過ぎる5/2(日)に、予科練平和記念館学習会「戦跡を巡る」を開催しました。
昨年の8月に第1回目を開催しましたが、その時は阿見町内の遺跡を巡りました。そして暑かった…。
今回は皐月の涼風が吹き通るこの好季節に、阿見のお隣、美浦村の旧鹿島海軍航空隊跡と稲敷市の大日苑を見学しました。
当日には、元甲飛13期生でいらっしゃる浅川六郎様、町井善録様をはじめ、亡くなられたご主人が元予科練出身で鹿島海軍航空隊にも在籍された山木郁子様、坂入つる子様も遠路からお越しいただきました。バス車中ではそれぞれに、自己紹介かたがた予科練や鹿島海軍航空隊に関する思い出をお話しいただき、お話会の趣を呈するにもいたりました。たいへん貴重なお話を伺うことができ、心より感謝申し上げます。ありがとうございました。
予科練平和記念館から約40分、田園風景を眺めながら旧鹿島海軍航空隊跡に着きました。現在の美浦村大山という地で、霞ヶ浦を隔てた対岸に行方や稲敷の地が、私にはまるで中国の景勝地を描いた絵のように思える、たいへん景色のよいところです。
この地は今も穏やかな田園の一角にあることからか、旧本部庁舎(戦後は東京医科歯科大病院棟として使用された)、煙突を伴ったボイラー室をはじめ、倉庫、号令台や防空壕、また各施設の土台などが、緩やかに流れる時に身を任せるかのように残されています。この一帯は現在国有地となっている関係もあり敷地への立ち入りが難しいため、当日も願い空しく敷地周辺から遺跡を遠望することに止まりました。
また、湖に面したところでは水上機が離発着した滑走台や、やはり水上機を発射したカタパルト跡、またボートの発着場(舟着場)などが残されています。昨年の大地震により東側と南側に残っている滑走台はだいぶ歪んでしまい、現在大規模な修理が行われています。滑走台は水中まで達するなだらかなスロープを持ちますが、そこまで全ての部分を修理するという大規模な工事のようです。とうのも、今、ここはレジャーボートの一大基地になっているためでもあるでしょう。
私はこの地のすばらしい景色もさることながら、個人的には民間のレジャー施設に変貌している点が好きなところです。
今回は53名様のお申し込みをいただき、大型バスで移動した関係もあって、思うようなご案内ができないところもありました。その点、ご参加者にお詫び申し上げますとともに、今後に役立たせていただきたいと考えております。
その後、大日苑を見学しました。
大日苑は、江戸崎入干拓事業に取り組んだ植竹庄兵衛氏の住宅として昭和14年(1939)に建設されました。その後、昭和18年(1943)から昭和20年の終戦時まで練習連合航空隊司令官をお務めになり、土浦海軍航空隊まで通勤された久邇宮朝融王(くにのみやあさあきらおう)のご住居として選定された建築で、現在は、国の登録有形文化財に指定されています。
当日は稲敷伝統文化保存会の野口様をはじめとする方々にたいへんお世話になりました。洋館と和館からなる大日苑の内部隅々を熱心に解説くださいました。本当にありがとうございました。
私は建築の専門家ではありませんが、細部の意匠にまで凝った、当時の「念入りな」住宅という印象です。特に、洋館2階の床柱は各部屋で趣が異なり、見るごとに「おっ」と思わせられるものばかりでした。
人が住宅を住み慣らし味わいを持たせていく一方で、住宅が人の心を穏やかにも美しくもすることでしょう。かつて、そのどちらの作用も確かにあったかと思わせる大日苑でした。
ちなみに、大日苑とい名称の由来は「大日如来」を祀るお堂があったことに由来するとのこと。現在も大日堂が敷地内にありました。新たな知見を加えることができ、こうした屋外学習の機会にふさわしいと思いました。
こうした小さな旅を楽しんでいただく一方、この学習会は、遠くなりつつある戦争の時代に思いを馳せ、戦争がない現代の日本がどれほど恵まれているか、またその恵みは命を張って戦ってくれた方々の賜物であることを再認識する目的を持ちます。
次回は今秋、10月に学習会を予定しております。詳細については後日に広報いたします。
お時間があれば、皆様どうぞご参加下さい。