4月になり新しい年度になりました。予科練平和記念館職員一同、新たな気持ちでお客様をお迎えいたします。どうぞよろしくお願い致します。
この時期は各学校で入学式が行われます。また、先月は卒業式が行われました。
予科練生の入隊と卒業はどのように行われていたのでしょうか。まず入隊の様子です。
昭和19(1944)年4月1日、土浦海軍航空隊甲種飛行予科練習生として、憧れの七ツ釦に身を包み、大空に羽ばたく夢と希望を胸に、晴れの入隊式に臨んだ。
既に3日前隊門をくぐり、入隊手続きを済ませ、150名の分隊に分けられ、第1班から第6班まで各班25名の班も決められた。私は第10分隊第3班に所属した。
(中略)
入隊式は午前10時、第一種軍装で第一練兵場に整列、高らかに響き渡るラッパの音に軍艦旗が掲揚され、司令官らしい偉い人が台の上に立ち、「第14期甲種飛行予科練習生を命ず」と宣告され、正式に予科練習生になることができた。
入隊式の日には赤飯と尾頭付きの御馳走だった。訓練は翌日から始まり、何を言われても勝手が分からず戸惑っていると「貴様達はお客様じゃないぞ!何をモタモタしとる!」と昨日は優しく面倒見てくれた班長も、恐ろしい顔で怒鳴りだした。
~『震洋隊の回想』 角田義久(甲飛14期)著から抜粋
次に、卒業式の様子です。
卒業退隊の日には、すべての思い出と訓練の成果を身体一つにまとめ、心をこめて手入れした軍服に身をつつんで、最後の号令台前集合に臨む。司令訓辞を受けて送別の言葉を耳の奥にしまいながら、揺籃の地に別れを告げるのである。各練習生の指令を見つめる瞳は輝き、多くの感慨をもって祝辞を聞いた。
(中略)
司令に対して最後の別れの敬礼を行う。これから向かう飛練での厳しい訓練に思いをはせつつも、大空へはばたく希望に瞳を輝かせ、厳しい戦局に死を賭して戦う決意を秘めて、一文字に結んだ唇に闘志をみなぎらせていた。
すぎこし方を振り返ってみる。日本各地から集まった見知らぬ者同士がむつみあい、切磋琢磨しあい、苛酷なまでの厳しい訓練をみごとなしおえた。そして、いま巣立とうとしている。
司令官が号令台から静かに降りた。立ち会う分隊長、文官教官、分隊士、教員にも、別れの寂しさがひしひしと伝わってくるようだ。
「一二00、甲(乙)第00期練習生卒業退隊、総員見送りの位置につけ」
こうした高声令達器の号令によって、各兵舎を離れた練習生は、すでに庁舎前から隊門の前までの隊内通路の両側に、真ん中通路をあけて正対して並んでいた。
やがて、卒業生が行進を起こして見送りの者の人垣の間を隊門に向かう。右も左もわからない新入隊者として、最初にこの練兵場で仰いだ軍艦旗、日夜、見慣れた号令台や庁舎、春夏秋冬、われわれを見つめていてくれた雄飛の松ともお別れである。思い出多い練兵場よさようなら、そんな思いを込めて歩を運ぶ。
卒業生は、四列縦隊となり、沿道で見送る教官、教員や下級生たちに挙手の礼を返しながら、別れを惜しみつつ前進する。
「頑張れよ」
「お世話になりました」
「先輩、頑張ってください」
「飛練で待っているぞ」
見送る側から、見送られる側から、盛んに声がとんだ。
こうして、隊門に卒業生の全員が到着すると、密集隊形で整列して回れ右をし、見送る者の集団と相対峙する。
「帽振れー」この号令で、互いに脱いだ帽子を頭上に高々と上げて力のかぎり振った。目頭が思わず熱くなった。とくに卒業生にとって、この感激の一瞬は、強烈な印象として脳裏に焼きついた。
~『海の若鷲「予科練」の徹底研究』 下平忠彦(乙飛19期)著から抜粋
間もなく桜が開花しますね。陸上自衛隊武器学校では観桜会(お花見)が行われます。
日時は4月8日(土)・9日(日) 午前9時30分から午後4時まで。
食べ物・飲み物の持ち込みができます。また売店も出ます。
ミニライブ&握手サイン会、駐屯地太鼓舞・常陸陣太鼓による太鼓演奏などが行われ、
ちびっこ広場もあります。戦車など屋外展示や雄翔館と雄翔園もご覧になれます。
お問合せは、陸上自衛隊武器学校 広報 TEL 029-887-1171 (内線231~233) です。