さんぽ日和

5月 17th, 2013

みなさま、いかがお過ごしでしょうか。

 

最近は、暑いと感じられる日が多くなってきました。

予科練平和記念館の周りは、霞ヶ浦から遮るものがないため

晴れた日に外に出ていると、とても風が気持ちよく感じられます。

 

 

新緑の季節となり、記念館の周りは次第に緑が濃くなってきています。

 

 

足元に目を落とすと、シロツメクサが花を咲かせていました。

 

  

 

シロツメクサといえば四つ葉のクローバー

小さいころ、よく探して見つけていましたが…

 

なんと、日本で56枚葉のクローバーが発見され、

ギネス認定されているそうです。

 

数のスケールが大きすぎて想像できませんね。 

きっとそれはそれは立派な葉っぱだったのでしょうね。

 

以前ご紹介したツバメさん家のご新居です。

 

 

お子さんも何羽かいらっしゃいます。

まだ赤ちゃんなので、もう少し大きくなったらご紹介しますね。

 

 

記念館の周りを散策していると、

風に乗って土の香りが感じられるようになってきました。 

代掻きをした田んぼから、土の香りを感じると、

いよいよ夏の足音が聞こえてくるような気がします。

 

まだ小学生だったころ、田んぼのあぜ道を歩いていて、

倒れたままぴくりとも動かないおじいちゃんを発見し、

本気で救急車を呼ぼうか迷ったことが思い出されます。

(実際には、ただ木陰で昼寝していただけでした。)

 

 

 

そんなことは置いておきまして、

予科練平和記念館では、来月の6月2日に

予科練平和記念館学習会として、史跡探訪を予定しています。

茨城県内に残る近代の史跡を、学芸員と一緒に巡るツアーです。

参加無料ですので、お気軽に予科練平和記念館までお問い合わせください。

 

初夏の香りを感じながら、歴史散策に出かけてみませんか?

みなさまのご参加を心よりお待ちしております。

青や、緑や、黄色や、白

5月 8th, 2013

おはようございます。こんにちは。もしくは、こんばんは。

五月に入り一週間が過ぎました。ゴールデンウイークも終わり、みなさまは行楽シーズンも一段落と言ったところでしょうか。

 

ところで、五月は旧暦で皐月(さつき)とも呼ばれますが、旧くは月の名前は、それ一つではありませんでした。

今でこそ呼ぶ人は居なくなってしまいましたが、五月で言えば、橘月(たちばなづき)や菖蒲月(あやめづき)など季節の草花を冠した呼び方や、季節ごとの風景や行事からとられた名前など、さまざまな呼び名があります。

 

風景で言えば、五月雨月(さみだれづき)。旧暦では、五月はすでに梅雨でした。

 

行事から取られた別名は、予科練平和記念館の周りでも見られる、ある光景から取られたものもあるのですが、分かりますでしょうか。

クイズと言う程の話でもありませんが、御存知ない方は、下の写真をヒントに頭をひねらせてみてください。

 

霞ヶ浦沿いを歩いていれば、今の時期ならば自然と目に入る光景だと思います。

 

 

 

 

さて、正解の発表です。

答えは「田植え」。

別名には、稲苗月(いななえづき)、早苗月(さなえづき)、田草月(たぐさづき)と、一つどころか複数の呼び方があり、日本人は、農耕の民族なのだなと言うのがこんなところからも感じてしまいます。

…予科練平和記念館の周囲では、れんこん田ばかりで、クイズとしては、少し意地悪でしたかね。

 

ちなみに、「田植えの月があるなら、稲刈りの月もあるの?」と思われた方、ちゃんとあります。

9月の別名の一つは「稲刈月」。

分かりやすい。

 

青々とした苗が、黄色の稲穂に変わり、白い御飯に変わるのが楽しみです。

 

 

 

 

 

 

 

  

さて、お米の話を出しましたが、予科練生はどういったものを食べていたのでしょうか。

基本的に御飯は麦飯。小麦ではなく大麦です。白い御飯は士官でないと食べられなかったそうです。

それに味噌汁と副菜がつくのが基本の食事で、時には霞ヶ浦のわかさぎ等も出ましたが、日によっては麦飯、味噌汁、漬物を3回と言った日もあったようです。

当館で調査委員として活動されている元予科練生の方にお聞きしてみると、ラッキョウの漬物がよくでていたとのこと。

量については、10代の食べ盛りには、まったく足りなかったようで、予科練生の書かれた書籍や、当館で展示している手紙の中に、食べ物のことが所々に出てきます。確かに、今の食卓と比べてみると、おかずの種類が少ないように思います。

 外出の出来る日は、甘いものが食べられるのが楽しみの一つだったことも書かれており、もし当館にお越しの際には、そんな文章や展示をさがしてみてください。

 

もしかしたら、予科練生も外出帰りに、霞ヶ浦や田植えの苗を見て、秋のお米を想像してお腹をすかせていたかもしれませんね。

なんとはなしに当時の予科練の光景を想像すると、残っている白黒の写真の印象が強いせいか、想像の中まで単色になってしまうかもしれませんが、そういった身近な「食」や「色」を通して、予科練生の見た色も同じ色であったのかなと想像してみれば、浮かぶ姿が鮮やかになりそうです。

そうなれば、予科練生がまた身近に感じられるかもしれません。

空や霞ヶ浦、苗や稲や、お米の色はそうは変わらないでしょうから。

 

 

 先日、特別展の準備と勉強を兼ねて、東京に行ってまいりました。

まずは 千代田区の「靖国神社」へ参拝し、併設されている「遊就館」を観覧。

「靖国神社」は新聞、テレビ等でも取り上げられますので御存知かとは思いますが、戦争で亡くなられた御霊をお祀りする神社で、「遊就館」は、その靖国神社の祭神ゆかりの資料や、戦没者、軍事関係のものを展示されている施設です。

現在「遊就館」では常設展と共に、特別展「大東亜戦争七十年展Ⅱ」が開催されております。

史実に基づいて、ミッドウェー作戦、ガダルカナル作戦など、日本軍の大きな戦闘を一つの単位にブースが分かれて展示がされており、展示の内容、展示の仕方ともに大変勉強させていただきました。

特別展は平成25年12月8日(日)までと長く開催しておりますので、皆様もいかがでしょうか。

 

 靖国神社 遊就館

http://www.yasukuni.jp/~yusyukan/

 

次は、同じ千代田区の「しょうけい館」。

前述の「靖国神社」から歩いて数分、地下鉄九段下駅のすぐ近くにある資料館です。

こちらの館では戦傷病者の、書籍、資料、証言を保存、展示をしており、結核や赤痢などの病気、義眼や義手を使わざる得ないような怪我。そういったものの証言映像や、実物資料に写真、手記などが展示されていました。

あまりテレビ等では見られない、戦争の一面を見ることができます。

オフィスビルの一角で、少し見つけにくいかもしれませんので、行かれる方はご注意を。観覧は無料です。

 

しょうけい館 戦傷病者資料館

http://www.shokeikan.go.jp/index.html

 

最後は新宿都庁前、新宿住友ビル48階にある「平和祈念展示資料館」を観覧。

こちらの館は、旧軍の兵士(特に恩給がもらえなかった方)、戦後シベリア等での強制抑留者、満州等からの引揚者の労苦を伝えるための施設で、展示もそれら三つのテーマごとに3室にわかれています。人形を使ったジオラマもあり、そこは一瞬、本当に人がいるかと錯覚するほどでした。

観覧は無料で、展示は映像資料や実物大の人形、解説資料にマンガを使い、企画ではゴールデンウイークにはアニメの声優さんの読み語りを行うなどして、分かりやすいものとなっています。

こちらもご紹介しておきます。

 

平和祈念展示資料館

http://www.heiwakinen.jp/

 

雨にも負けず風にも負けず

4月 24th, 2013

みなさま、いかがお過ごしでしょうか。

 

最近は天候が不安定で、暑いくらいの日もあれば、寒い日もあったり、

晴れたと思ったら、急に強い風が吹いて雨が降ってきたり、

なかなか定まらない陽気に、少し振り回され気味な日々が続いております。

 

そんな毎日ですが、生き物たちはたくましく営みを続けているようで、

少し前から、予科練平和記念館のエントランスにツバメが巣作りをはじめました。

 

文字通り、雨にも負けず風にも負けず、

日々作り続けていたマイホームがこのほど完成いたしました。

 

もう少しして家族が増えたら、自慢の家にお邪魔させてもらって、お茶でもごちそう…

いやいや、みなさんにご紹介できたらな、などと考えております。

 

 

 

さて、そんなツバメを横目に見やりつつ、予科練平和記念館では去る4月13日(土)に

生活協同組合連合会との共催企画

平和のおはなし会~“今を生きる人”たちへ~を開催いたしました。

 

 当日は100名を超す方々にお集まりいただきました。

 

内容は二部構成で、

第一部 ヒロシマ・ナガサキでの被爆体験

 

 

県原爆被害者協議会会長の黒川博さん

同じく副会長の茂木貞夫さんにお話をうかがいました。

 

第二部 加奈の小さなおはなし会

 

元茨城放送アナウンサーの加奈さんによる読み聞かせ

絵本や予科練生の遺書などの朗読をしていただきました。

 

ヒロシマ・ナガサキを実際に経験された方々のお話は、

当時の様子を直接知らない私たちに、深く突き刺さります。

 

加奈さんのおはなしは、

時に感情を込めて激しく、時に包み込むようにやさしく響きます。

 

目に涙を浮かべている方もいらっしゃいました。

どんな思いで、おはなしを聞かれていたのでしょう。

みなさんそれぞれが感じ、考えるものがあったおはなし会だったと思います。

 

 

 現在、予科練平和記念館では、4月2日より

企画展「震洋~写真家荒井志朗氏の心象~」を開催しております。

 

震洋特攻隊員に選抜された荒井氏所蔵の写真を展示し、

当時の様子を改めてふりかえります。

 

7月7日までの開催となりますので、お時間のある方はぜひご覧ください。

みなさまのご来館を心よりお待ちしております。

 

 

 

時が過ぎるのは早く、気づけば桜が散り、春がせわしなく過ぎていこうとしています。

寒暖の差がはげしい日々が続きますが、みなさまお体ご自愛ください。

「さくら」と「おまつり」

4月 11th, 2013

おはようございます。こんにちは。もしくは、こんばんは。

4月に入りまして初めての当ブログの更新となります。

なかなか寒さが抜けない日が続いていましたが、ここ一週間で急に暖かくなり、ようやく春らしくなりました。暦の上では立春はずいぶん前に過ぎましたが、なかなか季節と天気は難しいです。

さてそんな中、春らしい名前のイベント「あみさくらまつり」の一日目が、去る4月7日(日)に、予科練平和記念館の敷地内で開催されました。

7日(日)、14日(日)の2週に渡るイベントの一日目で、お隣の陸上自衛隊土浦駐屯地武器学校も4月6日(土)、7日(日)に一般開放ということもあり、前日からまさにお花見シーズンと言った雰囲気。

 

 …の筈でしたが、前日土曜日は生憎の雨。風も強く、天気予報やニュースでは外出をお控えくださいとまで言われていました。本当に季節と天気は難しい。

 

   

 

春の薫風はどこへやら、急な天気の変化に不安を抱えつつ、当日の朝を迎えましたが…

 

 

 

 

 

  

晴れました。

ほっと胸をなでおろしはしたものの、前日同様に風は強く、じっとしていると飛ばされそうなほどです。

イベント名にもなっている桜は前日の雨と風でほとんどが散っており、葉桜が目立ちました。

のんびりお花見。とは言い難い天気となってしまい非常に残念です。

翌週14日(日)に控える「あみさくらまつり」2日目は、緩やかな天気になって欲しいものですね。

 

 

ところで、さくらと言えば、特攻機『桜花』や、軍歌『同期の桜』に表されるとおり、予科練や特攻隊とは縁のある花です。潔く散る姿が、武士の時代から続く自己犠牲の精神の象徴とされ現在でもさくらのイメージの一面として度々語られます。

また、現在ではそう言った意味は薄れてしまっていますが、「お祭り」の元々の意味は、神様や神霊を祀る「お祀り」と同じものです。口に出してみると「おまつり」で音も一緒ですね。

来週の「あみさくらまつり」に参加しつつ、予科練平和記念館や雄翔館で、散りゆく桜を見ながら予科練生に思いを馳せてみるのも良いのではないでしょうか。 

 

予科練平和記念館について、これからの予定としては、4月13日(土) には生活協同組合連合会との共催企画「~平和のおはなし会~“今を生きる人たち”へ」が行われます。当館のラウンジを使用し、参加は無料です。

10:00~12:00の予定で、第一部と第二部に分かれており、第一部はヒロシマ・ナガサキの被爆体験者の黒川さん、茂木さんから当時の体験をお聞きします。

第二部では、元茨城放送アナウンサー・現あみ大使の加奈さんの朗読会になります。

また、4月14日(日)にはかすみ公民館にて、当館でも調査員として活動していらっしゃる元甲種第14期予科練習生の戸張 礼記さんが講師を務める講演会「過去を知って未来に伝える」が開催される予定です。15:30からの1回講演ですので、これらのイベントも併せて足をお運びくだされば幸いです。

無始無終

3月 30th, 2013

みなさんこんにちは。

学芸員Wです。

予科練平和記念館のある阿見町は、今桜が満開です。

 

 

 

館の前の若い桜の木も、たくさん花を咲かせています。

この季節は、本当に独特の雰囲気がありますね。

 

先日、「ルドルフ・シェーンハイマーの動的平衡」という理論を知りました。

ルドフル・シェーンハイマー(1898-1941)は、アメリカの生化学者で、

体内に摂取した食物がどのように使われているかを、ネズミを使った実験であきらかにした人です。

そこで得られた結果から、食物は分解されてエネルギーになるのではなく、

体の再構築に使われていることがわかりました。

 

体をつくっている物質は、そのままでは古くなって壊れてしまうので、

私たちは食べ物を体の中で小さく分解して、古くなった物質と、分解して得られた

新しい物質を入れ替えることで体を維持している、と言えるのだそうです。

 

シェーンハイマーの実験では、ネズミの全身のたんぱく質の半分が、

3日で入れ替わっていたことが確認されたそうです。

いつも同じように見えますが、私たちの体は日々黙々と新しくなっていたんですね。

 

そう考えると、新鮮なものや体にいいものを食べるのが健康の基本、ということがよくわかります。

そして、あんこが好きな人はリアルアンパンマンになれるということですね。

 

今日のみなさんは、何で作られていますか?

 

 

さて、今週はいろいろなお客様がおみえになりました。

 

まずは埼玉県比企郡滑川町の議員さんたちです。

展示を熱心に見学してくださいました。

 

 

それから、青森山田高校野球部のみなさんが、遠征試合の途中に立ち寄ってくださいました。

 

 

とても礼儀正しくて、帰るときにはきちんと挨拶をしてくださいました。

予科練生たちもこんな感じだったのかな、と思いながらお見送りしました。

 

さらに、海を越えてスペインからもお客様がいらっしゃいました。

アジア系スペイン人のTARO(タロ)さん19才です。

 

 

タロさんはバルセロナ在住で、CESDA(セスダ)航空学校の学生さんです。

春休みを利用して日本にいらっしゃいました。

 

タロさんは、知人から頼まれたものを届けにわざわざきてくださったのです。

航空関係の本や資料を探しによく行くお店のリカルドさん(70代男性)が、

タロさんが日本に行くことを知ると、1枚のCD-ROMを彼に託しました。

リカルドさんが航空機のエンジンについて長年研究してきた成果をまとめて

データにしたもので、日本の航空関係者にぜひ知ってもらい、

役立ててほしいと願っているそうです。

 

私共でも、リカルドさんのご好意やタロさんのお気持ちに、少しでもお答えできる

お手伝いができたらと思っております。

 

航空機のエンジンにご興味のある方、スペイン語がおわかりになる方がいらっしゃいましたら、

ぜひ予科練平和記念館へお問合せください。

 

タロさんは現在日本語を勉強中。将来は全日空のパイロットになりたいという

夢をお持ちです。

いつの日か、タロさんの操縦する飛行機で世界中を旅することができたらすてきですね。

大空を羽ばたける未来を応援しています。

 

こちらもぜひご覧ください↓↓↓

 

セスダ航空学校

www.cesda.com

 リカルドさんのお店(現在は息子のジョルディさんがあとを継いでいます)

http://www.aeroteca.com/

 

 

先週末23日(土)に、小さなお子さま向けのよみきかせイベントを開催しました。

今回で5回目になるこの企画、新たな試みとして、記念館の近くにある霞ヶ浦高校演劇部さんと

コラボレーションしました。

元気な演劇部の生徒さん3人が、たくさんのお客様に絵本を読んでくださいました。

 

 

 

 

練習にあてる時間が少なかったにも関わらず、自分たちで絵本を選んで

一生懸命読んでくださいました。

予科練平和記念館ですばらしい朗読を聞かせてくださる、元茨城放送アナウンサーの

藤田加奈子さん直々の指導を受けたということもあって、とっても上手でした。

 

よみきかせのあとは、春のスタンプラリーです。

記念館の敷地にかくされた7つのスタンプを探しだします。

 

 

ときには丘ものぼります。

スタンプは、記念館とおとなりの公園のなかでも春を感じてもらえるようなところに置きました。

公園内には元気なお子さんたちの声でとてもにぎやかで、

両手につくしを持った女の子もいて、訪れた春を楽しんでいただけたようです。

 

霞ヶ浦高校の生徒さんたちとは、これからもいろんなイベントでご一緒していただけたらと

思っております。

 

 

今回のブログは長くなってしまいました。

最後までお目通しいただきありがとうございました。

 

私学芸員Wは、3月いっぱいで予科練平和記念館を卒業することになりました。

準備の段階から丸7年間、このお仕事をさせていただいて、本当に感謝しています。

また、元予科練生をはじめとして、すばらしい人生の先輩方からいろいろ学ぶことができました。

いたらない私にとって、たくさんの方に支えられながら毎日全力ですごした大切な7年間でした。

支えてくださったみなさん、関わってくださったみなさん、本当にありがとうございました。

Wは、4月からも町のどこかで働いております。

見かけたときには、ぜひお声をかけてください。

 

「無始無終」という言葉があります。

仏教の教えだそうですが、始まりもなければ終わりもない、その逆もまたしかりということです。

終わりはまた新たな始まりです。

常に現在にいるということかも知れません。

 

それは、シェーンハイマーの理論にも似ています。

私たちは常に新しい物質を取り込んで置き換えながら体を維持している。

私たちを作っている物質は、もとは別のものであり、私たちでなくなった物質は

また別の何かになる。

世界中の物質は絶え間なく交流し、動きながら現在をつくっているのかもしれません。

 

今を生きるたくさんのみなさんが、すばらしい毎日をすごせますように。

心から願っております。

 

 

企画展「甲飛14期生」⑥

3月 20th, 2013

 急に暖かくなりました。

 梅が慌てて咲いたかと思うと、強い風が吹き荒れる日には忙しなく今年の花を散らせていく様子を見て、春の到来を落ち着いて迎えている私たちの心境とは言えないようにも感じられます。

 桜の開花は例年より1週間ほど早まっているとのことです。可愛い新入学生のためにも、桜にもう少し足踏みをお願いしたいような気持ちです。

 これも異常気象の影響なのでしょうが、しかし、暖かくなってくると「異常」という言葉を使いたくない気もします。待ち望んだ春です、よいことがたくさんあるといいですね。

 

 さて、昨年11月から開催してきた企画展「甲飛14期生~特攻が始まった年の入隊者たち~」の会期もあと10日ほどとなりました。これまでにも多くの方にご来館いただきましたが、気の早い今年の桜を見がてら、どうぞご観覧いただきたいと思います。

 今回は、進木亮(しんのき あきら) 氏 (甲飛14期・特殊潜行艇)をご紹介します。 

 

 昭和19年4月美保海軍航空隊へ第14期飛行予科練習生として入隊、以来1年が経過した頃、昭和20年5月中旬、わが分隊から30数名が転属不明、特殊兵器搭乗要員として選抜を受け、甲飛第14期第1次特攻隊要員に内定した。即日特攻隊は結成された。

 5月29日卒業式、そして雨天体操場で壮行会、恩賜の御神酒、その他昆布などが揃ったメニューのご馳走がでた。この日、ようやく転出先は大竹潜水学校「柳井分校」と知らされた。お世話になった分隊士、班長、班員に最後の挨拶を交わし、父から贈られた日本刀片手に衣嚢を担ぎ隊門に整列した。

 同期生、後輩15期生の激励見送りをうけ、互いに帽振れのなか思い出の美保空を後にした。大篠津駅で軍用臨時列車に乗車、集う村の方々の見送りに紛れて両親を見受けたときは驚きと改めて悲壮感を覚えた。そして遠くからこれが最後の決別と覚悟の敬礼を送った。

(中略)

 山口県熊毛郡佐賀村字田名(現在の平生町)に大竹潜水学校柳井分校(その後柳井潜水学校び改名)があった。瀬戸内海に突き出た「阿多閏半島」という東西約12キロ幅約300メ-トル程度のなまこ型の小さな半島がある。この半島全体が海軍用地で、手前が潜水学校、西南に「回天」特別攻撃隊の平生基地があった。

 われわれは、柳井駅で衣嚢を輸送車に積み込み、初夏を思わせる暑さのなか、8キロの道程を行軍、昼前学校に到着した。直ちに兵舎の割り当てをうけ教官に出迎えられ、注意事項伝達の後、予科練第一種軍装を返納して、五ツ釦の下士官服が支給された。下士官帽子帽章と二等飛行兵曹袖章をつける。事業服はなく、略服として薄褐色の五ツ釦、略帽は事業服と同色で一本線の下士官帽が支給されたが、下士官軍服は古着であった。

 6月1日、9時5分訓練場にて入校式。われわれはこの日晴れて海軍二等飛行兵曹に任官した。私の学校での配属先は第12区隊(内火隊)で、1班から8班までに分かれ、構成班員は8名の編成となっていた。この区隊は全員美保空出身者で編成されていた。

 任務は、特殊潜行艇、甲標的丁型「蛟龍」の搭乗要員。専門分担は内燃機関の講習で、当初6月から7月の2ヶ月間が予定されていたが、後日1ヶ月期間延長された。「蛟龍」は開戦時、真珠湾に投入された特殊潜行艇甲標的甲型(搭乗員2名)の改良型である。訓練は実習がほとんどで、座学の教本は赤表紙の極秘扱い、全教本は連番が刻打されており厳重保管の義務が附され、各専門の将校が担当し、教育を受けた。私は内火隊(内燃機関担当)に配属されたが、他に、電気隊、水雷隊、通信航法隊とそれぞれ区隊が分かれていた。ここで一人前の搭乗要員としての教育と訓練を受けることになる。

 学校正面入り江に係留された3,000トン級、伊152号潜練習艦を教材に乗船種々の実戦訓練を受けた。また、校庭の南側海岸寄りに「蛟龍」と「海龍」(S艇)の実物教材が置かれていた。7月、学校沖合に潜水艦伊58潜が停泊、隣接の回天基地から多聞隊「回天」6基を搭載、南方洋上に出陣していった。武運あれと祈る。

 7月下旬に入ると、教務訓練もほとんど進まず、その頃になると防空対策の強化、そして防空壕作業に明け暮れる日課となる。8月6日、新型爆弾が広島に投下されたことを10時頃知らされた。8月9日、長崎を新型爆弾が見舞ったことは知らされなかった。

 8月15日正午、総員訓練場へ整列をして放送を聞く。雑音がひどく、初めて聞く陛下の玉音は聞き取れないまま痛恨の涙で地に伏せた。終戦以来4、5日兵舎にあって指示を待つ。その間何もすることがなく、持参の日本刀を抜き、やたらと振り回してはやり場のない気持ちを鎮めていた。復員は22日頃から始まり、26日には終わりとなった。復員に際して一階級特進して、一等飛行兵曹に昇進した。(「回顧録」から抜粋)

震災から2回目の春がきました

3月 15th, 2013

みなさんこんにちは。

暖かい日が多くなってきましたね。

いかがお過ごしでしょうか。

 

幸いなことにまだ花粉症を自覚してはおりませんが、

時々原因不明のあやしいくしゃみと目のかゆみが気になるようになり、

もしかしたら…と思っている学芸員Wです。

 

茨城の梅もほぼ満開になりました。

本格的に冬を抜け出しつつあることを感じます。

 

予科練平和記念館のまわりにも、春が元気よく声をあげはじめました。

 

枯れ芝の中で、ひときわ目立つ黄色いたんぽぽ。

 

足元に目を転じると、ホトケノザが咲いています。

 

そして!つくしがでてきました!

 

 

1本見つけると、ふしぎに次々とつくしが目に入るようになって、

うっかり仕事を忘れてつくし探しの旅に出そうになります。

恐るべし春のつくしマジック。

 

 

 

先日、当館にすてきな方たちがいらっしゃいました。

今度、海軍の特攻隊をテーマにした演劇をなさる予定の俳優さんたちです。

ひととおり展示をご覧になったあと、元予科練生と、戦史に詳しい歴史調査委員さんの

お話をお聞きになりました。

 

 

2時間以上にわたって、熱心に聞いていらっしゃいました。

どんなことをお感じになっていたのでしょうか。

予科練生のことばを全身で受け止めた俳優さんたちの演技は、さらに迫力と説得力を

増すのではないかと思います。

感動と、歴史を再考する時間を多くの人にお届けする素晴らしい舞台になりますよう、

予科練平和記念館スタッフ一同応援しております。

 

『見上げればあの日と同じ空』は、4/4(木)~4/15(月)

紀伊国屋書店新宿本店4F 紀伊国屋ホールにて上演されます。

みなさんもぜひ、チェックしてみてくださいね。

 

『見上げればあの日と同じ空』 公式HP

http://www.amuse.co.jp/stages/sora/

 

 

 

暖かくなってきて、外に出る機会が多くなったのではないでしょうか。

来週23日(土)、予科練平和記念館ではお子様向けのイベントを開催します。

絵本のよみきかせと、前回好評だったスタンプラリーで、みんなで遊びましょう!

 

今回は、霞ヶ浦高校演劇部の生徒さんたちがよみきかせをしてくれることになりました。

どんな本をよむかは当日までのおたのしみ。

きっとわくわくする時間を作ってくれると思います!

 

よみきかせのあとは、予科練平和記念館とおとなりの公園にかくされた7つのスタンプを

さがして押すスタンプラリーをします。

前回はスタンプを探してお子さんたちが公園内を元気にかけまわっていましたが、

今回はどこにどんなスタンプがかくれているでしょうか?

お父さん、お母さんもお子様と一緒にさがしてみてくださいね。

スタンプと一緒に、思いもかけないところで春を見つけるかもしれません。

 

 

よみきかせ「おはなしおさんぽの会&春のスタンプラリーの会」

3月23日(土) 10:30~・14:00~ 

1日2回 1回約1時間(おはなし30分 スタンプラリー30分)

予科練平和記念館ラウンジにお集まりください。

参加無料 予約もいりません。

おさんぽがてら、手ぶらでお越しください。

 

※ 雨や大風などでお外に出られないときは、予科練平和記念館館内でできる

遊びに変更する場合があります。

 

 

前回のよみきかせのようすは、こちらをご覧ください。

https://www.yokaren-heiwa.jp/blog/?m=20121212

 

 

 

 

先日11日で、東日本大震災からまる2年が経ちました。

東北地方から関東を襲った3.11の大震災、翌12日の栄村を中心とする

長野県北部の大地震で、想像もしなかったような甚大な被害が出ました。

被災された方にとっては、2年経ってもまったく過去にならない大きなできごとだと思います。

慎んで、震災や関連するできごとによって命を落とされた多くの方々のご冥福を

お祈り申し上げます。

 

 

今、いろいろな場所で、震災に関連したテーマの展示が行われています。

もし、もう一度震災について考えてみたいと思ったり、何かしたいけれど

何をしたらいいのかな?と思っていらっしゃったら、

ぜひ博物館、美術館に足を運んでみませんか?

もしかしたら、探していた答えが見つかるかもしれません。

 

 

下記にリンクを張ったのは、私Wが見に行く予定にしているものです。

よかったらホームページをのぞいてみてくださいね。

 

茨城県立近代美術館 

「二年後。自然と芸術、そしてレクイエム」 ~3/20(水・祝)

http://www.modernart.museum.ibk.ed.jp/exhibition/kikaku/index.html

アートフォーラム特別展示 「3.11 ユニセフ東日本大震災報告写真展」 ~3/20(水・祝)

http://www.modernart.museum.ibk.ed.jp/exhibition/art/index.html#01

 

水戸芸術館

「坂 茂  建築の考え方と作り方」  ~5/12(日)

http://arttowermito.or.jp/gallery/gallery02.html?id=342

※3/24(日)14:00~国内外の災害支援プロジェクトの現場に携わってきた

坂茂アシスタントによるギャラリーツアーがあります。

 

3331アーツ千代田

東日本大震災支援「つくることが生きること」東京展 ~3/31(日)

http://tokyo.wawa.or.jp/

 

仙台市博物館

東日本名地震災復興支援「特別展 若冲がきてくれました -プライスコレクション 

江戸絵画の美と生命」 ~5/6(月・祝)

http://www.city.sendai.jp/kyouiku/museum/tenrankai/index.html

※仙台市博物館のあとは、岩手県立美術館と福島県立美術館を巡回します。

 

 

 

 

 

企画展「甲飛14期生」⑤

3月 6th, 2013

戸張礼記 氏(甲飛14期・陸戦特攻)

 

 昭和16(1941)年、地元(阿見)の君原尋常高等小学校を卒業し、県立土浦中学校(現土浦一高)に進学した。経済的に余裕があり父親が教育者という環境では自然の成り行きだった。その頃からいずれは軍人になりたいと思っていた。当時の男子ならだれもがそうだったように、飛行機乗りになって自由に大空を飛びたかった。

 部活動は滑空部に入った。校庭を拡張した訓練場で、長さ8メートルほどの翼を付けたグライダーを操縦し、初めて地上を離れた時の感激は今も忘れられない。漠然としていた空への憧れがより強くなった。

 昭和17年1月、父が突然倒れた。それまでは憧れで予科練に入りたいと思っていたが、父の死で、母や兄弟を守るために軍人になろうという気持ちが強くなった。

 昭和19年、中学4年のとき志願して予科練の入隊試験を受けて合格。6月1日、土浦海軍航空隊に甲種飛行予科練習生の第14期生として入隊した。土浦中学から約10人が同期で入隊したと記憶している。

 入隊して約1ヶ月間は外出も禁止で「新兵訓練」と呼ばれる基本的な訓練をみっちり仕込まれた。慣れないこともあり一番苦しい時期だった。明けても暮れても体力の限界に挑戦するような予科練の生活は、地獄そのもの。吊床に寝て「やっとこれで一日が終わった」と感じる時が唯一ホッとする時間だった。

 十歳年上の兄は日本大学本科の学生だったが、私が入隊して間もなく予備学生として土浦海軍航空隊に入隊した。(中略)ある日、兵舎内で吊床訓練をしていると、兄がいつの間にか窓の外に立って私を見ていた。訓練中だったので、声を掛け合うことはできなかったが、きっと兄は私のことが心配だったのだろう。その後、隊内で兄に会ったことは一度もなかったが、同じ所に肉親がいるというだけで随分心強かった。

 入隊から9ヶ月が経過した昭和20年3月15日、私たちの分隊は土浦駅構内の汽車の中にいた。青森県の三沢基地に転隊するためだ。部隊の移動は秘密で、敵艦載機の銃撃を避けるため移動は夜間に限られていた。昼は、シャッターを下ろした車内で、ただじっとしていた。退屈で仕方がなかったのを覚えている。三日三晩かかって、青森県の古間木駅に到着したのは真夜中。翌朝、小川原湖近くに点在していた仮兵舎に着いた。当時、三沢基地には土浦の同期約1千人の隊員はいたが、飛行場周辺に、飛行機を爆風から守る掩体壕を造るのが主な仕事だった。トラック用のガソリンも不足していたため、トラックに綱をつけて数人がかりで引っ張って動かした。体力的にもきつかったが、飛行機に乗れないことに何より失望した。

(中略)

 7月25日、三沢基地から大湊海兵団(青森県)に転隊になった。津軽海峡に近い、下北半島の石持という部落の山林に幕舎(テント)を設営して寝起きし、本土決戦に備え、自分で掘った直径1mほどのタコ壺に潜み、上陸してくる敵戦車の下に爆雷を抱えて飛び込む訓練を続けた。終戦はそこで迎えた。ラジオがなかったので玉音放送は聞けなかったが、幕舎の前に整列して「戦争は終わった」と聞かされた。あまりにも突然で、すぐには信じられなかった。負けるとは思っていなかったので実感がわかなかった。

(中略)

 8月25日、復員命令が出た。軍服や下着、配給米、毛布などの入った衣嚢を担ぎ、軍刀を手に汽車に乗り込んだ。途中、仙台駅のホームで一泊、飯盒めしを炊いたりしたのだが、駅員さんが何かと気を配ってくれた。時が時だけに人の親切が心に染みた。(「等身大の予科練」から抜粋)

エモーショナルな一日

2月 27th, 2013

みなさんこんにちは。

学芸員Wです。

今日は静かな雨が降った一日でした。

ここのところずっと乾燥したお天気が続いていましたので、

ほっと一息つける恵みの雨です。

暖かい日、寒い日が何日かずつ、「三寒四温」で交互にやってきて

少しずつ少しずつ、春に近づいているのを感じます。

 

 

先日、水戸市の偕楽園で見た冬至梅です。

早咲きの梅が、寒い中足を運んだ観光客を楽しませていました。

 

 

 

 

さて今日は、2月16日に行った「大人のための朗読会」と「冬の星空ファンタジー☆」の

ようすをお知らせしたいと思います。

 

 

 

「大人のための朗読会 加奈の小さなおはなし会」は、今回で2回目を迎えます。

 

 

元茨城放送アナウンサーで、現在は朗読活動を精力的に行っていらっしゃる

加奈さんが、ときに心ゆさぶり、ときに心に染みる物語を聴かせてくださいました。

今回は、朗読する『ニワトリおばけ』のイラストもあわせて展示しました。

 

 

最初の『ショールの女』(シンシア・オジック作)は、朗読で約30分の物語です。

ホロコーストの犠牲になった母と娘の物語が、悲しみの果ての慟哭のような、

水分を失ってからからに乾き枯れた木のような言葉で語られていきます。

全体的にモノクロームのイメージがある物語ですが、加奈さんの迫真の朗読が

そこに色を付けてゆき、何ともいえない悲しみの絵ができあがっていく、

そんな感じがしました。

 

シリアスなおはなしの後には、ホットティーのサービス。

今回もたくさんの方が聴きにきてくださいましたが、

みなさん温かいお飲み物で一息ついて、ゆるんでいらっしゃいました。

朗読を聴いていると、意外と体に力が入るものなんです。

 

続いては、加奈さんの恩師、西澤實先生の『ニワトリおばけ』『忠さんと制服』。

やさしい言葉で語られるのでとても聞きやすい物語ですが、あとからじわじわと

いろんなことを考えさせられます。

 

最後に、同じ西澤先生の『うまのおんせん』。

コミカルなお話で、約1時間の物語への旅が終了です。

 

終演後、多くのお客様が、お聞きになった物語の感想を一緒にいらした方同士で

語り合っていらっしゃいました。

心が動いたから、たくさんおはなしすることがあるのかもしれませんね。

みなさんの様子で、朗読会を楽しんでいただけたことがよくわかりました。

 

 

 

加奈さんの朗読は、4月13日(土)に予定している「平和のおはなし会」でも

お聞きいただけます。

ヒロシマ・ナガサキで被爆した方の貴重な体験談もあわせてお聞きいただけますので、

こちらにもぜひご来場くださいね。

入場は無料です。

 

 

「~平和のおはなし会~“今を生きる人たち”へ」

4月13日(土)10:00~12:00

予科練平和記念館ラウンジ 入場無料

 

第一部:ヒロシマ・ナガサキでの被爆体験のおはなし

第二部:加奈の小さなおはなし会

       『原爆詩集』 峠三吉著 より 2編

       『ニワトリおばけ』 ・『瀬戸内の鬼』 西澤實著

       『せかいでいちばんつよい国』 デビッド・マッキー著

       『海軍飛行予科練習生 遺書・遺詠・遺稿集』より 遺書、遺詠4編

       ※内容は変更になる場合があります。

 

共催:茨城県生活協同組合連合会ピースアクション実行委員会

お問合せ:茨城県生活協同組合連合会 ℡:029-226-8487

 

 

 

この日は、夜に「冬の星空ファンタジー☆in予科練平和記念館」が控えていたので、

お客様の様子を見ながら、朗読会の会場を星空天文学の会場につくりかえます。

強い風がなかなかおさまらず、館の外ではキャンドルイルミネーションと屋台の場所を

変更してセッティングしていました。

ありがたいことに、時間が経つにつれて少しずつ風もやみはじめ、

館の外にはすてきなイルミネーションが灯りました。

 

 

 

 

キャンドルでつくられたのは月と星。流れ星もありました☆ミ

 

強風で急きょデザイン計画が変更になってしましましたが、それでも

十分見ごたえがあるすてきな宇宙が、記念館の広場にお目見えしました。

奥にある青いピラミッドは、光る石がはいったグラスが重なってできています。

 

 

 

きれいですね。

たくさんの方が携帯やカメラで写真を撮っていらっしゃいました。

寒くて風も強い難しいコンディションの中、工夫を凝らして

すてきなキャンドルイルミネーションをつくってくださった

みと青年会の皆様、ありがとうございました!

 

 

 

館内での天文学講座も、とてもわかりやすくておもしろいと大好評でした。

教えてくださったつくば星の会の久保庭先生は、休憩なしで200名近い

お客様に不思議でスケールの大きい宇宙のおはなしを聞かせてくださいました。

きっとお疲れだったと思いますが、先生のおもしろさは最後まで途切れませんでした。

 

 

 

 

 

 

館の外で、つくば星の会さんの大きな天体望遠鏡で実際に星を眺めました。

空がきれいに晴れていたので、望遠鏡越しに神秘的な星の姿を目にすることが

できたのではないかと思います。

たくさんのお客さまにすばらしい宇宙をご案内してくださった、久保庭先生はじめ

つくば星の会の皆様、ありがとうございました!

 

 

展示解説員Sさん、Tさんと私Wは、「夜の記念館でクイズラリー」を担当。

「かんたん」から「すごくむずかしい」まで、4段階あるクイズの答えをさがして、

真っ暗な記念館をペンライトで探検するクイズラリーです。

 

 

 

写真では何がなんだかわかりませんが、参加してくださったお客さまが

ペンライトで展示を照らして答えを探しているところです。

 

クイズはとっても好評で、「もう一回!」とおかわりするお子さんもたくさんいらっしゃいました。

参加者には、売店で販売している「予科練の街クッキー」を1枚ずつプレゼント。

こちらも喜んでいただけました。

 

 

館内には、この時だけの演出も。

 

 

 

レーザー光線が飛んでいて、まるで宇宙をワープしているような空間です。

光線は次々と形をかえて天井の高い空間を彩ります。

ずっと見ていると、なんだか不思議なところに迷い込んだ気持ちになりました。

小さいお子さんたちが、空を見上げるように光線を見上げていた姿が印象的でした。 

 

 

最後に、久保庭先生が撮ってくださったお写真です。

  

 

 

星と、記念館と、キャンドルイルミネーションが全部一緒に写っています。

準備してきたみんなの記念になるようにという、久保庭先生の優しさ成分が

たくさんはいっています。

星を撮るカメラで写してくださっているので、記念館もまた、広い宇宙の下に

ある場所なんだな、ということがよくわかります。

 

ブログを読んでくださっている皆さんにも、このすてきな雰囲気が伝わるでしょうか?

 

 

ご来場のお客さまから、またやってほしいというお声をたくさんいただき

嬉しい限りです。

予科練平和記念館では、これからもいろいろなイベントを企画していきますので、

ぜひチェックしてくださいね。

 

ご来場くださいました皆さん、寒い中本当にありがとうございました!

 

ご協力くださいましたつくば星の会さん、みと青年会さん、深く深く感謝いたします。

町商工会のみなさん、あみ観光協会のみなさん、前回の「ナイトミュージアム!」の経験を生かして、

てきぱきとお客様をご案内してくれた展示解説員Sさん、Tさん、お疲れ様でした!

 

また一緒に、すてきなイベントができたらいいですね☆ミ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

企画展「甲飛14期生」④

2月 20th, 2013

濱中榮次 氏(甲飛14期・旧海軍105特攻加賀部隊)

 

 正式名称は、旧海軍の横須賀鎮守府付「海軍第105特別陸戦隊」。当時の隊員は、空挺特攻隊などと呼んでいた。部隊の司令は海軍少佐加賀誠氏(海兵65期)。

 隊員は土浦海軍航空隊甲飛14期出身者が主体で、若干の衛生、主計、砲術等の一般将兵を加え編成された約500名の部隊だった。

 昭和19年にはマリアナ諸島(サイパン、テニアン、グアム)、フィリピンなどが陥落し、翌昭和20年には硫黄島、沖縄などが激戦の上占領されるなど、戦況は一層不利となっていった。昭和19年からは連日のようにB29による大規模空襲が全国の軍施設や主要都市に向けて行われていた。

 特に、マリアナ諸島のアメリカ軍基地にはB29約1,300機が駐留していることを海軍も把握していた。隊の目的は、昭和20年8月、月明かりを利用して一式陸攻や銀河などで出撃し、マリアナ諸島、硫黄島のB29基地を奇襲し、B29を徹底的に破壊するという特攻作戦だった。

 海軍は、アメリカ軍が沖縄周辺に主力を置きマリアナ方面の警戒が薄いと見て、この奇襲作戦が成功するのではないかと考えていたようである。特攻による波状攻撃が成功すれば、日本本土への本格的空襲が当分緩和され、本土決戦態勢の強化、また講和・終戦への筋道をつけることが可能という望みをもっていたと考えられる。

 当時、部隊への作戦伝達は口頭による極秘が貫かれたようで、文書や通信機器は一切使用されなかったらしい。よって、今日、この作戦を裏付ける正式文書は見当たらないとされている。戦後における元司令の談話や元隊員たちの手記や語り等で、当時の状況がかなり明らかになり今日に及んでいる。

 当初は沖縄戦に間に合わせるため部隊編成は昭和20年2月と予定されていたが、諸事情で7月になった。編成は昭和20年7月末に横須賀海軍砲学校で行われた。私は、加賀部隊第2中隊第6小隊第3分隊所属で、当時の階級は飛行兵長だった。この横砲は「トンネルくぐれば軍紀風紀の風が吹く」と言われたところである。私が105部隊員として短い在隊中、兄と偶然出会い何日か語り合ったところであり、昼夜問わずの激しい空爆下での訓練が行われたところであり、思い出も多い。訓練としては、自動小銃(ビルコマン)の扱い、徒手体操、敏捷さを身につけるための駆足の他、夜目を慣らすために夕方出発して山野を駆け巡る陸戦訓練などが行われた。秘密部隊の編成や当初訓練のために横砲は格好の場所であったのか、8月中旬まで17日間滞在した。

 昭和20年8月14日夜半、全隊員が集合し、横須賀から軍用列車で秘密裡に出発した。行き先は北海道千歳特攻基地と聞いていたが、三沢基地に変更となった。

 8月15日の終戦は全隊員がこの列車の中で迎えた。東北線古間木駅で下車後、広場で司令から終戦が伝達され。三沢基地に何日か待機することとなる。特に混乱もなく、皆次の指示を待っていた。やがて横須賀に戻り、部隊の大半は横須賀対潜学校付となり、作戦中止後の終戦処理(残務事務、重要書類焼却、武装解除、物品現金等の運搬授受)にあたった。部隊の一部は戦闘機搭乗員たちの反乱が懸念された厚木基地に派遣され、警備の任についた。私たちはNPの腕章を付け、外部からの不穏分子進入警戒と、連合軍の無事な進駐のための準備にあたった。武装部隊の出動は、正しく組織訓練され秩序が維持されていなければならず、私たちはよくその任を果たしたと思う。

 8月28日にアメリカ軍の進駐が始まり、マッカーサー将軍も到着した。小型機、輸送機、ジープ、無線技術、そして将兵達の様子を見て日本との大差を強く感じた。やがて105部隊の武装解除となったが、内地では最後ではなかったかと思う。

(「旧海軍105特攻加賀部隊について」から抜粋)