「予科練ツバメ」はいかがですか?

6月 29th, 2014

 夏至を過ぎました。

 もう昼間が短くなり始めています。こんなことを言えばペシミスティックに聞こえるかもしれませんが、冬至から半年の経過を思うと、この半年を無事に生きられたことに安堵しながらも、なにか寂しさを感じてしまいます。

 そんな低調な気持ちを吹っ飛ばしてくれるようなギンギラギンの夏を望んでもみますが、今年はエルニーニョ現象の影響で大雨・冷夏の予報が出ているようです。

 これからの夏、これからの半年に一体どのような物語が生まれるのでしょうか。

 

 さて、予科練平和記念館エントランスにはカメラが設置されているのですが、平成24年からカメラ上部に燕が巣を作り、雛が巣立つようになっています。このブログでも何度かご紹介しました。

 今年も燕が巣を作り、雛が生まれています。3期生、と言ったところでしょうか。

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 実は昨年の巣立ち後「翌年のために」と、空になった巣を大事に保存してきたのですが、人間の勝手な好意に反して燕は卵を産もうとしませんでした。

 そんなこんなで気を揉んでいたある嵐の翌日、巣が綺麗に取れているのを発見しました。風雨のいたずらか、あるいは悪戯小僧の愛嬌か、とにかくそれが吉となったのでした。

 今回の主役となったつがいはせっせと泥を積み重ね、あっと言う間に愛の巣を完成させました。

 その後しばらくして親鳥がご飯に行っているとき巣を覗いてみると、今年はまず4個の卵が産まれていました。昨年はやはり4個の卵から3羽の雛がかえりましたので、この燕はきっと同じ血筋だと思っていました。

 人が近づいても、雀がいたずらに来ても親鳥が絶対に動じない様子が6月始め頃に見られたので、覗く機会を待ち続けることある一瞬、親鳥が巣を離れた隙に覗いてみたら毛がない「ET(古い?)」のような雛が4羽眠っており、その後ろに新しく2個の卵が産まれていたのでした。

 眠っている雛は、茄子の丸漬けが小さい容器にきちんと収められている、まるでそんな趣でした。可愛いと言うより、生命力、野性味そのものを感じました。

 その時、親鳥の甲高い警告が鳴り響いていたのは言うまでもありません。ごめんなさい。

 その親鳥が頻繁に巣を離れ、餌を運んで来るようになったのが6月20日過ぎでしょうか。薄い黄色のくちばしが5個並んでいたので、今年は5羽がかえったのだと分かりました。写真の左奥に写っているのが5男坊です。

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 やはり、先に生まれた4羽より体が小さく、どうしても兄貴(姉?)たちに押しのけられてしまうようでした。

 生き延びられるか心配しましたが、今日になると随分逞しくなり、兄貴たちの背中に乗りかかって親から餌をもらっている様子を目にすることが出来ました。一安心です。

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 予科練平和記念館カメラでは燕の産卵は年に1度のようです。今年の吉例にならって、雛が巣立った後は綺麗にお掃除して、来年の新居建設に協力をしようかと考えています。

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 温泉好きの方はご存じだと思いますが、新潟県妙高山麓に「燕温泉」があります。妙高山頂(2,446m)が手の届く所に見える、しかし道半ばの標高約1,100mくらいにある閑静な温泉街です。場所によって若干の違いはありますが、白濁の硫黄泉で、疲労回復には効果てきめんの実にありがたい温泉です。

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 燕温泉という名の由来は、どうも燕が多いからのようですが、本当にスイスイと軽やかに舞っています。極楽に住む鳳凰は甘酒を飲んで身を美しく保つと言われますが、燕温泉の燕たちはよい温泉に浸かって、またちょっと一杯舐めながら美を保っているかのようです。

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 燕に恵まれた温泉が「燕温泉」であるなら、燕の故郷となった予科練平和記念館は何と名付けられるべきでしょう?「予科練燕」が誇りに思える愛称を考えていただけないでしょうか。

「海軍航空隊ものがたり」をご紹介します。

6月 12th, 2014

 梅雨に入りました。

 正月を迎え、新年を言祝いでから半年が経ってしまいました。日が長くなったと喜んでいたら、まもなく夏至を迎えるのですね。

 今年こそ充実しているような、なんとなく今年も過ぎて行っているような、皆さんはいかがお過ごしでしょうか。

 

 さて、予科練平和記念館では「海軍航空隊ものがたり」を、3月末に上梓しました。

 これは「阿見と予科練」「続・阿見と予科練」に続く第3集になります。

 海軍航空隊ものがたり

 予科練平和記念館には歴史調査委員という近代阿見町の歴史を中心に調査・研究している先生方がいらっしゃいます。

 先生方のご成果は、あるときは展覧会に、またあるときはこうして本になり、余すところがないまるで茨城特産のアンコウのようなものです。

 予科練平和記念館職員もたいへんお世話になっています。

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 海軍航空隊ものがたりは8章から成り立っています。

 

「第1章 予科練」

・戦没予科練生の家族との便り

・特攻隊「回天」「桜花」「震洋」と予科練

 

「第2章 海軍飛行予備学生」

 

「第3章 霞ヶ浦海軍航空隊よもやま話」

例として、

・阿見町の零戦製造工場

・93式中間練習機の翼布塗料

 

「第4章 阿見町と聯合艦隊司令長官山本五十六元帥」

 

「第5章 阿見町の兵役と銃後の守り」

 

「第6章 予科練万葉集」

 

「第7章 元予科練生・予備学生インタビュー記録及び手記」

例として、

・伊藤進 氏(予科練第1期生)

・角田和男 氏(乙種5期・零戦パイロット)

・塩月昭義 氏(甲種13期・回天搭乗員)

 

「第8章 予科練平和記念館の歩み」

 

 概要も概要ですが、全体像は以上のようになります。

 

 人間には生死の別れという定めがあります。第7章でご紹介した伊藤進さん、角田和男さんも今は故人です。戦争があった時代を生き抜き、そして現代まで長く人生を歩んでこられた方々の言葉には、現代人が発し得ない重みがあります。

 私たちのような戦争を知らない、そして平和のありがたみも本当に分かっているのかどうか危ぶまれる人間たちには、本当に貴重な教訓をこの本から得ることが出来ます。

 

 一人でも多くの方に読んでいただくことを心より願っています。

 

 定価:3,500円

 販売:予科練平和記念館売店

    ※遠隔地にお住まいの方には、書籍代+郵送料、を現金書留でお送りいただくという方法もございます。

     詳細は予科練平和記念館まで。℡ 029-891-3344

防衛大臣がご来館になりました

5月 24th, 2014

 

 今年も花との出会いが早まっている、と先回のブログでも書きましたが、アヤメもまた然り、のようです。

 例年、6月には、こちら予科練平和記念館へ潮来のアヤメ祭を満喫された後にお立ち寄りくださるお客様が多くいらっしゃいます。他の花々の早熟ぶりに待ちきれずか、アヤメの成長も1週間ほど早いように聞きました。百花繚乱を締めくくる紫の花々も、今年は美しく咲き誇るように予想されています。

 梅雨入り前の爽快な空気にも包まれて、本当に生きているだけで喜ばしい季節です。

 

 さて、ご紹介が遅くなりましたが、今年の桜も落ち着いた4月16日(水)に、小野寺五典(おのでら・いつのり)防衛大臣が予科練平和記念館を視察されました。

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 当初、1月20日に予定されていましたが、自衛隊に事故が起きたこともあり延期となっていました。今年の冬はとりわけ寒かったですから、暖かくなった4月にお越しいただいたことで、この阿見町への印象もアップしたのではないかと思います。天の助けは日頃の行いがよかったおかげ、と考えておきましょう。

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 当日は、ご到着地の霞ヶ浦駐屯地に朝からものものしい警備が敷かれているのを見て、大臣が移動することはとても大変なことなのだと実感しました。

 そのようなご多忙の中、また警備も大変な中、予科練平和記念館を視察いただけたことはとても光栄なことと考えました。

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 当日は予科練平和記念館長をはじめ、阿見町職員がお迎えし、館内をご案内しました。

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 「予科練」は歴史の教科書にも掲載されていない事柄ですから、あるいは小野寺大臣におかれても、知悉されているとは言えなかったかもしれません。

 予科練平和記念館歴史調査委員でもいらっしゃる、元予科練甲飛14期生・戸張礼記氏がご案内に加わると、小野寺大臣もさらに傾聴してくださったように思われました。

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 現在の複雑な国際情勢においては、様々に難しい問題が存在し、単純に割り切ることが難しいことばかりなのだと思います。

 しかし、戦争があった方がよいのか否か、つまり「国と国とで人の殺し合いをした方がよいのかしない方がよいのか」という問いに対しては、何時でも何処でも簡単に答えが出せることでしょう。

 戦争を知らない世代に属する予科練平和記念館職員が職務に就く際肝に銘じているその事柄について、きっと小野寺防衛大臣にもご理解いただけたのではないかと考えています。

 館を離れる際に「ありがとうございました」と小野寺防衛大臣は言ってくださいましたが、その言葉の強さや目の輝きからも、予科練平和記念館が発信する平和へのメッセージを確かにお受け取りくださったと私たちは考えています。

夏へ

5月 10th, 2014

 今年も花との出会いが早まっているようです。

 例年なら黄金週間中に1年ぶりの対面を果たすツツジや藤も、4月の終わりには盛りの姿を見せました。気候の関係で花々にもしっかりした理由があって咲いているのでしょうけれど、いつにない早熟ぶりを見ると「前もって予告してくれないか」とでも花々に希望したい気がします。

 予科練平和記念館も色とりどりに取り囲まれました。ありがたいものです。

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 さて、予科練平和記念館では月に2回ほど、各種のイベントを催していますが、今回は3月22日(日)に行われた「おはなしおさんぽの会」をご紹介します。

  いつもありがたいことですが、まず霞ヶ浦高校演劇部のお兄さんお姉さんたちに、小さな子どもさんへの読み聞かせをお願いしました。

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 子どもたちは本と読んでくれるお兄さんお姉さんたちの顔をじっと見て、目を輝かせて集中していました。子どもの頃に本を読んでもらった記憶は、大人になってからもたいへんよい思い出として残るものです。今回遊びに来てくれた小さなお友だちが過ごした時が、よい時間であったことを祈りたいと思います。

 

 それから、今回初めて「おもちゃの病院」を開催しました。

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 昔と今ではおもちゃの種類も質も異なりますが、壊れてしまっても捨てられない、いつまでも大事にしておきたいおもちゃはいつの時代にもあるものでしょう。今回は、土浦生涯学習センターでボランティア活動をされている「ドクター」に来ていただきました。

 物を大事にする心は人を思いやる心に通じると思います。人を思いやる心に満ちた社会はきっと明るい社会になるはずです。予科練平和記念館としては、おもちゃドクターのお力を借りながら「物を大事にする心」を育んでいきたいと考えています。

 

 また、昔の遊びとして、今回は紙とんぼ作りも行いました。いつもは放課後児童クラブなどで、やはりボランティア活動をされている先生方に来ていただき、楽しい一時をもつことができました。

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 遊びというものは、ほんのちょっとした工夫で何倍にも楽しくなるということを教えられます。これは、遠い将来にも役立つ「知恵」を養うことにつながると思います。

 みなさん、賢くなる遊びを予科練平和記念館でしてみてください。

 

 あと、音楽の遊びも今回初めて開催しました。演奏会を開いていらっしゃるプロの方々にボランティアでご協力いただきました。

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 昨年の秋に予科練平和記念館はピアノのご寄贈を受けましたが、ピアノも自分を生かしてくれる人に巡り会えて、さぞかし喜んでいたことと思います。

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 楽しい音楽、美しい音楽を聴いていると、心が大きく開いていくことを感じます。大きく広がった心には色々なことが吸収されていくでしょう。また、赤の他人であったお隣りさんと友だちになってしまうこともあるでしょう。

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 美しい音を奏でる力をもった方々のお力を借りて、よい明日を自身に導いてこられるよう、みなさんどうぞご参加ください。

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 予科練平和記念館ではイベント情報を随時ご提供いたします。

 予科練平和記念館で楽しい、有意義なひとときをこれからもお過ごしください。

祝!25万人

3月 27th, 2014

みなさま、いかがおすごしでしょうか。

 

本日3月27日、予科練平和記念館では、来館者数25万人を突破いたしました!

小雨の降る少し肌寒い陽気となってしまったなか、

お迎えした記念すべき25万人目のお客様。

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埼玉県 越谷市からお越しいただいた片野 凌さん。

片野さんは大学生で、今春から4年生に。

今日は、卒業論文のための勉強に当館へお越しいただいたそうです。

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記念のくすだまを割っていただいた後、25万人の認定証と、

ささやかながら当館で用意した記念品をお贈りしました。

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このあと、館内をじっくりと時間をかけてご覧になっていました。

片野さんの研究に、少しでもお役にたてればうれしいです。

 

 

予科練平和記念館は今年2月2日に開館四周年を迎えました。

有難いことに毎年たくさんのお客様にお越しいただき、

25万人というおおきな節目の数を迎えることができております。

お越しいただいているお客様、ご支援をいただいている方々への感謝の気持ちを忘れずに、

これからも、展示、運営をしていきたいと思います。

最近

3月 25th, 2014

みなさまいかがおすごしでしょうか。

先週には、春一番が吹きまして、暖かな陽気を運んできてくれました。

気温は上がってきているのですが、当館の周りには風を遮るものが少ないので、相変わらず風は強いです。

風さえなければ過ごしやすい春先、館内ラウンジにある大きな窓から降り注ぐ穏やかな陽光が気持ちいい今日この頃です。

 

最近は、阿見町の商工観光課主導で実施されている、移動販売車が当館に来ています。

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当館の入口左側が定位置です。

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ヤーコンを使用したコーヒーや、湯苺を使用したスウィーツなどを販売しています。

町内のイベントなどへ出店したりもしますが、基本的には当館入口横にて販売をおこなっております。

土日も出店していますので、お隣の公園に遊びに来た方もご利用いただけます。

コーヒーは館内の無料ラウンジでお飲みいただけますし、お土産においしいスウィーツはいかがでしょうか。

 

 

さて、そんな予科練平和記念館ですが、現在、企画展「予科練生たちの日常~少年の素顔~」を実施しております。

連日厳しい訓練に明け暮れていた予科練生たちの、日々の姿を残した写真や、実際に使われていた品などを展示しています。

 

そんな展示品のなかで、今回お話するのは、予科練の制服についてです。

予科練の制服と聞いて、まず思い浮かぶのが「七つボタン」と呼ばれていた詰襟の制服です。

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この制服は予科練というイメージの大きな部分を占めていました。

そんな「七つボタン」ですが、じつは予科練の存在していた昭和5年から昭和20年までの15年間のうち、たったの3年間しか使用されていません。

昭和17年に服制が改正され「七つボタン」になるまでの12年間、予科練生たちは全く別の制服を着用していました。

木村孝正さん

海軍の伝統的な制服、水兵服です。いまでもセーラー服という名前で有名ですね。

女子中学生などが制服として着用している姿が良く見受けられます。

もちろん予科練生はみんな男性なのでスカートは穿いていませんよ、上着と同系色のズボンを着用していました。

 

当時は通称ジョンベラとも呼ばれていたこの水兵服。

通称の語源は、イギリス人を意味する「John Bull(ジョンブル)」という単語だと言われています。

今回の展示では、このジョンベラ姿の予科練生たちの写真も展示されています。

 

休日の外出時にクラブで寛ぐ彼らの姿を見ると、表情から歳相応の幼さを見て取ることができます。

軍人としての顔ではない、その人その人の普段の姿が感じ取れます。

 

 

すっかり気温も上がり、過ごしやすい日々が戻ってきました。

お休みの日に散歩がてら、移動販売車の売店をのぞいてみたり

無料で入れる館内ラウンジでのんびり読書をしに来ていただけるのを

予科練平和記念館スタッフ一同お待ちしております。

予科練の暖房

3月 16th, 2014

おはようございます。こんにちは。もしくは、こんばんは。

先日、予科練平和記念館の入場者数が24万人を超えました。

これは予科練制度15年間の入隊者数24万人と、ほぼ一緒の数字です。

また、平成26年2月2日(日)には、当予科練平和記念館は4周年を迎えました。

単純に比べられるものでもありませんが、入場者数が入隊者数を追い抜くことができましたので、次は15周年、20周年と時間の方でも制度を追い抜きたいと思います。

これらもすべて皆様のおかげです。

ありがとうございました。これからも、宜しくお願いいたします。

 

 

今回は、予科練の暖房の話です。

先月は記録的な雪も降り、まだまだ寒い日が続きます。

天気予報では、そろそろ暖かくなるそうですが、最近の異常気象ぶりをみていると油断はできません。

3月とは言え寒さが残る中、皆様のお宅では冬の暖房器具は何をお使いでしょうか。

エアコン、ストーブ、炬燵(こたつ)に電気カーペット。

冬の就寝時には湯たんぽが手放せないなんて方もいらっしゃるかもしれません。

しかし、予科練の暖房器具はそのどれでもありません。

当時の戦艦や軍艦と同様に機関部から出たスチームを利用して暖を取っていたようです。

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上の写真は予科練生が就寝時の兵舎巡検の様子を写したものなのですが、写真の右側。

柱の所に金属製の管があるのが御覧いただけると思います。

これが暖房器具です。

阿見町歴史調査委員の方にお聞きすると、当時土浦海軍航空隊では敷地内に機関室があり、その機関(エンジン)で熱を作り、蒸気を出していました。

部隊の敷地内には、いたるところに機関室につながるパイプが張り巡らされており、その蒸気の熱で部屋を暖めていた訳です。

他にも、この蒸気は炊事やお風呂を沸かすなど色いろな用途に使われたそうです。

実際、熱を効率的に使うためか炊事場は機関室に隣接して建てられています。

言うなれば土浦海軍航空隊は蒸気暖房だったわけですね。お風呂は、スチームバスと言ったところでしょうか。

ちなみに機関を動かす燃料はガソリンではなく炭です。それも石炭ではなく、安価な「粉炭(ふんたん)」だったそうです。

暖房ひとつとっても、なんだか新鮮な驚きがあるものです。

 

 

 平成26年3月4日(火)から第七回テーマ展『予科練生たちの日常 ~少年の素顔~』が開催されております。

 今回の展示では、七つ釦(ボタン)の制服以前の水兵服や予科練の入試問題、教科書などにより、常設展の展示から予科練生たちの日常へ一歩踏み込んだものになっております。

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予科練生が実際使用した教科書を元に作製した冊子もありますので、予科練生の勉学を手に取って確認していただくのはいかがでしょうか。

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春を迎える

2月 5th, 2014

 豆を蒔き、鬼を追い出し、福は内、と今年の春を迎えましたが、立春の今日は午後から久しぶりの雪を見ることになりました。

 今年は例年になく暖かな1月で、これも異常気象かと思いながらその暖かさを喜んでいたものでした。花粉症の早い訪れに目をこすりながらも…。

 雪が降ると、雪に慣れない茨城の者は「春遠し」と短絡的に思いがちですが、清めの雪、また潤いの雪、と考えることもできるでしょう。人間の生の営みに欠かせない清い水を、雪という白さで飾ってくれました。

 この日の夜は雪のために明るく感じられたはずです。

 

 さて、去る1月26日(日)には、昨年から開催となった「寒中祭」が行われました。

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 正月を過ぎると、外は寒いし、日暮れもまだ早いし、となんとなく寂しくやることが少ない1月の生活に「喝」を入れる寒中祭です。

 参加者が皆乾布摩擦を「えいしょ、えいしょ」とするわけではなく、とにかくみんなで楽しく遊びましょう、ということが祭りの趣旨になります。

 今回は、予科練平和記念館のイベントには欠かせないミニトレインの運行はもちろん、県南生涯学習センターボランティアの方々にご協力をお願いし、たいへんにぎやかな遊びの集いとなりました。

 演目は以下の通りでした。

◇ミニトレイン

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◇腹話術

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◇マジック

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◇バルーンアート

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◇押し花しおり作り

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◇ストロー笛&紙ホイッスル

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◇的当て

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◇パチンコ・迷路

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◇CDこま

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 当日はたいへん多くのお客様にお越しいただくことができました。

 予科練平和記念館に親しんでいただくことで、戦争を知らない人間がこれからの社会を作っていかなければならない、という大きな課題にも向き合っていただけるのではないかと考えております。

 今後も予科練平和記念館では各種のイベントを開催してまいります。

 皆さん、どうぞお気軽に遊びに来てください。

 ご来館を心よりお待ちしております。

遥かなる先輩

1月 28th, 2014

 

みなさまいかがおすごしでしょうか。

 寒い日が続いていますね。

先日、朝起きると、車にうっすら雪が積もっていて驚きました。

昼前にはきれいに晴れたのですが、まだ筑波山方面にはどんよりと雲が残っていて

風が強かったせいか、晴れているはずの予科練平和記念館の周りに

雪が降っていました。

天気雨ならぬ天気雪とでもいうのでしょうか。

すぐ止んでしまいましたが、なかなか見られない光景で、心に残っています。

 

 

 

さて、当館には そんな寒い日々の中でも、元気に活動をしているおじいちゃんたちがいます。

今回は、そんな元気なおじいちゃんたちを紹介したいと思います。

 

まずご紹介するのは、戸張礼記さん。

当館で資料の収集や、調査研究を行っている歴史調査委員です。

なにを隠そう、この戸張さん、元予科練生です。甲種第14期海軍飛行予科練習生

今から68年以上前、当館の隣にあった土浦海軍航空隊で

日々猛訓練に明け暮れていたのです。

85歳になった今でも、その体力は衰えていません。

 

戸張さんが予科練に入隊した時期は、多くの予科練生たちが特攻へと駆り出された時期と重なります。

数多くの先輩たちが特攻部隊へと配属されていく中、

残された自分には何ができるのか、どうすればいいのか考えます。

 

戸張さんが出した答えは、伝えることでした。

68年以上前に終わった戦争の事は、言い換えれば68歳以下の人は知らないことです。

実際にその目で、体で体験したことを今を生きる人たちに伝えたい

戸張さんは、当館に来館される人たちによくお話をしています。

戦争で亡くなった先輩たちの事、先輩たちの想い、自分が残された意味

小学生や、親子連れ、観光でいらした方や自衛隊の方

皆さんにお話をしています。

 

最近は動画編集ソフトを駆使して、自身で作成したパワーポイントの資料を

ナレーションや動画を入れた一つの映像とするために、編集に勤しんでいたりします。

恐るべきパワーです。

鍛え方が、私なんかとは次元が違いますね。

 

 

 

続いてご紹介するのは、井元潔さん。

戸張さんと同じく、当館の歴史調査委員の方です。

井元さんは、当館が建っている阿見町の、当時の姿を調査しています。

 

たとえば調査の一つとして挙げられるのが、海軍飛行予備学生について。

当時、多くの予科練生が訓練に明け暮れていた、土浦海軍航空隊ですが

実は、多くの海軍飛行予備学生の練成地でもありました。

ですが、この事実はあまり良く知られていません。

海軍飛行予備学生制度は昭和8年に始まり、

終戦までに約1万5千人の飛行予備学生が入隊しています。

戦死された方は2千5百名にものぼり、特攻で亡くなられた方も約700名もいらっしゃいます。

その主な入隊先が土浦海軍航空隊だったのです。

みなさんご存じでしたか。

 

自分たちが住んでいる場所で、昔どんなことが起こったのか

どんな人たちがいて、どんな生活を送っていたのか、

昔を知る方たちは、もうほとんど残っていません。

 だからこそ、知っておかなければいけないのかもしれません。

 

阿見町は海軍の町として発展してきた背景を持っています。

そんな背景もあって、当時はたくさんの人たちが集まっていました。

今が過去を知る最後のチャンスなのかもしれません。

 

井元さんには、来月講演会をしていただく予定です。

内容は「阿見町の兵役」について

日本は明治初期から昭和20年の終戦時まで兵役に服する義務がありました。

現在は阿見町の一部となっている旧朝日村の資料の中に

兵役に関する貴重な資料が残っていました。

朝日村役場で兵事係をしていた青山さん(故人)のお話などを基に

当時の阿見町周辺の兵役について、お話をしていただます。

2月22日(土)14:00~ 予科練平和記念館情報ラウンジにて

興味のある方は是非聞きにきてください。参加は無料です。

 

 

 

そして、最後を飾るのは岡野正さんです。

この方にも来月、講演会をしていただく予定となっております。

岡野さんはちょっと異色です。

予科練ではなく、少年飛行兵出身。

少年飛行兵とは、陸軍において飛行機搭乗員を養成するための制度をいいます。 

つまり海軍ではなく、陸軍の方です。

お会いしたきっかけは、昨年夏に当館で開催させていただいた

陸軍少年飛行兵を扱った特別展でした。

岡野さんは第7期陸軍少年飛行兵

太平洋戦争開戦前に軍隊へと入隊した岡野さんは

戦時中、様々な戦線を経験されました。

満州からマレー半島、ビルマ、そしてフィリピンへと

あるときは飛行機で、ある時は船で、ある時は陸路で

長大な距離を移動していました。

そして、フィリピンのルソン島の森の中で迎えた終戦。

岡野さんは、当時の思い出を淡々と語ってくださいました。

 

太平洋戦争当時のお話を実際に聞くことができるのは

そう多い機会ではありません。

ましてや、実際に戦線を経験された方のお話では、なおさらです。

岡野さんももう92歳という高齢の方です。

ぜんぜんそんなふうには見えませんが・・・ 

やはり鍛え方がちがうのでしょうか。

 

岡野さんの講演会は、2月23日(日)14:00~

場所は当館の情報ラウンジです。通常観覧料金が必要となります。

とても貴重なお話を聞くことができる機会です。

興味のある方は是非ご来館ください。

 

 

 

寒いのにかこつけて、まったく体を動かさない今日この頃

遥かなる先輩方を見習って、体力をつけねばと思うこのごろです。

 

皆様もお体にお気をつけて

冬来たりなば、春も来て?

1月 22nd, 2014

おはようございます。こんにちは。もしくは、こんばんは。

新年あけましておめでとうございます。

遅ればせながら、今年一度目の更新ということで西暦2014年、平成26年の新春のご挨拶をさせていただきました。

本年もよろしくお願いいたします。

 

さて早速ですが、新春と言う事で今回は春の話題を一つ。

皆様が季節で「春」と言えば、寒さが緩み、草が芽吹き、虫が動き出す、3~5月くらいの時期を想像される方が多いのではと思われます。

しかし、旧暦の季節区分では1~3月が春に分類されています。先ほど申し上げた「新春」や「迎春」のように正月に春が使われるのは、その名残です。

今の感覚ですと1月2月は、まだまだ寒く、真冬の感があるのに不思議なものです。

実際気温データを見てみると、今月に入ってからの冷え込みは12月より厳しくなっております。

暖かくなるはずの春。昔と今で、この2ヶ月間のズレは、どこから来ているのでしょうか。

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まず思いつくのは旧暦から西暦に切り替えられたときのズレです。

もしかしすると旧暦では1月は既に暖かかったのかもしれません。

調べてみますと、今年の1月31日が旧暦の1月1日に当たります。1ヶ月のズレは解消できましたが、それでも今の2月。まだ寒いような気がします。

では、考え方を変えてみましょう。そもそも暦の上で春とはどう言う基準で決まっていたのでしょうか。

春の始まりの日である「立春」は、一年間で昼の一番短い「冬至」と、昼と夜が同じ長さになる「春分」の中間の日です。

また、春の終わりの日は、夏の始まりの日である「立夏」の前日で、「立夏」は「春分」と、一年間で昼の一番長い「夏至」の中間日となります。

つまり暦の上では、昼夜の長さが季節の基準と考えられていたようです。

そこで再び日付を調べてみますと、昨年の「冬至」は12月22日で、その日を旧暦換算すると11月20日です。

続いて今年の「春分」の日は3月21日。旧暦換算で2月21日。「夏至」は6月21日。旧暦換算では5月24日となります。

これで今年の春の期間を表してみると…

 「立春」2月4日(旧暦換算1月5日)~「立夏」前日5月4日(旧暦換算4月6日)

おお、辻褄が合いました。

季節は12ヶ月を均等に4等分しますので、基準日である「春分」や「冬至」の前後1ヶ月がその季節となるようです。

そういうわけで、春分の日がある旧暦2月の前後1ヶ月(1~3月)が春になるわけです。

意外にも気温は関係なかったようですね。

 疑問は解決しましたが、暦が「春」でも寒い日が続くのは変わりません。風邪など召されませぬよう、皆様お気を付けくださいませ。

 

  

 

去る平成25年12月17日(火)から、平成26年3月2日(日)までの会期で、第6回テーマ展『~海軍将校を目指す教科書~ 海軍兵学校と予科練』が開催されております。

今回は、予科練平和記念館にご寄贈、ご寄託いただいた資料の中から海軍兵学校の教科書を中心に構成した展示となりました。

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展示名にもある海軍兵学校は、明治9(1876)年に誕生し、終戦の昭和20(1945)年までの約70年の間、大日本帝国海軍における海軍将校の養成を目的として存在した教育機関です。

海軍将校は海軍士官とも呼ばれ、少尉より上の階級の海軍軍人であり、海軍兵学校は軍の中心とも言える人達を養成していたわけです。

展示内では、その海軍兵学校や、同じ教育制度の予科練との繋がりや影響、教科への解説などを加えております。

また、当時の海軍兵学校入試問題から数問を抜粋して作ったテスト用紙を無料配布もしております。

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 (テスト用紙の一部)

 

お暇であれば、ひとつ挑戦してみてはいかがでしょうか。

 

 

入試問題と言えば、今は受験シーズンの真っ最中でもあります。

今回のブログの題名は、イギリスの詩の一説である「冬来たりなば、春遠からじ」を、内容に合わせてもじったものです。

元の意味は「今は寒く厳しい冬のような苦境でも、耐え過ごしていれば、すぐに暖かい春のような幸せはやってくる」。そういった意味です。

旧暦では既に春。

受験生の皆様にとっても、春遠からざることをお祈り申し上げます。