アートなお散歩

11月 10th, 2011

みなさんこんにちは。

昨日からぐっと冷え込みましたね。

茨城県は朝晩の冷え込みが厳しいところだそうですが、

フリースのパジャマに守ってもらって、今のところ何とか乗り切れている学芸員Wです。

 

フリースを開発してくださった方、本当にありがとうございます!

今年の冬もお世話になります。

 

 

8日の立冬を過ぎて、暦の上ではもう冬になりました。

明日11日で、東日本大震災から8ヶ月目を迎えます。

いまだ不自由な生活を強いられている方、身近な人の行方がわからない方も

多くいらっしゃると思います。

 

冷たい風に吹かれると、ふと、忘れようとしていた何か恐ろしく不安な気持ちを

のぞきこむような思いをすることがありますが、

冬の訪れが早い被災地の方々の不安はいかばかりかと、胸が痛くなります。

放射能の影響で立ち入りができなかった福島の沿岸部で一斉捜索が始まったそうです。

風がもっともっと冷たくなる前に、一人でも多くご家族のもとへ戻れるように祈っております。

 

 

 

さて、今日の予科練平和記念館にはたくさんのお客様がお見えになりました。

事前にご予約をいただいていた10の団体様のほか、当日お見えになったところが3団体。

あわせて13団体様がご来館くださいました。

職員、解説員が皆フル回転でお客様をお迎えして、慌しく1日が過ぎていきました。

 

 

どちらのお客様のご来館も嬉しいものでしたが、

今日はいつもとちょっと違うお客様もお見えになりました。

 

 

元気がでるようなカラフルな色の「アートわんこ」たちです。

茨城県桜川市にある知的障がい者施設の方たちが作ったもので、

「元気なアートコラボラボ2012・桜川芸術祭vol.3 ~晴れどきどき、

お散歩アート~」の一環で行われたワークショップです。

 

 

 

わんこは思い思いの色に染められているだけでなく、花が描かれていたり

名前が書かれていたりして、

姿もそれぞれ、世界で1体だけのオリジナルなわんこです。

一人ではちょっと緊張してしまうようなところも、自分のわんこと一緒なら行けそうですね。

足の代わりに車輪がついていて、リードでひっぱるとほんとにお散歩をしているようです。

 

普段はモノトーンで統一されている予科練平和記念館の館内が、ぱっと明るくなりました。

わんこの明るい色もそうですが、いらしてくださった皆さんの元気のお陰かもしれません。

 

 

学芸員Wがご案内させていただきましたが、皆さん真剣に説明を聞いてくださいました。

私にとっても、色々と勉強になるひとときでした。

 

皆さんとわんこに会えて、今日はとてもいい一日になりました。

解説員も、皆さんがいらっしゃるのを楽しみにしていました。

記念館の中から見る空はとてもきれいなので、またぜひお散歩にいらしてくださいね。

 

こうしてすてきなアート活動のお手伝いをさせていただけて、

本当に嬉しかったです。

また、プロジェクト事務局のKさんは、以前大変お世話になった方で、

しばらくぶりでお会いすることができて、懐かしく、嬉しく思いました。

 

ワークショップの様子は、作品となって下記の日程で展示されるそうです。

このほかにもすてきな作品とたくさん出会えると思いますので、

お時間がありましたら、皆さんもぜひご覧になってみてくださいね。

 

 

「元気なアートコラボラボ2012・桜川芸術祭vol.3 ~晴れどきどき、

お散歩アート~」

平成24年1月17日(火)~22日(日)

茨城県つくば美術館 展示室B

チケット代:500円

 

 

アートディレクターの出町光識(でまち・みつのり)さんは、学生時代の先生が

予科練出身の方だったそうです。

今日は犬のぬいぐるみを背負って、とってもあたたかそうなかわいい帽子をかぶって

いらっしゃいました。

上にある集合写真の真中あたり、肌色の顔をしたわんこを持っている方です。

ちょっと写真が小さいですが、わかりますでしょうか。

 

ブログも読んでくださったそうで、本当にありがとうございます。

頑張って更新していきたいと思いますので、これからも宜しくお願いいたします。

出町さんのますますのご活躍を楽しみにしております。

 

出町光織さんのHP

http://www.mitsunoridemachi.com

 

 

 

また、今日は前回お伝えしました予科練1期生の伊藤進さんから

お手紙をちょうだいしました。

読むとくすっと笑ってしまう、ウィットに富んだお手紙でした。

その一部を、ブログを読んでくださっている皆さんに――

 

 

(お家がとってもきれいだったこと、スーツが似合っていらっしゃったとブログに書いたことに対して)

家内は京都女子大ですが多分掃除洗濯科卒でしょう。

(中略)私も毎日の様にお客様 メーカー 問屋さんの訪問客にお目にかかりますので

身奇麗は予科練時代からの躾です。

予科練(横須賀)、飛行練習生(土浦 今の武器学校)ではトイレ掃除は輪番でよくさせられました。

土浦の冬は寒かったですが掃除は上手でした。海軍の軍人上がりは掃除洗濯は皆上手です。

お酒より高価な水を使って洗濯するのですから(軍艦では)。

 

 

伊藤さんのお人柄が思い出されて、思わずほっこりしました。

伊藤さん、元気の出るお手紙をどうもありがとうございました!

 

インタビューの様子は、また次回ご紹介したいと思います。

楽しみにしてくださっていた方、申し訳ございません。

 

このブログは、学芸員Aと学芸員Wが週がわりで更新しています。

来週は学芸員Aが担当いたしますので、どうぞお楽しみに。

 

 

イベント報告・元予科練生のお話会

11月 8th, 2011

 文化の日、11月3日(木)に元予科練生のお話会を開催しました。

 

 講師は元予科練甲種13期生・池田龍雄様でした。池田様は現在も画家として日本の第一線でご活躍されています。 

 

 

 池田様のご略歴をご紹介します。

・1928年(昭和3年)8月15日、佐賀県伊万里市生まれ。

・1943年(昭和18年)海軍飛行予科練習生甲種13期生として鹿児島海軍航空隊に入隊。

・1945年(昭和20年)特攻隊として霞ヶ浦海軍航空隊にて訓練(九三式中間練習機「赤とんぼ」での特攻要員)

・17歳の誕生日に玉音放送を聞き終戦を迎える。佐賀へ帰郷。

・同年秋に佐賀師範学校入学。

・1946年(昭和21年)秋、マッカーサーの占領政策により師範学校追放となる(終戦時、1等飛行兵曹/下士官に昇任していたための処置)

・1948年(昭和23年)現在の多摩美大に入学。岡本太郎らの戦後アバンギャルド(前衛)芸術運動に参加。

・以後、個展、グループ展、美術館企画展を中心に活動。  

 

 以上、池田様のご略歴と言っても本当に略歴に過ぎないこれらの言葉からでさえ、池田様の波瀾に満ちた人生が感じられるようです。 

 池田様が予科練に入隊したのは当時の「尽忠報国」思想が当たり前に存在した世相の中で、ごく自然に「お国のため」という考えからのことだったそうです。

 予科練に入ってからは厳しい訓練、そして時として理不尽なしごき・罰直に耐えながらパイロットとしての道を進んで行かれたとのことでした。

 

 終戦直前の約4ヶ月は霞ヶ浦海軍航空隊で特攻訓練に明け暮れたそうです。岩国から移動してきた際の感想「霞ヶ浦飛行場は周囲を松に囲まれて非常に美しかった」というお言葉が印象的でした。夜間の訓練中には満月に近い月光を受けて聳える筑波山に心を奪われることもあったそうです。

 終戦間際の7月末には夜半に鹿島灘方面への特攻命令が出たものの、なんと夜光虫の誤認であることが分かり出撃中止。250キロ爆弾が赤とんぼに鎖で固定されるのを見ながら出撃前には特に悲壮感はなかったそうですが、爪と髪を封筒に形見として残すよう命令を受け「17年生きて残るのはこれだけか」という索漠とした思いを抱いたそうです。

 「お国のために」命をなげうつ覚悟で訓練を重ね、投げ出されるように終戦を迎え、情報も混乱する中で「これからどうしたらいいのだろう」という気持ちになったとのことです。しかし、故郷に帰る途中未だ焼け跡も生々しい広島の惨状を見た後、家に着いたときお母さんがただにっこりして迎えてくれたのを見たとき「やはり、生きていてよかった」と思ったそうです。

 その後は、若くして数々の試練に遭いながら画家を志し、岡本太郎ら超一流の芸術家と交わりながら、池田様は前衛絵画の道を邁進してこられました。

 ただ「昔から絵は上手だったけれど、絵描きになりたいと思っていたわけではないんです。それしか道がなかったからそうするしかなかった」また「軍国教育も上からの押しつけという側面がある。間違ったことからも逃れられないことがある。自分は誰にも指図されない、自由な生き方をしたいと思った」などの言葉から、私などの戦争の「せ」の字も知らない人間など計り知れないほどの悔しい思いをされ、またご苦労をされ、微動だにしない覚悟の元に生きてこられたのだと私は考えました。

 

 

 講演終了後、座談に入ってから「生きてきてよかった。人の死に方は様々だが、最もいけないことは殺されることだと思う」というお言葉がありました。「殺されるということは殺す人間も存在することであり、これもあってはならない」と言われました。人間の文化を普遍的に貫通する深く、重いお言葉だと思います。

 

 私など甘く甘く生きてきた者には、池田様のお言葉が生まれる人生体験をすることなどあり得ないことでしょう。ただただ「殺人をしない。人殺しをしなくて済む社会を作る」という現象を生真面目に作り出していくことだけです。

 

 池田様はもちろん、戦後復員された元予科練生の方々のご活躍を見聞するにつれ、予科練生には非常に優秀な方が揃っていたことが改めて分かります。そのような優れた方々が若くして命を落とした時代が確かにあったのです。このことを私たちはよくよく考えなければならないでしょう。

 

 もし、池田様の作品を見ることがあるときには、お話会当日のお元気なお姿を思い出しながら、色と形で作り上げられた絵というものから池田様が何を伝えようとされているのか、是非とも深く観照していただきたいと思います。池田様の人生から私たちが学ぶべきことはきっと多くあるでしょう。

 

 なお、講演の内容は御著書「蜻蛉の夢(海鳥社)」にも含まれています。

 

 

 また、池田様の個展も開催予定ですので、渋谷に行く機会がある方は、どうぞ足をお運び下さい。

 

イベント報告・レコード鑑賞会①

10月 27th, 2011

 今日はとても爽やかな風が吹き抜ける予科練平和記念館です。秋風、とこの秋初めて言ってもいいような、たいへん心地よい風が吹いています。この近くで言えば筑波山、少し足をのばせば大子、そして那須、塩原など、山々が紅に染まる様子を思い描ける朝の空気でした。気持ちいい。この言葉以外には何もいらない朝でした。美味しいご飯があれば他には何もいらない、というように。

 

 さて、過ぎる10月22日(土)にレコード鑑賞会を開催しました。

 

 

 

 夕方5時の閉館後、人の気配が館内から落ちて静かなホールに、懐かしい音楽が広がりました。

 

 今回ご紹介したのは7曲です。

「蘇州夜曲」    …映画「支那の夜」(昭和15年・1940年)の劇中歌。

「そよかぜ」     …昭和20年(1945年)10月10日、戦後にGHQ(連合国

                総司令部)の検閲を通り公開された第1号作品。「そよ

                          かぜ」は主題歌。

「リンゴの唄」   …映画「そよかぜ」の挿入歌。こちらの方が大ヒットしました。

「愛馬進軍歌」 …昭和14年(1939年)、平時・戦時を通した国民の馬事思想

                         普及のため、作詞・作曲が募集された歌。

「ヨカレン節」    …昭和19年(1944年)の作品。作曲者は、「決戦の大空へ」

                         「若鷲の歌」と同じ古関裕而。

「決戦の大空へ」

「若鷲の歌」

 

 

 最後の2曲は、予科練平和記念館の日常にも馴染みが深いものです。

 

 昭和18年(1943年)9月に封切られた映画「決戦の大空へ」の主題歌、挿入歌で、特に「若鷲の歌」は大ヒットし、予科練の代名詞とも言える存在になりました。映画は土浦海軍航空隊で撮影が行われ、予科練生も多数エキストラとして出演しました。この映画は当時の日本海軍が飛行機搭乗員を募集する目的で予科練によいイメージを持ってもらおうとした性格をもちます。

 「若鷲の歌」1番の歌詞をご紹介します。

 

 若い血潮の予科練の

 7つ釦(ボタン)は桜に錨(いかり)

 今日も飛ぶ飛ぶ霞ヶ浦にや

 でっかい希望の雲が湧く

 

 私の母は筑波山の麓に生まれ育った戦前の女性ですが、子ども心に何も分からぬまま若鷲の歌を口ずさんでいたそうです。先日も昔覚えたそのままを私に歌って聞かせました。

 飛行機が落ちた、と聞けば友だちと走って見に行ったという終戦頃の生活もあったようです。

 

 このように、歌というものは水が土や岩に染み入るように人の心に刻まれるものなのでしょう。歌詞やメロディーとともに、そこには当時の生活風景も感情もともに織り込まれるのでしょう。

 

 現在のCDで聴く音楽とはまた別のよさがレコードにはあります。音のふくらみ、優しさ、針がレコード盤を引っ掻く音さえ心憎い演出とさえ感じられます。

 

 古いものは淘汰され消えゆくことが多くなっていますが、心の故郷を消す必要はどこにもありません。懐かしい音楽をどうぞ鑑賞に来ていただきたく思います。昔を思い出すことも、昔を想像することも心に元気を満たすことでしょう。

 

 次回は11月12日の土曜日、17時から開催予定です。

 皆様のご来館をお待ちしております。

予科練の神様 その1

10月 23rd, 2011

みなさんこんにちは。

間もなく10月も終わり。

なんだかあっという間ですね。

みなさんはいかがお過ごしでしょうか。

 

 

館内で開催中の特別展「土門拳のまなざし」展も、

10月30日(日)で終了となります。

みなさんにお目見えするのも、今日を入れてあと7日間となりました。

 

 

3ヶ月もの長い間、当たり前のようにあった展示がなくなってしまうことに

一抹の寂しさを感じている学芸員Wです。

 

 

また同時に、事故もなく展示を閉じることができそうでほっとしております。

しかし、遠足は家に帰るまでが遠足。最終日まで気を抜かずに頑張りたいと思います。

 

 

11月末からは、同じ場所で所蔵資料展を開催する予定です。

今度は明治~大正期の除隊記念品と陸軍関係の資料を展示いたしますので、

ぜひお運びください。

 

 

 

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第4回所蔵資料展「重キ務メヲナシオヘテー除隊記念品展」

11月29日(火)~平成24年3月26日(日)

9:00~17:00(入場は16:30まで)

常設展のチケットでご覧いただけます

大人:500(400)円  小中高生300円(240)円

(  )内は20名以上の団体及び各種割引提携カードご提示料金

 

 

  

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さて、先日のブログでもお伝えいたしましたが、

予科練第1期生にインタビューし、そのもようを撮影させていただきました。

1期生で現在お元気でいらっしゃるのは、伊藤さんお一人とのことで、

貴重な機会に恵まれたこと、また、私のようなものが

予科練の神様と言っても過言ではないようなすばらしい方に

お会いできて、本当にありがたく思っております。

 

 

 

1930(昭和5)年、第1期予科練習生として入隊された

伊藤 進さん。

山口県岩国市にお住まいで、現在96歳でいらっしゃいます。

ご自分で立ち上げた会社の会長さんとして、今も毎日ご出社なさっておられる

すごい方です。

 

  

おうかがいした内容は何度かにわけてこのブログでご紹介いたしますが、

今回はそのプロローグとして、伊藤さんのお宅にお邪魔したときの様子を

お話ししたいと思います。

 

 

 

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伊藤さんのお宅におうかがいしたのは10月17日(月)。

西岩国駅にほど近い、閑静な住宅街の一角にお宅がありました。

時間より早く着いてしまい、ご自宅前を怪しげにうろうろしていたカメラマンさんと私を

こころよく迎え入れてくださったのは、とっても上品な伊藤さんの奥様でした。

 

家の中から奥様に負けないぐらい張りのあるお声をかけてくださった伊藤さんは、

紺地にストライプの入った上質なスーツをお召しでした。

多分ご自分に合わせて仕立てられたのだろうと思いますが、肩のあたりもすっきりと

素敵に着こなしていらっしゃいます。

実は伊藤さん、奥様よりも20年早いお生まれだそうですが、第一印象と

お話しした感じでは、まだ6~70代と思われるほどのお若さです。

体中にエネルギーが詰まっているような、そんな印象を受けました。

 

 

お宅にお邪魔してまず驚いたのは、玄関にほこり一つ落ちていないことでした。

通していただいたリビングも同じです。

すみずみまでお掃除が行き届いていて、床はぴかぴかに

磨かれています。

そして、世界中の置物やお人形が飾られており、海外の写真や切り抜きが

壁に貼られています。

 

伊藤さんはこれまで、ご夫婦で何度も豪華客船「飛鳥Ⅱ」で世界中を旅して

いらっしゃるそうで、

行く先々で買い求めたものをたくさんお持ちだということでした。

私が名刺を差し出すと、伊藤さんは

「どの名刺がいいかなー…、じゃああなたにはこれを」

とおっしゃり、飛鳥Ⅱに乗船なさったときにおつくりになったという名刺をくださいました。

ご自身と奥様の顔写真、そして飛鳥Ⅱの雄姿が印刷されています。

 

豪華客船 飛鳥Ⅱ

http://www.ytk.co.jp/cruise/aska2_2011_2012.html?utm_source=google&utm_medium=cpc&utm_campaign=cruise

 

 

もう一つ驚いたのは、伊藤さんの手の爪がきれいに整えられていたことです。

さすが会長さんだけあって、たくさんの人にお会いになって名刺もお渡しになることと

思いますが、

その際に意外と目に付く爪も気を使って整えていらっしゃることに、とても感激しました。

私のほうが手入れを怠っていて、ちょっと恥ずかしいぐらいでした。

 

 

「あなたから手紙をいただいたときにね、力強い文字が書いてあるものだから

もっと年配の方だと思っていたら、お若い方で驚きました。」とおっしゃる伊藤さん。

若くはありませんが若輩者の私にも、美しい敬語でお話しくださいます。

 

知識も豊富で、時々冗談も交えながら世界中を旅した時のお話を聞かせてくださる伊藤さん。

 

一日中日が沈まない白夜をご存知ですか?

白夜の反対で、黒夜というのもあるんですよ。

ずっと太陽があがらないんです。

でも、私は白夜のほうが好きですね。

黒夜は、何にも見えなくてつまらないからね。

 

こんな風に、世界中のお話が次から次へと。

そして豪華客船に乗っている素敵な人たちのお話。

特に、コロラド大学名誉教授で日本文学者のドナルド・キーンさんと

お友達になったくだりは、お二人のウィットにとんだやりとりが目に見えるようで

とても楽しく拝聴いたしました。

 

伊藤さんは決して意見や知識を押しつけず、とてもフレンドリーにお話しくださるので、

世界中にお友達がいらっしゃるというのも納得です。

私も大ファンになりました。

 

 

さて、そんな伊藤さんからどのような予科練のお話しがうかがえたか・・・。

次回ブログをぜひお楽しみに。

 

 

 

 

座り方も威風堂々の伊藤さん。

後ろの掛け軸は、書家になられた元予科練の方から

贈られたものだそうです。

 

イベント情報・元予科練生のお話会「私にとって予科練とは」

10月 12th, 2011

  来る11/3(木・文化の日)、元予科練生のお話会を開催します。

 

  今回、講演者を務めていただくのは池田龍雄 氏です。

 

 

  池田様は元甲種13期生で、83歳になった現在もご活躍中の現代美術作家です。全国の有名な美術館に作品が買い上げられ展示されている、たいへん著名な画家でいらっしゃいます。

 

 

  池田様は東京にお住まいですが、先週、お話会の打合せもかねて予科練平和記念館にお出でいただきました。

 

 土浦駅の改札口で待ち合わせご挨拶させていただきましたが、かくしゃくとしていらっしゃいました。予科練生としてかつて厳しく鍛えられた方々を見て私がいつも驚くことは、背筋がピンと伸びて頭脳も明晰、とにかくお若くていらっしゃることです。池田様も年齢を感じさせないお元気さ、若さをお持ちです。土浦駅の長い通路、そして階段をすたすたと歩かれ、私は度肝を抜かれました。でも、池田様はそのようなことで驚く私をかえって意外にお思いかもしれません。

 

  制作、展覧会とお忙しい池田様にとって、土浦・阿見へのご訪問は久しぶりだったとのこと。最後は霞ヶ浦海軍航空隊で終戦をお迎えになった池田様には土浦、阿見は思い出の地と言えるようです。土浦駅周辺の変容ぶり、阿見までの国道125号線沿いの変容ぶりには感慨を持たれたようでした。「私はこの道を歩いたんだよ」とおっしゃっていました。

 

 

  記念館に到着後、館内を見学いただき、お話会の打合せをした後、私は昼食をご一緒させていただきました。二人で同じ丼を食べたのですが、池田様はよくお食べにもなります。まだ若年の私にも少々多めの量だった食事を、池田様も平らげてしまわれました。また私は驚きました。現在も特に持病をお持ちではなく、美味しく食事をされているとのことでした。「でも、習慣で朝はパンなんだ」とお話になりながら「80歳を越えてきたので、いつ何が身に起こるか分からないと考えるようになりました」と言うお言葉も、にわかには信じがたいような目前のお元気さに、私はただただ脱帽です。元予科練生、そして芸術家がもつ優れたバイタリティは、私の憧れと言っても過言ではありません。

 

  池田様は終戦の年、昭和20年に、霞ヶ浦海軍航空隊にて特攻の訓練を受けておられました。6月10日の阿見大空襲も経験され、鹿島灘方面への特攻命令を7月末頃に受けるものの出撃中止。8月15日、17歳の誕生日に終戦をお迎えになり、生まれ故郷の九州へ汽車でお帰りになったそうです。途中、惨状も生々しい広島の光景も目撃されたとのこと。そして戦後、師範学校に入学するも、元下士官であったがためGHQの方針により退学を余儀なくされ画家の道へ進まれました。岡本太郎、安部公房など超一流の芸術家と交わりながら前衛芸術の道を探求し続けてきた池田氏です。11/3のお話会では、予科練での体験、またその体験が人生でどのように生かされたか、たいへん貴重なお話をうかがえると思います。とても楽しみです。

 

 

 私も人の親となってから、自身の来し方を振り返り、人の恩や歩んできた時間の重みなどを改めて考えるようになりました。厳しい逆境にあっても奮起し、自分の人生を切り開いてこられた池田様から、私も大いに学びたいと思っています。

 

 皆様におかれましてもどうぞ足をお運びいただき、貴重な体験談に耳を傾ける文化の日にしていただきたいと希望いたします。

 

  皆様のご来館を心よりお待ちしております。

 

 「私にとって予科練とは」

 時間  14時~15時(予定)

 場所  予科練平和記念館20世紀ホール

      ※ 観覧料が必要となります

グレートミッション

10月 7th, 2011

みなさんこんにちは。

10月にはいり、一気に秋らしくなりましたね。

急激な気温の変化についていけず、またマスクのお世話になってしまった学芸員Wです。

朝晩かなり冷えるようになりましたので、皆さんもどうぞ風邪にはお気をつけください。

 

 

今日はすがすがしいお天気ですが、強い風が吹いて、

まだ細い桜の木をゆらしていました。

 

 

葉っぱの一枚一枚が、「わぁーっ」とさけびながら必死に枝につかまっているように見えて

ちょっと頬がゆるみます。

 

 

この時期は外にでるとどこからともなくキンモクセイの奥ゆかしい香りがしますね。

今週末は三連休でお天気もよく、絶好のお出かけ日和だそうです。

普段学校やお仕事でお疲れのみなさんも、ぜひリフレッシュなさってくださいね。

 

 

連休は仕事なんですけど・・・のみなさん(私も含めて)は、10月9日(日)の夜に

空を見上げてみましょう!

この日は9月の十五夜と対をなすお月見デー、十三夜です。

夜も晴れそうですから、きれいな月が見られるといいですね!

 

 

。.。:+* ゚ ゜゚ *+:。.。:+* ゚ ゜゚ *+:。.。.。:+* ゚ ゜゚ *+:。.。:+* ゚ ゜゚ *

 

 

さて、学芸員Wには、さ来週とても大きなミッションが待っています。

 

なんと、予科練の第1期生にインタビューできることになりました!!

1930(昭和5)年に入隊した79名のうちのお一人です。

 

 

↑予科練の第1期生です。(『予科練外史』第1巻より)

きっとこの中にいらっしゃるんですね。

 

 

まさに、予科練の生きた歴史、という言葉がふさわしいお方だと思います。

山口県岩国市在住で現在96歳。

ご自分でたちあげた会社の会長さんとして、現在も毎日

ご出勤なさっておられるそうです。すばらしい!!

 

 

私が今までお会いした方の中で、多分一番の先輩だと思われます。

大先輩に対して、私のような若輩者がインタビューさせていただくのは

とても緊張しますが、それを上回るほどお会いするのを楽しみにしています。

予科練のことも、予科練以外のことも、いろいろおうかがいしてみようと思っています。

 

 

インタビューの模様は後日アップいたしますので、ぜひお楽しみに。

 

台風のあとで

9月 23rd, 2011

みなさんこんにちは。

先日の台風では各地で被害が大きかったようですが、みなさんは大丈夫でしたでしょうか?

 

当日帰宅時間がちょうど雨風の激しい時間にあたってしまい、

リアルな台風体験をした学芸員Wです。

 

 

予科練平和記念館もこの日開館していましたが、強い風で雨粒が

窓にたたきつけられていました。

ガソリンスタンドにある洗車機で洗車中の車の中にいたら

こんな感じなのかな、というくらいの激しい雨でした。

 

うさぎ年には自然災害が多いということも言われているそうですが、

もうこれ以上災害はあってほしくないものです。

 

 

。o○。o○゚・*:.。. .。.:*・゜○o。○o。゚・*:.。. .。.:*・゜。o○。o○゚・*:.。.

 

 

 

さて、このブログでも何度かご紹介しておりますが、予科練平和記念館のラウンジでは、

阿見町図書館の絵本が9月30日(日)まで楽しめます。

学芸員Wと解説員Mさんが自信を持って(!)おすすめする

すてきな絵本がたくさんあります。

 

 

 

絵本の近くにはこんな子たちが。

 

 

解説員Tさんが作ってくださった指人形です。

左の予科練生がまーくん、右の女学生がつるちゃんです。

つるちゃんの初恋の人が、予科練生のまーくんです。

 

二人は実在の人物です。

つるちゃんこと鶴江さんは、今もお元気でいらっしゃいます。

 

このふたりの恋の続きはどうなったでしょうか。

予科練平和記念館の常設展示室5にありますので、ご来館の折には

見つけてみてくださいね。

 

 

 

今日はこの絵本をご紹介。

 

 

 

忌野清四郎さんがイラストを描いた絵本『ブーアの森』です。

そうです。あのロック歌手の忌野清志郎さんです。

RCサクセションでご存知の方、坂本龍一さんとユニットを組んでいたことでご存知の方、

ちょっと奇抜なメイクやファッションでご存知の方、たくさんいらっしゃると思います。

残念ながらお亡くなりになってしまいましたが、時々清四郎さんの

はにかんだような笑顔を思い出します。

 

 

主人公のしょうくんは森で出会った小さなブーアを連れて帰ろうとしますが、

酸性雨が降り森林伐採が進むしょうくんの世界に出て、

ブーアは弱ってぐったりしてしまいます。

空色の体に青い目のブーアの名前は、ブルーアース、青い地球からきています。

瀕死のブーアを助けてくれるのは、人間に痛めつけられている木や動物たちです。

 

環境問題はひとごとではなく、自分と無関係のことでもないのだということを、

わかりやすく伝えています。

まるで清志郎さんの歌のように、メッセージ性は強いけれども

押し付けがましくありません。

 

 

大きな地震にみまわれ、原子力発電所の事故で不安な毎日を過ごし、

大きな台風もやってくる。

今、清志郎さんが生きていたら、この日本でどんな歌を歌うのだろうか、

こどもたちに何を語りかけるのだろうか、と思います。

 

 

今日は秋分の日。お彼岸の中日。

みなさんはどう過されましたか?

 

 

予科練平和記念館はこの三連休休まず開館しております。

秋風に何かを感じたら、ぜひおでかけください。

 

 

学びの夏

9月 19th, 2011

 4月に新年度が始まりおよそ半年が経とうとしています。

 

  今年度、新しい環境に入った人たちには「ようやく慣れてきたかな」と実感が湧いてきた頃でしょうか。また、半年後に進学や就職を控えている人たちには「あと半年になったのか」と、あらためて考えると残りわずかな現在の生活を惜しむ心が生まれてきている頃でしょうか。

 

 先日、中秋の名月を陰りない満月で見られたことは、何かと落ち着かない日々を重ねてきた私たちへの光明だったようにも思えます。古くから、満月は円満具足の象徴として信仰を集めてきました。月は暗闇の一隅を照らす存在としても拝まれています。私の未だ幼い子どもたちは「今日は明るい夜だねぇ」と言っていました。

 

 さて、今日はこの夏休みに阿見町近代の歴史について学んだ小学生をご紹介します。

 

 彼の名前は永田響(ひびき)君、阿見第一小学校の5年生です。

 

 当記念館が8/7(日)に開催した「戦跡を巡る」にもお母さんと一緒に参加してくれました。また、過日「美しくも力強い存在」というタイトルのブログでご紹介した山梨県の河口湖自動車博物館を訪問したとき、お母さん共々バッタリと再会し、浅からぬご縁を感じさせてくれる永田君です。自動車博物館でも職員の方に飛行機のことを詳しく聞いていましたし、当記念館にも度々足を運んでくれ質問をしてくれるなど、なかなか熱心に学習する小学生という好印象を私はもっています。

 

 

 

 お母さんの話では、今春、予科練平和記念館に来ていただく機会があり「目から鱗が落ちる」ではないですが、地元の歴史について関心を深め、予科練や阿見町の歴史について夏休みには学習してみようという気持ちになったそうです。

 

 予科練平和記念館の活動主旨には、阿見町の歴史をこどもたちに正確に伝え平和を作り出す考えを持ってもらうことがあります。永田君の今回の取り組みには予科練平和記念館としてもたいへん感謝しています。ありがとうございます。

 

 今後も、1人でも多くの方にご来館いただき、いろいろなことを考えていただくために、広報に努めるのはもちろん、工夫を忘れず運営に努めて参ります。忌憚のないご意見も、どうぞお寄せ下さい。

被災地からの資料

9月 8th, 2011

みなさんこんにちは。

学芸員Wです。

今日は二十四節気の一つ「白露(はくろ)」。

まだまだ日中は暑い日が続いていますが、朝晩のひんやりとした空気で、

季節が確実に移っているのを感じます。

みなさんはいかがお過ごしでしょうか。

 

 

予科練平和記念館のもみじが秋色にお召し替えをはじめました。

高い空には秋の雲が浮んでいます。

 

 

 

最近女子、男子ともにサッカー日本代表がとても頑張っていますね。

 

私も、男子代表のキャプテン、長谷部誠選手の著書『心を整える』を読んで、

いろんなことを整えていきたい、と思っています。

・・・と申しましたのは、昨日今日とケーブルテレビさんの取材があり、

カメラの前でしゃべる機会を持たせていただいたからです。

 

とっても優しく「失敗しても大丈夫ですよ!」と励ましてくださる撮影隊の方の

前でもこんなに緊張するのに、

何万人というサポーターや観客の前で、しかもテレビの先ではどれだけの人が見ているか

わからないという状況の中で、

さらにアウェーだったらブーイングなども聞こえてしまう中で、

落ち着いてプレーできる選手のみなさんは本当にすごいと思います。

 

 

今回、ケーブルテレビのみなさんは、特別展「土門拳のまなざし」展を

取材してくださいました。

 

 

 

放送日は以下のとおりです。

 

□9/17(土)~9/20(火)

 てれびつくば11 「ACCSニュース」(1日4~5回放送)

 http://www.accs.or.jp/accstv/tsukuba_11.html

 

□9/26(月)~10/2(日)

 J:COM 「いいじゃん!」 (1日2~3回放送)

 http://www.jcom.co.jp/index.html

 

お目にとまりましたら幸いです。

 

 

余談ですが、長谷部選手の著書『心を整える』の印税収入は

ユニセフを通じて全額東日本大震災の被災地に寄附されるそうです。

自身を整えつつ誰かにいいこともできるすばらしい本ですので、

お気になった方、ぜひ本屋さんでお手にとってみてくださいね。

 

 

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間もなく、東日本大震災発生から半年が過ぎようとしていますね。

長いようで短い、短いようで長い半年だったように思います。

 

先日、横浜の山下公園に行きましたが、

ここは1923(大正12)年の関東大震災のときに出た

瓦礫を埋め立ててつくられたと知り、驚きました。

家族連れやカップルが楽しそうに行き交う足元に

大震災の記憶が眠っているなんて、思いもしませんでした。

 

私たちの日常は、常に災害と隣り合わせにあるのだということを

足元から実感したような気持ちでした。

だからこそ、今日一日、今この時が大切なのだと、改めて思いました。

 

みなさんにとって、この半年はどんな時間の積み重ねでしたでしょうか。

 

 

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先日、予科練平和記念館に被災地福島に住む元予科練生から資料が寄贈されました。

送ってくださったのは、元甲種第14期予科練生Sさんで、

1944(昭和19)年6月1日に土浦海軍航空隊(現陸上自衛隊土浦駐屯地 阿見町)に

入隊した時に肩にかけていた日の丸や、防毒マスクのケースなど計10点です。

 

Sさんはもともと福島県の浪江町にお住まいでした。

みなさんもよくご存知のように、浪江町は東京電力福島第一原子力発電所の事故により

警戒区域や避難区域に指定されています。

現在、Sさんも福島県内の別の場所に避難していらっしゃいます。

 

家を離れてからもずっとこの資料を気にかけておられたとのことで、

一時帰宅が許可されたときに、親類に頼んで持ち帰ってもらったのだそうです。

 

 

全身防護服の住民の皆さんがバスで立ち入り禁止区域に入られる姿を

ニュース映像としてよく見ていましたが、

実際にそういう方たちがお持ちになったものが、こうして予科練平和記念館に

届けられたということに、深く考えさせられました。

 

 

一時帰宅では、滞在時間も持ち出せるものの量も限られてしまう中で、

どんな思いでこの資料は運び出されたのでしょうか。

住み慣れた土地を離れて暮らすSさんは、どのような気持ちでこの資料を

予科練平和記念館に託されたのでしょうか。

 

今の私では想像することしかできませんが、ほかの資料たちと同じように

末永く、大切に保管させていただきたいと思っております。

 

 

 

(手前が寄せ書きされている日の丸。奥の箱は防毒マスクを入れるものです。)

 

 

美しくも力強い存在

8月 31st, 2011

 8月が終わり9月になろうとしています。早いなぁ、というのが実感です。これから食欲の秋、紅葉の秋を迎え、生きる喜びを謳歌できることでしょう。その後、晩秋をしみじみ味わいながら服を一枚重ね、また一枚重ねしていくわけですが「なんだ、もう正月か」と言うことになるのかもしれません。 一日一日を噛み締めて生きる余裕をもちたいものだ、と私は反省しきりですが…。

 

 さて、8月の半ばのことですが、山梨県の河口湖自動車博物館にて実物大の飛行機を見る機会をもちました。この博物館は8月のみ開館しているというなかなかユニークな博物館です。

 展示されている飛行機のうち、特に私は3機に心惹かれました。

 

 1つは「九三式中間練習機」いわゆる「赤とんぼ」です。

 

 

 

 写真のとおり、機体は最初期のシルバーを基調としたカラーリングです。予科練を卒業し飛行練習生となったパイロットの原石たちが大空を駆け巡った赤とんぼの現存機は国内に皆無という状況ですが、実物大の復元機からは、なにより迫力を感じました。全長約8m、翼幅約11mという機体に切り取られた空間において、写真からは決して感じられない飛行機の「体格」を感じ取ることができました。飛行機にも血肉があるとでも言うような存在感がありました。『飛び立つ姿を見てみたい』とも思いました。

 

 また、1つは「零戦21型」です。かつての部材を多く使っていると聞く復元機です。

 

 

 私はそのピンと張った翼の美しさ、また力強さに心惹かれました。翼幅約12m(全長長約9m)の存在感は、零戦がと言うより「この翼が大空を席捲する」という印象をもちました。他国に勝利するために開発された戦闘機であればこそ、美しくも力強い形を身につけることになったのでしょう。そしてそのような運命こそ悲しいと言えるでしょうか。

 

 それからもう1つ「一式陸上攻撃機22型」です。機体後部のみ、回収された部材を用いての復元機ですが、なにしろ「大きい」と感じました。

 

 

 この一式陸攻(同型機)は山本五十六長官が戦死した際乗っていた飛行機であり、また特攻兵器のグライダー「桜花」がその腹部に取り付けられた飛行機であった、という目で見ると、目前の大きな機体が空を突き進む情景を私なりに想像できるようでした。

 

 私は武器に対して極端な興味をもちあわせている者ではありませんが、これらの飛行機を見ていると、製作した技術者、操ったパイロット、それぞれが信じた心の存在が私には思われました。過ぎてみれば「人生」とはたった一瞬の出来事と言えるのかもしれません。ただ、その人生のはかなさ、言い換えれば一瞬の輝きという宿命が「飛行機」に凝縮されているように考えられたのです。

 

 私自身、くっきりと晴れ渡った富士山を久しぶりに見ることができ、日常の疲れがスウッと抜ける感覚をもちました。正面に富士山を見据えながら河口湖に近づき、雄大な飛行機を見た後、博物館の駐車場からまた晴れ渡った富士山の頂を目に焼き付けることができました。美しくも力強い存在感に元気づけられた日となりました。