【コロナ禍の一年】

3月 2nd, 2021

 3月に入り、朝晩はまだ冷え込む日もありますが、だいぶ春の息吹を感じる季節となってまいりました。

 

 予科練平和記念館は今年度、新型コロナウイルスの感染症予防により、臨時休館や入館制限等により、入館者が昨年度と比較して大幅に減少してしまいました。

 

 記念館では昨年4月以降、運営方法を一部変更しました。新型コロナの感染拡大を防止する観点から、事前予約制により時間ごとの入館者の制限を行い観覧していただくという運営に切り替えました。予科練平和記念館の常設展示室は7部屋から構成されており、休日や季節によっては展示室内が蜜の状態になってしまいます。多くの人にご観覧いただきたいのですが、感染予防の観点から入館者の制限をしながら運営をしてまいりました。これまで年間5万人の来観者がありましたが、今年度は半分にも満たない結果となってしまいそうです。そのため、年度中に予定していた「来観者60万人達成」も次年度に持ち越しとなってしまいそうです。

 

 昨年2月に開館10周年を迎えることができました。予科練平和記念館でも10周年を記念して、年度後半から特別展の開催を検討しておりましたが、これもまた、次年度以降の予定となってしまいました。予科練平和記念館としても貴重な資料を多くの人にご覧いただける機会を逸してしまったことは、とても残念です。今後、規模を縮小した企画展の検討をしていきたいと思います。

 

 予科練平和記念館では毎年教育普及事業として、元予科練生や歴史調査委員による講演会を事業として実施していますが、今年度は全ての講演会をやむなく中止といたしました。新型コロナが秋口以降一旦収束に向かったため、12月に歴史調査委員による講演会を計画し、チラシの作成や募集を開始した矢先、11月下旬から感染が拡大してきたため、直前で中止をしなければならない事態となってしまいました。非常に残念でなりません。申し込みをして頂いた方には大変申し訳ありませんでした。

 

 コロナ禍にもかかわらず、多くの学校の児童・生徒の皆様方にご来館いただきました。感染拡大が一時収束の方向に向った10月以降、各小・中・高校生の皆様にご来館いただきました。熱心に平和学習に取り組んでいる姿を拝見し、とても嬉しく感じました。感染予防による記念館の制約の中で、いろいろとご迷惑をおかけしました。

 また12月以降、臨時休館によりお越しになることができなかった、各学校の皆様方には大変申し訳ありませんでした。ぜひ機会がありましたら予科練平和記念館にご来館いただきたいと思います。

 

 予科練平和記念館は現在、茨城県内の方のみを対象とした入館制限を実施し運営をしております。当面この状態が続くものと思いますが、1都3県の緊急事態宣言の解除ができるかどいうか気になるところです。県外からお越しのお客さまには大変申し訳ありません。感染拡大を阻止するためにもご理解・ご協力をお願いいたします。

 

 昨年から猛威を振るっている「新型コロナウイルス」は私たちの社会を大きく変え、歴史の中に刻まれる事象として全世界で語り継がれることになるでしょう。

 今年度はコロナに始まりコロナで終わってしまいました。早く社会が正常に戻ることを願っております。

コロナ禍の2月

2月 4th, 2021

年末の忙しない時期を跨いで、やっと年が明けたと思ったら、早1か月が過ぎてしまいました。昨年暮れから予科練平和記念館は臨時休館や入館制限を繰り返し、ご来館いただいた方には大きなご迷惑をおかけしたことを大変申し訳なく思っております。

 

今年度はコロナ禍にもかかわらず、多くの小中高校生の皆様にもご来館をいただきました。ある中学校では新型コロナの影響で修学旅行が中止となり、それに代わる思い出深い授業を取り入れたいとのことから、予科練平和記念館での平和学習を計画していただいた中学校もありました。多くの学校の皆様にお越しいただきありがとうございました。

 

しかしながら、年末から今年に入り全国で感染が拡大し、阿見町も茨城県の「感染拡大市町村」に位置付けられ、さらには、県独自の非常事態宣言を発出するに至ったことにより当記念館も2月7日(日)まで臨時休館にすることといたしました。

子供たちの学習の場としてぜひご活用していただきたかったのですが、中止や延期になってしまった児童・生徒の皆さんには大変申し訳なく残念に思っております。2月に延期となってしまった各学校の皆様方が、当記念館にお越しいただけることを切に願っております。

 

また、2月は予科練平和記念館にとって特別な月でもあります。11年前の平成22年(22010年)2月2日に記念館が開館となりました。毎年、その日は開館を記念し無料開館日として多くの人にご来館いただいておりましたが、今年は臨時休館を行っていることから、やむなく中止とさせていただきます。

 

さらに今月は、記念館に寄贈された資料の一部を整理し、収蔵庫に保管するための燻蒸(くんじょう)作業を行います。燻蒸作業は博物館や資料館の大切な収蔵品や資料にガス状の薬剤を散布するなどして、害虫や菌などから資料を守るための措置をすることです。燻蒸作業は記念館内で行い危険なガスを散布するため、2月13日(土)から21日(日)まで臨時休館とさせていただきます。重ね重ね申し訳ありませんがご理解ください。

 

多くの都道府県が緊急事態宣言を受け、国民にとって新型コロナウイルスが大きな脅威となっています。連日の全国の感染状況が放送されるたびに、不安な気持ちになってしまい、今後の記念館の開館も懸念されるところです。

一日も早く感染を収束させるためには、私たち一人ひとりが感染予防を徹底していくことがとても重要です。皆様のご協力をお願いいたします。

【新しい年を迎え】

1月 5th, 2021

新年明けましておめでとうございます。

新しい年を迎え、皆様方には穏やかな正月をお過ごしのこととお慶び申し上げます。

 

昨年は、コロナ禍の中で当記念館も臨時休館、入館者の制限、イベント等の中止と、開館10年目にして大きな試練の年でありました。また、皆様方には多大なご迷惑をおかけしましたこと、大変申し訳ありませんでした。

予科練平和記念館も今年で11年目に入りました。この間、多くの方にご来館いただき、もう少しで60万人を超える状況にあります。60万人達成という記念の年に、予科練平和記念館といたしても新たな飛躍の年にしていきたいと考えております。

新しい年が皆様方にとりまして、健康で幸せな素晴しい年になることを心よりご祈念申し上げます。

一年を振り返って

12月 1st, 2020

師走に入り、今年も残すところあと僅かとなってしまいました。

この一年を振り返ってみますと、コロナ禍の中でおしなべて国民の生活は大きな負担を強いられた一年だったのではないでしょうか。さらにここにきて、第3波により阿見町は感染拡大市町村に位置づけられました。そのため、予科練平和記念館も11月28日(日)から12月13日(日)まで臨時休館をすることといたしました。12月5日に開催する講演会「ガダルカナルの戦い」も中止となってしまい、皆様方にはたいへんご迷惑をおかけします。

 

さて、この一年、新型コロナウイルス感染症対策によりご来館の皆様方には多くのご不便をおかけした中でご観覧いただいたことを大変申し訳なく思っております。例年ですと年間5万人の方に訪れていただいておりましたが、今年度の来館者は大きく減少する見込みとなってしまいました。

3月6日から6月8日までは臨時休館となってしまい、その間、国や県の新型コロナウイルス対策の方針を注視しつつ、町の対応方針に沿って、お客様の安全と職員の安全を第一に考え、開館に向けての準備をしてまいりました。入館者の制限や展示解説、歴史調査員による講話の中止など、多くの制約の中で、6月9日からやっと開館することができたことは大変嬉しい出来事でした。

また、感染拡大が抑えられてきた8月下旬から9月にかけて、新しい生活様式の実践の中で、いかに新型コロナウイルス感染症と向き合っていくかという事が大きなテーマとなってきました。当記念館といたしましても新型コロナ対策に関し入館時の人数や展示解説の開催等、一部制限を緩和し運営をしたことにより、また、NHKの連続テレビ小説やGOTOトラベルなどの効果、さらには、小中高生の修学旅行の代替事業、校外学習などにより、この秋には多くの方にご来館いただいております。

しかしながら、当初予定しておりました8月の「終戦記念日」や11月の「茨城県民の日」などの特別な日に行っておりました「無料開館日」の設定や夏休み等のイベントなど、様々な行事を中止せざるを得なくなってしまったことは、とても残念でなりません。

来年はぜひ以前の記念館の運営に戻したいものです。

 

今現在、第3波ともいうべき感染拡大が進んでおります。これからの私たちの生活の中で、新型コロナウイルス感染症とどのように向き合っていかなければならないか、一人ひとりが考え、助け合いや支え合いの気持ちを持ちながら生活をしていかなければならないと思います。また、特に医療に携わる方々の負担は大きなものがあります。これからの感染拡大により、さらなる負担が無いようにと祈るばかりです。

 

「校外学習」

11月 10th, 2020

秋の行楽シーズンに入り、さらに「エール」効果もあり、多くの方に予科練平和記念館にお越しいただいております。また、校外学習などにより10月下旬から11月いっぱいまで小中高校からの多くの予約を頂いておりますし、観光事業者の方からは修学旅行時の見学場所としての問い合わせなども頂いているところです。

 校外学習ですが、学年によってその学習の種別や内容も異なっているようです。遠足や宿泊学習、修学旅行はもちろんの事、自然観察や動植物の採取、公共施設等への見学学習、田植えや稲刈りといった生産活動体験など、様々な校外学習が行われています。

 私たちの子供のころも、小学校の周辺にあった雑木林や霞ヶ浦に、授業の一環として担任の先生に連れられて、様々な自然に触れて学習をした記憶があります。そして、そのような授業のある日は、いつも楽しみにしていたものです。

さて、優秀な航空機搭乗員を養成するために設けられた予科練習生制度、14歳半から17歳程度の少年達は日々体力の訓練はもとより航空機搭乗員に必要な基礎的な教育を受けていました。航空術、砲術、通信術、航海術等の軍事学(兵学)はもとより、国語、代数、歴史、科学、物理等の普通学といった一般の学校と同じ科目もありました。練習生は朝から晩まで隊内で厳しい訓練や教育を受けていたのです。

そんな予科練習生も、季節ごとや訓練の進度ごとに様々な行事が組み込まれていました。隊内生活が基本の練習生にとっては、楽しみでもあり、気持ちの引き締まるものでもあったようです。

年間の行事の中で「行軍」という行事がありましたこれは、予科練習生が集団で外出し、名所旧跡などをまわるもので、土浦海軍航空隊では土浦市内をはじめ、筑波山、水戸、東京、鎌倉、鹿島、香取といった所に行軍行事がありました。また、1月には「兎狩り行軍」などもあり、うさぎがとれなくても、練習生たちは温かい汁粉や豚汁が楽しみであったようです。それ以外にも、陸上戦闘の実習を行うため神奈川県あった演習場での「野外演習」や実際の軍艦に乗りこんで実習を行う「艦務実習」、さらには、昭和11年まで続いた「幕営生活」など、隊外での実習や訓練なども行われていました。これも今でいう「校外学習」であったのだと思います。学校外での授業、隊外での実習訓練、当時と今では教育の視点が異なっているのかもしれませんが、共通するのは今の児童生徒も当時の予科練習生も「校外学習」を楽しみにしていたという事です。

 

 今年は、新型コロナウイルス感染症予防により、学校も臨時休校が長く続いたことによる、学校行事の中止や延期、学習時間の変更等により児童生徒さん、そして学校の先生方には大きな負担になっているのではないでしょうか。そのような中で当記念館を学習の場として選んで頂きまして誠にありがとうございます。入館に当たって多くの制約がありご不便をおかけしますが、児童生徒さんの安全や見学方法等を熱心に打合わせに来ていただく先生もおり、大変ありがたく思っております。予科練平和記念館といたしましても、楽しみにして来られる児童生徒さんのために、万全の態勢でお待ちしております。

古関裕而さんと阿見町

10月 7th, 2020

みなさんこんにちは。学芸員Yです。

朝晩の空気の冷たさ、キンモクセイの香りに秋を感じますね。

いかがお過ごしでしょうか。

 

予科練平和記念館では、先週末10月4日(日)に戦後75周年交流展「7つのテーマで知る

シベリア抑留」が終了いたしました。

この特別展は、東京・新宿にある平和祈念展示資料館との交流展で、同館が所蔵している

シベリア抑留関係の資料を、予科練の7つボタンにちなんで7つのテーマで展示していました。

コンパクトな会場ながら内容の濃い展示でしたので、反響も大きかったように思います。

ご来場くださいましたみなさま、ありがとうございました。

 

 

現在は展示を撤去し、講演会スタイルに模様替えしました。

今後は講演会などの予定も徐々に復活させていこうと考えております。

詳細は決まり次第館のホームページやTwitter、Facebook等でお知らせいたします。

 

 

さて、みなさんは現在放送中のNHK朝の連続テレビ小説“エール”をご覧になって

いらっしゃいますでしょうか?

 

“エール”特設サイト

https://www.nhk.or.jp/yell/

 

 

ちょうど今日、俳優の窪田正孝さん演じる古山裕一(古関裕而がモデル)が

土浦海軍航空隊に来隊し、“若鷲の歌”を作曲するという場面が放送されましたね。

 

国のために厳しい訓練に明け暮れる予科練生の姿に触れ、彼らに寄り添う曲をと

裕一が一晩で書き上げた哀愁を帯びたメロディ。

少し幼さが残る予科練生たちが合唱する姿が、歌の力と、その後の彼らを待つ

運命を予感させるような、少し胸がざわつく感じの終わり方でした。

 

 

ドラマでは、裕一が土浦海軍航空隊で予科練生たちの訓練を体験し、

彼らの話を聞いて一晩で曲を書き上げた、というストーリーになっていました。

実際には、古関がすでに作曲していた勇ましい長調の曲を携えて常磐線に乗り、

利根川を渡って茨城県に入った頃、ふと頭に短調のメロディが浮かび、

土浦海軍航空隊で教官と練習生にどちらも聞かせたところ、教官たちは

勇ましいほうを選び、練習生は哀愁を帯びた短調のメロディを選んだ、

この短調のほうが現在も歌い継がれる“若鷲の歌”になった、というのは有名なエピソードです。

当時、レコードの販売数が戦時下にも関わらず23万枚という大ヒットで、

「露営の歌」とともに古関裕而の人気を確固たるものにした記念碑的な曲です。

 

“若鷲の歌”は、予科練生たちにとっても、結束を促し、自分たちのアイデンティティを

より強固なものにする役割を果たしていたようです。

 

1945(昭和20)年6月10日、土浦海軍航空隊はアメリカ軍のB-29爆撃機により

大規模な空襲に見舞われました。

この時の状況について元予科練生が次のように証言しています。

少し怖い表現がありますので、苦手な方はスルーなさってください。

 

 

・・・6月10日の空襲だけは、今でも年に何回か夢をみてうなされ、冷や汗をかいて

目が覚めることがある。恐ろしくて上空の敵機の飛行方向を見て逃げる方向を

判断する余裕もなく、練兵場ならば広いから逃げ場所があるのではとひたすら走った。

 みんなで走っている途中で、茨城県西出身のSがバッタリ倒れた。

「S、どうした。ここにいては危ないぞ!」と怒鳴ると、「俺の足がないんだ!」との返事。

よく見ると、たった今、眼前で炸裂した爆弾の破片がSの左足の踵の上部を貫通して

足が入ったままの靴がSの二メートルも先に吹っ飛んでいる。

 血だらけの足が入った靴をSに渡すと、Sは気丈にも「ここにいては危ない、

一刻も早くここを離れろ。俺はここにいる。後で来い。」と、言う。

 悪夢のような空襲が終わった後、急いでSの所に戻ると顔は青ざめて出血もしていたが、

気丈なSが自分自身でやった応急処置が良かったためか、予想以上に元気だった。

 早速、四名の隊員でSを担架に乗せて霞ヶ浦海軍病院まで歩いて運んだ。

途中、Sを元気づけるために若鷲の歌を歌いながら歩いたように覚えている。途中、長い

長い時間に感じた。(『阿見と予科練』より抜粋)

 

 

 若鷲の歌を歌いながら血だらけの同期生を担架で運ぶ予科練生の姿を想像すると、

何とも言えない気持ちになります。

 何に頼ることもできない極限状態の彼らを支え、俺たちは予科練だ、負けるものかと

友を運ぶ足を前に進める力をくれたのが若鷲の歌だったのでしょう。

元予科練生が当館によくいらしていたころ、若鷲の歌を歌ってくださる方も

たくさんいらっしゃったなぁ・・・と、ちょっと寂しい気持ちで思い出しました。

 

 

 予科練平和記念館では、若鷲の歌のワンフレーズが書かれた

古関裕而さんの色紙を展示しています。

 また、“エール”で予科練を紹介する際に使われていた映像も

館内の展示室でご覧いただくことができますよ。

古関裕而さんの色紙と若鷲の歌のレコードです。

展示室1「入隊」で展示しています。

 

 

予科練平和記念館がある阿見町は、実は古関裕而さんとつながりが深いのです。

町内には小中学校が全部で10校ありますが、町立阿見第二小学校と、町立朝日中学校の

校歌は、古関裕而さんの作曲なんです。

 

朝日中学校は1980(昭和55)年に新設されましたが、初代の校長先生は

なんと!元予科練生です。

1943(昭和18)年5月に乙種第20期予科練習生として土浦海軍航空隊に

入隊した仲川武男さん。初代の朝日中学校校長先生としての体験を次のようにお話ししてくださっています。

 

 

 ・・・初代の校長でしょう。校歌はなし、校訓はなし何もないでしょう。それで困った。

まず校歌、校訓を作らなきゃならない。そこで白羽の矢を立てたのが、予科練の「若鷲の歌」を

作ってくださった古関裕而先生。あの先生は私が昭和18年に予科練に入隊し

基礎訓練中に東京からおいでになり作曲を披ろうしてくれた方です。

 そういう恩恵があったかそれが縁かなにか分かりませんが、ちょうど古関先生の弟さんが

阿見においでになってます。その弟さんも何かの拍子で知り合いになったから援助してもらい、

古関先生に作曲してもらいました。作詞は「高校三年生」の丘灯至夫先生。

 ・・・二回くらいかな古関先生の家までお邪魔して、いろいろとお話ししてお願いしてきました。

(『続・阿見と予科練』より抜粋)

 

 

古関裕而さんが土浦海軍航空隊にいらした時、仲川さんも予科練生として同じ場所にいらっしゃり、

後年ご自身が校長先生になられた時に、また古関裕而さんとつながって、

たくさんの生徒さんたちが歌う校歌が誕生していたんですね。

 

実は、当館で展示している古関裕而さんの色紙は、この仲川武男さんが寄贈してくださったものです。

不思議なご縁がつながっているなぁと感じます。

 

 

古関裕而さん、丘灯至夫さんは生まれ故郷の福島県に記念館があります。

こちらもよろしければチェックしてみてくださいね。

ご来館の際には、開館状況やコロナウイルス対策の状況などをホームページやお電話でご確認いただけると確実です。

 

古関裕而記念館

https://www.kosekiyuji-kinenkan.jp/

 

丘灯至夫記念館

https://www.town.ono.fukushima.jp/soshiki/13/toshio-oka.html

 

 

 

 

 

 

天高く馬肥ゆる秋

10月 4th, 2020

9月下旬、今シーズン初めて台風12号が関東地方に近づきました。勢力もあまり大きな台風ではなかったため、大きな被害はありませんでしたが、「実りの秋」を迎えた農家の方にとっては気をもんでしまったのではないでしょうか。

 さて、台風が通過し、やっと厳しい夏から爽やかな秋の訪れを感じる季節となってまいりました。他の季節が好きな人には秋の訪れはさほど嬉しくないかもしれませんが、それでも秋の爽やかさは格別なものです。そのためでしょうか、秋は他の季節と比べ物にならないほど「〇〇の秋」と表現されることが多い季節です。「芸術の秋」「食欲の秋」「読書の秋」「スポーツの秋」・・・と、調べてみると多くの秋が新聞や雑誌に取り上げられております。それほど秋の訪れは私たちの生活の中で特別なものとなっているのかもしれません。

 また秋になると、時候の挨拶などにもよく使われる「天高く馬肥ゆる秋」という諺を思い浮べます。秋の素晴しさを表現した言葉で、「天高く」とは空が晴れて澄み渡っている様子を表し、「馬肥ゆる(馬肥える)」とは、馬の食欲が増してたくましく太ることを表現しているということです。この諺は中国唐代の詩人・杜審言(としんげん)が書いた詩にある一節からきたもので、正しくは「秋」が最初になる「秋高くして塞馬(さいば)肥ゆ」ですが、日本では「天高く馬肥ゆる秋」として定着したそうです。しかし元々の意味は「秋の素晴しい季節」を表現したものではなく、「警戒をしろ」と注意を促す言葉でした。匈奴(きょうど)という騎馬民族が秋になると北のほうから肥えてたくましくなった馬に乗って略奪に来るから気をつけろということを伝えるために、「雲浄(きよ)くして妖星(ようせい)落ち、秋高くして塞馬肥ゆ」と読んだといわれています。

新しい生活様式の実践の中で感染防止と社会経済の両立が大きな課題になっていますが、GoToトラベルの実施やイベント開催の制限が緩和されたことに伴い、9月下旬から観光地やイベント施設、交通機関等に多くの人の流れが戻ってまいりました。これまでどこにも行くことができず我慢していた方も、やっと「行楽の秋」を満喫できそうです。くれぐれも「警戒」を怠ることなく楽しい「〇〇の秋」を過ごしていただきたいと思います。

 予科練平和記念館から見た秋の空も清々しく爽やかな青空が広がっています。どうぞ皆様方のご来館をお待ちしております。

弱虫ペダルスタンプラリーやってます

9月 29th, 2020

みなさんこんにちは。学芸員Yです。

日増しに秋の気配が深まってきていますね。

いかがお過ごしでしょうか。

 

あの・・・予科練平和記念館には、多分ですが、本当に時間を食べる何かがいるかもしれません。

日々コロナ対策に振り回されてしまい、こんなにブログに時間を割けないとは・・・。 

前回の更新から1か月以上経ってしまいました・・・。

いや、自分の怠慢なのだと思いますが、それにしても、と言う感じです。

しかし今年もあと3か月。気合を入れなおしてアップしていきたいと思います。

 

 

さて、予科練平和記念館では、11月30日(月)まで

「弱虫ペダルデジタルスタンプラリー ウォーク&ライド」に参加しています。

 

「弱虫ペダル」は、現在「少年チャンピオン」で連載されている人気少年漫画で、

アニメ化もされています。

コミックスはなんと68巻まで出ているそうです!

今年の夏には、アイドルグループKing&Princeの永瀬廉君主演で実写映画化された

今とても勢いのある作品なんです。

 

 

このデジタルスタンプラリーは、茨城県南15か所に配置された

弱虫ペダルのキャラクターのポスターについているQRコードをスマホで読み込むと

スタンプをゲットできるというもので、

スタンプをためるとオリジナルクリアファイルなどがもらえます!

 

お隣の土浦市にあるJR常磐線土浦駅には、主人公小野田坂道君のポスターと、

主要キャラの等身大パネルやフォトスポットもありますよ。

 

詳しくはコチラ↓

https://arweb.jp/playatre/

 

 

そして、当館に来てくれたのは「青八木 一(あおやぎ はじめ)」君です!

青八木くんのQRコード付きポスターは、予科練平和記念館の外にある

正面入り口付近の掲示場と、館内ラウンジの掲示板の2か所に設置しています。

外にある掲示板は、予科練平和記念館が閉館している時でも撮影OKです!

館内ラウンジの掲示板は、どなたでも自由に出入りできるフリースペースにございますので、

もしよろしければこちらもご覧になってください。

館内にいる青八木君のほうが、ポスターのサイズが大きいですよ!

 

↑館の外正面入り口付近の掲示版

 

館の入口を入って突き当りを右に曲がっていただくと、

大きい青八木君がいます。

 

 

また、予科練平和記念館は広域レンタサイクルの貸出ステーションにもなっています。

WEBからご予約いただき、予科練平和記念館で自転車を借りて、

霞ヶ浦や筑波山を見ながら気軽にサイクル旅が楽しめます!

ご利用のお客様を見ていると、思ったより遠くへ行ってしまった、という方や

すてきに日焼けして帰ってこられる方など、みなさん楽しそうです。

マスクを外して、深呼吸しながら全力で自転車を漕いだら、きっと気持ちがいいですね!

貸出できる自転車は、ロードバイクやクロスバイクのほか、お子様用や二人乗り用など

用途に合わせてご用意があります

もしよろしければ、この秋のアクティビティ候補に加えてみてくださいね。

 

詳しくはこちら↓

https://www.ringringroad.com/rentalcycle/

 

 

今週木曜日、10月1日は中秋の名月です。

いろいろと先行きが見通せず、ともすれば気持ちが落ち込んでしまいがちなニュースが

日々目に飛び込んでくるこの頃。

この日の月がとっても美しくて、みんなが月を見上げてちょっとほっとして、

少し気持ちが軽くなる日であったらいいなぁと思っています。

みなさんの日々が、少しでも心安く穏やかでありますように。

すてきな名月をおむかえくださいね。

 

 

 

厳しい残暑

9月 4th, 2020

新型コロナウイルスは、世界中に蔓延し人々の生活や経済を混乱に陥れています。また、日本では異常気象により梅雨明けが遅れ、やっと明けたと思った8月は異常な暑さで、多くの方が熱中症により救急搬送されるという事態になっています。新型コロナウイルスと熱中症、今年はこの二つの厄介なものと付き合わなければならない煩わしい夏でありました。

 予科練平和記念館は通常開館してもうすぐ3か月が経とうとしています。今年は終戦記念日の無料開館や夏休み期間における子供たちとふれあうイベントも中止になってしまいました。返す返すも残念でなりません。それでも夏休みには、多くの小学生・中学生が家族と一緒に見学に来られました。ありがとうございました。

 さて、暦の上では既に立秋を過ぎ、予科練平和記念館の桜の葉も8月下旬から落葉が始まりましたが、まだまだ暑い日差しが照り付け残暑厳しい夏が続いています。

土浦海軍航空隊で毎日厳しい訓練をしていた当時の予科練習生達、エアコンもない隊舎の中で暑い夏をどのように乗り切っていたのでしょうか。熱中症になる訓練生もいたのではないでしょうか。それでも、厳しい訓練に耐え国のためにと懸命に努力する姿を思い浮かべた時、つくづく頭が下がる思いがします。

「暑さ寒さも彼岸まで」と言いますが、秋を思い、冬を恋するこの季節、早く涼しい季節が訪れること願うばかりです。

 まだまだ厳しい残暑が続きます。くれぐれも新型コロナウイルスと熱中症には気を付けてください。

博物館実習中です

8月 28th, 2020

みなさんこんにちは。

学芸員Yです。

毎日暑い中にも秋の気配を感じるころとなりましたね。

いかがお過ごしでしょうか。

朝晩の風の涼しさ。日暮れとともに聞こえてくる虫の声。

日没も早くなってきました。

2020年の夏も過ぎようとしていますね。

 

前回のブログ更新が7月。

まめに更新したいと思いつつも、日々コロナ対策と問い合わせ対応に追われてしまっていました。

時間が驚くほど速く過ぎるので、予科練平和記念館のどこかに時空のゆがみが

あるんじゃないか、と検温用のサーマルカメラで探してしまいそうになります。

たまる一方の仕事と問い合わせ対応のための資料が机の両端に積み重なり、

新たな地層が出現中。

コロナ…どこでも大変ですよね…。

みなさん本当に本当にお疲れ様です。

 

さて、今週火曜日から博物館実習が始まりました。

博物館実習は、学芸員資格取得のために実際の博物館で実習を行うものです。

今年は2名の大学生が実習に来てくれています。

先日は当館の歴史調査委員大橋さんによる講義に続き、元予科練生のお話を聞きました。

 

 

大橋さんは、歴史を伝えるということ、その中で学芸員が果たす役割について

お話をしてくださいました。

また、元予科練生の戸張さんは、予科練とはどのようなところだったのかを

ご自身の体験も交えて伝えてくださいました。

 

 

実際に体験された方のお話は、どんな解説文よりも説得力がありますね。

戦争の歴史を伝える博物館、資料館は、今後どのように語り部事業を行っていくか

悩みどころです。

戸張さんには、ご無理のない範囲でこれからも多くの方に体験を伝えていただけたら

ありがたく思います。

まさに予科練平和記念館の宝物です。

 

 

博物館実習3日目の昨日は、資料のクリーニングとデータ入力を行いました。

クリーニングするのは、阿見村と合併する前の旧朝日村役場の行政文書です。

昭和初期に作成された文書の一部を予科練平和記念館で保管しているのですが、

時間がなくてなかなか細かくクリーニングしてあげることができずにおりました。

こうして学生さんが来てくださるととても助かります。

 

一枚一枚刷毛をかけてほこりを落とし、傷み具合をチェックしていきます。

慎重に慎重に進めてくださっています。

 

 

 

紙がもろくなっているので最初は触れるのに緊張しますが、

クリーニングの数をこなしていくと、どこに気を付けて

どのように扱えばよいかの感覚がだんだんと身についてきます。

 

文書のクリーニング作業は非常に地味で時間もかかるものです。

でも、この手間こそが未来へ資料を伝えていく基礎になります。

 

博物館での展示等で一般の方の目に触れる資料は氷山の一角です。

見えないところにも様々な資料が眠っていて、そうしたすべてをできる限り未来へつなげていくのが

学芸員の大切な業務になってきます。

 

 

クリーニングと同時に、資料の写真データに資料番号を入力する作業も行います。

 

 

 

こちらも手間のかかる作業なのですが、手際よく進めていただいてとても助かりました。

 

 

本日は展示の監視や窓口業務を体験中。

大きな博物館であれば、こうした業務は専任の職員を配置するのですが、

私どもは小さな館なので、学芸員も館のすべての業務にかかわります。

内側の仕事とはまた違った角度から、展示やお客様の導線なども考えることができるのではと

思っております。

 

 

実習最終日の今週土曜日には、ご本人たちがこのブログと館の公式Facebook、Twitterに

登場します。

もしよろしければ、こちらもご覧いただけましたら幸いです。

 

 

まだまだ暑い日が続いています。

水分、塩分、睡眠、栄養をしっかり摂って、みなさんどうぞお元気でお過ごしください。