お気軽にお越しください。

情報はHPに掲載いたしますほか、お電話でもご案内しております。

 

 

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特に今日の出来事とは関係がありませんが、もう一つ書いてみたいと思います。

 

みなさんはBUMP OF CHICKENの「Smile」という曲をご存知でしょうか。

テレビやラジオなどで、一度はお耳にされたことがあるかもしれません。

携帯電話会社の復興支援ポータルサイトのCMで、

漫画家の井上雄彦さんのイラストが淡々と映し出されるバックに

静かに流れていた曲です。

 

井上雄彦さんといえば、「スラムダンク」や「バガボンド」などの作品で

よく知られていますよね。

みなさんもお読みになったでしょうか。

スラムダンクの最終巻、山王戦(でしたよね?)は圧巻でしたね!

セリフが全くない試合のシーンをみて、漫画という表現の可能性の深さに驚いたことを

思い出します。

…と、スラムダンクを熱く語りだしたい気持ちは置いておいて、

井上さんは美術館でも展覧会を開かれており、最近では親鸞聖人の屏風絵を

描いて話題になっています。

 

 

今回のCMで流れた「smile」というシリーズのイラストは、

子どもやお年寄りの何気ない一瞬の表情がモノクロで描かれたもので、

ありふれた日常の一瞬の大切さが、井上さんらしい空気感に包まれて

胸にふっと届いてくる感じです。

 

今回のCM作成にあたり、曲はぜひBUMPで!との井上さんの希望があり、

メンバーはたったの2日間で、井上さんのイラストと同じ「Smile」という

タイトルの曲を作り上げたそうです。

CDは期間限定で販売され、収益の全てが東日本大震災の義援金として

日本赤十字社に寄附されます。

 

 

「Smile」は、何度聞いても泣いてしまいます。

心の場所をなくしてしまったとき、笑顔を忘れてしまったとき、

やさしくそばにいてくれる曲です。

井上雄彦さんもBUMP OF CHICKENも、自分のできることでたくさんの人を動かして

助けを必要としている誰かを助けようとしている。

すごいなぁと思います。

いろんな意見をおっしゃる方はたくさんいますが、実際に何をしたか、が、

今大事なんだと思いました。

 

まだお聞きになったことがない方は、ぜひCDをお手にとってみてくださいね。

きっと誰かの力になれると思います。

予科練平和記念館でもまだ義援金をお願いしておりますので、

ご来館の際はぜひご協力をお願いいたします。

 

~5月の霞ヶ浦~

5月 25th, 2011

館長日記 ~5月の霞ヶ浦~

毎朝5時30分起床、6時00分出発
我が家の3人娘の長女(ラブラドール9歳未婚)を引き連れ、散歩を実行中。
40分の道程

道端の草に夜露が降りている田んぼ道
朝靄の中に霞ヶ浦、筑波山を眺望でき、
向かい岸周辺を見ると山水の風景が見られます。

空気がきれい、気温もちょうど良い、気持ちのいい朝です。
皆さんも一度早起きして霞ヶ浦にお越し下さい。

予科練生もこの季節は気持ちの良い朝を迎えていたのでしょう。
とても純真であった彼らはこの霞ヶ浦の自然の中での
教育、訓練を受けたからではないでしょうか。

話は変わりますが5月11日(水)にご来館頂きました。
甲15期のH様の想いを伝いたいと思います。

当日は同期生8人でお越し頂き、皆さんとても元気でした。
特にH様は背筋の張った予科練生そのものでした。

“当時の予科練に戻れた、同輩に会える、元気が出た、又来たい”

飛行機には乗れずに終戦を迎えたが、国を思う心と
飛行機に乗りたい気持ちは変わらなかったそうです。

ご健在の予科練生の皆様、是非一度は当記念館にお越し頂き、
もっともっと元気になって下さい。
そして私たち若者に力をお与え下さい。

ヤーコン

5月 19th, 2011

 予科練平和記念館が立つこの阿見町にもいろいろな特産品がありますが、その一つがヤーコンです。地元の女性から頂いた漬物として初めて食べた感想は「ヤー、コンなに美味しいものがあったとは…。」

 阿見町内にキャンパスを置く茨城大学農学部の先生によって日本で初めて栽培されたヤーコン。整腸作用をはじめさまざまな健康効果で知られ、ほの甘く、梨に似た食感をもち、生で食べられる野菜です。サラダにしてよし、天麩羅、煮物、少し炙ってのお酒の友…等々万能です。「煮ても焼いても食えるなんて。ヤー、コンなに…。」と驚嘆すべき恵みをもたらしてくれます。

 当記念館でも町の商工会が「予科練の街クッキー」「ヤーコン茶」というヤーコン関連商品を販売しています。甘くサクサクのクッキーといかにも健康によさそうな飲み心地のお茶です。阿見町そして予科練の歴史を知り、時として涙していただいたご来館者の心を解きほぐすお土産としてご好評いただいております。ご参考までに下記ホームページもどうぞお訪ねください。

〈ヤーコン味工房〉

 www1.ocn.ne.jp/~amisho/town/bussan/yacon/yacon.html

〈予科練の街クッキー〉

 www1.ocn.ne.jp/~amisho/jigyo/yokaren-no-machi/yokaren-no-machi-site.html

 先の話に戻りますが、ヤーコン漬物の食感は、柔らかくも芯が残りまさに「しなやか」でした。写真で見るように外見の華やかさはありませんが、小さい体に栄養も旨味も凝縮され、人を生かすしなやかさを持ちあわせるヤーコン。阿見町が誇る特産品です。学芸員はじめ職員はヤーコンたらねばなりません。 

 この地味なヤーコンにもひまわりに似た黄色い花が咲きます。大輪というわけではなく控え目ですが、光をいっぱい浴びようと大空に向かってのびのび花咲かせます。

 

 予科練平和記念館は、人間の来し方を振り返りつつ皆様に未来を展望していただく施設です。我々職員は、人間の歴史の光と陰をしっかり理解し、そしてしなやかに思想しながら、明るい社会を将来にわたって作り続けていくことを、予科練生が駆け巡った光溢れる大空へ向かって宣言するような気持ちで発信し続けていきたいと考えています。

 ヤーコンを思い出していただいたときは予科練平和記念館へどうぞお越しください。職員一同、名実共に阿見町が誇るヤーコンたることを目指しております。

展示解説はじめました

5月 14th, 2011

みなさんこんにちは。

今朝方、家の中につばめが飛び込んできてびっくりした学芸員Wです。

つばめは巣をかける場所を探しているようでした。

少しでも安全なところで子育てするために、頑張っていたのでしょう。

私の地元では「つばめが巣をかけると幸せがくる」と言われますが、

皆さんのところはいかがでしょうか。



さて、予科練平和記念館では毎週土・日に常設展の展示解説を行なっております。

本日からスタートしたこの企画は、ご来館のお客様に展示内容をより分かりやすく

お伝えしたい!とはじめたものです。

これまで常設展の展示解説は、ご予約をいただいた団体のお客様を対象に

行なっておりましたが、

個人のお客様からもご要望があることと、展示解説員さんたちの間でも

予約なしで気軽に参加できる解説をやりましょう!という意気込みがあったところから

はじまりました。


スタート初日の今日は、解説員Sさんが担当です。



Sさんはとってもお話上手で、特攻隊のお話やお客様からうかがったお話などを

休憩時間に披露しては、心優しい解説員Mさんをよく涙ぐませています。


今日の解説も、お客様は熱心に聞いてくださっていました。

最初12名様のご参加でスタートした展示解説も、

終盤には17名様に増えていました。




この展示解説は、今後毎週末実施する予定です。

(館内の状況により、実施を見合わせる場合があります。)

明日15日にもありますので、ぜひお運びください。

また、ご参加のお客様でアンケートにご協力いただいた方には、

予科練平和記念館オリジナル絵はがき(非売品)をプレゼントしております。

通常撮影できない場所の絵はがきですので、ご来館記念にぜひどうぞ。



□ □ □ □ □ □ □

常設展展示解説

毎週土・日曜日 14:00~ 予約不要

当日の予科練平和記念館観覧チケットをお持ちのうえ、

14:00までにエントランスホールへお集まりください。

※館内の状況などにより、実施を見合わせる場合があります。

お問い合わせ 029-891-3344


デビュー

5月 11th, 2011

みなさんこんにちは。

最近、「八月朔日」さんという苗字の読み方を知った学芸員Wです。

みなさんはご存知でしょうか。


正解は「ほづみ」さん。


稲を育てるのに天候が大きく影響することは今も昔も変わりませんが、

その昔、台風シーズンを無事に乗り越えて稲をたくさん収穫できるように、

旧暦の8月1日(今の9月はじめ)に、育ってきた稲の穂を刈り取って

神様に供えたことからきた苗字なのだそうです。

「朔」という字は、太陰暦で月の初めの日を意味します。


「八月朔日」さんは、茨城県つくば市付近に多くて、同じ読み方でも

「八月一日」さんは群馬県に多いそうです。

何故だろう・・・と考えはじめるときりがなくなりそうです。

それにしても、「小鳥遊」で「たかなし」さんとお読みするように、

漢字だからこそ出せる妙味ですね。

苗字は奥が深いです。


*:.。.*.。.:*・☆・゜・*:.。.:*・☆・゜・*:.。.*.。.:*・゜・*


先日5月6日の立夏を過ぎて、暦の上ではもう夏になりました。

予科練平和記念館のまわりでも、柔らかな緑の新芽が、

元気いっぱいにはしゃぐ子どものように勢いよく萌え出しています。




今日は雨が降っているので、横着して入口から

撮ってみました。



下の写真は展示室2から見える風景です。





昨日今日と雨が降り、しっとりした空気がなんとなく梅雨時のようです。

台風1号も発生して、少しずつ夏への助走が始まった感じがしますね。



先日の新聞で、茨城県内の宿泊施設の予約が増えてきたという記事を読みました。

予科練平和記念館への団体のお客様のご予約も、少しずついただけるように

なってきました。

あの日以来止まってしまった時計がゆっくりと動き出したような、そんな感じがします。

まだまだ大変な状況下で日々を過されている方が大勢いらっしゃいますが、

少しでも早く、多くの方が日常を取り戻せますよう、予科練平和記念館でも

できることを続けていこうと思います。

3・11から2ヶ月目の今日、みなさんはどうお過ごしでしょうか。



さて、前回の学芸員Aのデビューブログはいかがでしたでしょうか?

いつもと違ってエスプリの香り漂う感じと思われた方、大正解です。

これから週代わりでブログを担当してまいりますので、どうぞお付き合いくださいね。


ゴールデンウィークの出来事

5月 10th, 2011

東北地方は、まさに桜の満開の時と思われますが被災地の皆様は
まだまだ大変な御心労のこととお察しいたします。
どうぞ、ふんばって下さい。

当館も多少の被害を受け、約1ヶ月程休館しましたが
4月19日より開館いたしました。

そして、ゴールデンウイークを迎えました。

4月29日(金)昭和の日

この日大変うれしいことがありました。
3月11日の大震災当日来館されていましたお客様が開館を待ちわび
”途中だったので最後まで見たかった・・・“と再度来館されました。

感激でした、ありがとうございました。

5月4日(水)みどりの日

この日のY新聞紙上に震災地での自衛隊の活躍が記事にありました。
現地で救援活動している隊員の中には親や妻子を失った隊員、
いまだ、家族の安否が不明な隊員もいるそうです。

国民の救済を第一と行動しなければならないとはいえ、
ほんとうに頭の下がる思いです。

一日も早く業務が終了し、ご家族のもとに戻って欲しいです。

5月5日(木)こどもの日

あるテレビ局の番組で“ALWAYS 続三丁目の夕日”という映画が
放映されました。昭和30年代の東京下町の人々の生活の物語でした。

垣根を越えた隣人との繋がり、人への思いやり、夢を捨てない気持ち・・・と、
まさに日本人の心を写し出した作品ではないでしょうか。

久しぶりに目頭が熱くなりました。   日本人でよかった。
被災地の皆様の気持ちを少しでも受け入ることが出来ればと感じました。

5月7日(土)

9時00分開館に合わせて遠い道のりを記念館に思いを寄せ、
東北宮城県から4名のお客様がありました。

“3月11日の地震で記念館は大丈夫でしたか”と尋ねられましたので
“お陰様で大したことありませんでした”と答えましたところ、
お客様は“予科練生の英霊に守られたんだね”とおっしゃいました。

予科練生の思いが伝わったことと思います。
ほんとうにありがとうございました。

4月29日(昭和の日)より5月5日(こどもの日)までに来館された
お客様が1600人余りありました。
ありがとうございました。

これからも2度、3度とお越しいただけるような運営をしてまいりたいと
考えておりますのでご支援よろしくお願いいたします。

平成23年5月8日           館  長  糸 賀 富士夫