酒保と倶楽部

11月 2nd, 2017

このところ雨の日が多く、また冷え込むこともあり、風邪なのかマスクをしている人が増えているようです。

この時期は来館される方が多くなります。しかし今年の10月は、台風が関東地方を通過し雨の日が続いたこともあり、いつもの年よりも少なくなり残念です。

 

酒保(しゅほ)について

日々厳しい訓練に明け暮れていた予科練生ですが、外出できる日曜日や、夕食後に設けられた自由時間を楽しみにしていました。夕食後は「酒保(しゅほ)」で飲食を楽しみました。

「酒保」というのは、海軍独特の名称で、売店のことです。

日用雑貨や菓子類、うどんやお汁粉などを販売している売店で、夕食後が「酒保開け」となり、温習までの自由時間に利用することができました。

各分隊に酒保係をおいて分隊ごとにまとめて注文し、酒保係が受け取って予科練生に渡しますが、うどんや汁粉などは券で渡され、食堂へ行って券と引き換えて食べました。

土浦海軍航空隊では昭和18年に、休憩所を兼ねた酒保である「雄飛館」が新しく建てられました。「雄飛館」は二階建てになっており、一階は大食堂で汁粉やうどんなどは、ここで券と引き換えて食べました。二階は畳を敷きつめた座敷で、電気蓄音器や本棚が備え付けられていて、予科練生が横になってくつろぐことができました。

甘いものを食べられ、しかも畳の上でくつろげた「雄飛館」は、予科練生の憩いの場所だったことでしょう。

酒保の様子

 

倶楽部について

予科練生は日曜日が休日であり、外出を許されました。外出できるところは、軍で決められていました。まず、隊外の酒保である海仁会下士官兵集会所(霞台にあった)があり、他にも倶楽部や指定食堂がありました。

倶楽部というのは一般の民家で、土浦海軍航空隊が民家と契約し予科練生が休日にくつろぐ場所として使わせてもらいました。

倶楽部は分隊ごとに1~2軒指定していて、土浦海軍航空隊周辺に30軒以上あったようです。また土浦市にも倶楽部はありました。

「練習生心得」により倶楽部の使用について規定していました。

  1. 和気靄々のうちに英気を養い、明日の活動に備うべし。かりそめにも放逸に流れ、不体裁をあえてし、あるいは飲食に節制を欠き、健康を損するがごときことあるべからず。
  2. 碁、将棋、蓄音器などは許可するも、野卑なる俗歌などは放唱すべからず。

(三)~(五)省略

このように、休日に予科練生が倶楽部で過ごす場合でも、行動について厳格に決められていました。一方で、倶楽部になっていた民家の人たちは、練習生を家族のように温かく見守りながら接してくれたようです。

 

「まい・あみ れんこんマルシェ」を開催します。

12日(日)午前9時から、記念館の駐車場と隣の霞ヶ浦平和記念公園内で開催します。

阿見町のれんこんを直売するほか、れんこんケーキ、れんこんせんべいなどレンコン使ったお菓子を販売します。また、阿見町の特産品を使ったグルメコーナーや、ミニトレイン、めだかすくい、バルーンアートなどお子様が喜ぶコーナーも設けます。

 

12日(日)と13日(月)の2日間、あみ大使 諏訪原寛幸さんの「戦国武将イラスト展」を開催します。イラスト展の入場は無料ですので、ぜひご来館ください。

 

売店に新商品が並びました。『さくら』と『勝ち虫 赤とんぼ』という可愛いマスコットです。『さくら』が1,000円、『勝ち虫 赤とんぼ』が800円で販売します。どうぞ、お買い求めください。

 

阿見町出身の予科練生 木村孝正さん

10月 4th, 2017

外を歩いていると、金木犀の香りが漂ってきます。朝晩には冷え込む日もあり、秋が深まっているようです。

 

現在収蔵資料展『日々を綴れば』を開催しています。

今回の収蔵資料展では、阿見町出身の予科練生だった 木村孝正(たかまさ)さんの日記を展示しています。木村孝正さんは大正15年9月に、阿見村(現在の阿見町)の「木村パン屋」の三男として生まれました。木村さんの生家である「木村パン屋」の場所は、どのあたりだったのか、と尋ねられたことがあります。

「木村パン屋」さんは阿見小学校の北側辺りで店を開いていました。パンや菓子を製造販売していて、海軍航空隊にも納入をしていたそうです。

木村孝正さんは、土浦海軍航空隊で予科練を卒業し、飛行練習生を経て宇佐海軍航空隊に配属されました。昭和19年4月 艦上爆撃機「彗星」を操縦してグァム島へ移動中、エンジントラブルによって戦死されました。満18歳という若さでした。

 

今月記念館のイベントはありませんが、毎年この時期には団体の方が大勢来館されます。今年も月の後半に予約が多く入っているようです。

各団体を担当する市町村へ依頼文を送付するなどPRに力を入れています。昨年以上に大勢の皆様に来館いただけることを期待しております。

また、9日は祝日(体育の日)ですので通常どおり開館しまして、10日が休館となります。

 

記念館では年間パスポートを販売しています。お値段は大人1,500円、小・中・高校生が900円です。購入していただくと1年間は年間パスポートで入館できますので、ご利用ください。

 

 

 

映画『決戦の大空へ』と『若鷲の歌』

9月 5th, 2017

暑さも峠を越して、過ごしやすい日が多くなってきました。

9日に当館で映画鑑賞会を開催します。上映するのは『決戦の大空へ』です。

『決戦の大空へ』は、予科練に憧れた地元の少年の成長をテーマにした映画で、舞台になったのは土浦海軍航空隊と土浦にあった倶楽部です。映画の撮影では土浦海軍航空隊や土浦市内でも行われました。昭和18年(1943)に公開されると、主題歌の『若鷲の歌』とともに大ヒットして予科練の名を一躍有名にしました。この映画を見て予科練に憧れ、志願した少年も多かったそうです。

主題歌の『若鷲の歌』は、西条八十(さいじょうやそ)が作詞し古関裕司(こせきゆうじ)が作曲していますが、2人は土浦海軍航空隊に一日入隊をして作り上げました。最初は長調のメロディーでしたが、土浦海軍航空隊へ向かう電車の中で、古関はふと短調のメロディーを思いつきました。

予科練生の前でどちらも歌わせ多数決をとったところ、ほとんど全員が短調のほうを支持しました。こうして今に残るメロディーとなりました。

映画『決戦の大空へ』の上映会は、9日午後5時30分から記念館内20世紀ホールで開催します。入館は無料で予約の必要もありませんので、お気軽に参加ください。

12日から収蔵資料展「日々を綴れば」が始まります。寄贈いただいた資料の中から、土浦海軍航空隊で訓練していた阿見町出身の予科練生の日記を展示します。

24日(日)午後2時から、講演会「インパール作戦(ウ号作戦)」を記念館内の情報ラウンジで開催します。講師は阿見町歴史調査委員の大橋良一さんです。参加は無料で予約の必要もありませんので、ご参加ください。

 

記念館では年間パスポートを販売しています。年間パスポートを購入していただくと、1年間は何度でも入館できますので、ぜひお買い求めください。価格は、大人1,500円、小人(小・中・高校生)900円です。

戦没者を慰霊する碑

8月 4th, 2017

暑い日が続いていますが、お変わりないでしょうか。

8月15日は終戦の日です。戦後72年を迎えますが、この日は「戦没者を追悼し平和を祈念する日」として政府主催の「全国戦没者追悼式」が行われます。当館では入館料を無料といたしますので、ぜひご来館ください。

また、この日午後2時から記念館隣の広場で、『野外コンサート』を開催します。

町内にお住まいで箏奏者の我妻久美さんと友人の皆さんが演奏を披露します。無料でお聴きいただけます。

 

阿見町は霞ヶ浦海軍航空隊や土浦海軍航空隊など軍施設が集中していましたので、戦時中何度も空襲を受け多くの人が犠牲になりました。また出征した町民の方が多数戦死しています。

町内には戦没者を慰霊する碑が建立されていますので、ご紹介します。(「阿見と予科練」・「海軍航空隊ものがたり」から抜粋)

○『海軍航空隊殉職者慰霊塔』(零名録16巻 5573柱) 

場所は町立中郷保育所の隣で、旧海軍航空隊員の中で訓練等により殉職された方々の御霊が祭られています。敷地内には『霞ヶ浦神社の碑』や『山本五十六元帥歌碑』もあります。   

○ 阿見地区、朝日地区、君原地区、舟島地区にそれぞれ戦没者慰霊碑があります。

『阿見地区戦没者合祀之碑』(209名合祀)

『朝日地区戦没者慰霊之碑』(187名合祀)

『君原地区戦没者合祀之碑』(97名合祀)

『舟島地区忠霊塔』(111名合祀) 

○『被爆跡記念之碑』 

場所は青宿地区で、昭和20年6月10日土浦海軍航空隊を標的とした空襲では、予科練生が避難した壕を爆弾が直撃したため、多数の予科練生が亡くなりました。この方々を慰霊する碑です。

○『豫科練之碑』(全豫科練戦没者零爾簿約18,500柱) 

場所は陸上自衛隊武器学校内の「雄翔園」で、公益財団法人海原会(元予科練生の会)が建立し、戦死した予科練の仲間を慰霊する碑です。

○『元土浦海軍航空隊戦没者之碑』、『戦死者氏名之碑』

場所は法泉寺(土浦市)で、昭和20年6月10日の空襲で戦死された土浦・霞ヶ浦海軍航空隊関係者と町民の方を慰霊する碑です。隣接して『霞ヶ浦海軍航空隊戦没者慰霊碑』、『十三重供養塔』、『阿見町戦災被爆者供養塔』があります。

 

今月は夏休みに入っている小中学生向けに、2つイベントを開催します。

まず『おじいちゃんに聞こう!阿見の昔のはなし』です。日時は19日(土)午前10時から午後4時まで、記念館内情報ラウンジで開催します。

もうひとつ、夏休み講演会『飛行機はなぜ飛ぶの?ブーメランの不思議な飛行』を開催します。日時は、26日(土)午前11時からと午後2時から2回開催。記念館内情報ラウンジで開催します。

詳しい内容は新着情報をご覧ください。小中学生の皆さん!夏休みの宿題を相談できますよ。

 

「年間パスポート」の販売が始まります(今月11日から)。購入いただきますと1年間は何度でも入館できます。価格は大人1,500円、小人(小中高校生)900円で、記念館の窓口で販売いたします。

阿見町で製造していた零戦

7月 5th, 2017

雨の季節となりましたが、 記念館の前には彩り豊かな花が咲きました。あみ観光協会とボランティアの皆さんの協力により植え付けしました。

 

記念館の敷地内で実物大零戦の模型を展示していますが、昭和19年から20年の終戦まで、阿見町内で零戦を製造していました。工場があった場所は中央八丁目のフタムラ化学(株)茨城工場などがあるところで、海軍が土地を買収して海軍軍需部の飛行機用倉庫を建設し、その後第一海軍航空廠の格納庫として使用していましたが、昭和19年になり戦闘機の生産を増強するため、中島飛行機(株)が零戦を製造(組立て)する工場になりました。中島飛行機(株)小泉製作所(群馬県)などから部品を調達して、荒川沖駅から延びていた海軍専用線を利用して工場に運び入れ製造しました。完成した零戦は滑走路(誘導路)を通って霞ヶ浦飛行場まで持っていき、全国各地の航空隊へ納められました。

短い期間であったとは言え、阿見町で零戦が製造(組み立て)されていたのです。現在は鉄道の専用線は撤去されましたが、霞ヶ浦飛行場まで延びていた誘導道路の一部は残っており、「滑走路」と呼ばれています。

 

「なつやすみミニイベント 予科練こども会」を開催します。

「なつやすみミニイベント 予科練こども会」は、小学生や未だ学校に入学していないお子様を対象にしたイベントです。

日時は、今月22 日(土)午前10時から午後3時まで、記念館内のラウンジで開催します。参加無料ですので、お父さん、お母さんと一緒に遊びに来てください。

また同日「おもちゃの病院」も開催します。壊れた「おもちゃ」をご持参いただければ、「おもちゃドクター」が修理します。予約の必要はありません。

おもちゃの診察は原則無料ですが、部品代、材料代等の実費をいただく場合があります。修理できるおもちゃの種類など、詳しくは予科練平和記念館にお問い合わせください。

 

17日は海の日で祝日です。当館は通常通り開館いたします。実物大零戦の模型は格納庫から出して展示します。どうぞご来館ください。(翌18日は休館です)

阿見大空襲の日と第50回予科練戦没者慰霊祭

6月 2nd, 2017

昭和20年(1945)6月10日、予科練生が訓練を行っていた土浦海軍航空隊と周辺地区が米軍機による大規模な空襲を受けました。土浦海軍航空隊をはじめ民間人の犠牲者も多数出ましたが、特に予科練生が身を隠した防空壕を爆弾が直撃したため、予科練生も大勢亡くなりました。

予科練生の死亡者や負傷者は、土浦海軍航空隊適性部(現在の土浦第三高等学校)へ運ばれて治療を受け、また荼毘に付されたと言われています。

死傷者を運ぶため民家の戸板が使われましたので、周辺の家の戸板は、ほとんど無くなってしまったそうです。また衣類も死傷者を覆うのに利用されました。

予科練生が運ばれた土浦海軍航空隊適性部は、予科練生の採用試験や採用後に操縦員と偵察員に区分するための各種の検査や、これに必要な研究を行っていました。

現在も6月10日には、適性部のあった場所に隣接した法泉寺において法要が行われています。

当館では阿見町が被災した大空襲を知っていただくために、この日を特別な日として無料で開館いたします。

6番目の展示室「窮迫」で大空襲を再現した映像をご覧になり、6月10日がどのような空襲だったのか、実感していただきたいと思います。

 

5月28日、公益財団法人海原会が主催する第50回予科練戦没者慰霊祭が行われました。

私は前日の前夜祭に続き出席しました。50回という節目の開催でしたので、来賓や一般参加の方が大勢参列し、国のため命を犠牲にした予科練生の御霊に哀悼の意を表して献花いたしました。

また当館は、この日に海原会様から感謝状をいただきました。

今月6日から収蔵資料展『予科練の思い出』を開催します。全国各地から集められた予科練の資料と、その資料にまつわるエピソードを紹介し、各地に残された予科練の思い出や足跡をたどる展示です。寄贈いただいた資料の中から未公開の資料を展示します。8月20日まで開催します。

大正14年頃の霞ヶ浦海軍航空隊水上班(後の土浦海軍航空隊)

 

検索サイトのグーグルで、当館の外観やエントランスホールなどのストリートビューを見ることができるようになりました。グーグルとの契約により可能となりましたので、ご覧ください。

第50回予科練戦没者慰霊祭・写真展・慰霊コンサート

5月 2nd, 2017

風薫る5月になりました。記念館隣りの公園では、ツツジが満開になっています。

記念館には展示解説員が勤務しており、来館されたお客様をご案内しています。8名の展示解説員が交代で勤務していますが、4月から4名が新しくなりました。どうぞよろしくお願い致します。

 

FMうしくうれしく放送「UUラジオ・854!」(85.4MHz)で、『予科練平和記念館へようこそ!』が始まりました。毎月第2火曜日午前10時5分から10時35分まで放送します。また、当日の午後5時5分から再放送されます。

番組では、予科練平和記念館からのお知らせ、町のイベント情報、予科練に関する話題などを館長の坪田がお伝えします。5月は9日(火)午前10時5分からです。どうぞお聞きください。

 

 

新着情報でお知らせしていますように、2日から予科練戦没者慰霊祭50回記念写真展「素顔の予科練生」を開催しています。また、20日(土)に「予科練慰霊コンサート」を開催します。
28日(日)に、第50回予科練戦没者慰霊祭が開催されます。式典には一般の方も参加できます。
式典では、参加者全員よる献花、日の丸飛行隊が行う慰霊飛行や海上自衛隊による儀仗(弔銃)、遺書の朗読、「若鷲の歌」奉唱など奉納行事が行われます。
ぜひご参加ください。

入学式と卒業式

4月 1st, 2017

4月になり新しい年度になりました。予科練平和記念館職員一同、新たな気持ちでお客様をお迎えいたします。どうぞよろしくお願い致します。

この時期は各学校で入学式が行われます。また、先月は卒業式が行われました。
予科練生の入隊と卒業はどのように行われていたのでしょうか。まず入隊の様子です。

昭和19(1944)年4月1日、土浦海軍航空隊甲種飛行予科練習生として、憧れの七ツ釦に身を包み、大空に羽ばたく夢と希望を胸に、晴れの入隊式に臨んだ。
既に3日前隊門をくぐり、入隊手続きを済ませ、150名の分隊に分けられ、第1班から第6班まで各班25名の班も決められた。私は第10分隊第3班に所属した。
(中略)
入隊式は午前10時、第一種軍装で第一練兵場に整列、高らかに響き渡るラッパの音に軍艦旗が掲揚され、司令官らしい偉い人が台の上に立ち、「第14期甲種飛行予科練習生を命ず」と宣告され、正式に予科練習生になることができた。
入隊式の日には赤飯と尾頭付きの御馳走だった。訓練は翌日から始まり、何を言われても勝手が分からず戸惑っていると「貴様達はお客様じゃないぞ!何をモタモタしとる!」と昨日は優しく面倒見てくれた班長も、恐ろしい顔で怒鳴りだした。
~『震洋隊の回想』 角田義久(甲飛14期)著から抜粋

次に、卒業式の様子です。

卒業退隊の日には、すべての思い出と訓練の成果を身体一つにまとめ、心をこめて手入れした軍服に身をつつんで、最後の号令台前集合に臨む。司令訓辞を受けて送別の言葉を耳の奥にしまいながら、揺籃の地に別れを告げるのである。各練習生の指令を見つめる瞳は輝き、多くの感慨をもって祝辞を聞いた。
(中略)
司令に対して最後の別れの敬礼を行う。これから向かう飛練での厳しい訓練に思いをはせつつも、大空へはばたく希望に瞳を輝かせ、厳しい戦局に死を賭して戦う決意を秘めて、一文字に結んだ唇に闘志をみなぎらせていた。
すぎこし方を振り返ってみる。日本各地から集まった見知らぬ者同士がむつみあい、切磋琢磨しあい、苛酷なまでの厳しい訓練をみごとなしおえた。そして、いま巣立とうとしている。
司令官が号令台から静かに降りた。立ち会う分隊長、文官教官、分隊士、教員にも、別れの寂しさがひしひしと伝わってくるようだ。
「一二00、甲(乙)第00期練習生卒業退隊、総員見送りの位置につけ」
こうした高声令達器の号令によって、各兵舎を離れた練習生は、すでに庁舎前から隊門の前までの隊内通路の両側に、真ん中通路をあけて正対して並んでいた。
やがて、卒業生が行進を起こして見送りの者の人垣の間を隊門に向かう。右も左もわからない新入隊者として、最初にこの練兵場で仰いだ軍艦旗、日夜、見慣れた号令台や庁舎、春夏秋冬、われわれを見つめていてくれた雄飛の松ともお別れである。思い出多い練兵場よさようなら、そんな思いを込めて歩を運ぶ。
卒業生は、四列縦隊となり、沿道で見送る教官、教員や下級生たちに挙手の礼を返しながら、別れを惜しみつつ前進する。
「頑張れよ」 
「お世話になりました」 
「先輩、頑張ってください」 
「飛練で待っているぞ」
見送る側から、見送られる側から、盛んに声がとんだ。
こうして、隊門に卒業生の全員が到着すると、密集隊形で整列して回れ右をし、見送る者の集団と相対峙する。
「帽振れー」この号令で、互いに脱いだ帽子を頭上に高々と上げて力のかぎり振った。目頭が思わず熱くなった。とくに卒業生にとって、この感激の一瞬は、強烈な印象として脳裏に焼きついた。
~『海の若鷲「予科練」の徹底研究』 下平忠彦(乙飛19期)著から抜粋

間もなく桜が開花しますね。陸上自衛隊武器学校では観桜会(お花見)が行われます。
日時は4月8日(土)・9日(日) 午前9時30分から午後4時まで。
食べ物・飲み物の持ち込みができます。また売店も出ます。
ミニライブ&握手サイン会、駐屯地太鼓舞・常陸陣太鼓による太鼓演奏などが行われ、

ちびっこ広場もあります。戦車など屋外展示や雄翔館と雄翔園もご覧になれます。
お問合せは、陸上自衛隊武器学校 広報 TEL 029-887-1171 (内線231~233) です。

イベント開催のお知らせ

3月 14th, 2017

みなさん、こんにちは。

 

最近は、あたたかくなったり、さむくなったり、せわしい日が続いていますね。

花粉もたくさん飛んでいるようです。

筆者は最近くしゃみがとまりません。

 

さて、以前のブログにてご案内させていただいておりました、イベントのご報告です。

先日の3月11日(土曜日)に「おはなしとむかしあそびの会」を開催いたしました。

 

 

当日は、手作りおもちゃや、折り紙、バルーンアートなどでみんなで楽しくあそびました。

 

11時と14時からは、霞ヶ浦高等学校の演劇部の方々による絵本の読み聞かせも行いました。

 

毎回、好評をいただいております、おもちゃ病院も同時開催しました。

 

イベント当日は、200名近い方々にご来館いただきました。

ご参加いただいた皆様に、この場を借りて御礼申し上げます。

 

 

 

続いて、次回開催予定のイベントのご連絡です。

 

3月26日(日曜日)に講演会「レイテ島の戦い」を開催いたします。

講演時間は、14時から15時30分の予定です。

参加無料です。事前予約等も必要ございませんので、当日お気軽にご来館ください。

前回開催の様子です。講演テーマは「占守島の戦い」

平成28年の9月18日に開催しました。

 

 

詳しくは、当ホームページの新着情報より、

「講演会 レイテ島の戦いを開催します」をご覧ください。

 

 

今後も、当ブログやホームページにて、イベント情報を掲載させていただきます。

当日の様子や、雰囲気を感じていただいて、行ってみてもいいかな

と思っていただけたら幸いです。

阿見町に走っていた鉄道

3月 3rd, 2017

暖かい日があってもまた寒さが戻ることがあり、繰り返えされながら春が近づいています。

 

今月は11日に「おはなしとむかしあそびの会」を開催します。

「絵本の読み聞かせ」や「むかしの遊び」、「おもちゃの病院」もありますので、お子様とご一緒にお楽しみください。

26日には講演会「レイテ島の戦い」を開催します。レイテ島守備隊と特攻隊に焦点をあてて、阿見町歴史調査委員の大橋良一さんが講演します。皆様のご来館をお待ちしております。

 

阿見町にはかつて鉄道が走っていました。

常南電気鉄道という名称で、大正末期から昭和の初め頃に当時の阿見村(新町のバス停留所「阿見坂下」付近)から土浦駅の間を運行していました。

大正10年霞ヶ浦飛行場が設置され、翌年には霞ヶ浦海軍航空隊が開隊しましたので、たくさんの海軍関係者が住むようになりました。その需要を見込んで鉄道を運行したと思われます。

この鉄道は単線で運行され、阿見と土浦間に停留所(駅)が8カ所設けられました。昭和4年にドイツの飛行船ツェッペリン伯号が霞ヶ浦飛行場に寄航した時には、大勢の人が鉄道を利用して見物に訪れたそうです。

しかし常南電気鉄道の運行前からバスも営業していたため、次第に競争に負け短い期間で廃止になりました。大正15年10月に開業し、昭和13年2月に廃業されるまで12年間運行しました。

 

また同じ頃に、軍用の単線が荒川沖駅から霞ヶ浦海軍航空隊(現在の阿見小学校付近)まで敷設されていて、航空燃料を輸送していました。後には若栗にあった第一軍需工廠(現在はフタムラ化学株式会社や三菱化学株式会社などがある)まで延伸されました。さらに、第一海軍航空廠(現在の陸上自衛隊関東補給処)へも引込線が敷設され、資材の運搬と整備が済んだ飛行機の搬出が行われていました。