描き出される「心」

1月 20th, 2012

 昨年末頃から茨城には雨が降りませんでした。この前降ったか降らないかというお湿りがありましたが、最近も晴れていました。澄み切った冬空を見上げながら、冬らしい冷たい風が通り過ぎる一角に身を置くこともまた気持ちよいものですが、雨が降らないことがどうも気になっていた、のですけれど…。明日は大寒というこの日、久しぶりに朝から雨に「恵まれている」と言ってよいでしょう。しかも、雪がちらつくかもしれないとのこと。

 仏教で「竜」は水を司る存在なのですが、さて、今年の竜はどのような計画を立てているのでしょうか?

  

 そのような中でも、桜は怠りなく日に日に開花の準備を進めているようです。記念館前の桜も蕾をずいぶん生長させました。私は12月になると桜の蕾に気付きます。それだけ大きくなっているわけです。厳寒への突入口に、来る春を感じられると和みが生まれます。一年をかけてゆっくりと準備を続け、命ある限りその営みを続ける植物の悠久さ。人間の営みにも是非とも取り入れたいものです。

 

 そのようにあくせくと生きている感ありの人間にもミクロコスモス(小宇宙)が広がっていると言われます。

 写真は次の展示を待つ展示スペースの様子ですが、皆さんどのようにお感じになるでしょうか。予科練平和記念館の7つの展示室も、その他ホールなども、もともとは何も存在しない「のっぺらぼう」なのです。その前に立つと茫漠とした気持ちにもなります。

 展示、という行為は、そうした空間に仕掛けを作っていくことと言ってもよいでしょう。それは、例えば真っ白なキャンバスに色、形を置き、ある世界を形作ることと同じと言えます。

 今、皆さんに記念館にお越しいただくと、それぞれの部屋・場から、いろいろな内容を感じていただけることと思います。物や映像などを通して表しているものは「心」です。心というものの在りかを科学的に尋ねると全身の細胞一つ一つが心になるのかもしれませんが、そのような意味でも、また一つの手掛かりからこの世の真理に広くたどり着こうとする働きからも、「心」をミクロコスモスと捉えることにご共感いただけるでしょうか。

 何もないところに色・形を作り出す行為は藝術的活動と言えます。予科練平和記念館は、予科練、戦争の歴史や遺物などを通して平和社会実現を訴えるという藝術の場です。表される藝術性、つまり精神的な内容は「平和を実現する心」です。

 この記念館には強力な援護部隊が備わっています。お隣の敷地には写真のような公園が広がっています。この砂場や芝生の上に、日々異なる絵が描かれているのです。

  子どもたちの足跡、自転車のタイヤ跡、可愛らしいアンパンマンが描かれているときもあります。芝生の上には、時としてゲートボールが、また親子で興じるキャッチボール、サッカーなどなどが元気よく描かれます。こういったものも、未来への明るい希望を灯す藝術の数々と言えるでしょう。

 

 このように藝術とは決して難しく考える必要がないものです。阿見町でも様々な展覧会が公民館などで開かれますし、茨城県内にも大小様々な博物館、美術館があります。どうぞ、広く足をお運びいただいて、いろいろなミクロコスモスに触れていただきたいと思います。

 そして、もちろん身近な私たちの足跡にも目を向けていただくことをお忘れないように。

元気なアートコラボラボ2012

1月 17th, 2012

みなさんこんにちは。

学芸員Wです。

 

今日は展覧会のご紹介をさせていただきたいと思います。

 

 

元気なアートコラボラボ2012・桜川芸術祭vol.13

「晴れときどき、お散歩アート。 ~障害者とアート、

ぼくらが見つけたもの~」

 

1月17日(火)~22日(日) つくば美術館第2展示室

(〒305-0031 茨城県つくば市吾妻2-8 029-856-3711)

 

 

去年11月10日に、予科練平和記念館に遊びにきてくださった

美術家の出町光識さんと、真壁厚生学園・授産学園・心身障害者

福祉作業所 時計台のみなさんの作品が展示されています。

 

みなさんは、アートワンコというお手製のわんこちゃんたちといっしょに

茨城県近代美術館や予科練平和記念館を巡っていらっしゃいました。

当館に来てくださったときの様子は、下記のブログでもご紹介しています。

https://www.yokaren-heiwa.jp/blog/?m=20111110

 

 

 

 

いろんなところを元気にお散歩したアートワンコたちが

会場内におすましして並んでいます。

 

アートワンコ製作の様子やお散歩の映像がモニターに映し出されており、

予科練平和記念館に来てくださったときの様子もご覧いただけます。

 

お恥ずかしながら学芸員Wもちらりと映っておりますので、

機会がありましたらご覧いただければ嬉しいです。

このほかにもすてきな作品があり、いつもとは違った時間と

空間を体験していただける展示だと思いました。

お近くのお越しの際には、ぜひお立ち寄りくださいね。

期間が6日間なので、お早めにどうぞ。

 

 

茨城県つくば美術館

http://www.tsukuba.museum.ibk.ed.jp/

 

出町光職さんHP

http://www.mitsunoridemachi.com/

 

 

本当は午前中のオープニングからお邪魔したかったのですが、

取材があったので、午後からになってしまいました。

ちょうど城彰浩(たち あきひろ)さんのワークショップ 「思いっきりアフリカン」に

間に合いました。

 

最後はみんなで布をぶんぶん。楽しそうでした。

 

 

 

約30分間激しくアフリカンダンスを踊り続けた城さんの姿に、

会場からは大きな拍手が起こっていました。

私の頭の中は、Lou Bega の「Dance like an African」が

エンドレスでリピートしていました(^^ゞ

 

会期中1月21日(土)には、以下のイベントも行われます。

10:00~12:00

ワークショップ おとなだって、カミタマン土面をつくろう

つくば美術館講座室 定員20名

講師 出町光識(美術家)

申込み要 FAX 0296-23-8522 

またはメール m-kimijima@city.sakuragawa.lg.jp

 

14:00~

特別イベント 現代美術家折元立身さんといっしょにガイコツパレード

つくば美術館および美術館周辺

参加ご希望の方は、13:00までにつくば美術館第2展示室集合

 

こちらもぜひチェックしてみてくださいね。

 

今年も宜しくお願いいたします

1月 13th, 2012

みなさんこんにちは。

今年初めてのブログを書かせていただいている学芸員Wです。

 

今年も予科練平和記念館のイベントや日常のできごと、学芸員Wのつぶやきなどを

ブログにのせて発信していきたいと思っておりますので、

お暇なときにでもおつきあいいただけたら嬉しいです。

どうぞ宜しくお願いいたします。

 

 

 

 

朝イチで撮った予科練平和記念館です。

空気は冷えていますが澄んでいて、空がとても青いです。

筑波山もくっきりと見えています。

 

 

1月も気付けばもう半ばになりましたね。

今週末のセンター試験に向けて頑張っていらっしゃるみなさんも多いことと思います。

頑張る全ての方に、見たこともないほどきれいなサクラが咲きますよう、

予科練平和記念館から応援しております。

後悔しないように気持ちを奮い立たせて。

そしてあとで自分をうんと誉めてあげてくださいね☆

 

 

さて、今年は年のはじめからビッグニュースがありましたね。

サッカー女子日本代表の澤選手が、年間最優秀選手を選ぶFIFAの

バロンドール賞を見事受賞!

なでしこジャパンの佐々木監督、日本サッカー協会もそれぞれ受賞!

日本サッカーの歴史の中でも、長く語りつがれる歴史的な快挙ですね!

 

今年の干支の龍のように、雄々しく、堂々とピッチをかける澤選手の座右の銘は、

「夢は見るものではなく叶えるもの」だそうです。

 

 

世界中に夢の国を作ったウォルト・ディズニーも、次のような言葉を残しています。

 「夢を追う勇気さえあれば、すべての夢は叶えられる」

 

うそでしょ?という方向け(?)に、ウォルトはこうも言っています。

 「夢を叶える秘訣は4つのCに集約される。好奇心・自信・勇気。そして継続である。」

(好奇心:Curiosity 自信:Confidence 勇気:Courage 継続Constancy)

 

 

なでしこジャパンのこれまでは、決して恵まれたものではありませんでした。

そんな中でのワールドカップ優勝。

澤選手の叶えた夢は、3.11後の日本にたくさんの希望と笑顔をもたらしてくれました。

 

みなさんの夢も、きっとたくさんの人を笑顔にしてくれると思います。

今年の夢、目標は何ですか?

 

 

 

私Wも、今年の行動の基本にしたいと思う言葉があります。

 

「小才は縁に出会って縁に気付かず

中才は縁に気づいて縁を生かさず

大才は袖すり会うた縁をも生かす」 (柳生石舟斉 やぎゅうせきしゅうさい)

 

ある本で紹介されていたのですが、あぁ本当だな、と心にすとんと落ちました。

特に、学芸員の仕事はいろんな方たちに支えていただくことが多いので、

袖が触れるような小さなものでも、良いご縁は大事にしていくことを今年の目標に決めました。

 

去年は、予科練1期生の伊藤進さんをはじめとして、

たくさんのすばらしい方々にお会いすることができて本当に勉強になりました。

人だけではなく、新しい考え方、すてきなもの、いろんな出会いがありました。

今年はどんなご縁でどんな出会いがあるのか、とても楽しみです。

 

それから、震災から10ヵ月経ってもなお、癒えることのない大きな傷を抱えて

日々を送る人たちがいることを想い続けることが、

今年の自分への約束です。

 

夢はないしょです。

 

 

 

・・・とはいえ、年の初めからマスクのお世話になっていますので、

風邪とは早く縁を切りたいものです。

 

そういえば、特に必要がないのにマスクをつける人が若年層で増えているそうですね。

顔が隠れるから楽なのだとか。

マスク時間が長くなってくると、なんとなくその気持ちもわかる気がします。

 

・・・話しがそれてしまいましたが、寒くて乾燥した日が続きますので、

みなさんもどうぞ、風邪には十分お気をつけくださいね。

 

 

 

当館に展示している昭和初期のマスクです。

衛生兵や看護婦さんたちも、こういうマスクを使っていたんでしょうね。

 

ガーゼで作られていて、耳にかける部分は紐を結んで長さを調節します。

どんなかけごこちか、ひそかに気になっています。

 

幸い多き一年に。

1月 4th, 2012

 あけましておめでとうございます。

 本年も、どうぞ宜しくお願いいたします。

 

 本日4日より、予科練平和記念館は平常通りの開館を再開いたしました。これまでに賜りましたご愛顧を、本年も引き続き賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。

 

 

 今日は風も穏やかで、光の暖かさを感じられる日和です。思えば冬至から約2週間が経とうとしています。どれだけ日が長くなっただろうと夕方注意していると、私にはやはり少し日が延びたように感じられます。写真のようにこの朝には未だ人影のないお隣の児童公園ですが、少し延びた昼間をすくい取ろうとばかり、夕暮れまで子どもたちが元気に遊んでいます。「早く帰ろうよ」というお母さんの声も空しい子供の元気さ。子どもは風の子、その姿を見ては明るい希望が常に開かれていることを私は感じます。

 

 ところで「今年はよいことがありますように」と、皆様も神仏にお願いしたでしょうか。今年の初詣で私はその言葉をふと思い出しました。

 よいことがありますように、良い年になりますように…、何があればあるいは起これば皆様にとって「よく」なるでしょうか。

 

 予科練平和記念館にとっては、やはり1人でも多くの方にご来館いただくことが「よいこと」になるでしょう。予科練の歴史、また戦争があったという歴史をよく知ることは、現在に幸せをもたらす大きな力になると言って間違いありません。

 ですから「1人でも多くの方にご来館いただけるように」私たち職員は現実的な課題を1つ1つ丁寧に解決していきたいと考えています。予科練平和記念館には「こうあってほしい」また、「このようなことをやってほしい」などのご要望がありましたら、当記念館ホームページ下段にある「お問い合わせ」からでも、またご来館いただいたときにアンケートでお知らせいただいても、あるいはまた直接職員にご意見を言っていただいても結構です。多くのご意見をお寄せ下さい。

 今年は辰年です。十二支に唯一入っている想像上の生き物「龍」の年です。様々な福をもたらす存在として中国で考え出され、日本にも定着してきました。

 難しく考えず、またのんきに「今年はたくさんよいことに恵まれる」と思い、この一年を走り出しませんか。

今年最後の開館日

12月 28th, 2011

みなさんこんにちは。

2011年も残すところあとわずかとなりましたね。

もう冬休みにはいってのんびりしていらっしゃる方、今日が仕事納めの方、

海外へ飛び立とうとなさっている方、さまざまいらっしゃると思います。

 

今日は今年最後の開館日ですが、風邪を引いて迎えてしまった学芸員Wです。

どうしてこんなに風邪を引きやすいのか・・・来年こそはもう少し

強くなりたいと思っています・・・実は毎年思っています・・・。

 

 

お昼過ぎに、浮世絵の波のような雲が浮んでいました。

これで千鳥でもいたら、着物の柄にでもなりそうな感じでした。

 

 

 

 

冬の日が落ちるのは早いもので、1時間後には夕日を受けて光っていました。

予科練平和記念館にとって、今年最後の一日が暮れていきます。

 

 

 

年末なので、収蔵庫の中も何日かかけてお掃除しました。

今日は、解説員Oさんがとってもきれいにお掃除中。

こざっぱりした収蔵庫の中で、心なしか資料も嬉しそうでした。

 

 

今年を振り返ると、未曾有の大災害によって多くのものが失われました。

地震の前と後では、まるっきり世界が変わってしまったかのようにも感じられます。

予科練平和記念館も、この地震で38日間の休館を余儀なくされました。

建物のあちこちに被害が出て、修復までにいろいろと大変なこともありました。

 

それでも、まだ再開することが難しい館があるなかで、予科練平和記念館は以前と同じように

全国からお客様をお迎えすることができます。

本当にありがたいことだと思います。

 

今日は最後の開館日だから、とおっしゃって、仙台にお住まいの元予科練生が

お疲れ様のお電話をくださいました。

こうして記念館を気遣ってくださる方がいらっしゃることも、本当にありがたいことです。

仙台は雪が降って寒いとのこと。

どうぞ暖かくして、よいお年をお迎えください。

 

今年一年、皆さんにとってどのような年だったでしょうか。

 

良かった方はそれが続きますように。

良くないと思われた方は、良くなる前には悪い膿がたくさんでることがあるそうです。

それが出きったら、きっと良くなります。

トンネルはいつか抜ける、と、私Wも信じております。

 

 

今年一年、予科練平和記念館をご支援くださいましてありがとうございました。

新しい年が良いものでありますよう、心から願っております。

 また新年にお会いしましょう!

 

予科練平和記念館年末年始休館

2011年12月29日(木)~2012年1月3日(火)

 

おおらかに生きる②「阿見上空の飛行機」

12月 22nd, 2011

 今年も師走を迎えました、と、このブログで書きましたが、はや年の瀬を迎えようとしています。「もう夏か」「もう秋か」と同じようなことを言い続け、そうなるだろうと思っていた通り「もう正月か」と言うことになりました。光陰矢の如し…。しかし時の経つのが早く感じられるのは、今成すべきことが多いという裏返しなのでしょう。その意味で「中年真っ盛り」の私は、積んできた経験を自身に、またお世話になってきた方々へ一所懸命に還元していることを、むしろホッとするべきなのだと考えています。そういう時を迎えられることが、ありふれたようでも、人生にとって最も大切なことかと中年の私は思います。

 

 とは言え、仕事に忙殺されていると心に余裕を持てなくなります。人間、パンのみにて生きるに非ず。日々温かい人情に触れ、また現在の冬景色からも美しさを感じ取り、平凡ながらも今生きていることに安心する、ひいては感謝する気持ちを持ちたいものです。

 

 私が予科練平和記念館に勤務していて癒されるものの1つに、上空を飛ぶ飛行機があります。

 

 

 阿見町には飛行機を管制する誘導塔があるためか、町上空を通過する飛行機の数が多いようです。もう少し南に位置する龍ヶ崎市あたりでは、成田空港への着陸態勢に入っている飛行機、離陸して間もない飛行機がそれこそ機影も大きく飛び交っており、まだ視力に恵まれている私には飛行機会社のマークさえよく見えるのですが、阿見町上空の飛行機はそこまで高度を下げてはいないようです。

 

 

 しかし、最近、当記念館の真上あたりを低空で旋回する飛行機が増えています。成田あるいは羽田への着陸待ちをしているのだろう、と私は見ていますが、そのときの機影はずいぶん大きく映ります。日本の会社で言えばJAL、ANAなどのロゴが私にはよく見えますし、会社名は知らない外国機も確認できます。

 

  

 

 飛行機っていいなぁ、と私は思ってしまいます。なんだか悠々としている。例えば地面を走ればここ阿見町から成田空港までもそれなりの時間がかかりますが、空の常識ではその距離などあってないようなものなのかもしれません。サッとどこにでも行けるとはこのようなことか、と飛行機を羨ましく思ってしまいます。事故が起きないよう様々な取り決めがあって飛ぶための空は狭くなっているのかもしれませんが、私のような素人は自由に空間を切り取って移動していくように見たがるのでしょうか。地にいて私は、大空に、飛行機に憧れます。

 

 

 

 飛行機を見ていると、自分が行ってみたい世界中の景色を自然と思い描き始めるのは私だけでしょうか。「日曜日には地図を見よ。そうすれば、旅する気持ちで日曜日が過ごせるよ」とイギリスの作家が書いていたのを思い出します。空と飛行機は、なんと大きな力を内蔵していることでしょうか。

 

 かつて大空に憧れて入隊した予科練生も多いと聞いています。自由に飛んで、思いのままに移動してみたい、とは、人間が誕生したときから心の奥底に潜む根本的な欲望なのかもしれません。

 

 空を飛ぶことは今日、平和を作り出すためにのみ利用されている手段ではありません。しかし、空飛ぶ飛行機を見て理屈なしに「ああ、いいなぁ」と思う気持ちを私は大切にしたいと思います。

 夢が膨らむ、とはこのような気持ちを表すのではないでしょうか。

龍の飛ぶ空

12月 10th, 2011

みなさんこんにちは。

やっと風邪から復活してきた学芸員Wです。

今年の風邪は頭痛がひどく、長引く傾向にあるそうですので、

みなさんも今夜の皆既月食を見る際にはどうぞお気をつけくださいね。

 

 

昨日、茨城県の水戸市では初雪が観測されました。

今朝も冷え込んで、外に出ているすべてのものにうっすらと霜がおりていました。

本格的に冬がきたことを一気に実感する寒さです。

 

 

今日は昨日とうってかわってきれいな青空でした。

館の前にある桜の木も、きれいに赤く染まった葉を散らして冬の姿になりつつあります。

 

 

 

晴れ上がった空に、龍のような姿をした長い雲がかかっていました。

 

 

写真で見るとなんとなく鮭の頭?のようでもありますが・・・

折角なので館も一緒に写真に納めようと欲張って、わかりにくい写真に

なってしまいました・・・。

館を正面に見て右に頭のようなところがあり、そこから細長い体が

空の対角線上のはるか向こうまでひゅるんと伸びていました。

ちょうど大きな龍が、館に向って飛んできているようなかっこうです。

 

来年は辰年・・・何かいいことがありそうな予感です。

 

 

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さて、今日は第4回所蔵資料展の会場の様子を少しご紹介したいと思います。

 

 

 

今回の展示では、兵役が終わったり、入隊した隊が解散したりと、

いろんな節目に記念品として作られた

明治や大正期の盃や徳利を130点ほど展示しています。

徴兵で入るのは陸軍が圧倒的に多かったので、展示してあるのも

陸軍関係の盃がメインです。

デザインがちがったり、歌が書かれていたりして、それぞれ趣向を凝らしたつくりに

なっています。

 

 

そういえば、今NHKで司馬遼太郎の小説『坂の上の雲』のドラマが放送されていますね。

先週は、ちょうど日露戦争における旅順(りょじゅん)攻撃の激しい戦闘場面が

描かれていました。

 

堅固な守りの旅順要塞から攻撃するロシア軍に対して、総攻撃をかける日本軍は、

歩兵が味方の屍(しかばね)を超えながら突撃していくという感じで、

こうした歩兵は多くが徴兵で集められた一般の人たちだったんだな・・・と思うと

何ともいえない気持ちになって見ていました。

 

 

今展示してある盃は表面を上にして展示していますが、裏を返してみると、

高台(こうだい うつわの下にある台の部分です)などに

苗字が書かれているものが多くあります。

 

もしかしたらこの人も、遠い地で戦ったのかもしれない、とか

この盃はどういうめぐり合わせで予科練平和記念館が安住の地になったのだろうかと思うと、

何か不思議な感じがします。

 

 

そのまま見るだけでもいろんなデザインがあって面白いのですが、

もう一歩踏み込むと、きっともっといろんなことが見えてくると思います。

ご来館の折には、ぜひご覧になってみてくださいね。

 

 

第4回所蔵資料展『重キ務メヲナシオヘテ‐除隊記念品展』

平成23年11月29日(火)~平成24年3月25日(日)

9:00~17:00(入館は16:30まで)

予科練平和記念館20世紀ホール

常設展観覧料に含まれます。

大人500(400)円 小中高生300(240)円

※( )内は20名以上の団体及び割引提携カード提示時の料金

 

 

 

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余談ですが・・・

風邪で頭痛に打ちのめされてるあいだ、『困っている人』(大野更紗著)という本を読み返しました。

大学院生の時に突然原因のわからない難病を発症した大野更紗さんが

闘病の日々を綴った本ですが、

本当に大変な状況にあるけれど一日一日を時にとてつもない行動力をもって生きていて、

その毎日がひょうひょうとしたユーモアを交えて記されています。

うまく言えませんが、とにかく驚きの本です。

人の人生はどうなっていくのか本当にわからないけれど、どんな状況にあっても

前に進むことはできるんだって、勇気づけられます。

 

大野さんは最近、コピーライターの糸井重里さん(「となりのトトロ」でさつきとメイの

お父さんの声もしています)と対談をなさったようで、

その様子がウェブ上で公開されています。

 

「ほぼ日刊イトイ新聞」という、糸井重里さんが代表を務める会社が運営しているサイトで、

毎日に疲れた頭をちょっとリフレッシュすることができる記事がたくさん載っています。

 

ほぼ日刊イトイ新聞「健全な好奇心は病に負けない。」大野更紗×糸井重里

http://www.1101.com/komatteruhito/index.html

 

ぜひご覧になってみてくださいね。

 

 

もし、ここまで読んでくださったみなさんが、一年の終わりを目前にして

いろいろ悩んでいたら、こちらもお勧めです。

 ↓ ↓ ↓

ほぼ日刊イトイ新聞「大人の小論文教室」山田ズーニー

 http://www.1101.com/essay/

 

 

 

話は戻りまして、大野更紗さんは福島県のご出身で、ご実家は

東京電力福島第一原子力発電所の近くなのだそうです。

(著書の中では「ムーミン谷」と呼ばれています。「ムーミンパパ・ママ」や

「じっち・ばっぱ」がいて、子どもの頃のお茶うけは白砂糖だったそうです。)

 

東日本大震災から明日で9ヶ月です。

避難区域ぎりぎりにあるというムーミン谷は、今どうなっているのでしょうか。

たくさんのじっちさんやばっぱさんは、どうしているのでしょうか。

もし今日、記念館の上空にいた雲の龍が瑞兆であるなら、

ムーミン谷へも飛んでいってほしいと、非現実的ですが思ってしまいます。

 

 

公共の場でお目汚しながらも発言させていただいている私にできることの一つとして、

自分も含めて、震災について繰り返し思いいたすきっかけになるような記事を書く、

ということもあるのかなと思っております。

 

予科練平和記念館を身近に感じていただけるように紹介するブログ、という

本来の主旨からは外れてしまうのですが・・・

未熟で読みづらい文章だと思いますが、これからもどうぞお付き合いいただければ

嬉しいです。

 

おおらかに生きる①「岡崎様の場合」

12月 9th, 2011

 今年も師走を迎えました。

  私にとって今年のお正月は遠い過去のことですが、こうして12月を迎えてみると、やはりあっという間にこの1年が経過してしまったように感じられます。思い起こすと、3月の大地震ばかりでなく、身近な1つ1つの出来事にも心や体を磨り減らしたものですが、過ぎてみれば「あっという間の出来事だった」と思ってしまう、これはどういうことなのでしょうか。

 私は現在、まったくの楽天主義で生きていますので「昨日までを忘れ、明日を夢見るように神様仏様がそうしてくださっている」のだと考えています。

 

 その意味では、生きる上でたいへん勉強になることが最近ありました。

  予科練平和記念館では常設展示でも昔を知る方々の映像を流していますが、出来るだけ多くの方から昔を語っていただき、それを記録する事業を行っています。

 12月に入って早々、予科練元甲種13期生の岡崎圭一郎様をご訪問し、お話をうかがう機会を得ました。

 

  予科練平和記念館にご来館いただいた方にとって、実は身近な存在であるかもしれません。玄関を入り第1番目の展示室に入ろうとするとき、澄んだ目で日本刀の手入れをしている予科練生の写真があります。昭和19年初夏に写真家土門拳は岡崎様を大きく撮影していたのでした。

 

 

 

  私がこの写真撮影の様子を伺って驚いたのは、岡崎様の「いつ撮影されたのかも分からなかった」とのお言葉。遠くからズームレンズを使って撮影したわけではないはずなので、私には正直言って不思議な思いがしました。

 

 

 岡崎様は戦後復員されてから薬剤師の資格を取得され、現在も東京杉並区で薬局を開業されている現役バリバリの薬剤師でいらっしゃいます。頭脳明晰、足腰も丈夫、と83歳には到底見えない方です。

 私は初対面でしたから、まず岡崎様の穏やかな笑顔が印象的でした。また、お話を伺っていく中でいつも感じられる大らかな口調は、人を決して苛々させない魅力だと思いました。そして、岡崎様が「戦後病気らしい病気はしたことがないね」と述懐されたそのお元気さの秘訣についてお尋ねしたとき「私は特に何もしてないんだけれど」というお返事でした。そこで私が一歩粘ると「まあ、適度に運動して、夜の食事はあまり摂り過ぎないようにして、酒は赤ワインが好きかな。とにかく、くよくよ考えたりしないことだね。そうなったらそうなったで仕方がない、ってね」

 このお言葉を引き出せただけでも、私は務めを果たせたような気がしました。予科練生には優秀な人材が揃っていたわけですが、岡崎様は旧制足利中学のご出身で、復員された後国体のバレーボール選手にも名を連ねたことがおありになるという、例に漏れず優秀な方です。「そうなったらそうなったで仕方がない」という考え方は、一つ踏み誤ると自堕落になるばかりでしょうが、目的を持ち、また強い意志を持ち生きて行く方にとっては、まるで「不老長寿」の霊水のような存在かもしれません。

 

 約2時間半の短いお付き合いでしたが、土門拳に「いつ撮影されたのかも分からなかった」という岡崎様が、私にはたいへん羨ましく思えました。生来の性格は余人には決して真似できないものです。岡崎様のご性質は悟りの境地「達観」を生む、まさに貴重な才能と言えるのではないでしょうか。

 このようなことを言えば「いやぁ、そんな大袈裟なことじゃないよ」と岡崎様は笑っておっしゃることでしょう。しかし、些細なことに一喜一憂し、無駄に命を磨り減らしているような凡人には、岡崎様のような存在こそ慈悲の「仏」なのかもしれません。

 

 私は予科練生に多くの逸材が存在し、そして若くして命を失って行った事実を知るごとに、その方々には生き残って是非とも日本のために働いていただきたかった、と考えるのです。「記念館にはご無沙汰して申し訳ない」と岡崎様はおっしゃっていましたが、現在のご多忙なご生活を出来るだけ長く続けていただきたいと心から思います。そして、人間としての優れた有り様の1つを、多くの後輩に見せていただきたいと思います。

 かつて予科練に集った方々も「岡崎もっとやれ」と大応援しているのではないでしょうか。

所蔵資料展がはじまります

11月 27th, 2011

みなさんこんにちは。

来週の29日(火)からはじまる所蔵資料展の準備に追われている

学芸員Wです。

所蔵資料展は学芸員の手作りで行なっておりますので、不器用な私は作業が遅く、

来週のオープンまでに間に合うかどうか、かなりドキドキしています。

 

今回の展示は今までとちょっと違っていて、明治~大正期の

除隊記念品を中心に、当館で所蔵している旧日本陸軍の資料を皆さんに

ご覧いただこうと思っております。

 

 

明治の人たちが徴兵による兵役を無事終えた記念につくった盃です。

 

 

日清・日露戦争に勝ったことを記念して作られた徳利です。

こうした記念品約130点を展示する予定です。

 

 

日本が国の軍隊を持つようになったのは明治時代からのことです。

徴兵令が施行されたのが明治6(1873)年。

明治22(1889)年に施行された大日本帝国憲法には

20歳以上の男子の兵役義務が明文化されました。

 

江戸時代の徳川幕府による政治から天皇を中心とした中央集権体制へと変わり、

西洋文明を積極的に取り入れて世界の列強に並ぼうとした日本。

各藩の士族が中心だった国防は、徴兵制により広く一般国民がになうことになります。

それまでの士族による封建的な軍隊ではなく、近代的な軍を作り上げることを

目的としたためです。

 

農業や漁業、林業といった一次産業に従事する人が多かった

時代のことですので、

働き盛りの男手を軍隊に送ることは大変だったと思います。

 

無事に兵役を終えた人たちは、記念品を作って配る習慣があったようで、

「除隊記念」「満期祈念」などと書かれた盃がたくさん残っています。

 

このほかにも、隊が改編されるときの記念の盃や、戦地から帰ってきたときに

作られた盃などがあります。

いわゆる「兵隊盃」といわれている一群で、様々なデザインのものがあり、

コレクターも多いとか。

また、日露戦争の後はこうした盃や徳利などがたくさんつくられて、陶磁器の産地は

好景気にわいたそうです。

歴史はいろんな側面がありますね。

 

今の日本には徴兵制度がありませんが、こうした資料から、軍が身近にあった時代の

人たちのことを考えていただければ・・・と思っています。

 

あわせまして、当館で所蔵している陸軍関係の資料も展示する予定です。

海軍の予科練とはまた違ったことが見えてくる資料の数々、ぜひご覧ください。

 

 

第4回所蔵資料展「重キ務メヲナシオヘテー除隊記念品展」

11月29日(火)~平成24年3月25日(日)

9:00~17:00(入館は16:30まで)

予科練平和記念館20世紀ホール

予科練平和記念館常設展観覧チケットでご覧いただけます

大人500(400) 小中高生300(240)円

(  )内は20名以上の団体料金及び各種割引提携カード提示による割引料金

 

 

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さて、街はすっかりクリスマス仕様になっていますね。

予科練平和記念館の館内にもクリスマスがやってきました。

 

 

帆かけ船の隣にあるのもまた味があります。

布でつくられたツリーは解説員のOさんお手製で、丸みを帯びて

温かみがあってとってもかわいいです。

Oさん、今年も飾ってくれてありがとうございます!

 

ツリーはお手洗いの中にもありますので、ご来館の際にはぜひ寄ってみてくださいね。

 

 

今年最後の月に向けてだんだんと忙しくなってきましたが、季節の楽しみに目を向けて

気持ちだけでもわくわくしていきたいものです。

空気が乾燥して風邪がはやってきましたので、皆さんもどうぞお気をつけくださいね。

 

イベント報告・歴史調査委員講演会

11月 22nd, 2011

 秋も深まってきました。テレビで北国の雪を見るようにもなると、関東の暖かさがありがたく思えます。予科練平和記念館がある阿見町にも筑波山から冷たい風がやってきますが、積雪がないということは本当に恵まれていると断言できます。

 皆さん、元気に動き回りましょう。

 

 さて、去る11月20日(日)に予科練平和記念館歴史調査委員講演会「連合艦隊司令長官 山本五十六元帥が阿見町に残したもの」が開催されました。多数の方に来ていただくことができました。ありがとうございました。

 

 

 講師は井元潔氏に務めていただきましたが、以下に講演の概要をお伝えします。

 

 

◇山本五十六とは

※1884年(明治17年)旧長岡藩(新潟県長岡市を中心とする)の儒学者であった高野家に生まれる。

※1916年(大正5年)旧長岡藩家老山本家の養子となる。長岡精神(文武両道、質実剛健、常在戦場、米百俵)を堅持した。

※1919年(大正8年)から2年間アメリカに駐在しハーバード大学に留学するなどの経験もあり、アメリカのことをよく知っていた。

※1924年(大正13年)霞ヶ浦海軍航空隊副長兼教頭となる(階級は大佐)。航空戦力の重要性に早くから気付き、海軍航空戦力の育成と発展に尽くした。

※1925年(大正14年)アメリカ大使館付武官として任官。(霞ヶ浦海軍航空隊には約1年3ヶ月いたことになる)

※日独伊三国軍事同盟締結、すなわちアメリカとの戦いに生命を懸けて反対した。「…現在、世界を見渡して、飛行機と軍艦では日本が先頭にたっていると思うが、しかし、工業力の点だけは全く比較にならぬ。米国の科学水準と工業力を併せ考え、また、石油のことだけをとってみても、日本は絶対に米国と闘うべきではない。…」(太平洋戦争開戦の2ヶ月半前、長岡中学同窓会における講演)

※連合艦隊司令長官として太平洋戦争の海軍を指揮し、1943年(昭和18年)4月18日ブーゲンビル島上空で戦死。

 

◇山本五十六元帥が阿見町に残したもの

1[霞ヶ浦海軍航空隊副長時]大正13~14年

※土浦市全国花火競技大会の開始・霞ヶ浦海軍航空隊海軍航空殉職者供養塔の建立

 山本大佐(当時)は・規律の刷新・航空事故防止施策・航空殉職者慰霊に力を注いだ。神龍寺の隣接地に住んでいた山本大佐は住職の秋元梅峰和尚と懇意になり、和尚の助言などもあって殉職者慰霊のための花火大会などを実現した。

※霞ヶ浦神社建立

 山本大佐は訓練中の事故などによる殉職者を少なくすることに腐心し、また、殉職者の慰霊に努めた。(靖国神社に祀られない殉職者慰霊)

 

 

※霞月楼との交流

 山本大佐は賭け事や将棋など遊びが好きな一面をもっていた。お世話になった霞月楼(土浦市)の2代目堀越正雄・満寿子夫妻には太平洋戦争開戦前夜に手紙(「…最後の御奉公に精進致居」の文言がある)を送っている。

 

2[航空本部長時]昭和11年

※搭乗員選抜に手相骨相を導入(霞ヶ浦海軍航空隊)

 

3[戦死後]昭和18年~現在

※山本五十六全身像建立

 山本五十六全身像は昭和18年12月に土浦海軍航空隊本部前・号令台横に建立された。予科練とは直接関係しなかった山本五十六像が土空に建立された理由について、昭和天皇の義理の兄・久邇宮朝融王(くにのみやあさあきらおう)の意向が強く反映されているのではないか、と井元氏は考えている。(予科練を含む練習連合航空隊司令長官であり、山本五十六との親交も深かった久邇宮朝融王は現在の稲敷市大日苑から土浦海軍航空隊へ通っておられた)

 

 

※常在戦場碑建立

 山本五十六が昭和10年に郷里長岡にて揮毫した「常在戦場」の碑は、昭和19年に土浦海軍航空隊内にあった土浦神社に建立された。その後、転変を経て、昭和35年に山本五十六元帥像があった台座に移され現在に至っている。

 

 山本五十六も1人の人間であり、公私それぞれにおいて長所・短所ない交ぜになった生き様を見せたものかと思います。しかし、人の上に立つ者が必ずと言っていいほどに備えている「人、特に弱者を思いやる心」を持ち、「現実を冷静に把握・分析し、行動の方針を立てる」ことができた人間のように私には感じられます。そして「勇気をもっていた」ことは、軍人であろうとなかろうと難しいことであると考えると、やはり尊敬の念が湧いてくるのです。

 

 歴史上の大人物の1人が阿見町に足跡を残してくれていることは阿見町にとってたいへん幸運なことです。

 残された形には必ず人の心が付き添うものですが、よい形にはよい心が刷り込まれているものです。皆様も山本五十六元帥が残した遺産を目にすることがあったときは、その人の心に是非思いを馳せていただきたく思います。

  今後も予科練平和記念館では各種の講演会を開催していく予定です。どうぞまた、当記念館に足をお運び下さい。