最近

3月 25th, 2014

みなさまいかがおすごしでしょうか。

先週には、春一番が吹きまして、暖かな陽気を運んできてくれました。

気温は上がってきているのですが、当館の周りには風を遮るものが少ないので、相変わらず風は強いです。

風さえなければ過ごしやすい春先、館内ラウンジにある大きな窓から降り注ぐ穏やかな陽光が気持ちいい今日この頃です。

 

最近は、阿見町の商工観光課主導で実施されている、移動販売車が当館に来ています。

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当館の入口左側が定位置です。

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ヤーコンを使用したコーヒーや、湯苺を使用したスウィーツなどを販売しています。

町内のイベントなどへ出店したりもしますが、基本的には当館入口横にて販売をおこなっております。

土日も出店していますので、お隣の公園に遊びに来た方もご利用いただけます。

コーヒーは館内の無料ラウンジでお飲みいただけますし、お土産においしいスウィーツはいかがでしょうか。

 

 

さて、そんな予科練平和記念館ですが、現在、企画展「予科練生たちの日常~少年の素顔~」を実施しております。

連日厳しい訓練に明け暮れていた予科練生たちの、日々の姿を残した写真や、実際に使われていた品などを展示しています。

 

そんな展示品のなかで、今回お話するのは、予科練の制服についてです。

予科練の制服と聞いて、まず思い浮かぶのが「七つボタン」と呼ばれていた詰襟の制服です。

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この制服は予科練というイメージの大きな部分を占めていました。

そんな「七つボタン」ですが、じつは予科練の存在していた昭和5年から昭和20年までの15年間のうち、たったの3年間しか使用されていません。

昭和17年に服制が改正され「七つボタン」になるまでの12年間、予科練生たちは全く別の制服を着用していました。

木村孝正さん

海軍の伝統的な制服、水兵服です。いまでもセーラー服という名前で有名ですね。

女子中学生などが制服として着用している姿が良く見受けられます。

もちろん予科練生はみんな男性なのでスカートは穿いていませんよ、上着と同系色のズボンを着用していました。

 

当時は通称ジョンベラとも呼ばれていたこの水兵服。

通称の語源は、イギリス人を意味する「John Bull(ジョンブル)」という単語だと言われています。

今回の展示では、このジョンベラ姿の予科練生たちの写真も展示されています。

 

休日の外出時にクラブで寛ぐ彼らの姿を見ると、表情から歳相応の幼さを見て取ることができます。

軍人としての顔ではない、その人その人の普段の姿が感じ取れます。

 

 

すっかり気温も上がり、過ごしやすい日々が戻ってきました。

お休みの日に散歩がてら、移動販売車の売店をのぞいてみたり

無料で入れる館内ラウンジでのんびり読書をしに来ていただけるのを

予科練平和記念館スタッフ一同お待ちしております。

予科練の暖房

3月 16th, 2014

おはようございます。こんにちは。もしくは、こんばんは。

先日、予科練平和記念館の入場者数が24万人を超えました。

これは予科練制度15年間の入隊者数24万人と、ほぼ一緒の数字です。

また、平成26年2月2日(日)には、当予科練平和記念館は4周年を迎えました。

単純に比べられるものでもありませんが、入場者数が入隊者数を追い抜くことができましたので、次は15周年、20周年と時間の方でも制度を追い抜きたいと思います。

これらもすべて皆様のおかげです。

ありがとうございました。これからも、宜しくお願いいたします。

 

 

今回は、予科練の暖房の話です。

先月は記録的な雪も降り、まだまだ寒い日が続きます。

天気予報では、そろそろ暖かくなるそうですが、最近の異常気象ぶりをみていると油断はできません。

3月とは言え寒さが残る中、皆様のお宅では冬の暖房器具は何をお使いでしょうか。

エアコン、ストーブ、炬燵(こたつ)に電気カーペット。

冬の就寝時には湯たんぽが手放せないなんて方もいらっしゃるかもしれません。

しかし、予科練の暖房器具はそのどれでもありません。

当時の戦艦や軍艦と同様に機関部から出たスチームを利用して暖を取っていたようです。

写真 

上の写真は予科練生が就寝時の兵舎巡検の様子を写したものなのですが、写真の右側。

柱の所に金属製の管があるのが御覧いただけると思います。

これが暖房器具です。

阿見町歴史調査委員の方にお聞きすると、当時土浦海軍航空隊では敷地内に機関室があり、その機関(エンジン)で熱を作り、蒸気を出していました。

部隊の敷地内には、いたるところに機関室につながるパイプが張り巡らされており、その蒸気の熱で部屋を暖めていた訳です。

他にも、この蒸気は炊事やお風呂を沸かすなど色いろな用途に使われたそうです。

実際、熱を効率的に使うためか炊事場は機関室に隣接して建てられています。

言うなれば土浦海軍航空隊は蒸気暖房だったわけですね。お風呂は、スチームバスと言ったところでしょうか。

ちなみに機関を動かす燃料はガソリンではなく炭です。それも石炭ではなく、安価な「粉炭(ふんたん)」だったそうです。

暖房ひとつとっても、なんだか新鮮な驚きがあるものです。

 

 

 平成26年3月4日(火)から第七回テーマ展『予科練生たちの日常 ~少年の素顔~』が開催されております。

 今回の展示では、七つ釦(ボタン)の制服以前の水兵服や予科練の入試問題、教科書などにより、常設展の展示から予科練生たちの日常へ一歩踏み込んだものになっております。

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予科練生が実際使用した教科書を元に作製した冊子もありますので、予科練生の勉学を手に取って確認していただくのはいかがでしょうか。

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春を迎える

2月 5th, 2014

 豆を蒔き、鬼を追い出し、福は内、と今年の春を迎えましたが、立春の今日は午後から久しぶりの雪を見ることになりました。

 今年は例年になく暖かな1月で、これも異常気象かと思いながらその暖かさを喜んでいたものでした。花粉症の早い訪れに目をこすりながらも…。

 雪が降ると、雪に慣れない茨城の者は「春遠し」と短絡的に思いがちですが、清めの雪、また潤いの雪、と考えることもできるでしょう。人間の生の営みに欠かせない清い水を、雪という白さで飾ってくれました。

 この日の夜は雪のために明るく感じられたはずです。

 

 さて、去る1月26日(日)には、昨年から開催となった「寒中祭」が行われました。

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 正月を過ぎると、外は寒いし、日暮れもまだ早いし、となんとなく寂しくやることが少ない1月の生活に「喝」を入れる寒中祭です。

 参加者が皆乾布摩擦を「えいしょ、えいしょ」とするわけではなく、とにかくみんなで楽しく遊びましょう、ということが祭りの趣旨になります。

 今回は、予科練平和記念館のイベントには欠かせないミニトレインの運行はもちろん、県南生涯学習センターボランティアの方々にご協力をお願いし、たいへんにぎやかな遊びの集いとなりました。

 演目は以下の通りでした。

◇ミニトレイン

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◇腹話術

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◇マジック

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◇バルーンアート

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◇押し花しおり作り

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◇ストロー笛&紙ホイッスル

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◇的当て

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◇パチンコ・迷路

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◇CDこま

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 当日はたいへん多くのお客様にお越しいただくことができました。

 予科練平和記念館に親しんでいただくことで、戦争を知らない人間がこれからの社会を作っていかなければならない、という大きな課題にも向き合っていただけるのではないかと考えております。

 今後も予科練平和記念館では各種のイベントを開催してまいります。

 皆さん、どうぞお気軽に遊びに来てください。

 ご来館を心よりお待ちしております。

遥かなる先輩

1月 28th, 2014

 

みなさまいかがおすごしでしょうか。

 寒い日が続いていますね。

先日、朝起きると、車にうっすら雪が積もっていて驚きました。

昼前にはきれいに晴れたのですが、まだ筑波山方面にはどんよりと雲が残っていて

風が強かったせいか、晴れているはずの予科練平和記念館の周りに

雪が降っていました。

天気雨ならぬ天気雪とでもいうのでしょうか。

すぐ止んでしまいましたが、なかなか見られない光景で、心に残っています。

 

 

 

さて、当館には そんな寒い日々の中でも、元気に活動をしているおじいちゃんたちがいます。

今回は、そんな元気なおじいちゃんたちを紹介したいと思います。

 

まずご紹介するのは、戸張礼記さん。

当館で資料の収集や、調査研究を行っている歴史調査委員です。

なにを隠そう、この戸張さん、元予科練生です。甲種第14期海軍飛行予科練習生

今から68年以上前、当館の隣にあった土浦海軍航空隊で

日々猛訓練に明け暮れていたのです。

85歳になった今でも、その体力は衰えていません。

 

戸張さんが予科練に入隊した時期は、多くの予科練生たちが特攻へと駆り出された時期と重なります。

数多くの先輩たちが特攻部隊へと配属されていく中、

残された自分には何ができるのか、どうすればいいのか考えます。

 

戸張さんが出した答えは、伝えることでした。

68年以上前に終わった戦争の事は、言い換えれば68歳以下の人は知らないことです。

実際にその目で、体で体験したことを今を生きる人たちに伝えたい

戸張さんは、当館に来館される人たちによくお話をしています。

戦争で亡くなった先輩たちの事、先輩たちの想い、自分が残された意味

小学生や、親子連れ、観光でいらした方や自衛隊の方

皆さんにお話をしています。

 

最近は動画編集ソフトを駆使して、自身で作成したパワーポイントの資料を

ナレーションや動画を入れた一つの映像とするために、編集に勤しんでいたりします。

恐るべきパワーです。

鍛え方が、私なんかとは次元が違いますね。

 

 

 

続いてご紹介するのは、井元潔さん。

戸張さんと同じく、当館の歴史調査委員の方です。

井元さんは、当館が建っている阿見町の、当時の姿を調査しています。

 

たとえば調査の一つとして挙げられるのが、海軍飛行予備学生について。

当時、多くの予科練生が訓練に明け暮れていた、土浦海軍航空隊ですが

実は、多くの海軍飛行予備学生の練成地でもありました。

ですが、この事実はあまり良く知られていません。

海軍飛行予備学生制度は昭和8年に始まり、

終戦までに約1万5千人の飛行予備学生が入隊しています。

戦死された方は2千5百名にものぼり、特攻で亡くなられた方も約700名もいらっしゃいます。

その主な入隊先が土浦海軍航空隊だったのです。

みなさんご存じでしたか。

 

自分たちが住んでいる場所で、昔どんなことが起こったのか

どんな人たちがいて、どんな生活を送っていたのか、

昔を知る方たちは、もうほとんど残っていません。

 だからこそ、知っておかなければいけないのかもしれません。

 

阿見町は海軍の町として発展してきた背景を持っています。

そんな背景もあって、当時はたくさんの人たちが集まっていました。

今が過去を知る最後のチャンスなのかもしれません。

 

井元さんには、来月講演会をしていただく予定です。

内容は「阿見町の兵役」について

日本は明治初期から昭和20年の終戦時まで兵役に服する義務がありました。

現在は阿見町の一部となっている旧朝日村の資料の中に

兵役に関する貴重な資料が残っていました。

朝日村役場で兵事係をしていた青山さん(故人)のお話などを基に

当時の阿見町周辺の兵役について、お話をしていただます。

2月22日(土)14:00~ 予科練平和記念館情報ラウンジにて

興味のある方は是非聞きにきてください。参加は無料です。

 

 

 

そして、最後を飾るのは岡野正さんです。

この方にも来月、講演会をしていただく予定となっております。

岡野さんはちょっと異色です。

予科練ではなく、少年飛行兵出身。

少年飛行兵とは、陸軍において飛行機搭乗員を養成するための制度をいいます。 

つまり海軍ではなく、陸軍の方です。

お会いしたきっかけは、昨年夏に当館で開催させていただいた

陸軍少年飛行兵を扱った特別展でした。

岡野さんは第7期陸軍少年飛行兵

太平洋戦争開戦前に軍隊へと入隊した岡野さんは

戦時中、様々な戦線を経験されました。

満州からマレー半島、ビルマ、そしてフィリピンへと

あるときは飛行機で、ある時は船で、ある時は陸路で

長大な距離を移動していました。

そして、フィリピンのルソン島の森の中で迎えた終戦。

岡野さんは、当時の思い出を淡々と語ってくださいました。

 

太平洋戦争当時のお話を実際に聞くことができるのは

そう多い機会ではありません。

ましてや、実際に戦線を経験された方のお話では、なおさらです。

岡野さんももう92歳という高齢の方です。

ぜんぜんそんなふうには見えませんが・・・ 

やはり鍛え方がちがうのでしょうか。

 

岡野さんの講演会は、2月23日(日)14:00~

場所は当館の情報ラウンジです。通常観覧料金が必要となります。

とても貴重なお話を聞くことができる機会です。

興味のある方は是非ご来館ください。

 

 

 

寒いのにかこつけて、まったく体を動かさない今日この頃

遥かなる先輩方を見習って、体力をつけねばと思うこのごろです。

 

皆様もお体にお気をつけて

冬来たりなば、春も来て?

1月 22nd, 2014

おはようございます。こんにちは。もしくは、こんばんは。

新年あけましておめでとうございます。

遅ればせながら、今年一度目の更新ということで西暦2014年、平成26年の新春のご挨拶をさせていただきました。

本年もよろしくお願いいたします。

 

さて早速ですが、新春と言う事で今回は春の話題を一つ。

皆様が季節で「春」と言えば、寒さが緩み、草が芽吹き、虫が動き出す、3~5月くらいの時期を想像される方が多いのではと思われます。

しかし、旧暦の季節区分では1~3月が春に分類されています。先ほど申し上げた「新春」や「迎春」のように正月に春が使われるのは、その名残です。

今の感覚ですと1月2月は、まだまだ寒く、真冬の感があるのに不思議なものです。

実際気温データを見てみると、今月に入ってからの冷え込みは12月より厳しくなっております。

暖かくなるはずの春。昔と今で、この2ヶ月間のズレは、どこから来ているのでしょうか。

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まず思いつくのは旧暦から西暦に切り替えられたときのズレです。

もしかしすると旧暦では1月は既に暖かかったのかもしれません。

調べてみますと、今年の1月31日が旧暦の1月1日に当たります。1ヶ月のズレは解消できましたが、それでも今の2月。まだ寒いような気がします。

では、考え方を変えてみましょう。そもそも暦の上で春とはどう言う基準で決まっていたのでしょうか。

春の始まりの日である「立春」は、一年間で昼の一番短い「冬至」と、昼と夜が同じ長さになる「春分」の中間の日です。

また、春の終わりの日は、夏の始まりの日である「立夏」の前日で、「立夏」は「春分」と、一年間で昼の一番長い「夏至」の中間日となります。

つまり暦の上では、昼夜の長さが季節の基準と考えられていたようです。

そこで再び日付を調べてみますと、昨年の「冬至」は12月22日で、その日を旧暦換算すると11月20日です。

続いて今年の「春分」の日は3月21日。旧暦換算で2月21日。「夏至」は6月21日。旧暦換算では5月24日となります。

これで今年の春の期間を表してみると…

 「立春」2月4日(旧暦換算1月5日)~「立夏」前日5月4日(旧暦換算4月6日)

おお、辻褄が合いました。

季節は12ヶ月を均等に4等分しますので、基準日である「春分」や「冬至」の前後1ヶ月がその季節となるようです。

そういうわけで、春分の日がある旧暦2月の前後1ヶ月(1~3月)が春になるわけです。

意外にも気温は関係なかったようですね。

 疑問は解決しましたが、暦が「春」でも寒い日が続くのは変わりません。風邪など召されませぬよう、皆様お気を付けくださいませ。

 

  

 

去る平成25年12月17日(火)から、平成26年3月2日(日)までの会期で、第6回テーマ展『~海軍将校を目指す教科書~ 海軍兵学校と予科練』が開催されております。

今回は、予科練平和記念館にご寄贈、ご寄託いただいた資料の中から海軍兵学校の教科書を中心に構成した展示となりました。

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展示名にもある海軍兵学校は、明治9(1876)年に誕生し、終戦の昭和20(1945)年までの約70年の間、大日本帝国海軍における海軍将校の養成を目的として存在した教育機関です。

海軍将校は海軍士官とも呼ばれ、少尉より上の階級の海軍軍人であり、海軍兵学校は軍の中心とも言える人達を養成していたわけです。

展示内では、その海軍兵学校や、同じ教育制度の予科練との繋がりや影響、教科への解説などを加えております。

また、当時の海軍兵学校入試問題から数問を抜粋して作ったテスト用紙を無料配布もしております。

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 (テスト用紙の一部)

 

お暇であれば、ひとつ挑戦してみてはいかがでしょうか。

 

 

入試問題と言えば、今は受験シーズンの真っ最中でもあります。

今回のブログの題名は、イギリスの詩の一説である「冬来たりなば、春遠からじ」を、内容に合わせてもじったものです。

元の意味は「今は寒く厳しい冬のような苦境でも、耐え過ごしていれば、すぐに暖かい春のような幸せはやってくる」。そういった意味です。

旧暦では既に春。

受験生の皆様にとっても、春遠からざることをお祈り申し上げます。

よいお年をお迎えください

12月 27th, 2013

 冬至を過ぎ、半年先の夏至に向けてまた日一日と昼間が長くなっているはずです。

 はずですが、日の出が遅く、起床してもまだ暗い朝は、新春を迎えるとは言いながら、まるでこれからやってくる厳しい寒さを思わせられるようです。

 しかし、地にじっと伏せているような草木も虫たちも、太陽から、来たる春のメッセージをしっかりと受け取っていることでしょう。そう思うと、日が短くなるばかりだった冬至という峠を過ぎためでたさが感じられます。

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 予科練平和記念館も大過なく正月を迎え、また1月4日から新年のお客様をお迎えできそうです。

 何気ない、平凡で、しかし平和なこうした日常こそ、厳しい時代を生きた元予科練生が望んだものと言えるでしょう。

 無事に年を越せることに心から感謝しつつ、家族や友人など、身に近い和を常に保ちたいものです。

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 今年1年の間に皆様からお寄せいただいたご厚意に心よりの感謝を申し上げます。

 また来年もこれまで以上に予科練平和記念館をお引き立て下さいますよう、どうぞ、よろしくお願い申し上げます。

家族を想う

12月 15th, 2013

みなさまいかがお過ごしでしょうか。

12月も半分を切りました。早いもので、今年もあと2週間足らずで終わってしまいますね。

寒さもいよいよ本格的となり、毎朝布団から出るのに精神力を消耗しています。

 

そんな年末は様々な行事がありますね。もう忘年会は済まされましたか?

大晦日はもうすぐです。年賀状の発送に、お正月の準備・・・、おっと大掃除を忘れていました。

さすが師走。年末はみんな大忙しですね。

そんな忙しい年末に、大人に子どもに、みんなに大人気のイベントがあります。

そう、クリスマスです。

日本語のクリスマスの語源は、「Christ(キリスト)のmass(ミサ)」に由来するそうです。

キリスト教において、クリスマスは「降誕を記念する祭日」と位置付けられています。

この時期になると、街中やお家の庭先に様々なイルミネーションも飾られてとてもきれいですね。

子どもたちは、サンタさんからのプレゼントの内容を期待して、今から落ち着かない気持ちになっていることでしょう。

このサンタクロースですが、他の国ではプレゼントを配るのは別の存在だったりします。

たとえば、イタリアでは魔女の「ベファーナ」、ドイツでは「降誕祭の男」や「キリストの子」等と呼ばれているそうです。

北欧では、妖精がプレゼントを持ってきてくれるそうですよ。

サンタクロースがプレゼントを持ってきてくれるのはイギリス式だそうで、アメリカも一緒です。

日本もこの考え方が一般化しているみたいですね。

 

さて、そんなせわしなく日々が過ぎていく年の瀬、予科練平和記念館はこんなことをしています。

まずはご報告です。去る11月23日(土)によみきかせ「おはなしおさんぽの会」を開催しました。

読み聞かせ30分、昔の遊び30分の一時間。午前と午後の2回実施です。

前半部分は読み聞かせです、当日は同じ町内にある霞ヶ浦高校の演劇部の生徒さんたちにおすすめ絵本をよんでもらいました。

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絵本の読み聞かせが終わったら、こんどは昔のおもちゃをつかってみんなであそびました。

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竹とんぼや紙ふうせん、けん玉やお手玉、折り紙などを用意しました。

当日はお天気も良く、たくさんの方に参加していただけて、我々職員もみなさんと一緒になって楽しく時間を過ごさせていただきました。

 

続いて、今後のイベントのご案内です。

12月17日(火)~平成26年3月2日の期間で、企画展「~海軍将校を目指す教科書~海軍兵学校と予科練」を開催いたします。

当館に寄贈いただいた資料の中から、広島県江田島にあった海軍の士官学校である海軍兵学校の教科書を中心に、

勉強の内容や予科練への影響、関わりなどを開設する展示をおこないます。

当館では、期間を区切って、様々な内容の企画展示をおこなっています。

通常の展示だけでは伝えきれない内容や、別の視点から予科練へと目を向ける内容となっておりますので、是非ご覧ください。

 

年末から年始にある様々なイベントは、他の時期のものと違って、「家族」というものに焦点をあてたものが多いように感じます。

普段は離れて暮らしている方も、年末は実家に帰って、大掃除を手伝って・・・

お正月はみんなで初詣、帰ったらおせちを食べて、初売りも行かなくちゃ・・・なんて。

先ほど書きましたクリスマスも、キリスト教圏では、主に家族と過ごし、クリスマスツリーの下にプレゼントを置く、

プレゼントを贈る気持ちである「愛」の日でもあるそうです。

家族を想う気持ちは、場所が違っても、宗教が違っても変わりません。

 

きっと68年前も、変わらず家族を想っていたでしょう。

 

忙しい年の瀬ですが、身を切る寒さになりつつあります。皆様お体ご自愛ください。

師走は、やはり忙しいか?

12月 6th, 2013

おはようございます。こんにちは。もしくは、こんばんは。

12月です。

いろいろと慌ただしい年の瀬ですが、いかがお過ごしでしょうか。

「師走」なんて名前ですと、なんだか暦にも急かされている気さえしてきます。

普段の会話でも「12月になると師が走り回るほど忙しいとは、よく言ったもんだ」と言うような毎年恒例のセリフが、ちらほら聞こえてきました。

 

ですが、どうも「師走」の語源は不明なようです。

もちろん有力な説として、師(坊主)が仕事先(檀家)を走りまわるほど忙しい月

「師馳す月(しはすつき)」

から生まれたとの話はあるのですが、間違いなくこれ。と断定はできないそうで。

他の説としては、一年が終わると言う意味の「年果つる月(としはつるつき)」が短くなって「しはす」になった説。

やる事がすべて終わったと言う意味の「為果つ月(しはつつき)」が短くなって「しはす」になった説。

元々数字の十二を「しはす」と呼んでいて、漢字は後世で当てた説。などなど。

 

他にも説があるので、お暇なら調べてみるのも……いや師も走るほど忙しいので難しいですね。

とにもかくにも、語源の中で「師が走る」説が一番有名なのは、実際それぐらい忙しい。という説得力と実感からそうなっているのかなと思われます。

 

 

 

去る平成25年11月10日(日)に第2回 予科練平和記念館「学習会 ~史跡探訪~」が行われました。

まず日程変更や連絡の不備など関係者にはご迷惑をおかけしました事を、お詫び申し上げます。

さて、今回の史跡探訪では「谷田部海軍航空隊」を中心に、つくば市周辺の予科練関連の史跡をバスで巡りました。

当日は雨が今にも降りそうな天気でしたが、幸いにも終了まで雨は降らず予定どおり終えることが出来ました。

参加者皆様のご協力、ありがとうございます。

以下は訪れた史跡、施設の一覧と見た順番となります。

  ①つくば市国土地理院「地図と測量の科学館」→

 ②つくば市小白硲(こじらはざま)「鹿島神社」→

 ③つくば市筑波学園病院内「記念碑」と「谷田部海軍航空隊神社」→

 ④土浦市烏山「土浦海軍航空隊神社」

 

行先について簡単に解説いたしますと、①の国土地理院「地図と測量の科学館」は国の施設で地図についての博物館です。

入館料は無料で、事前に団体で申し込みをすればガイドもつきます。

今回直接の戦跡ではない、この施設を行程に入れたのは、谷田部海軍航空隊の情報を集めるにあたり「史跡」があまり残っていないので、新旧の地図を資料として使ったということが一つ理由にあります。

阿見町にありました「霞ヶ浦海軍航空隊」もそうですが、現在当時のまま建っている建物、史跡がほぼありません。

では、どうやって分かりやすく「谷田部海軍航空隊」があった事を伝えられるかと考えてみて地図に思い当たりました。

当日の資料では国土地理院からCDデータで購入した昭和22年当時の航空写真を加工して、現在の航空写真を並べて載せました。すると、道路の区割りなどに当時の面影が残っているのが確認できます。

そんな訳で、参加者の皆さんにも、史跡を調査する際にはそういった編集の方法や、地図の入手方法について知っていただきたく選定した訳です。そんな理由を抜きにしても、映像やガイド付きの観覧は面白いので、皆様も足をお運びいただければと存じます。

 国土地理院「地図と測量の科学館」 住所:茨城県つくば市北郷1番 

 Tel: 029-864-1872 / Fax: 029-864-3729

 国土地理院ホームページhttp://www.gsi.go.jp

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次の②「鹿島神社」には、予科練教育の部隊である土浦海軍航空隊内にあった「土浦海軍航空隊神社」の鳥居、灯篭が移転されております。

移設の経緯は詳しく分かっておりませんが、予科練平和記念館調査委員の聞き取り調査や文献調査によると、当時の葛城村村長が中心となって、戦後に国の払い下げを受けて運んできたとのことです。

この場所では、実際調査にあたった戸張歴史調査委員から説明がされました。

 「鹿島神社」 住所:茨城県つくば市小白硲516 

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③の筑波学園病院では、当初は谷田部海軍航空隊の兵舎を利用して建てられ、平成10年頃まで病棟として利用されておりました。

現在、その建物は残っておりませんが本年5月に建立された「記念碑」と、近くに建っている「谷田部海軍航空隊神社」が航空隊のあった事を示しています。

当日は神社の横で戦後のことをよく知る戸館さんという方のお話しを聞くことができました。

もしも、こちらに訪れることがありましたら、「記念碑」が建っているのは病院敷地内ですので、他の方のご迷惑にならぬようお気を付けください。

 一般財団法人筑波麓仁会「筑波学園病院」 住所:茨城県つくば市上横場2573-1

 「谷田部海軍航空隊神社」 上記の筑波学園病院南側 農場研修センター隣

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④「土浦海軍航空隊神社」は、②と同様に「土浦海軍航空隊神社」の移転先です。

現在は横田さんと言う方が個人で社を守っておられます。移転の経緯ですが、当時霞ヶ浦海軍航空隊の士官集会所の書記をされていた横田さんの祖父が、終戦後当時の司令官に許可を得て移転してきたそうです。

残念ながら御神体は失われており、現在あるのは社だけとなっております。

 「土浦海軍航空隊神社」 住所:茨城県土浦市烏山3丁目

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最後は、予科練平和記念館、12月のイベントのご案内です。

21日(土)17:00から予科練平和記念館情報ラウンジで音楽鑑賞会が行われます。演奏者は霞ヶ浦高校の吹奏楽部の方達です。

翌22日(日)14:00から予科練平和記念館情報ラウンジで当館調査委員 井元潔さんによる講演会「土浦海軍航空隊を巣立った海軍予備学生」が行われます。

翌23日(月)14:00から予科練平和記念館情報ラウンジで元予科練11期生 坂口定雄さんによる講演会が行われます。実際に戦場を爆撃機で飛ばれた方で、当時のお話しを語っていただきます。

3日連続のイベントで、正に師走らしく忙しく充実した月となっております。職員一同、気をひきしめていきますので、どうぞよろしくお願いします。

イベント報告「JAF共催イベント」

11月 29th, 2013

 つるべ落としに夜を迎える季節となりました。また、朝日が昇る時刻も遅くなっています。冬がやってきました。 

 今秋の紅葉は近年で一番の美しさ、鮮やかさだったのではないでしょうか。昼間はまだ暖かいのに、急激に冷え込む今年の天候の恵みか、予科練平和記念館周囲の桜紅葉しかり、お隣の雄翔園の楓、銀杏しかり、すばらしい景色を見せてくれました。ありがたいことです。 

 そんな満足感もあるせいか、冬を迎える心も穏やかな気がします。大掃除、正月準備と、年末年始に控える一勝負に対しても余裕を持ち、そして「多忙はウェルカム」くらいの感じです。

 

 本年、平成25年に入ると、天災への警戒心が和らいだこともあってか、多くの旅行者が予科練平和記念館にお立ち寄り下さいました。

 予科練平和記念館は、先人が遺してくださった戦争をしないで済むこの平和な社会をどのように後世へ伝えていくべきかを考え、また実践することをメッセージとして発信しています。

 来たる平成26年には、更に一人でも多くのお客様にご来館いただき、日々、メッセージを受け取っていただきたいと願っています。折しも、憲法や治安などの問題からある種の不安を感じざるを得ない時です。戦争を知らない者が社会を作る正念場を早くも迎えているのかもしれません。気を引き締めていきましょう。

 

 予科練平和記念館が発信するメッセージには「難しいことを考えず遊びに来てほしい」という、子どもさんに向けたメッセージもあります。

 阿見町内でも日当たりがよく、霞ヶ浦が間近で、記念館隣には児童公園あり、また雄翔館・雄翔園あり、と記念館周辺は遊びにも適した憩いの場です。

 私たち職員は、まず予科練平和記念館に親しんでいただきたいと希望しています。毎日毎日、子どもに「戦い、死」など重く、難しい課題について考えていただくことはないと思うのです。しかし、息が出来るのは酸素のおかげ、とふとそのありがたみに気付くように、今享受している平和社会がある理由に気付く機会をこれからもずっと持ち続けていただきたいと考えています。

 そして、家族で楽しく遊ぶことは「平和」のための何よりの薬ではないでしょうか。

 予科練平和記念館はそのような趣旨の下、子ども向けのイベントも多く開催しています。

 去る9月14日(土)には、JAFのご協力を得て共催イベントを開きました。

 内容は屋外イベントとして、

・ミニトレイン(県南ミニトレイン同好会の皆様のご協力を得ています。大人気です)

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・シートベルトコンビンサー(時速約5km/hでの衝突実験を通じてシートベルトの重要性を学べます。)

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・水ヨーヨー釣り(JAF職員の方々が汗かきながら作ってくださいました。大人気でした)

 また、屋内イベントとしては、

・子ども安全運転免許証(写真を撮って免許証を発行してもらいました。子どもたちは大喜びでした)

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・バルーンアーティストの飛び入り参加もありました(阿見町職員のボランティアです。子どもたちは大喜びで、記念館職員もこの技術を是非とも身につけなければならないと肝に銘じました)

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・読み聞かせの会(記念館の職員3名が子ども向けの絵本を朗読しました)

 当日は天気にも恵まれ、イベントは大成功でした。子どもの笑顔、親子の屈託ない明るい笑顔は、きっと明るい明日を生み出す力になると思います。

 予科練平和記念館としては、このような「遊びの場」を提供できることに大きな喜びを覚えます。よい遊びから良い未来を生み出す場所として、予科練平和記念館を皆さんの手で大きくしてください。

イベント報告「音楽鑑賞会」

11月 1st, 2013

 なんだか11月になりました、という感じなのですが、皆様はいかがでしょうか。今年も残すところあと2ヶ月です。やり残しのないよう、しっかりと平成25年をまとめていきたいものです。 

 しかし、時が経ったのも当然のことで、予科練平和記念館で7/27(土)から始まった特別展「空をめざした少年たち-陸軍少年飛行兵と予科練」は去る10/27(日)、無事に3ヶ月の会期を閉じました。

 会期中には2万人を超える大勢のお客様にご来館いただきました。心より御礼申し上げます。ありがとうございました。

 今後も展覧会やイベントの充実に取り組んでまいりますので、引き続き、どうぞよろしくお願いいたします。

 

 これからご紹介する「音楽鑑賞会」も特別展初日に開催されました。特別展の成功を導くかのように、すばらしい音楽鑑賞会となりました。

 今回は、中村めぐみさんに歌唱をお願いする会でした。

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 中村さんは、学生の時から西洋音楽を引き続き学んでこられました。最近では介護の現場でもボランティア歌唱を続けてきたそうですが、高齢者を活性化させる手段として音楽がたいへん有効であることを再認識するとともに、軍歌についてご自身の認識を改めたということです。

 つまり、戦争を経験しない世代の中村さんにとって、戦争のあった時代に生まれた軍歌というものを通して、かつて間違いなくあった戦争の時代を想像することができ、必死に時代と向き合った人々の思いが伝わってくる、即ち時代文化を直観する財産として軍歌を見直すようになったそうです。 

 このことは、右翼的な軍歌賛美の態度でないことはもちろん、戦争また戦争の時代の事実を正確に後世へ伝承し、先人が遺してくれた戦争のない社会を後世に引き継ぐという目的に寄与しようする予科練平和記念館の活動主旨にまったく合致するものでした。

 現在、さいたま市にお住まいの中村さんはご両親とともにご来館されました。

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 音楽鑑賞会が始まろうとする夕べには、まるで暑気払いをするかのようにさっと夕立が走り、たいへんフレッシュな空気に満ちていた予科練平和記念館の内外でした。

 演目をご紹介すると「学徒動員」「ああ紅の血は燃ゆる」「若鷲の歌」「明日はおたちか」「同期の桜」「靖国神社の歌」「リンゴの唄」「故郷」の8曲を歌っていただきました。

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 歌う声もさることながら、歌唱の前に一つ一つの曲に対する中村さんの思いが披露され、その真摯な姿勢に参加者皆が共感し、また感動することができたと思います。

 これまで予科練平和記念館では「レコード鑑賞会」として音楽的なイベントを開催してきましたが、レコード鑑賞とはまた異なる、新しい一歩を中村さんのお力を借りて記すことが出来ました。

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 すばらしい音楽鑑賞会を授けてくださった中村めぐみさん、どうもありがとうございました。

 改めて、心より御礼申し上げます。