~入館者10万人達成に思う~

6月 15th, 2011

平成23年6月5日(日)午後1時

昨年2月2日の開館以来379日
待望の10万人目の入館者をお迎え致しました。
阿見町在住のご家族でした。

大震災の影響もありましたが地元町民の皆様をはじめ、
関係者各位の特段のご理解とご協力、
そして予科練生19,000の英霊が見守ってくれたものと、
受け止めております。
誠にありがとうございました。

さて、当記念館には自慢の展示解説員(男性2名、女性5名)がおります。

日々、展示資料への研究に勤しみ、自分自身を研いては予科練生の思いを届け、
元予科練生やご遺族の皆様には特に気を配り、
団体のお客様への対応はもちろんのこと、接客にはとてもやさしい職員です。

今、当記念館では毎週土、日の、
午後2時より、定時展示解説を行っております。

これもより多くのお客様にご来館いただけるよう解説員の、
提案によるものです。
とても好評です。1度ご利用下さい。

また、お客様が気持ち良く入館され、
ご利用頂けるよう館内と公園周辺を清掃されている、
シルバー人材センターの職員

館内にある売店(町商工会の運営)では町の特産品、
予科練クッキー、予科練グッズ等などの販売をしております。

このように当記念館は毎日8~9名のスタッフにより開館しており、
この職員の日々の献身的な努力と、
記念館への思いやりが伝わっております。

10万人達成もこのスタッフの努力の計り知れないものを
感じております。

忘れてはならない歴史の1ページを、
そして命の尊さ、平和の大切さを
後世に伝えていきたいと考えております。

予科練生とともにスタッフ一同ご来館をお待ちしております。

~後世に伝える~

6月 7th, 2011

5月29日(日)第44回予科練戦没者慰霊祭が挙行され
昨年に続き参列いたしました。

大震災の後でもあり、開催が危ぶまれましたが
厳粛の中にも盛大に行われました。
生憎の雨でしたが、大震災等の不幸な出来事を洗い流してくれそうな雨でした。
元予科練生は雨も苦にせず
英霊に対し特別な思いを胸に”きりっ“とした姿勢で参列されました。
感心するばかりでした。

国を思い、家族を思い、平和を願う思いは
今もしっかりとお持ちになっている様子が感じられ、
予科練生の思いを後世に伝える者として考えさせられるものがありました。

また、海原会様代表の挨拶の中で当記念館への思いの言葉を頂きました。
“雄翔園、雄翔館、そして予科練平和記念館と予科練への思いは消えず
命の尊さ、平和の大切さを後世に伝える施設として
意義深いものがある”との事でした。

後世に伝える施設としての責任の重大さを重く感じる言葉でした。
彼らに見放されないよう、精進せねばなりません。

今後も引き続き御支援下さいます様お願いいたします。
元予科練生は来年も再会することを誓い合い散会いたしました。

話題は変わりますが
某テレビ局の番組“おひさま”の中で予科練生が誕生しました。
須藤陽子の次兄茂樹です。

昭和14年4月1日、海軍飛行予科練習生として入隊し、
ここ阿見町の霞ヶ浦海軍航空隊で訓練を受け、戦地に就かれたようです。
そして長兄春樹も軍医として海軍に入るようです。

さて今後は・・・・。テレビにて。

その舞台でもあった阿見町には昨年2月2日にオープンした
予科練平和記念館があります。

阿見町は1921年(大正10年)霞ヶ浦海軍航空隊の開設より
海軍の町として90年の歴史を刻んでおります。
当館は、その中でも特に関わりの深い予科練(海軍飛行予科練習正)の歴史を
展示公開しています。

忘れてはならない歴史の1ページを知るため、
そして命の尊さ、平和の大切さを後世に伝える施設であります。

是非、ご来館いただき七つボタンの予科練生にお会いし、
少年たちの思いを感じて欲しいと思います。

お待ちしております。
平成23年6月7日
予科練記念館館長 糸賀富士夫

~5月の霞ヶ浦~

5月 25th, 2011

館長日記 ~5月の霞ヶ浦~

毎朝5時30分起床、6時00分出発
我が家の3人娘の長女(ラブラドール9歳未婚)を引き連れ、散歩を実行中。
40分の道程

道端の草に夜露が降りている田んぼ道
朝靄の中に霞ヶ浦、筑波山を眺望でき、
向かい岸周辺を見ると山水の風景が見られます。

空気がきれい、気温もちょうど良い、気持ちのいい朝です。
皆さんも一度早起きして霞ヶ浦にお越し下さい。

予科練生もこの季節は気持ちの良い朝を迎えていたのでしょう。
とても純真であった彼らはこの霞ヶ浦の自然の中での
教育、訓練を受けたからではないでしょうか。

話は変わりますが5月11日(水)にご来館頂きました。
甲15期のH様の想いを伝いたいと思います。

当日は同期生8人でお越し頂き、皆さんとても元気でした。
特にH様は背筋の張った予科練生そのものでした。

“当時の予科練に戻れた、同輩に会える、元気が出た、又来たい”

飛行機には乗れずに終戦を迎えたが、国を思う心と
飛行機に乗りたい気持ちは変わらなかったそうです。

ご健在の予科練生の皆様、是非一度は当記念館にお越し頂き、
もっともっと元気になって下さい。
そして私たち若者に力をお与え下さい。

ゴールデンウィークの出来事

5月 10th, 2011

東北地方は、まさに桜の満開の時と思われますが被災地の皆様は
まだまだ大変な御心労のこととお察しいたします。
どうぞ、ふんばって下さい。

当館も多少の被害を受け、約1ヶ月程休館しましたが
4月19日より開館いたしました。

そして、ゴールデンウイークを迎えました。

4月29日(金)昭和の日

この日大変うれしいことがありました。
3月11日の大震災当日来館されていましたお客様が開館を待ちわび
”途中だったので最後まで見たかった・・・“と再度来館されました。

感激でした、ありがとうございました。

5月4日(水)みどりの日

この日のY新聞紙上に震災地での自衛隊の活躍が記事にありました。
現地で救援活動している隊員の中には親や妻子を失った隊員、
いまだ、家族の安否が不明な隊員もいるそうです。

国民の救済を第一と行動しなければならないとはいえ、
ほんとうに頭の下がる思いです。

一日も早く業務が終了し、ご家族のもとに戻って欲しいです。

5月5日(木)こどもの日

あるテレビ局の番組で“ALWAYS 続三丁目の夕日”という映画が
放映されました。昭和30年代の東京下町の人々の生活の物語でした。

垣根を越えた隣人との繋がり、人への思いやり、夢を捨てない気持ち・・・と、
まさに日本人の心を写し出した作品ではないでしょうか。

久しぶりに目頭が熱くなりました。   日本人でよかった。
被災地の皆様の気持ちを少しでも受け入ることが出来ればと感じました。

5月7日(土)

9時00分開館に合わせて遠い道のりを記念館に思いを寄せ、
東北宮城県から4名のお客様がありました。

“3月11日の地震で記念館は大丈夫でしたか”と尋ねられましたので
“お陰様で大したことありませんでした”と答えましたところ、
お客様は“予科練生の英霊に守られたんだね”とおっしゃいました。

予科練生の思いが伝わったことと思います。
ほんとうにありがとうございました。

4月29日(昭和の日)より5月5日(こどもの日)までに来館された
お客様が1600人余りありました。
ありがとうございました。

これからも2度、3度とお越しいただけるような運営をしてまいりたいと
考えておりますのでご支援よろしくお願いいたします。

平成23年5月8日           館  長  糸 賀 富士夫

~開館に思う~

4月 22nd, 2011

平成23年4月19日(火)大震災発生より40日振りに
開館いたしました。

“待ちに待った開館”

1ヶ月余り待機していた解説員の皆さんが水を得た魚のように
生き生きと復活いたしました。更なる活躍を期待しております。

1週間程前の決定でありましたので各方面へのお知らせが
滞ったことが残念に思われました。
しかし、開館日4月19日(火)40名様、そして
4月20日(水)は何んと140名のお客様がおいでになりました。

“待ってたよ、良かったね、これからも頑張って下さい”と
お客様より言葉を頂きました。誠に有難く、とても感激いたしました。

この感激を忘れずにこれからも多くのお客様が来館されますよう
日々精進してまいりますのでどうぞご支援よろしくお願いいたします。

また、大震災による被災地の皆様におかれましては
まだまだ寒い日が続くようですのでどうぞお体をご自愛のうえ
普段の生活が一日でも早く訪れることをお祈り申し上げます。

館 長 糸賀富士夫

館長日記

4月 13th, 2011

大震災発生より一ヶ月が過ぎました。
被災地はまだまだ大変な生活をしております。断水、停電、食料品と燃料の
不足、生活に必要なものが不自由しております。

ここ予科練平和記念館周辺は、特に大事には至らなかったので、かなりの
物資が流通するようになりましたが、物の有難さ、節約の大切さを身を持って
体験しました。

“喉元過ぎれば、、、”と申します。

予科練生が国のため、家族のため、そして平和のため身を挺して戦地へと
飛び立った事を考えますと、私たちは被災地の人々のことを思い、
心をひとつにし、一日も早い復興を願わずにはいられません。

霞ヶ浦の水もぬるみ釣り人を見かけるようになり、春霞のなかにうっすらと
筑波山が姿をとどめております。
また、海軍道路の三本の大木の桜は、今年も綺麗に満開となり、当時を
偲ばせております。

“必見、、、”

大震災により皆様には大変ご心配をお掛けしましたが、平成23年4月19日より
開館することとなりました。
多くの人たちに予科練生の思いを届けたいと思います。
職員一同ご来館をお待ちしております。

平成23年4月13日  
館長 糸賀 富士夫

 

「大震災から1週間「復興」に向けて」

3月 19th, 2011

平成23年3月11日(金)午後2時46分東日本に大規模な地震が発生しました。
岩手県三陸沖を震源とするM9.0の国内史上最大の「東北地方太平洋沖地震」です。
この地震により引起こされた津波が、
東日本を中心に太平洋岸の広い範囲にわたり押寄せました。
地震と津波により、死傷者が10,000人以上、
いまだ行方が分からない安否不明者が数万人にもおよぶ未曾有の大惨事となりました。

このたびの大震災により、お亡くなりになられた方々に、
心よりお悔やみ申し上げますとともに、
被災された方々に謹んでお見舞い申し上げます。
そして、被害の拡大が最小限に留まり、被災されたみなさまのご安全とご健康が、
一刻も早く確保されることとを心よりお祈り申し上げます。

当記念館おいても今回の地震で大きな揺れに見舞われ、
一時はどうなることかと思いましたが、予科練生の英霊に守られたのか、
多少の被害を受けたものの怪我人も無く、無事だったことに胸を撫で下ろしています。
予科練平和記念館の状況を気遣われ、
被災地仙台市のOさんや福岡県のT館長や旅行関係者など沢山の方から、
お見舞いのご連絡を頂きました。本当にありがとうございます。

現在においてもここでは時折強い余震が続いており、
お客様の安全が確保できるまでのしばらくの間、当館を閉館することとしました。
開館まで多少時間がかかりそうですが、万全を期して皆様をお迎するため、
準備を進めているところです。

顧みれば、「太平洋戦争での戦災」「阪神淡路大震災」「新潟県中越沖地震」など
日本で起こった大災害は、数多く存在してます。
そのたびごとに我々日本人は、災害に立ち向かい見事に復興して、
経済大国としての地位を確立してきました。
今回の津波により福島第一原発でも事故が発生し、
沈静に向け懸命な作業が続いています。
危険な現場を省みず携わる人々のたちの行動は、まさにそんな日本人の魂を感じ、
胸に迫る思いがします。

日本の古い言葉に「大和魂」という単語があります。
日本人固有の知恵と才覚のことを表す言葉です。
今回の災害に対しても国民一人一人が強い意志を持ち、
挙国一致の精神で立ち向かえば、必ずや復興できると信じています。

いま日本には、悲惨と希望が入り混じっているような気がしてなりません。
企業や著名人の支援そして沢山の人々の救援の輪、
見ず知らずの人々との間の不思議な連帯感。
無慈悲な大地震が残したのは、傷跡だけではなかった気がしています。

季節は、冬から春へ移り変わるときを向かえています。
もうすぐ桜の知らせも届く頃ですが、
いつもと違ってうきうきした気分になれないのは、私だけではないはずです。
しかし、いつまでも厳しい冬が続くわけではありません。
季節の流れと同じように、雪が解け暖かな日差しが降り注ぐように、
いつか平和な暮らしが戻り、
またこの記念館に沢山の人々が訪れるようになることを願いっています。

そして、被災地が一日も早く復興されて、生まれてきてよかった、
生きていて良かったと思える日が来ることを心待ちにしています。

平成23年3月19日
館 長 糸賀 富士夫

「記念館がふるさと」

2月 12th, 2011

寒さ続く2月2日(水)、
この予科練平和記念館も開館1周年を迎えることができました。

この1年間で88,000人余のお客様が全国各地からお見えになり、
記念館にお迎えすることができました。
ご来館頂いた方々に深くお礼申し上げます。
このようなご好評をいただけたのも、
関係者や協力者の多大なるご支援とご理解があったからからこそと、
感謝申し上げます。

思い起こせば開館間際は、猫の手も借りたいほどの忙しさの中、深夜まで準備に終われ、
これからどうなるのかと不安で一杯でした。
そして開館前日には、雪が降り眠れぬ夜となりました。
しかし、一夜明けてみると、不安を吹き飛ばす大盛況、
700人以上もの方々で館内は大賑わいとなり、
胸を撫で下ろしたことが遠い昔のように感じられます。

慌ただしい1年間でしたが、
戦争体験者や元予科練生や色々な方々にお会いする折り触れ、
戦争の悲惨さ・過酷さ・残酷さを痛感する日々でもありました。

そんな中、1年目のこの日、
一人の元予科練生のAさん(甲種13期生・土浦海軍航空隊入隊)が、
1周年ということで神奈川県からわざわざご来館されました。
Aさんは、何度もお越しになっておられますが、
この記念館は、私の「ふるさと」であり、
「ここに来ると元気が出る、色々な人に私のふるさとを伝えたい。」
とおっしゃっておられました。
Aさんは、予科練に憧れ入隊し、昭和19年6月に土門拳が、
土浦海軍航空隊の予科練生(甲13期)を撮った時の分隊員でした。
多くの仲間と過した青春の日々、格別の思いがあるのでしょう。
また元気でお越し下さい。

そしてもう一方ご紹介したいと思います。
昨年11月に短歌愛好会の皆様が、ご来館されました。
兵士たちへの思いを詠んだ詩が届けられましたので、
一部ご披露したいと思います。
○鳴り響くモールス信号切れたとき若鷲尽きたる証なりと
○展示さる少年兵の遺書読みぬ純真なりしよ涙誘いぬ
○若きらの命捧げし阿見の地に平和を希う館の成れり
○この平和尊き命の賜物ぞ守らねばならぬ責任重し
すばらしい詩ありがとうございました。
これからもたくさんの詩、詠んでください。

2年目を迎える今年、沢山の来館者にお出でいただける様、
夏期特別展や収蔵品展などの事業にも力を入れて行きたいと考えています。
皆様にご満足いただける記念館を目指し、職員一同精進してまいりますので、
どうぞ一度足をお運び下さい。
武器学校の梅の花も咲き始め、皆様を歓迎しています。

平成23年2月12日
館 長 糸賀 富士夫

「今も昔も」

1月 23rd, 2011

23th01.2011

日本海側では、記録的な大雪となっている一方、
関東平野では、ひと月以上一滴の雨も降らず、
髪の毛が逆立つような乾燥ときびしい冷え込みが続いてるこの頃ですが、
自宅の庭先に、一輪の水仙が咲き初(そ)めて居るのをみつけました。
暦どおり新春を感じさせてくれると同時に、
春の足音が聞こえてきそうなひとコマでした。

さて先日、航空自衛隊の戦闘機パイロットの教育や訓練の様子が、
テレビ放映されていました。
隊員である彼らは、パイロットに憧れ、
空を飛びたい一心で自衛隊に入隊したそうです。

60年以上前、ここ阿見町で生活していた少年たち(予科練生)も、
空に憧れ、パイロットになるため、
海軍航空隊に入隊し、厳しい訓練を受けていました。
今も昔も「空」を思う少年たちの気持ちは、同じなのだなと実感しました。

航空自衛隊の飛行訓練は、2人1組になって試行教育を3ヶ年受け、
パイロットとなり卒業するそうです。
そして、戦闘機パイロットとして更に厳しい訓練を受け、
一人前になっていきます。

予科練生も予科練(飛行予科練習生)を卒業すると予科がとれ、
飛行練習生として練習機に乗っての一段と厳しい訓練が始まります。
その後、実戦機訓練を行い、戦地に赴きました。
少年たちは、死と隣り合わせの局面に、
又上官の厳しい指導に正面から向き合い、
めげることなく夢を追い続け、一人前に成長していきました。

成功の秘訣(夢をかなえられるか否か)は、
「自分は何がすきなのか」を見出せるか否かだと思います。
好きなことしているから楽しい。楽しいから続けられる。
続けるから強くなれる。強くなるから困難を乗り越えられる。
困難を乗り越えた時、人は多くの学びと自信、
そして謙虚さを身に着けることができると思います。
「好きなことをする」とは、「継続は力なり」につながります。

だから、夢を持っていた少年たちは、
厳しい訓練にも耐えられたのだと思います。
テレビの前で夢を語る航空自衛隊パイロットの最終目標は、
ブルーインパルスだそうです。

予科練生たちも、今の平和な空をどれほど待ち望んでいたでしょう、
どれほど飛びたかったでしょう。心が詰まる思いがします。

平成23年1月23日
館 長 糸 賀 富士夫

「迎春」

1月 5th, 2011

明けましておめでとうございます。
昨年は、たいへんお世話になり、誠にありがとうございました。
皆様におかれましては、お健やかに新春をお迎えのことと思います。
ここ予科練平和記念館は、1月4日から通常とおり開館していますが、
まだ松の内ということもあり、お客様は少なめで、
平成23年の新春を、穏やかに迎えています。

今年は、私が予科練平和記念館に勤務してから、初めて向かえるお正月となりました。
我家の毎年の恒例行事となっている、自宅からほど近い霞ヶ浦での初日の出参拝も、
何か違った趣を感じました。
今年は、特に穏やかな朝で、日の出と共に湖面が輝き、とてもすばらしい光景でした。
60年余り前、この霞ヶ浦の湖畔で、
自ら求めて厳しい訓練を受けた予科練生たちも、同じ初日の出に望み、
国難をしのぐ強い気持ちで、新年を迎えたのだろうと、
想像しながら眺めていると、初日を浴びて輝いている少年たちの姿が、
浮かんできそうな、そんな初日の出となりました。

私は、昨年の功徳に感謝し、
また新たな気持ちで、新年を迎えられた平和な社会に感謝し、幸せを感じています。
平和なお正月を迎えるという事実が、永久に継続されることを切に願って止みません。
そして今年も、「予科練と呼ばれた昭和の少年たち」の気持ちを、
少しでも多くの人に伝えられればと思っています。
今年は、収蔵品展や特別展を充実させて参りたいと考えておりますので、
是非一度ご来館頂きますよう、スタッフ一同、心よりお待ちしております。

今年一年が皆様にとって幸多き年となりますようお祈り申し上げて、
新年の挨拶とさせていただきます。

平成23年1月5日
館 長 糸 賀 富士夫