阿見町で製造していた零戦

7月 5th, 2017

雨の季節となりましたが、 記念館の前には彩り豊かな花が咲きました。あみ観光協会とボランティアの皆さんの協力により植え付けしました。

 

記念館の敷地内で実物大零戦の模型を展示していますが、昭和19年から20年の終戦まで、阿見町内で零戦を製造していました。工場があった場所は中央八丁目のフタムラ化学(株)茨城工場などがあるところで、海軍が土地を買収して海軍軍需部の飛行機用倉庫を建設し、その後第一海軍航空廠の格納庫として使用していましたが、昭和19年になり戦闘機の生産を増強するため、中島飛行機(株)が零戦を製造(組立て)する工場になりました。中島飛行機(株)小泉製作所(群馬県)などから部品を調達して、荒川沖駅から延びていた海軍専用線を利用して工場に運び入れ製造しました。完成した零戦は滑走路(誘導路)を通って霞ヶ浦飛行場まで持っていき、全国各地の航空隊へ納められました。

短い期間であったとは言え、阿見町で零戦が製造(組み立て)されていたのです。現在は鉄道の専用線は撤去されましたが、霞ヶ浦飛行場まで延びていた誘導道路の一部は残っており、「滑走路」と呼ばれています。

 

「なつやすみミニイベント 予科練こども会」を開催します。

「なつやすみミニイベント 予科練こども会」は、小学生や未だ学校に入学していないお子様を対象にしたイベントです。

日時は、今月22 日(土)午前10時から午後3時まで、記念館内のラウンジで開催します。参加無料ですので、お父さん、お母さんと一緒に遊びに来てください。

また同日「おもちゃの病院」も開催します。壊れた「おもちゃ」をご持参いただければ、「おもちゃドクター」が修理します。予約の必要はありません。

おもちゃの診察は原則無料ですが、部品代、材料代等の実費をいただく場合があります。修理できるおもちゃの種類など、詳しくは予科練平和記念館にお問い合わせください。

 

17日は海の日で祝日です。当館は通常通り開館いたします。実物大零戦の模型は格納庫から出して展示します。どうぞご来館ください。(翌18日は休館です)

阿見大空襲の日と第50回予科練戦没者慰霊祭

6月 2nd, 2017

昭和20年(1945)6月10日、予科練生が訓練を行っていた土浦海軍航空隊と周辺地区が米軍機による大規模な空襲を受けました。土浦海軍航空隊をはじめ民間人の犠牲者も多数出ましたが、特に予科練生が身を隠した防空壕を爆弾が直撃したため、予科練生も大勢亡くなりました。

予科練生の死亡者や負傷者は、土浦海軍航空隊適性部(現在の土浦第三高等学校)へ運ばれて治療を受け、また荼毘に付されたと言われています。

死傷者を運ぶため民家の戸板が使われましたので、周辺の家の戸板は、ほとんど無くなってしまったそうです。また衣類も死傷者を覆うのに利用されました。

予科練生が運ばれた土浦海軍航空隊適性部は、予科練生の採用試験や採用後に操縦員と偵察員に区分するための各種の検査や、これに必要な研究を行っていました。

現在も6月10日には、適性部のあった場所に隣接した法泉寺において法要が行われています。

当館では阿見町が被災した大空襲を知っていただくために、この日を特別な日として無料で開館いたします。

6番目の展示室「窮迫」で大空襲を再現した映像をご覧になり、6月10日がどのような空襲だったのか、実感していただきたいと思います。

 

5月28日、公益財団法人海原会が主催する第50回予科練戦没者慰霊祭が行われました。

私は前日の前夜祭に続き出席しました。50回という節目の開催でしたので、来賓や一般参加の方が大勢参列し、国のため命を犠牲にした予科練生の御霊に哀悼の意を表して献花いたしました。

また当館は、この日に海原会様から感謝状をいただきました。

今月6日から収蔵資料展『予科練の思い出』を開催します。全国各地から集められた予科練の資料と、その資料にまつわるエピソードを紹介し、各地に残された予科練の思い出や足跡をたどる展示です。寄贈いただいた資料の中から未公開の資料を展示します。8月20日まで開催します。

大正14年頃の霞ヶ浦海軍航空隊水上班(後の土浦海軍航空隊)

 

検索サイトのグーグルで、当館の外観やエントランスホールなどのストリートビューを見ることができるようになりました。グーグルとの契約により可能となりましたので、ご覧ください。

第50回予科練戦没者慰霊祭・写真展・慰霊コンサート

5月 2nd, 2017

風薫る5月になりました。記念館隣りの公園では、ツツジが満開になっています。

記念館には展示解説員が勤務しており、来館されたお客様をご案内しています。8名の展示解説員が交代で勤務していますが、4月から4名が新しくなりました。どうぞよろしくお願い致します。

 

FMうしくうれしく放送「UUラジオ・854!」(85.4MHz)で、『予科練平和記念館へようこそ!』が始まりました。毎月第2火曜日午前10時5分から10時35分まで放送します。また、当日の午後5時5分から再放送されます。

番組では、予科練平和記念館からのお知らせ、町のイベント情報、予科練に関する話題などを館長の坪田がお伝えします。5月は9日(火)午前10時5分からです。どうぞお聞きください。

 

 

新着情報でお知らせしていますように、2日から予科練戦没者慰霊祭50回記念写真展「素顔の予科練生」を開催しています。また、20日(土)に「予科練慰霊コンサート」を開催します。
28日(日)に、第50回予科練戦没者慰霊祭が開催されます。式典には一般の方も参加できます。
式典では、参加者全員よる献花、日の丸飛行隊が行う慰霊飛行や海上自衛隊による儀仗(弔銃)、遺書の朗読、「若鷲の歌」奉唱など奉納行事が行われます。
ぜひご参加ください。

入学式と卒業式

4月 1st, 2017

4月になり新しい年度になりました。予科練平和記念館職員一同、新たな気持ちでお客様をお迎えいたします。どうぞよろしくお願い致します。

この時期は各学校で入学式が行われます。また、先月は卒業式が行われました。
予科練生の入隊と卒業はどのように行われていたのでしょうか。まず入隊の様子です。

昭和19(1944)年4月1日、土浦海軍航空隊甲種飛行予科練習生として、憧れの七ツ釦に身を包み、大空に羽ばたく夢と希望を胸に、晴れの入隊式に臨んだ。
既に3日前隊門をくぐり、入隊手続きを済ませ、150名の分隊に分けられ、第1班から第6班まで各班25名の班も決められた。私は第10分隊第3班に所属した。
(中略)
入隊式は午前10時、第一種軍装で第一練兵場に整列、高らかに響き渡るラッパの音に軍艦旗が掲揚され、司令官らしい偉い人が台の上に立ち、「第14期甲種飛行予科練習生を命ず」と宣告され、正式に予科練習生になることができた。
入隊式の日には赤飯と尾頭付きの御馳走だった。訓練は翌日から始まり、何を言われても勝手が分からず戸惑っていると「貴様達はお客様じゃないぞ!何をモタモタしとる!」と昨日は優しく面倒見てくれた班長も、恐ろしい顔で怒鳴りだした。
~『震洋隊の回想』 角田義久(甲飛14期)著から抜粋

次に、卒業式の様子です。

卒業退隊の日には、すべての思い出と訓練の成果を身体一つにまとめ、心をこめて手入れした軍服に身をつつんで、最後の号令台前集合に臨む。司令訓辞を受けて送別の言葉を耳の奥にしまいながら、揺籃の地に別れを告げるのである。各練習生の指令を見つめる瞳は輝き、多くの感慨をもって祝辞を聞いた。
(中略)
司令に対して最後の別れの敬礼を行う。これから向かう飛練での厳しい訓練に思いをはせつつも、大空へはばたく希望に瞳を輝かせ、厳しい戦局に死を賭して戦う決意を秘めて、一文字に結んだ唇に闘志をみなぎらせていた。
すぎこし方を振り返ってみる。日本各地から集まった見知らぬ者同士がむつみあい、切磋琢磨しあい、苛酷なまでの厳しい訓練をみごとなしおえた。そして、いま巣立とうとしている。
司令官が号令台から静かに降りた。立ち会う分隊長、文官教官、分隊士、教員にも、別れの寂しさがひしひしと伝わってくるようだ。
「一二00、甲(乙)第00期練習生卒業退隊、総員見送りの位置につけ」
こうした高声令達器の号令によって、各兵舎を離れた練習生は、すでに庁舎前から隊門の前までの隊内通路の両側に、真ん中通路をあけて正対して並んでいた。
やがて、卒業生が行進を起こして見送りの者の人垣の間を隊門に向かう。右も左もわからない新入隊者として、最初にこの練兵場で仰いだ軍艦旗、日夜、見慣れた号令台や庁舎、春夏秋冬、われわれを見つめていてくれた雄飛の松ともお別れである。思い出多い練兵場よさようなら、そんな思いを込めて歩を運ぶ。
卒業生は、四列縦隊となり、沿道で見送る教官、教員や下級生たちに挙手の礼を返しながら、別れを惜しみつつ前進する。
「頑張れよ」 
「お世話になりました」 
「先輩、頑張ってください」 
「飛練で待っているぞ」
見送る側から、見送られる側から、盛んに声がとんだ。
こうして、隊門に卒業生の全員が到着すると、密集隊形で整列して回れ右をし、見送る者の集団と相対峙する。
「帽振れー」この号令で、互いに脱いだ帽子を頭上に高々と上げて力のかぎり振った。目頭が思わず熱くなった。とくに卒業生にとって、この感激の一瞬は、強烈な印象として脳裏に焼きついた。
~『海の若鷲「予科練」の徹底研究』 下平忠彦(乙飛19期)著から抜粋

間もなく桜が開花しますね。陸上自衛隊武器学校では観桜会(お花見)が行われます。
日時は4月8日(土)・9日(日) 午前9時30分から午後4時まで。
食べ物・飲み物の持ち込みができます。また売店も出ます。
ミニライブ&握手サイン会、駐屯地太鼓舞・常陸陣太鼓による太鼓演奏などが行われ、

ちびっこ広場もあります。戦車など屋外展示や雄翔館と雄翔園もご覧になれます。
お問合せは、陸上自衛隊武器学校 広報 TEL 029-887-1171 (内線231~233) です。

阿見町に走っていた鉄道

3月 3rd, 2017

暖かい日があってもまた寒さが戻ることがあり、繰り返えされながら春が近づいています。

 

今月は11日に「おはなしとむかしあそびの会」を開催します。

「絵本の読み聞かせ」や「むかしの遊び」、「おもちゃの病院」もありますので、お子様とご一緒にお楽しみください。

26日には講演会「レイテ島の戦い」を開催します。レイテ島守備隊と特攻隊に焦点をあてて、阿見町歴史調査委員の大橋良一さんが講演します。皆様のご来館をお待ちしております。

 

阿見町にはかつて鉄道が走っていました。

常南電気鉄道という名称で、大正末期から昭和の初め頃に当時の阿見村(新町のバス停留所「阿見坂下」付近)から土浦駅の間を運行していました。

大正10年霞ヶ浦飛行場が設置され、翌年には霞ヶ浦海軍航空隊が開隊しましたので、たくさんの海軍関係者が住むようになりました。その需要を見込んで鉄道を運行したと思われます。

この鉄道は単線で運行され、阿見と土浦間に停留所(駅)が8カ所設けられました。昭和4年にドイツの飛行船ツェッペリン伯号が霞ヶ浦飛行場に寄航した時には、大勢の人が鉄道を利用して見物に訪れたそうです。

しかし常南電気鉄道の運行前からバスも営業していたため、次第に競争に負け短い期間で廃止になりました。大正15年10月に開業し、昭和13年2月に廃業されるまで12年間運行しました。

 

また同じ頃に、軍用の単線が荒川沖駅から霞ヶ浦海軍航空隊(現在の阿見小学校付近)まで敷設されていて、航空燃料を輸送していました。後には若栗にあった第一軍需工廠(現在はフタムラ化学株式会社や三菱化学株式会社などがある)まで延伸されました。さらに、第一海軍航空廠(現在の陸上自衛隊関東補給処)へも引込線が敷設され、資材の運搬と整備が済んだ飛行機の搬出が行われていました。

2月2日は開館記念日

2月 3rd, 2017

2月2日は開館記念日でした。平成22年2月2日に開館しましたので7年が経過しました。開館からの入館者は累計で41万6千人に達しました。ご来館いただきました皆様に改めて感謝申し上げます。

これからも予科練と海軍航空隊の戦史を後世に伝え、平和の大切さを考えていただく施設として運営してまいりますので、ご支援をお願い致します。

 

予科練生の訓練では、冬の時期に寒稽古が実施されました。予科練の寒稽古には、剣道、柔道、銃剣道、短艇、陸戦、体操などがありました。

昭和15年度の寒稽古は、1月11日から31日まで3週間行われました。この期間中の総員起こしは午前5時でした。通常冬季の総員起こしは午前6時でしたので1時間早くなりました。中でも体操は、気温が氷点下になるこの時期であっても半袖・短パンツで行われました。駆け足行進のあと体操を行い6時20分まで続きました。手や足が凍傷になる予科練生もいたそうです。

倉町秋次著『豫科練外史〈2〉』から

寒稽古の様子

 

4日は立春ですが、これから少しずつ春の訪れを感じるようになります。

記念館の隣に広い公園がありますので、天気の良い日にはお出かけください。そして実物大零戦模型を見ていただき、記念館にも足をお運びください。

現在当館では収蔵資料展「旗と手紙」を開催しています。(3月12日まで)

明けましておめでとうございます。

1月 6th, 2017

明けましておめでとうございます。

新しい年が皆様にとりまして良い年となりますことをご祈念いたします。

本年も多くの方にご来館いただけるよう館の充実に努めてまいりますので、どうぞよろしくお願い致します。

 

新しい冊子『イラストで観る 予科練と海軍航空隊』を販売します。

A4版24ページのカラー刷りで、予科練生の制服や生活などがイラストで説明されており、楽しみながら予科練を理解できる冊子です。

1冊500円で、当館内で販売いたします。

1月28日(土)に、ふゆやすみミニイベント「予科練子ども会」を開催します。時間は午前10時から午後3時です。ミニSL、バルーンアート、腹話術、マジックなど盛りだくさんの内容となっています。

また同日「おもちゃの病院」を開催します。壊れたおもちゃをご持参いただければ、

『おもちゃドクター』が修理します。ご家族皆さんでご来館ください。

 

2月2日は当館の開館記念日です。無料で開館いたしますので、どうぞご来館ください。

 

貴重な戦争遺跡

12月 2nd, 2016

早いもので師走になりました。寒さもいよいよ厳しくなってきたようです。

 

阿見町は大正時代に霞ヶ浦海軍航空隊が設置され、その後昭和になって予科練教育を行った土浦海軍航空隊も置かれて、海軍の町として発展してきた歴史があります。

このため町内には戦時中に使用された建物や防空壕などが数多く残されていました。これは町の歴史を伝える貴重な戦争遺跡です。しかし年月の経過とともに次第に姿を消しつつあります。

文化財に関する指定基準が第二次世界大戦終結まで拡大されて、戦争遺跡が加えられという経緯があります。重要な遺跡や記念物を国や市町村が指定すると史跡となり、保護の対象となります。

阿見町は現在のところ4カ所の戦争遺跡を町指定文化財としていますが、他にも貴重な戦争遺跡があります。多くが民有地にあるなど難しい問題もありますが、残されている貴重な戦争遺跡を指定文化財として保護、保存しなければならないと考えています。

 

12月に予科練平和記念館が行うイベントなどをご紹介します。皆様ご家族でご来館ください。

まず、6日(火)から当館収蔵資料展「旗と手紙」が始まります。

10日(土)は午前11時から「おはなしとむかしあそびの会」を開催します。絵本の読み聞かせ、むかしのあそびを親子で楽しんでください。

22日(木)午後5時30分から、「クリスマス音楽鑑賞会」を開催します。土浦第三高等学校吹奏楽部の演奏によるクリスマスソングや軍歌などをお楽しみください。

天皇誕生日の23日(金)は無料開館日となります。この機会に予科練や霞ヶ浦海軍航空隊、土浦海軍航空隊などについて知識を深めていただければ幸いです。

 

最後になりますが、今年も当館に対しご支援・ご協力いただきまして、誠にありがとうございました。

【来館者40万人達成】

11月 1st, 2016

町内の街路樹も色づいてきて、日ごとに秋が深まっています。

10月22日 開館からの来館者が累計で40万人に達しました。40万人目の方は、東京都調布市から来られた佐藤さん親子でした。記念セレモニーを開催し、認定証や記念品をお渡ししました。

開館から6年が過ぎ、これまで沢山の皆様にご来館いただきまして感謝申し上げます。

これからも予科練と海軍航空隊の戦史を伝えていくため、多くの方に来館していただけるよう努力してまいります。

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10月24日 阿見町シルバー人材センター会員の方々により、記念館周辺で草取りなど奉仕作業をしていただきました。お蔭様で大変きれいになりました。代表の大崎忠さんほか参加された皆様にお礼申し上げます。

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今月13日は茨城県民の日で、当館は入場無料になります。

皆様のご来館をお待ちしております。

予科練の運動会

10月 7th, 2016

9月は雨の日が続きましたが、今月は爽やかな秋晴れの日を期待したいですね。

スポーツの秋です。10日の体育の日には全国で運動会が行われると思います。

予科練でも運動会が行われていました。現在の小中学校ではあらかじめ十分練習を行いますが、予科練の場合は毎日が訓練であり、その集大成として運動会が行われました。分隊対抗戦や入隊の期別対抗の全体運動会があって、かなり激しい競争が繰り広げられたようです。予科練の運動会の模様を書物から紹介します。

 

「水泳訓練の最後が水泳大会によって飾られたように、体操、武技・体技の締めくくりは、運動会によって行われた。期の運動会、隊の運動会といった形で何度か実施されたが、時期は春、秋には限られなかった。

運動会とはいうものの、これもその内容は分隊対抗競技である。しかし、やっぱりお祭り気分もないわけではなく、楽しい雰囲気を醸しだす行事であった。

(中略)

そして、何よりも雰囲気を盛り上げるのに大きな役割を果たしていたのが一般市民の参加、見物である。ちびっこ選手のパン食い競争なども企画されていて、予科練と地域とのつながりを強くする効果を上げていたようである。」

下平忠彦著『海の若鷲「予科練」の徹底研究』から

 

「昭和十五年十一月十五日に、霞ヶ浦海軍航空隊飛行予科練習部は独立して「土浦海軍航空隊」となった。その日、土空では開隊を記念して、陸上運動会が催された。記念運動会といっても単なる喜び、遊びの場ではない。各競技にわたり、各分隊で競わせ、せり合わせて闘志をかき立て盛り上げる。追浜時代にはこのような雰囲気は稀薄であったようだが、これも時局を反映しての成り行きであった。」

倉町秋次著『豫科練外史〈2〉』から

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土浦海軍航空隊開隊式記念運動会

 

「一昨日を以っていよいよ霞空と分離し土浦海軍航空隊となりました。当日の模様を知らせましょう。

八時 軍艦旗掲揚終わって旧司令教頭の訓示、続いて新司令(今迄の部長)の訓示あり。

(中略) 十時半より開隊式 長官、航空本部長の訓示がありました。 

(中略) 開隊式終了後格納庫に於て竣工式が行われました。

これを以て開隊式及び竣工式が終り、午後は運動会、昼は御馳走があり又菓子折一ケ渡りました。一時より運動会、沢山の見物人が来ました。プログラムにある如く最初に神宮で

やった体操、次に二千六百継走、二日前にこれの予選が行われ、我が分隊堂々一着、今度は最上級でもあり又貫録を示すに最もよい機会であるので是が非でも優勝せずんば止まずで分隊士、教員又我々の意気は物凄かったです。自信たっぷりで選手は戦に臨みました。予想通りスタートより一着、ラストの時は三十米位抜いて優勝しました。次は障害物競走これと二千六百が分隊の点数に入るので、これも頑張らなくてはなりません。然し我が選手の意気物凄く予選一着、決勝、又もや堂々一着、この時の我々の喜び大したものでした。」

阿見町『海軍航空隊ものがたり』の「土浦海軍航空隊 甲種五期(十一ノ六)菊池

克久さんがお父様へ宛てた手紙」から

 

予科練の運動会は日頃の訓練の成果を披露する場でもありました。当時は明治神宮外苑の競技場で国民体育大会が行われましたが、予科練生は昭和15年から参加しており、披露した予科練体操は脚光を浴びました。

その時の新聞には、「会場を圧する応用体操の妙技」「大会の華、土浦航空隊健児」「会場を圧した海の若鷲群舞」など絶賛する記事が載りました。