よいお年をお迎えください

12月 27th, 2013

 冬至を過ぎ、半年先の夏至に向けてまた日一日と昼間が長くなっているはずです。

 はずですが、日の出が遅く、起床してもまだ暗い朝は、新春を迎えるとは言いながら、まるでこれからやってくる厳しい寒さを思わせられるようです。

 しかし、地にじっと伏せているような草木も虫たちも、太陽から、来たる春のメッセージをしっかりと受け取っていることでしょう。そう思うと、日が短くなるばかりだった冬至という峠を過ぎためでたさが感じられます。

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 予科練平和記念館も大過なく正月を迎え、また1月4日から新年のお客様をお迎えできそうです。

 何気ない、平凡で、しかし平和なこうした日常こそ、厳しい時代を生きた元予科練生が望んだものと言えるでしょう。

 無事に年を越せることに心から感謝しつつ、家族や友人など、身に近い和を常に保ちたいものです。

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 今年1年の間に皆様からお寄せいただいたご厚意に心よりの感謝を申し上げます。

 また来年もこれまで以上に予科練平和記念館をお引き立て下さいますよう、どうぞ、よろしくお願い申し上げます。

家族を想う

12月 15th, 2013

みなさまいかがお過ごしでしょうか。

12月も半分を切りました。早いもので、今年もあと2週間足らずで終わってしまいますね。

寒さもいよいよ本格的となり、毎朝布団から出るのに精神力を消耗しています。

 

そんな年末は様々な行事がありますね。もう忘年会は済まされましたか?

大晦日はもうすぐです。年賀状の発送に、お正月の準備・・・、おっと大掃除を忘れていました。

さすが師走。年末はみんな大忙しですね。

そんな忙しい年末に、大人に子どもに、みんなに大人気のイベントがあります。

そう、クリスマスです。

日本語のクリスマスの語源は、「Christ(キリスト)のmass(ミサ)」に由来するそうです。

キリスト教において、クリスマスは「降誕を記念する祭日」と位置付けられています。

この時期になると、街中やお家の庭先に様々なイルミネーションも飾られてとてもきれいですね。

子どもたちは、サンタさんからのプレゼントの内容を期待して、今から落ち着かない気持ちになっていることでしょう。

このサンタクロースですが、他の国ではプレゼントを配るのは別の存在だったりします。

たとえば、イタリアでは魔女の「ベファーナ」、ドイツでは「降誕祭の男」や「キリストの子」等と呼ばれているそうです。

北欧では、妖精がプレゼントを持ってきてくれるそうですよ。

サンタクロースがプレゼントを持ってきてくれるのはイギリス式だそうで、アメリカも一緒です。

日本もこの考え方が一般化しているみたいですね。

 

さて、そんなせわしなく日々が過ぎていく年の瀬、予科練平和記念館はこんなことをしています。

まずはご報告です。去る11月23日(土)によみきかせ「おはなしおさんぽの会」を開催しました。

読み聞かせ30分、昔の遊び30分の一時間。午前と午後の2回実施です。

前半部分は読み聞かせです、当日は同じ町内にある霞ヶ浦高校の演劇部の生徒さんたちにおすすめ絵本をよんでもらいました。

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絵本の読み聞かせが終わったら、こんどは昔のおもちゃをつかってみんなであそびました。

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竹とんぼや紙ふうせん、けん玉やお手玉、折り紙などを用意しました。

当日はお天気も良く、たくさんの方に参加していただけて、我々職員もみなさんと一緒になって楽しく時間を過ごさせていただきました。

 

続いて、今後のイベントのご案内です。

12月17日(火)~平成26年3月2日の期間で、企画展「~海軍将校を目指す教科書~海軍兵学校と予科練」を開催いたします。

当館に寄贈いただいた資料の中から、広島県江田島にあった海軍の士官学校である海軍兵学校の教科書を中心に、

勉強の内容や予科練への影響、関わりなどを開設する展示をおこないます。

当館では、期間を区切って、様々な内容の企画展示をおこなっています。

通常の展示だけでは伝えきれない内容や、別の視点から予科練へと目を向ける内容となっておりますので、是非ご覧ください。

 

年末から年始にある様々なイベントは、他の時期のものと違って、「家族」というものに焦点をあてたものが多いように感じます。

普段は離れて暮らしている方も、年末は実家に帰って、大掃除を手伝って・・・

お正月はみんなで初詣、帰ったらおせちを食べて、初売りも行かなくちゃ・・・なんて。

先ほど書きましたクリスマスも、キリスト教圏では、主に家族と過ごし、クリスマスツリーの下にプレゼントを置く、

プレゼントを贈る気持ちである「愛」の日でもあるそうです。

家族を想う気持ちは、場所が違っても、宗教が違っても変わりません。

 

きっと68年前も、変わらず家族を想っていたでしょう。

 

忙しい年の瀬ですが、身を切る寒さになりつつあります。皆様お体ご自愛ください。

師走は、やはり忙しいか?

12月 6th, 2013

おはようございます。こんにちは。もしくは、こんばんは。

12月です。

いろいろと慌ただしい年の瀬ですが、いかがお過ごしでしょうか。

「師走」なんて名前ですと、なんだか暦にも急かされている気さえしてきます。

普段の会話でも「12月になると師が走り回るほど忙しいとは、よく言ったもんだ」と言うような毎年恒例のセリフが、ちらほら聞こえてきました。

 

ですが、どうも「師走」の語源は不明なようです。

もちろん有力な説として、師(坊主)が仕事先(檀家)を走りまわるほど忙しい月

「師馳す月(しはすつき)」

から生まれたとの話はあるのですが、間違いなくこれ。と断定はできないそうで。

他の説としては、一年が終わると言う意味の「年果つる月(としはつるつき)」が短くなって「しはす」になった説。

やる事がすべて終わったと言う意味の「為果つ月(しはつつき)」が短くなって「しはす」になった説。

元々数字の十二を「しはす」と呼んでいて、漢字は後世で当てた説。などなど。

 

他にも説があるので、お暇なら調べてみるのも……いや師も走るほど忙しいので難しいですね。

とにもかくにも、語源の中で「師が走る」説が一番有名なのは、実際それぐらい忙しい。という説得力と実感からそうなっているのかなと思われます。

 

 

 

去る平成25年11月10日(日)に第2回 予科練平和記念館「学習会 ~史跡探訪~」が行われました。

まず日程変更や連絡の不備など関係者にはご迷惑をおかけしました事を、お詫び申し上げます。

さて、今回の史跡探訪では「谷田部海軍航空隊」を中心に、つくば市周辺の予科練関連の史跡をバスで巡りました。

当日は雨が今にも降りそうな天気でしたが、幸いにも終了まで雨は降らず予定どおり終えることが出来ました。

参加者皆様のご協力、ありがとうございます。

以下は訪れた史跡、施設の一覧と見た順番となります。

  ①つくば市国土地理院「地図と測量の科学館」→

 ②つくば市小白硲(こじらはざま)「鹿島神社」→

 ③つくば市筑波学園病院内「記念碑」と「谷田部海軍航空隊神社」→

 ④土浦市烏山「土浦海軍航空隊神社」

 

行先について簡単に解説いたしますと、①の国土地理院「地図と測量の科学館」は国の施設で地図についての博物館です。

入館料は無料で、事前に団体で申し込みをすればガイドもつきます。

今回直接の戦跡ではない、この施設を行程に入れたのは、谷田部海軍航空隊の情報を集めるにあたり「史跡」があまり残っていないので、新旧の地図を資料として使ったということが一つ理由にあります。

阿見町にありました「霞ヶ浦海軍航空隊」もそうですが、現在当時のまま建っている建物、史跡がほぼありません。

では、どうやって分かりやすく「谷田部海軍航空隊」があった事を伝えられるかと考えてみて地図に思い当たりました。

当日の資料では国土地理院からCDデータで購入した昭和22年当時の航空写真を加工して、現在の航空写真を並べて載せました。すると、道路の区割りなどに当時の面影が残っているのが確認できます。

そんな訳で、参加者の皆さんにも、史跡を調査する際にはそういった編集の方法や、地図の入手方法について知っていただきたく選定した訳です。そんな理由を抜きにしても、映像やガイド付きの観覧は面白いので、皆様も足をお運びいただければと存じます。

 国土地理院「地図と測量の科学館」 住所:茨城県つくば市北郷1番 

 Tel: 029-864-1872 / Fax: 029-864-3729

 国土地理院ホームページhttp://www.gsi.go.jp

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次の②「鹿島神社」には、予科練教育の部隊である土浦海軍航空隊内にあった「土浦海軍航空隊神社」の鳥居、灯篭が移転されております。

移設の経緯は詳しく分かっておりませんが、予科練平和記念館調査委員の聞き取り調査や文献調査によると、当時の葛城村村長が中心となって、戦後に国の払い下げを受けて運んできたとのことです。

この場所では、実際調査にあたった戸張歴史調査委員から説明がされました。

 「鹿島神社」 住所:茨城県つくば市小白硲516 

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③の筑波学園病院では、当初は谷田部海軍航空隊の兵舎を利用して建てられ、平成10年頃まで病棟として利用されておりました。

現在、その建物は残っておりませんが本年5月に建立された「記念碑」と、近くに建っている「谷田部海軍航空隊神社」が航空隊のあった事を示しています。

当日は神社の横で戦後のことをよく知る戸館さんという方のお話しを聞くことができました。

もしも、こちらに訪れることがありましたら、「記念碑」が建っているのは病院敷地内ですので、他の方のご迷惑にならぬようお気を付けください。

 一般財団法人筑波麓仁会「筑波学園病院」 住所:茨城県つくば市上横場2573-1

 「谷田部海軍航空隊神社」 上記の筑波学園病院南側 農場研修センター隣

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④「土浦海軍航空隊神社」は、②と同様に「土浦海軍航空隊神社」の移転先です。

現在は横田さんと言う方が個人で社を守っておられます。移転の経緯ですが、当時霞ヶ浦海軍航空隊の士官集会所の書記をされていた横田さんの祖父が、終戦後当時の司令官に許可を得て移転してきたそうです。

残念ながら御神体は失われており、現在あるのは社だけとなっております。

 「土浦海軍航空隊神社」 住所:茨城県土浦市烏山3丁目

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最後は、予科練平和記念館、12月のイベントのご案内です。

21日(土)17:00から予科練平和記念館情報ラウンジで音楽鑑賞会が行われます。演奏者は霞ヶ浦高校の吹奏楽部の方達です。

翌22日(日)14:00から予科練平和記念館情報ラウンジで当館調査委員 井元潔さんによる講演会「土浦海軍航空隊を巣立った海軍予備学生」が行われます。

翌23日(月)14:00から予科練平和記念館情報ラウンジで元予科練11期生 坂口定雄さんによる講演会が行われます。実際に戦場を爆撃機で飛ばれた方で、当時のお話しを語っていただきます。

3日連続のイベントで、正に師走らしく忙しく充実した月となっております。職員一同、気をひきしめていきますので、どうぞよろしくお願いします。

イベント報告「JAF共催イベント」

11月 29th, 2013

 つるべ落としに夜を迎える季節となりました。また、朝日が昇る時刻も遅くなっています。冬がやってきました。 

 今秋の紅葉は近年で一番の美しさ、鮮やかさだったのではないでしょうか。昼間はまだ暖かいのに、急激に冷え込む今年の天候の恵みか、予科練平和記念館周囲の桜紅葉しかり、お隣の雄翔園の楓、銀杏しかり、すばらしい景色を見せてくれました。ありがたいことです。 

 そんな満足感もあるせいか、冬を迎える心も穏やかな気がします。大掃除、正月準備と、年末年始に控える一勝負に対しても余裕を持ち、そして「多忙はウェルカム」くらいの感じです。

 

 本年、平成25年に入ると、天災への警戒心が和らいだこともあってか、多くの旅行者が予科練平和記念館にお立ち寄り下さいました。

 予科練平和記念館は、先人が遺してくださった戦争をしないで済むこの平和な社会をどのように後世へ伝えていくべきかを考え、また実践することをメッセージとして発信しています。

 来たる平成26年には、更に一人でも多くのお客様にご来館いただき、日々、メッセージを受け取っていただきたいと願っています。折しも、憲法や治安などの問題からある種の不安を感じざるを得ない時です。戦争を知らない者が社会を作る正念場を早くも迎えているのかもしれません。気を引き締めていきましょう。

 

 予科練平和記念館が発信するメッセージには「難しいことを考えず遊びに来てほしい」という、子どもさんに向けたメッセージもあります。

 阿見町内でも日当たりがよく、霞ヶ浦が間近で、記念館隣には児童公園あり、また雄翔館・雄翔園あり、と記念館周辺は遊びにも適した憩いの場です。

 私たち職員は、まず予科練平和記念館に親しんでいただきたいと希望しています。毎日毎日、子どもに「戦い、死」など重く、難しい課題について考えていただくことはないと思うのです。しかし、息が出来るのは酸素のおかげ、とふとそのありがたみに気付くように、今享受している平和社会がある理由に気付く機会をこれからもずっと持ち続けていただきたいと考えています。

 そして、家族で楽しく遊ぶことは「平和」のための何よりの薬ではないでしょうか。

 予科練平和記念館はそのような趣旨の下、子ども向けのイベントも多く開催しています。

 去る9月14日(土)には、JAFのご協力を得て共催イベントを開きました。

 内容は屋外イベントとして、

・ミニトレイン(県南ミニトレイン同好会の皆様のご協力を得ています。大人気です)

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・シートベルトコンビンサー(時速約5km/hでの衝突実験を通じてシートベルトの重要性を学べます。)

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・水ヨーヨー釣り(JAF職員の方々が汗かきながら作ってくださいました。大人気でした)

 また、屋内イベントとしては、

・子ども安全運転免許証(写真を撮って免許証を発行してもらいました。子どもたちは大喜びでした)

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・バルーンアーティストの飛び入り参加もありました(阿見町職員のボランティアです。子どもたちは大喜びで、記念館職員もこの技術を是非とも身につけなければならないと肝に銘じました)

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・読み聞かせの会(記念館の職員3名が子ども向けの絵本を朗読しました)

 当日は天気にも恵まれ、イベントは大成功でした。子どもの笑顔、親子の屈託ない明るい笑顔は、きっと明るい明日を生み出す力になると思います。

 予科練平和記念館としては、このような「遊びの場」を提供できることに大きな喜びを覚えます。よい遊びから良い未来を生み出す場所として、予科練平和記念館を皆さんの手で大きくしてください。

イベント報告「音楽鑑賞会」

11月 1st, 2013

 なんだか11月になりました、という感じなのですが、皆様はいかがでしょうか。今年も残すところあと2ヶ月です。やり残しのないよう、しっかりと平成25年をまとめていきたいものです。 

 しかし、時が経ったのも当然のことで、予科練平和記念館で7/27(土)から始まった特別展「空をめざした少年たち-陸軍少年飛行兵と予科練」は去る10/27(日)、無事に3ヶ月の会期を閉じました。

 会期中には2万人を超える大勢のお客様にご来館いただきました。心より御礼申し上げます。ありがとうございました。

 今後も展覧会やイベントの充実に取り組んでまいりますので、引き続き、どうぞよろしくお願いいたします。

 

 これからご紹介する「音楽鑑賞会」も特別展初日に開催されました。特別展の成功を導くかのように、すばらしい音楽鑑賞会となりました。

 今回は、中村めぐみさんに歌唱をお願いする会でした。

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 中村さんは、学生の時から西洋音楽を引き続き学んでこられました。最近では介護の現場でもボランティア歌唱を続けてきたそうですが、高齢者を活性化させる手段として音楽がたいへん有効であることを再認識するとともに、軍歌についてご自身の認識を改めたということです。

 つまり、戦争を経験しない世代の中村さんにとって、戦争のあった時代に生まれた軍歌というものを通して、かつて間違いなくあった戦争の時代を想像することができ、必死に時代と向き合った人々の思いが伝わってくる、即ち時代文化を直観する財産として軍歌を見直すようになったそうです。 

 このことは、右翼的な軍歌賛美の態度でないことはもちろん、戦争また戦争の時代の事実を正確に後世へ伝承し、先人が遺してくれた戦争のない社会を後世に引き継ぐという目的に寄与しようする予科練平和記念館の活動主旨にまったく合致するものでした。

 現在、さいたま市にお住まいの中村さんはご両親とともにご来館されました。

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 音楽鑑賞会が始まろうとする夕べには、まるで暑気払いをするかのようにさっと夕立が走り、たいへんフレッシュな空気に満ちていた予科練平和記念館の内外でした。

 演目をご紹介すると「学徒動員」「ああ紅の血は燃ゆる」「若鷲の歌」「明日はおたちか」「同期の桜」「靖国神社の歌」「リンゴの唄」「故郷」の8曲を歌っていただきました。

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 歌う声もさることながら、歌唱の前に一つ一つの曲に対する中村さんの思いが披露され、その真摯な姿勢に参加者皆が共感し、また感動することができたと思います。

 これまで予科練平和記念館では「レコード鑑賞会」として音楽的なイベントを開催してきましたが、レコード鑑賞とはまた異なる、新しい一歩を中村さんのお力を借りて記すことが出来ました。

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 すばらしい音楽鑑賞会を授けてくださった中村めぐみさん、どうもありがとうございました。

 改めて、心より御礼申し上げます。

イベント報告「春の史跡探訪」

9月 11th, 2013

今年も9月に入りました。空に穴が開いてしまったのではないか、と疑われる暑さも朝夕にはすっかり大人しくなり「やっぱり秋は来るんだ」と思わせられます。

今夏の酷暑も過ぎてみれば思い出に落ち着き、今度は「もう正月か」とおそらく言い、思う日があっと言う間にやってくるのでしょう。「光陰矢の如し」を実感するときです。

 

今年度も予科練平和記念館は多くの方々に来館いただいています。ご来館いただいた皆様には心より御礼申し上げます。

今年は学徒出陣70周年にあたり、2年後には終戦70周年を迎えます。予科練の歴史を通して戦争について考え、先人が遺してくださった、この戦争をしないで済む社会を後世に引き継ぐためにはどうしたらよいか考える、という使命を予科練平和記念館は負いますが、これからは戦争を経験したことがない人間同士が学び合いながらこの重要な課題に取り組むほかありません。皆様のますますのお力添えをお願いいたします。

そうした活動の一環として、予科練平和記念館では「史跡探訪」というイベントを行っています。阿見町および県内の戦跡、史跡を中心に巡り、歴史を学び現在に還元することが主旨となります。

今は昔、という程ではありませんが、去る6月上旬に春の史跡探訪を行いました。

今回は、現在新聞紙上でも話題に上ることが多い、筑波海軍航空隊跡(友部)を中心に見学しました。

東京に近い茨城には戦前比較的多くの軍施設が展開されましたが、この筑波海軍航空隊跡はかつて零戦も飛び立った航空隊の面影をよく残していると思います。

現在は道路となっている滑走路跡しかり、旧本部庁舎しかりですが、印象的だったのは格納庫跡から誘導路を経て滑走路へのイメージが持ちやすく「あの零戦もここから飛び立っていったのか」と何か音さえ探せるような気持ちをもてたところです。

もちろん戦争に関わる施設を賛美するわけにはいきませんが、ある時代に生きた人の、命がけで生きた証しというものには、時代を超えた説得力があるように思います。

現在、茨城県立こころの医療センターとなっている筑波海軍航空隊跡地ですが、建物の一角には筑波空関連の資料室も作られ、往時を偲ぶにはたいへん貴重な場所です。もし見学を希望する場合には、医療センター事務にお申し込み下さい。可能な限り対応してくださるそうです。

「陸」と「海」と「空」と15日

8月 20th, 2013

おはようございます。こんにちは。もしくは、こんばんは。

前回の更新から大分時間が空いてしまいました。

楽しみにされていた方には、大変申し訳ありません。定期的な更新が出来るよう、担当職員一同、努力していくばかりです。

なにとぞ、お付き合いの程よろしくお願いいたします。

 

 

早速ですが、予科練平和記念館の近況の御報告です。

去る8月10日(土)、11日(日)の2日間。阿見町立かすみ公民館にて、当館主催でイベントを開催しました。

7月27日(土)より開催している特別展『空をめざした少年たち 陸軍少年飛行兵と予科練』に合わせまして、元陸軍少年飛行兵であった、成迫政則さんをお招きして御講演、御対談いただいたものです。

両日ともに、気温が30度を超える真夏日にもかかわらず、多くの人にお集まりいただきました。

1日目が講演会「元少年飛行兵の体験談を聞く会」。

2日目が対談「陸軍少年飛行兵&海軍飛行予科練習生」です。

当日の様子ですが…と、それを、お伝えする前に、そもそも「陸軍少年飛行兵」とはなんだろうと、思われる方もいらっしゃると思いますので、そちらからご説明しようと思います。

 

簡単に言ってしまえば、陸軍のパイロット養成教育を受けた10代の少年達のことを言います。 

予科練の制度に似ているなと思われた方、その通りです。

「陸軍少年飛行兵」を極めて乱暴に、短く説明するなら、「陸軍版 予科練」とも言えるのです。

当時、日本の軍隊は「海軍」と「陸軍」の二つの組織で構成されておりました。

現在ですと、軍で飛行機と言えば「空軍」を思い浮かべますが、当時日本に空軍はなく、海軍と陸軍は、それぞれ独自に航空戦力を持っていたのです。

そういう訳で、日本軍には大きく二つの航空戦力部門があり、お互いにまったく別の組織だった訳です。ですから、そこで働くパイロットを養成する専門課程も、二つ存在しました。

そのうち、海軍の専門課程を受けた人を「海軍飛行予科練習生」。

そして、陸軍の専門課程を受けた人達を「陸軍少年飛行兵」と呼んだのです。

 

ちなみに、予科練の制度が出来たのは昭和5年(1930年)。少年飛行兵の制度が出来たのは昭和8年(1933年)。

若干、予科練の方が成立が早く、最初に書いた「陸軍版 予科練」の言い方も、できた順番のみで言えば間違いはなかったりもします。

設立年度の話を書いたので、ついでに各国の空軍の設立年度を書いておきますと、アメリカ空軍は1947年。中国(中華民国)の空軍は1929年。ドイツ空軍は1935年。イギリス空軍は歴史が古く1918年となります。

また「空軍」を各国の軍隊で持っている現在でも、「陸軍」「海軍」ともに戦闘機やヘリコプター、無人偵察機等の航空戦力を持っていたりします。

よその組織から借りて来るより自前で持っていた方が、運用するのが楽なのでしょうかね。

 

閑話休題。

話を元に戻しまして、イベントの様子です。

講師の成迫さんは昭和3年10月22日生まれ。84歳。

昭和19年に大分陸軍少年飛行兵学校に入校。

昭和20年、終戦は大分で迎えられました。

戦後、就職の後、昭和29年、専修大学に御進学。

昭和31年に御卒業の後、教職に就かれ、公立小中学校に勤務。

東京都の秋川市立御堂中学校校長を務められ、御退職されました。

現在は東京にお住まいで、御自身の体験をお話するだけではなく、数多くの文化活動もなさっております。

     

大変精力的な方で、8月の頭には九州で講演されたとのこと。

今回のご講演でも、両日共に、時間一杯お話をいただきました。

 

入隊当時の世の中の状況や、入隊後の体験。特攻作戦へ志願したときの状況や、終戦後部隊で遺書を書いたことなど、お客様方もじっと聴き入っている様子で、1時間30分と言う時間が、あっと言う間に過ぎ去る講演でした。

二日目は、初の試みと言う事で、元予科練生の戸張礼記さんとご対談いただきましたが、こちらの構成の拙さで対談ではなく、交互に講演いただく内容となってしまいました。大きな反省点です。

大迫さんと戸張さんの御経歴は、似ている部分も多くありまして、そういった事もたくさん話していただければよかったのですが…

お二方の体験や、お話は貴重であったのに難しいものです。

 

 

 

8月15日(木)の無料観覧日では、800人を超える多数のお客様に御来館いただきました。

 

 

大きな声を出す人や、騒いだりする人がいる訳でもないのですが、開館から閉館まで賑わいのある日となりました。

そのせいか閉館後の事務仕事をしていると、普段は気にならない静けさが、妙に気になったりもしたものです。

 

8月15日は、お盆であり、終戦記念日でもあります。

御存知のとおり、お盆は御先祖さまが現世に里帰りする行事ですが、7月に行う地域もあり、その風習は全国さまざまな形があります。

当館のある茨城県阿見町では、8月13日にお迎えした御先祖さまを15日の日暮れの後、提灯に灯りをつけてお墓に送っております。

そして、講演の際、成迫さんや戸張さんのお話にも出た終戦の日。

ラジオの前で聞かれた玉音放送は、お二方とも雑音がひどく聞き取れず、放送の後も攻撃作戦のために待機命令が出されました。

お二方共に、8月15日にはまだ戦争は終わっていなかったとの感想でした。

勿論、本土決戦か否か、と言った時ですから、お盆のことなどは頭になかったそうです。

 

1945年のお盆。御先祖様達や戦死された人達はどうしたのだろうと思いつつ、帰宅後、私もお盆のお参りをいたしました。

皆様はどんな8月15日を、過ごされましたでしょうか。

梅雨の空

6月 19th, 2013

おはようございます。こんにちは。もしくは、こんばんは。

すっかり梅雨空です。

 

 

農作物には恵みの雨ではありますが、その一方、じめじめとして、カビが猛威を振るい始める季節でもあります。

木造で風通しの良かった昔の日本家屋と比べると、現代の家は気密性が高くなり一年中カビの恐怖に晒されるようになりましたが(お風呂場やクーラーの中等々)、梅雨の時期ともなればその繁殖力は段違いに跳ね上がります。

もちろん予科練平和記念館にとっても他人事ではありません。

虫の被害と並んで、カビは資料保存の大敵です。

紙を変色させ、資料の寿命を短くし、最悪破壊してしまいます。

資料を触るときには手袋をしますが、その理由の一つにカビの防止があります。手の垢も十分にカビの温床になってしまうのです。 

 また、資料を保管庫に入れる時などには、きちんと燻蒸(くんじょう)して、虫やカビ、菌を消毒してからでないと大変危険です。

うっかりカビを侵入させてしまうと保管庫内で大繁殖してしまいます。

職員一同、より気を引き締めて資料を管理しなければと決意を新たにしている次第です。

 

 

 

 

予科練生もまた、梅雨には困らされたようです。

元予科練生の歴史調査委員の方に聞いてみると、梅雨の思い出として、2つのエピソードを聞かせて頂きました。

 

まずは「洗濯物」。

現代でも頭痛の種ですから、さもありなん。

予科練では、自分の服や下着は自分で洗う決まりになっており、全自動洗濯機などありません。自分の下着は洗濯板で手洗いです。

これが、なかなかの重労働ですが、少しでもさぼうろうものなら日々の訓練で吸った汗が悪臭を放ちだします。

悪臭の元は、先ほど同様カビです。

そして、きちんと洗濯しても、くだんの天気です。乾燥機もないため、干してもなかなか乾きません。

カビは一度生えると、胞子で増殖します。

もしかしたら、無精な人も居たかもしれません。そんな人が一人でもいると…

 容易に想像できるのでこの辺にいたしますが、とにもかくにも洗濯物では大変な思いをしたそうです。

  

もう一つの話題は、「インキン」です。

御存知ない方に説明いたしますと、男性の陰嚢で発生する真菌(カビの一種)が原因の皮膚感染症です。

想像しづらい方は、水虫の痒みが股間に移ったものとご想像ください。原因は一緒です。

そう、ここでもカビです。

調査委員の方の話では、梅雨のある日。誰かの菌が風呂場でうつされたらしく、同じ隊の複数人が罹患。痒くてしょうがなかったそうです。

その後、なんとかしてもらおうと医務室に行って治療を受けるのですが、その時に使われたのはサリチル酸。

サリチル酸は水虫対策等に今でも使われており、患部に塗って処置するのですが、これが焼けるような感じがして相当にスースーするもの。

そこで予科練生の皆さん、我慢できずに精進川(現 花室川)横の土手で患部を丸出しにして、帽子であおぎながら涼んだそうです。

 

 

 

基地内とは言え、なかなかに凄い光景ですね。

 

数日たつと、薬を塗った場所の皮膚が剥け落ちて完治したそうですが、本当にカビは怖いです。

現代でもプールや銭湯でうつる可能性があるので、体は清潔にしましょう。

男性の皆様、お気を付けくださいませ。

 

 

 

 

6月10日(月)に慰霊祭が執り行われました。

場所は、土浦市大岩田の法泉寺です。

御存知の方もいらっしゃいますでしょうが、法泉寺は県立土浦第三高等学校の西側にあるお寺です。

 

 

当日は、当館調査委員の方々も参列し、記念館からも献花いたしました。

 

 

上の写真は法泉寺にある、犠牲になられた方の慰霊碑です。

 

阿見町は昭和20年(1945)6月10日(日)にB-29他による大規模な空襲に見舞われました。

予科練生の居た土浦海軍航空隊だけではなく、阿見町は海軍施設が集中していたため攻撃目標となり襲撃を受けたのです。

犠牲者は数百人に上ります。予科練の建物も過半数が破壊されました。

丁度日曜日だったので、予科練生に面会に来た家族の方々も巻き込まれてしまったそうです。

当館の展示室6では、その時の証言映像や落とされた爆弾の破片を展示していますが、それが人に突き刺さったのかと思うと、ぞっとします。

御遺体は荼毘に付され、残った御遺骨は法泉寺で供養されたそうです。

ただただ、ご冥福をお祈りするばかりです。

 

 

 

洗濯物で困っていた話やインキンの話。

阿見町の空襲の話。

まるで印象が違いますが、同じ場所で起こった出来事です。

戦争中でも面白いことはあったでしょうし、楽しいこともあったと思います。

日常生活が戦争で一気に豹変し、悲しいことも酷いこともあったと思います。

 

梅雨のもやもやとした空を見上げて、もやもやと結論もない、そんなことを考えてしまいました。

皆様はいかがでしょうか。

祝!20万人

6月 11th, 2013

みなさま、いかがお過ごしでしょうか。

 

予科練平和記念館では、6月9日(日)に来館者数20万人を突破いたしました!

前日から、職員が記念セレモニーの準備をして待ち構えているなか

20万人目のお客様をお迎えしました。

 

 

記念すべき20万人目のお客様は

美浦村からお越しいただいた伊藤重治さん伊藤利津さんご夫妻と

一緒に来館された、お孫さんの加藤空ノ輔くんと加藤向日葵ちゃん。

 

 

空ノ輔君と向日葵ちゃん二人一緒に、認定証を町長より贈呈させていただきました。

 

記念のくす玉も割ってもらい、教育長から絵画の贈呈もあります。

 

 

美浦村に住んでいるおじいちゃんおばあちゃんの家に、

泊まりにきていた空ノ輔くんと向日葵ちゃん。

いつも隣の公園に遊びに来ていたそうですが、

今日は偶然当館にも遊びに来てくれたそうです。

 

 

「ちょっとびっくりしたけど、うれしい!」

と喜んでくれました。

 

 

予科練平和記念館は平成22年2月2日に開館し、今年で開館四年目を迎えました。

本当に多くの方々のご支援を受けて、今日も開館することができています。

展示品のどれをとっても、持ち主の方々が戦時中のさまざまな思いを秘めて

寄贈してくださったものばかりです。

そんな当館に、20万人目の来館者をお迎えすることができたことを、

非常にうれしく、そして非常に有り難く感じております。

 

 

 

 

話は変わりますが、以前当ブログでもご紹介したツバメの雛達が先日、無事に巣立ちました。

 

 

かつてこの地で訓練に明け暮れていた少年たちが

憧れの眼差しで見上げていた空を、ツバメたちが自由に飛び交います。

 

雛達にとっては、初めての世界。

いったいどんな気持ちで、大空を翔けているのでしょうか。

 

今日は、20万人目のお客様をお迎えした後の最初の開館日です。

私たちも、新たな気持ちを胸に、これからの予科練平和記念館をつくっていきたいと思います。

 

 

皆様のご来館を心よりお待ちしております。

 

衣を替えて、気分を変えて

5月 29th, 2013

おはようございます。こんにちは。もしくは、こんばんは。

5月も今週で終わり、来週からは6月です。

6月と言えば、衣替えの季節。登下校中の中学生、高校生の制服も涼しげになることでしょう。

かく言う予科練平和記念館でも一足先に衣替えを行っておりまして、5月から阿見町役場 統一基準のクールビズとなりました。

男性陣はネクタイが外され、女性陣も制服の上着を脱いでおります。

皆様はお気づきになられたでしょうか。

 

 

歴史を紐解けば、平安時代の宮廷行事には既に衣替えがありました。時代が下り、鎌倉時代の衣替えでは、服どころか調度品まで替える一大イベントになっています。

今とは気合いの入れ方が違いますね。

旧暦なので現在の日付(6月1日)とは暦がずれて、4月1日からの衣替えですが、もはや一種の文化行事です。

昔の人の気構えを思い、私達も薄着と言う事で、だらしない恰好にならないよう気を付けていきたいと思います。

 

ちなみに、日本海軍が参考にしたイギリス海軍では衣替えはありません。そもそもイギリスでは季節での寒暖の差があまりなく、英語自体に、「衣替え」という意味の言葉がないのです。

明確な日付がないので、一般の人々等は寒ければ長袖、暑ければ半袖と、めいめい勝手に服を替えているそうです。

 

 

 

さて、そんな日本の風物詩である衣替えですが、もちろん予科練生にも衣替えがありました。

6月1日に一斉に行われるのは現在と同様ですが、一度に夏服から冬服へと完全に変わった訳ではないようです。

当館で活動している歴史調査員の方に伺ったところ、まず6月1日に上半身は夏服、下半身は冬服の、通称「ハンクロ」スタイルに衣替えします。

このハンクロは、漢字にすれば「半黒」と書きましょうか。

夏服である第2種軍装の上着の色は白で、冬服である第1種軍装のズボンの色は黒。

(正確には濃紺ですが、この場合は黒と呼んだようです) 

 

 

 

「半分だけ黒」だから「ハンクロ」ですね。

そして、一ヶ月後の7月1日に、もう1度衣替えをして上下共に夏服となります。

6月では、まだ肌寒い日もあると言う事でこういった移行期間があったようです。

近年は温暖化の影響なのか、6月は既に夏と言う気もしますが、昭和の6月はどうだったのでしょう。

暑かったのか、寒かったのか、暖かかったのか。

 

季節の変わり目は体調を崩しやすいですし、日射病、熱射病の恐れもある時期です。

予科練生のように、余裕を持った衣替えで、お体ご自愛くださいませ。