令和5年度第1回予科練平和記念館講演会を開催しました

7月 27th, 2023

皆様こんにちは。約1年ぶりに筆を執りました学芸員y改めKです。
Yによるブログが復活しましたので、yでは混同してしまうため、Kに改名しました。
今後ともよろしくお願いいたします。

さて、予科練平和記念館では令和5年(2023)6月24日(土)に講演会「元予科練生が体験したシベリア抑留~3年3ヶ月の記憶~」を開催しました。当日は56名の方にご参加いただき、講師である元海軍乙種第23期飛行予科練習生の篠原吉宗(しのはら よしむね)さんのシベリア抑留時の経験をお聞きいただきました。

今回のブログでは、講演会に参加できなかったという方のために、今回の講演会の内容を写真とともに振り返っていこうと思います。

~講師紹介~
 昭和4年(1929)6月6日に茨城県東茨城郡渡里村にて生まれました(現在は水戸市と合併し、水戸市渡里町となっています)。
昭和19年(1944)8月に乙種第23期飛行予科練習生として土浦海軍航空隊に入隊し、同月人吉海軍航空隊に派遣。
昭和20年(1945)2月には朝鮮にあった元山(げんざん)海軍航空隊に派遣されました。
同年8月、元山にて終戦を迎えた篠原さんは、当時のソ連による武装解除を受け、元山より北にある興南の港まで向かい、帰国の想いを持って乗船しますが、着いたのはソ連の港町でした。そこから、3年3ヶ月にわたって壮絶な抑留生活を経験されました。
篠原さんには令和4年(2022)10月8日にもご講演いただいており、第2回目となる今回はシベリア抑留時のお話を中心にご講演いただきました。


まずは、会場の写真です。令和4年度の講演会は当館20世紀ホールで行われましたが、今年度からは情報ラウンジでの開催となりました(コロナ禍前の状態に戻りました)。


会場には、講師の篠原さんが実際に着用していたドイツ女性将校の外套を展示しました。また、スクリーンには、講師自作の資料を投影し、参加された皆様にも配布資料としてお渡しいたしました。


また、今回の講演会は好評につき、当日席を設けました。当日は10名ほどご参加いただきました。


13時30分、講演会が始まりました。篠原さんによるシベリア抑留の体験談は、とても生々しく、貴重なお話でした。この講演会はアシスタントと篠原さんによるインタビュー形式で行われましたので、質問事項と篠原さんの体験談をまとめていきます。

Q1:終戦時の様子をお教えください。
8月15日は、元山海軍航空隊は通常通り特攻訓練を行っていました。その後、8月23日にソ連による武装解除があるまでが大変でした。朝鮮の方々が航空隊の周囲を囲んでいるような状態でした。そのような中で、航空隊の水道が止まりました。日常生活で必要な水をどのように調達していたか、それは航空隊内の防火水槽でした。ただし、夏の暑い時期なので、防火水槽には蚊の子ども(ボウフラ)が湧いていました。ボウフラ入りの水で炊いたご飯は、当初はとても食べれたものではありませんでしたが、空腹には耐えられず、2日、3日経つと皆食べていました。

Q2:昭和21年(1946)6月14日、日本への帰還を期待に込めて乗船した篠原さんでしたが、その船はソ連の港町ポシェットに到着しました。そこから、3年3ヶ月にわたる抑留生活が始まります。抑留された最初の頃は、どのような仕事を行っていましたか。
抑留された初期は、シベリア鉄道に沿って、所々で作業を行っていました。その後はモスクワ郊外のクラスノゴルスクにあった収容所(ラーゲリ)に収容されました。この収容所は、ロシア革命の時に当時の皇帝の側近達を収容していたと言われている収容所でかなり年季が経っていました。また、移動の際は、キーウも経由していました。

Q3:クラスノゴルスクの収容所には、どのような方がいましたか。また、どのような経験をされましたか。
クラスノゴルスクの収容所には、日本を含め、ドイツ等複数の国の人が収容されていました。他の国の人は国境が地続きであるため、隣国の言葉を覚えており、会話が出来ましたが、どの国とも国境が接していない私達は最初の頃は会話ができませんでした。しかし、ロシア語を覚えると、ロシア語でコミュニケーションをとれるようになりました。


Q4:ある朝起きたら、隣の方が亡くなられていたという経験をされたそうですが、その際は、どのようにされましたか。
ある朝起きたら、隣の人が起きてきませんでした。「朝食の時間だぞ」と呼び掛けても起きてこなかったので、近くに行ってみたら、息をしていませんでした。医者に診てもらったところ、近くの山に埋めてこいとのことでした。自分たちで亡くなった方を運び、白樺が続く山の中に亡くなった方を埋めました。その際、着ていた衣服は貰い、自分達の防寒着にしました。そうしないと、シベリアの寒さには耐えられませんでした。

Q5:現地の女性、エレーナさんとの思い出をお聞かせください。
私達がある工場に働きに行っていた頃、男性はほとんどが兵士になっているため、工場には女工さんが多くいらっしゃいました。歳は大体16歳~20歳くらいでした。彼女たちはお昼休みの時に私達の所に来て、会話をしていました。当時は若かったので、ロシア語を2、3回聞けば話すことが出来ましたので、私も覚えたてのロシア語で会話をしていました。その会話をしていた女工さんの中の1人がエレーナでした。エレーナは私と同い年で、私の昼食を見て、これでは足りないだろうと監視から隠れながら黒パンを分けてくれました。今思えば、自分の朝食の残りや昼食を削って、渡してくれていたんだなと思います。そんなエレーナとも、仕事場所の変更により、最後のあいさつをすることもなく、離れ離れになってしまいました。


Q6:シベリアの寒さならではのトイレ事情があったそうですが、どのようなものだったのでしょうか。
シベリアでのトイレは、日本人と外国の人ではやり方が違いました。日本人は穴の上に板を2本かけて、その上でしていましたが、外国の人は穴の上に柱を立てて、その上に板を通し、そこに座ってしていました。
また、零下30度にもなるシベリアでは、排泄物も凍ってしまいます。それが山のように積みあがっていき、自分達に当たりそうになると、誰かが穴に入って、凍った排泄物の山を砕く必要がありました。私は、抑留者たちの中でも若い方だったので、他の人から砕いてくるように言われて、砕いていました。砕いている時は、凍っているので特に臭いはしないのですが、砕き終わって、暖かい所に行くと、凍っていた排泄物が溶けて臭いがするようになり、周りの人から遠くにいるように言われて、中々温まることが出来ませんでした。

Q7:最後に皆さんへのメッセージをお願いいたします。
皆さん、映画「ラーゲリより愛をこめて」はご覧になりましたか?シベリア抑留と言っても収容された場所によって、異なります。まだ観ていない方はぜひ観てみてください。
また、現在、ロシアがウクライナに侵攻しています。侵攻とは宣戦布告のない戦争です。戦争は人を殺せば殺すほど褒められる。狂っています。戦争はやってはいけないことです。

今回の講演会は90分で、13時30分から15時00分まで、篠原さんには多くの体験談をお話いただきましたが、この90分はとても濃い時間で、まだまだ篠原さんのお話を聞いていたいくらいでした。


講演終了時の様子です。篠原さんは現在94歳ですが、活力にあふれており、講演を通してこちらが元気をいただいたように感じました。

ここで、講演会に参加された方からいただいたアンケートを一部ご紹介いたします。(アンケート書面にて掲載の許諾をいただけた方のもののみになります。)

・7年前に他界した父と同じ歳の方の話が聞けてとても良かったです。
・篠原さんが体調が回復され、貴重なお話しをきかせていただきましてありがとうございました。シベリアでの抑留と聞き、ロシア人は日本人を敵視しているのかと思いましたら、人を大事にされたと聞き、驚きました。人は人を思う気持ちが国を越えてもあるのだなと思いました。
・当時戦争を体験した方のお話を聞けたのはとても貴重だと思いました。時間があっという間に感じました。

この他にも多くの方からアンケートのご回答をいただきました。ご協力いただきありがとうございました。皆様からのアンケートを基に、より良い講演会を開催できるよう邁進してまいります。

今年度1回目の講演会は大盛況のうちに閉幕となりました。次回の講演会を行う際は、またブログや公式Twitter、ホームページにてお知らせいたします。

6月10日のこと

6月 11th, 2023

皆様こんにちは。学芸員Yです。
先日の大雨で被害を受けられた皆様には、心よりお見舞い申し上げます。
お天気予報で雨マークが付くと、先日のような大雨になりませんようにと
祈ってしまいます。
備えあれば患いなし。必要なものを用意しておくと安心につながりますよね。
どうか皆様の心が平安でありますように。

関東地方も梅雨入りし、湿気を含んだ空気が木々の緑をより一層濃くしています。
予科練平和記念館の周りでは、巣立ったツバメたちが電線に止まっています。
お隣の公園で遊ぶお子さんたちの声が聞こえ、お散歩にきたワンちゃん達も
楽しそうにしています。

令和5年6月10日。予科練平和記念館はとても平和です。

78年前の今日、地獄のような光景が広がっていたことが想像もつかないぐらいに。

1945(昭和20)年6月10日、この日は日曜日でした。
午前8時頃に空襲警報が鳴り響き、空が真っ暗になるぐらいのB-29の編隊が飛来しました。
予科練習生の訓練基地だった土浦海軍航空隊を主目標として250㎏爆弾が多数投下され、
爆風、熱風、火災、爆発で飛び散った爆弾の破片などで、あたりの景色は一変しました。
今の高校生ぐらいの予科練習生たち、彼らの教官たち、基地で働いていた人たち、
周辺の方々、面会に来ていた人たち。
もし私たちが時空を超えてその場に居合わせたら・・・本当に恐ろしい光景を目の当たりにしただろうと思います。

この空襲で300名以上の死傷者が出てしまいました。
遺体は土浦海軍航空隊適正部(現在の土浦第三高等学校)に運ばれ、重ねられて
荼毘に付されました。
どれだけ無念だったか、悲しかったかと思うと胸が痛みます。

 

毎年この日には、土浦第三高等学校のお隣にある法泉寺(土浦市大岩田1616)にて
空襲の犠牲者の法要が営まれます。
参加者は高齢化などで減ってしまったようですが、ご住職様にお話をうかがったら、法要の時間に来て下さればどなたでもご参加いただけるとのことでした。

法要の後は、参加者全員で慰霊碑や供養塔にお線香を手向けます。

もともとこの慰霊祭は、体験者で結成された「一四(ひとよ)さくら会」が主催していたそうです。
会長の清水さんは現在95歳、毎年東京から慰霊祭にご参加なさっておられます。
少しお話ができまして、また来年お会いしましょうと言っていただけました。

ぜひ、また来年もそのお約束をさせてください。
そのまた来年も、お約束をさせてください。
いつまでも、どうぞお元気でいらしてください。

予科練平和記念館では、この空襲についてたくさんの方に知っていただきたく、
毎年6月10日は展示を無料でご覧いただける日としています。

よろしければ、皆様もまた来年、ぜひご来館ください。
そして、法泉寺さんのご法要にもご参加なさってみてください。
職員一同、皆様のご来館をお待ちしております。

シベリア抑留と予科練習生

6月 7th, 2023

皆様こんにちは。学芸員Yです。
だいぶ蒸し暑い日が多くなりましたね。
皆様はいかがお過ごしでしょうか。

お久しぶりの投稿になってしまいました。
こちらのページをご覧下さった皆様、ありがとうございます。
不定期ではありますが、Twitterなどでは発信しきれない情報を
ブログでもお伝えしていければと思いますので、これからもどうぞ宜しくお願いいたします。

本日は、元予科練習生の講演会のご案内です。
予科練生でありながらシベリア抑留もご経験なさったという、もう
ここでしか聞くことのできない大変大変貴重なお話をじかにお聞きいただける機会です。

今回お話ししてくださる篠原吉宗さんのご経歴を紹介しますと、
昭和4(1929)年6月6日生まれの94歳。
乙種第23期の予科練習生として昭和19(1944)年8月15日に土浦海軍航空隊に入隊し、同月熊本県にあった人吉海軍航空隊に派遣されました。
入隊した時は15歳。今で考えたらまだ中学生の少年ですね。
年があけて昭和20(1945)年2月に、現在の北朝鮮にあった元山(げんざん)海軍航空隊へ派遣されました。
もうこの頃は予科練生と言ってもパイロットになる訓練をすることは難しく、
飛行機の整備等にあたることも多くなっていました。
このとき元山海軍航空隊は特攻隊の基地になっていて、篠原さんは特攻隊員の方が
訓練をしているのを見ながら特攻機の整備をされていたそうです。
そして8月15日、終戦。
現地の人たちが赤旗を立てて隊のまわりを囲い、生きた心地がしなかったそうです。
8月23日、当時のソ連(現在のロシア)軍がきて捕虜になってしまいました。
ここから、篠原さんの3年3か月に及ぶ抑留生活が始まることになります。
抑留期間中の筆舌に尽くしがたい労苦、仲間の死、現地の女性との交流。
壮絶、としか表現することができない体験をなさった篠原さん。
この令和の時代に、お元気な篠原さんのお話をうかがうことができることに感謝しかありません。

今回の講演会では、主に篠原さんのシベリア抑留の経験についてお伺いする予定です。
講演会は会場の関係上定員を設けており、事前予約制となります。
予約は6月7日(水)からお電話にて承ります。
お席が埋まってしまう可能性もございますので、よろしければお早目にご連絡いただけましたらと思います。
皆様のご予約をお待ちしております。

 

『元予科練生が体験したシベリア抑留~3年3ヶ月の記憶~』
開催日時 令和5年6月24日(土)13:30~15:00
開催場所 予科練平和記念館情報ラウンジ
定員   50名
事前予約制 6月7日(水)スタート 開館時間内にお電話で予約を承ります。

二所ノ関親方(元横綱稀勢の里)ゆかりの化粧廻し展示

4月 8th, 2023

新年度がスタートしました。当館スタッフも展示解説員2名が入れ替わり、一日も早く皆さんの前で展示解説ができるよう研修に励んでいます。デビューまで少しお待ちください。

さて、4月2日から「二所ノ関親方(元横綱稀勢の里)ゆかりの化粧廻しの展示が始まりました。展示初日は、二所ノ関親方が来館し、千葉町長、立原教育長とともに除幕セレモニーを行いました。

稀勢の里関(現二所ノ関親方)が三役昇進の際に当時の鳴戸親方(元横綱隆の里)がデザインしたもので、旧日本軍で使用されていた戦闘機「零戦」があしらわれています。

     

この化粧廻しは、阿見町に部屋を構えた二所ノ関親方のご厚意によって展示されています。

当館の展示とともに、あわせてご観覧ください。

なお、化粧廻しのみご観覧の場合は、無料でご入館できます。

 

【予科練と相撲】

予科練では体力と精神力を養う目的で相撲が盛んに行われていました。予科練での相撲の特徴は「負け残り」で、勝つまで土俵を下りることができないという厳しいものでした。
また、予科練のあった土浦海軍航空隊には、昭和16年(1941)9月26日に第35代横綱双葉山一行が訪れ、盛大に土俵開きが行われました。

桜 満開

3月 26th, 2023

26日あいにくの雨模様ですが、予科練平和記念館正面の桜が満開です。

昨年は4月1日でしたので6日早い満開となりました。

当館の立地が霞ヶ浦に面しているため、湖からの冷たい風の影響で、町内の桜の名所の「茨城大学農学部(茨大通り)」や「阿見町総合保健福祉会館周辺」、「阿見町総合運動公園」などより満開が遅れます。

4月1日は当館隣の土浦駐屯地・武器学校で観桜会が催され一般公開(9:00~15:00)されます。

また、現在当館では企画展「新収蔵品展」を5月31日(水)まで開催中です。令和4年度に新たに収蔵された資料を展示しています。

予科練に入隊した時ののぼり旗や寄せ書きされた日の丸、予科練習生が書いた手紙、予科練や飛練の教育報告など普段では見ることができない資料を展示しています。

お花見ついでに、予科練平和記念館にお立ち寄りください。

 

 

2023年も予科練平和記念館をよろしくお願いします

1月 4th, 2023

新年あけましておめでとうございます。

          サムライブルーの空とゼロ戦

阿見町予科練平和記念館は、本日4日から通常通り開館しています。

 

3年ぶりに行動制限のない年末年始でしたが、皆さんはどのように過ごされましたか。       

昨年はワクチン接種が進み、基本的な感染対策を実施しながら、4月以降臨時休館することなく開館できました。

昨年の新年のあいさつで、間もなく入館者の累計が60万人に到達すると申し上げました。新型コロナウイルスの感染拡大を受け断続的に臨時休館を繰り返したため、当初の予定より大幅に到達が遅れてしまいましたが、昨年4月17日に60万人目の入館者をお迎えすることができました。

また、感染拡大で中止していました企画展や講演会が再開し、団体のお客様のご来館も増えてきており、徐々にですが通常を取り戻しつつあります。

今年は、企画展や講演会などコロナ禍以前のように計画していきたいと考えています。

とは言いましても、依然としてコロナ禍の状態は続いています。

引き続き、当館では、時間当たりの入館者数の制限を実施していますので、ご来館の際には、事前予約をお願いします。

職員一同、感染症対策を徹底して、皆様のご来館をお待ちしています。

本年もどうぞよろしくお願いいたします。

二所ノ関部屋応援ポロシャツとタオル

9月 8th, 2022

大相撲九月場所がまもなく始まります。

阿見町では、元横綱稀勢の里の二所ノ関親方が、本年6月に町内に「二所ノ関部屋」を開所したのを機に、連携・支援の取り組みを進めています。

このたび、町をあげて応援する雰囲気を醸成するため、ポロシャツとタオルの販売を始めました。

ポロシャツ

カラー  ◇ネイビー ◇ディープレッド(えんじ色)

サイズ  S・M・L・LL

価格   1枚  3,300円(税込)

 

タオル

カラー  ◇ピンク

デザイン ◇シルエット◇縄 2種類

価格   1枚 2,200円(税込)

 

当館売店にて販売しています。

皆でポロシャツを着て、タオルを掲げて、二所ノ関部屋の力士を応援しましょう。

 

阿見町ホームページ「二所ノ関のへや」へリンク

https://www.town.ami.lg.jp/promotion/category/12-5-0-0-0-0-0-0-0-0.html

※上記URLを選択し右クリックで移動を選択してください。

予科練オリジナルコーヒー新発売

8月 31st, 2022

予科練をイメージした3つのオリジナルコーヒーが誕生しました。

当館売店で販売しています。ぜひご賞味ください。

 

 夢があった。

 友情があった。

 平和への願いがあった。

 そんな彼らの想いをコーヒーにしました。

 青い空に夢を描く爽やかな味の『そらブレンド』 

 仲間同士の深い友情を再現した『ともブレンド』

 桜の花をモチーフにした『さくらブレンド』

 平和の大切さを今に伝える3つのオリジナルコーヒーをドリップパックにしてお届けします。

価格 3種類各1個入り1袋 750円(税込)

※こだわりポイント
・すべて有機のコーヒー豆を使用しています。
・桜フレーバーは国産の桜の花びらを使用しています。

※阿見町で活動する就労継続支援B型事業所コトリノ木様が企画、商品化し、焙煎、ドリップパックをつくっています。

終戦の日

8月 19th, 2022

8月15日は77回目の「終戦の日」でした。当日は、戦没者を追悼するとともに、平和の大切さ、命の尊さを考える特別な日として、無料で開館しました。

コロナ禍以前は、平均1,000人を超える入館者がありましたが、今年は、新型コロナウイルス感染対策で入館制限を行っているため、限られた人数の入館となってしまいましたが、入館制限枠ほぼ一杯の372名のご入館をいただきました。

入館制限で、ご入館いただけなかった皆さんには、たいへんご迷惑をおかけし申し訳ございませんでした。

さて、館長職に就いて初めての終戦の日を迎えました。今年は、戦争関連の新聞記事や番組を目にする機会が多かったように感じました。ロシアによるウクライナへの軍事侵攻のせいなのか、単に個人的に館長職という立場にあるせいなのか、よくわかりませんが・・・。当館の学芸員曰く、例年この時期になると戦争関連のマスコミ取材が増えるとか。

いずれにしても、今日の平和は、先の大戦における、多くの尊い犠牲の上に築かれていることを忘れてはなりません。

しかし、戦後77年を迎え、戦争を知らない世代が多くを占める世の中になり、戦争体験者から体験談を聞く機会が減っていく中、後世に戦禍をいかに伝えていくかが課題となっています。

当館は、予科練の歴史や阿見町の戦史の記録を保存・展示し、次の世代に正確に伝承し、戦争を知る世代と知らない世代との架け橋になり、悲惨な戦争を繰返すことのない平和な社会の建設に寄与することを目的としています。

是非、ご来館いただき、改めて、平和の大切さや命の尊さを考えてみてはいかがでしょうか。

ところで、今年、霞ヶ浦海軍航空隊がこの阿見町の地に大正11年に開隊して、100年を迎えるのを記念して「霞空100年記念展」を開催中です。当館が所蔵している霞ヶ浦海軍航空隊関連の写真や資料を特別展示しています。

常設展示に加えて企画展示が通常料金で観覧でき、たいへんお得になっています。是非ご来館ください。

 

 

 

企画展「霞空100年記念展」を開催しています

8月 13th, 2022

企画展「霞空100年記念展」が8月11日から開催しています。

コロナ禍で休館やイベントの中止を余儀なくされましたが、3年ぶりに開催する企画展は、霞ヶ浦海軍航空隊がこの阿見町の地に大正11年に開隊して、今年で100年を迎えるのを記念して「霞空100年記念展」と題して、当館が所蔵している霞ヶ浦海軍航空隊関連の写真や資料を特別展示しています。

赤とんぼ(九三式中間練習機)模型 

 

「霞空100年記念展」

 開催期間 8月11日(木)から10月30日(日)まで

 休館日  月曜日(月曜日が祝日の場合は火曜日)

 開館時間 午前9時から午5時まで(最終入館午後4時30分)

 観覧料  大人500円(団体20名以上400円)

      小人300円(団体20名以上240円) 小・中学生、高校生

現在当館では、新型コロナウイルス感染対策として30分あたりの入館者数25名の上限を設けています。ご来館の際には、当館ホームページ(https://www.yokaren-heiwa.jp/)または電話(029-891-3344)にて事前予約をお願いしています。

なお、団体の場合は事前に電話で予約状況の確認をお願いします。

また新型コロナウイルスの感染状況により、中止になる場合があります。最新情報については、ホームページやTwitter,Facebookを確認してください。