特別展「回天」へのいざない②

7月 15th, 2012

 徳山港を船で出発すると、点在する小島の間を縫うように、結構な大きさの船がそれこそ交通ルールを遵守して整然と航行している光景に出会います。瀬戸内では目の前にある海を船で行き来するのが昔から当たり前のことだった、ということを教えられるようです。 

 馬島港に到着し回天記念館へ向かうとまもなく坂が見えてきます。その坂は向かって右手にあたるのですが、左手には海が広がっています。

 整備された堤をトントンと駆け上がると、そこには青い海が見えます。瀬戸内の波は穏やかと聞いていましたが、本当に穏やかな波が幾重にも打ち寄せてきます。「見通しがきくときは、国東半島(大分県)まで見える」そう回天記念館・松本館長に教えていただきました。国東半島の南側には大神回天基地がありました。遠い昔、目の前の海が訓練する回天を包んでいたのだと思い、遙か遠くに思いが飛ぶようでした。

 そして目は、海中に突き出た構造物に移ります。これが大津島にあった魚雷発射試験場であり、訓練する回天の発着場でした。

 ここへ行くためにはトンネルを通って行きます。かつて、敷かれたレ-ルの上を訓練用の回天が発着場まで運ばれていった通り道です。私にはそれほど不気味に感じるところのないトンネルでした。ただ、発着場に近づき幅が広がったところで、現在は回天の説明パネルが展示してある照明付きの明るい場所に差しかかったとき、いきなり案内の音声が高らかに流れ始めました。平日の昼間ですから島にそれほどの来客はありませんでした。私は帰りの船の時刻を気にしながら、同時になにかしみじみした気持ちで1人歩いていましたので、正しく働いたセンサーに対して、本当に久しぶりに心からびっくりしました。私は驚きの声をトンネルに刻んできました。アテンションプリーズ…。

 

 発着場には危険な箇所に金網がかけられているので特に心配はありません。しかし、金網越しに覗ける魚雷発射のための「コンクリート洞窟」とも言うべきところには、一見穏やかそうだった波が打ち付け、砕ける音が響き渡り、海・水がもつエネルギーの恐ろしさを私に伝えてきました。海と渡り合った海軍の人たちの度胸に恐れ入り、またどうせならその気力こそ平和な社会で発揮したいものだと思いました。

 発着場には、回天を上げ下ろししたクレーン跡などが残り遺跡としても一見の価値ありですが、そこから眺める大津島、馬島の円く穏やかな風情、そして九州は国東半島まで届く大海原の明るさがたいへん魅力的です。

 

 再びトンネルを歩き、坂を上り詰めると回天記念館に到着します。私が4月に訪問したときは、道中、ソメイヨシノと山桜が混在する桜のトンネルを抜けていくこととなりました。

 

 回天記念館に入館する前に、右手にある「回天碑」の前で哀悼の意を表しました。そのすぐ左には回天一型の模型があり、その向こうには徳山の町へと続く青い海が穏やかに光っています。

たなばたおさんぽの会

7月 7th, 2012

【速報】つばめのひなが巣立ちました

しばらくの間、お客様のみならず館職員も楽しませてくれていた

つばめのひなが飛び立ちました。

結局かえったのは一羽だけだったらしく、親をもしのぐほど

まるまるとして巣立って行ったそうです。

元気に大きくなって、こんどは親になって帰ってきてくれることを

楽しみにしています。

 

 

みなさんこんにちは。

学芸員Wです。

気づけばもう7月。1年の半分が過ぎましたね。

みなさんは今年の上半期、どのようにお過ごしでしたか?

充実している方はそのままに、思ったようにいかなかった方は、

その倍以上素晴らしいことが下半期に起こりますように、

お祈りしております。

 

 

 

さて、先日、予科練平和記念館に

君塚陸上幕僚長がおみえになりました。

陸上自衛隊のトップの方です。

 

 

 

そんな偉い方をおむかえしてご案内するのははじめてだったので

とても緊張していました。

というのも、何日か前からおとなりの土浦駐屯地で

陸上幕僚長をお迎えする予行練習が行われていて、

いつも仲良くしてくださる広報班の方が、その様子を

いろいろと教えてくださったので、

自衛隊さんについて不勉強な私でも、「これは大変なことだ」と

感じたからです。

 

でも、当日お会いした幕僚長は、とても柔和な笑顔で

人をあたたかく包み込むような雰囲気をお持ちの方でした。

私たちが暮らす日本を見守るという責任の重い大変なお仕事をなさっておられるので、

もっと厳しい方なのかなと勝手に思っておりましたが、

ときどきユーモアもおっしゃる、すてきな方でした。

同時に、その人の裏側まで瞬時に察するような、人を見る目をお持ちのようにも

感じました。

 

自衛隊さんといえば、被災地での行方不明者の捜索やがれきの撤去、

物資の輸送や被災者の方々の生活の保護など、

本当に大変なお仕事をしてくださいました。

 

私などがこんなことを言うのはおこがましい気がいたしますが、

大きな地震を経験して、本当に困ったときに

助けにきてくださる人たちがいることはありがたいことだなと感じました。

 

だから、そうした人たちのトップに立つ方が素晴らしい方で、

本当によかったな、と思います。

 

分刻みのスケジュールで、お伝えしたいことがうまくお話できませんでしたが、

もしよろしければ、今度はプライベートでまたぜひ

ゆっくりご来館いただけたら嬉しいなと思っております。

 

 

幕僚長のメダルもいただきました。

とても珍しいものだそうです。

お写真と一緒に飾らせていただきたいと思っておりますので、

皆さんもご来館の折にはぜひご覧くださいね。

 

 

さて、今日7日(土)は七夕です。

予科練平和記念館では、こども向けの企画

「おはなしおさんぽの会&昔の遊びをやってみよう!の会」を

開催いたしました。

 

今回は絵本3冊と紙しばい1つを読みました。

 大きなトマトのお話 「トマトさん」

戦時中に上野動物園であったお話 「かわいそうなぞう」(紙しばい)

ちいさなゴリラのお話 「ちびごりらのちびちび」

七夕のお話 「たなばたものがたり」

です。

 

 

 

よみきかせのあとは、みんなでたなばたかざりを作りました。

おりひめとひこぼしの短冊にかわいい顔をかいたり、

星のかざりをつけたり、

おねがいごとを書いたり・・・。

 

 

 

つくったかざりは、小さなささに飾ってお持ち帰りいただきました。

おうちに飾って、ご家族のみなさんで楽しんでいただけたら

嬉しいなと思っております。

 

 

 

 

たなばたかざりを作ったあとは、竹とんぼ名人が作った

竹とんぼを、館内のホールで飛ばして遊びました。

 

 

 

 

さすが名人がつくった竹とんぼ、よく飛びます。

お子さんたちは汗だくになって飛ばしまくり、走りまくりでした。

一人一つずつプレゼントしましたので、帰った後も

ご家族で飛ばして遊んでいただければと思います。

 

今回、「竹」にこだわった遊びをご提案したのには理由があります。

予科練平和記念館がある阿見町は、町の面積に占める竹林の割合が

茨城県内で一番広いのだそうです。

 

今回遊びに使っている竹は、町内の区長さんがご好意で分けてくださったものです。

また、町商工観光課の方にも、竹の切り出し等大変お世話になりました。

本当にありがとうございます。

地元のものを使って、昔のこどもも楽しんだ遊びができるというのは、

とってもすばらしいことだなと思いますので、

またこうした楽しい企画を立てていきたいと思います。

 

おはなしおさんぽの会、次回は11月24日(土)です。

お子さまと一緒に、ぜひご来館ください。

 

また、来週末には、「女性が語る戦争」と題しまして、土日連続で

戦争を体験された女性のお話をうかがいます。

 こちらもぜひご参加ください。

 お待ちいたしております。

 

女性が語る戦争 Vol.1「昭和ガールズトーク」

7月14日(土)13:00開場 13:30開始

無料

Vol.2「土空看護婦が語る予科練と空襲」

7月14日(土)13:00開場 13:30開始

無料

 

https://www.yokaren-heiwa.jp/05tenrankai/04event.html

 

 

 

祝!15万人

7月 1st, 2012

 予科練平和記念館は、本日7月1日(日)、平成22年2月の開館以来15万人目のお客様を

お迎えしました。

 

記念すべき15万人目のお客様は、土浦市板谷からお越しの富田さんご家族です。

当館職員が待ちうける中、午後2時57分に入館された富田彰汰君(都和小5年)、

大騎君(同3年)が記念すべき15万人目のお客様となりました。

ご両親の仁さん、淳子さんとご家族4名でお越しいただきました。

 

お二人には、記念のくす玉を割っていただき、加藤館長から15万人目の認定証と

予科練クッキー、書籍、赤とんぼの模型など記念品を贈呈させていただきました。

 

「入口にくす玉が下がっていたけど、まさか僕たちが15万人目だなんて、

すごくびっくりした。でもラッキー」ととても喜んでいただきました。

 

 

お父さんによると、お隣の公園には何度か来ていただいているそうで、今度は記念館に

行ってみようと話していたところ、通りにある、所蔵資料展「兄を追って」(本日最終日)の

看板をご覧になってご来館いただいたそうです。

 当館としましても、若いご家族に戦争の歴史をお伝えできるのは、館設立の趣旨にも

かなうものでとてもうれしく思います。

 

 

15万人は、平成22年2月2日の開館以来2年5か月、712日目での達成となりました。

これまでご来館いただいた方々をはじめ、ご協力をいただいております関係者の皆様に心より

御礼申し上げます。

 

先日のブログで紹介しました、つばめのひなも今日は大きく羽を広げ、さかんに飛び立つ練習を

しています。当館の15万人目のお客様をお迎えしてから大きく飛び立つつもりだったのでしょう。

 

当館では、7月、8月と展示会などイベントが目白押しです。21日からは「特別展回天」が

スタートするほか、読み聞かせの会、戦時を経験した女性が語る戦争講演会、回天搭乗員に

よる講演会などなど。

 

当館では、これからも予科練生の姿を通して、命の尊さ平和の大切さを伝えてまいりたいと

考えております。

お近くにお越しの際は、ぜひお立ち寄りください。お待ちしております。

 

のんぶのこと

6月 27th, 2012

【速報】つばめのひながかえりました

おとうさんとおかあさんが交代でご飯を運んでいます。

 

 

一眼レフカメラを構えてシャッターチャンスを待っていましたが、

なかなかみなさんに伝わるような写真が撮れず・・・

右側の親つばめのとなりでちょこんと頭を出しているのが

ひなつばめです。

日に日に動きが大きくなってきているように思います。

ますます楽しみになってきました。

 

みなさんこんにちは。

学芸員Wです。

昨日に続いて今日も梅雨の中休みとなり、時々陽射しが入る予科練平和記念館です。

明日以降はまた梅雨らしいお天気になるそうですので、

梅雨バテにならないよう、みなさんもどうぞお気をつけくださいね。

 

さて、4月より開催しておりました第5回所蔵資料展『兄を追って』展ですが、

いよいよ今週末までとなりました。

たくさんの方にご来場いただき、本当にありがとうございました。

とりわけ今回の展示は、貴重な資料を寄贈してくださり、NHKさんの取材にも快く

応じてくださった辻 猛さんのお力によるところが大きいと思っております。

予科練だったお兄さんを想う猛さんのお気持ちが一つの形になったことで、

多くの方に大切なメッセージを届けることができたのではないかと思います。

これからも、予科練平和記念館に寄贈されている貴重な資料を

みなさんにご覧いただける展示を企画してまいりますので、

ぜひご覧ください。

 

第5回所蔵資料展『兄を追って』

7月1日(日)まで開催

9:00~17:00(入館は16:30まで)

常設展観覧チケットでご覧いただけます。

 

 

 

 

予科練平和記念館には、毎日さまざまなお客様がご来館くださっています。

なかには、ご自分の戦時中の体験をお話しくださる方もたくさんいらっしゃいます。

今日は、そのうちのお一人からうかがったお話を

ご紹介してみたいと思います。

 

 

展示室7「特攻」の前で待機していた解説員さんが、

「敷島隊の谷さんの同級生がいらしてますよ」と教えてくれたのは

5月3日、憲法記念日のことでした。

 

「敷島隊」というのは、海軍の特別攻撃作戦において

最初に戦果が確認されたとされる神風特別攻撃隊「敷島隊」のことで、

谷さんとは、隊員で元予科練生の谷暢夫(のぶお)さんのことです。

 

戦局がいよいよ厳しさを増した1944(昭和19)年10月、

爆弾を装備した零戦で敵艦隊に突入する特別攻撃 「特攻」作戦が決行されます。

最初の特攻隊「敷島隊」「大和隊」「朝日隊」「山桜隊」の4隊は、

予科練出身者を中心に編成されました。

 

敷島隊隊長の関行男さんと、予科練甲10期生の谷暢夫さん、

中野磐雄(いわお)さん、丙15期永峯肇(はじめ)さん、丙17期大黒繁男さんは、

1944(昭和19)年10月25日、フィリピンのマバラカット飛行場から

零戦に乗って飛び立ち、

命とひきかえの体当たり攻撃で護衛空母1隻を沈め、

3隻に大打撃を与えるという

戦果をあげたことが記録されています。

 

谷さんは、隊長の関機に次いで二番機で出撃。

森志朗著『敷島隊の五人』には、その最期が次のように記されています。

 

同艦(護衛空母カリニン・ベイ W注)「戦闘報告」は、関行男の最期を

次のように記述している。

「(零戦)突入と同時に、火焔(かえん)が噴き上げ、激しい熱気が飛行甲板に

みなぎった。しかしながら、それは、爆弾の破裂によるものではなかった。

甲板には大穴があき、火災が発生した。体当たりした零戦は粉々になったが、

胴体部分は飛行甲板前方をくるくる転がって行き、左舷側から海に転落した」 (中略)

舞鶴出身の一青年谷暢夫もまた、冷静に自らの使命を意識していたようである。

関の突入が不発に終わったことを知るや、彼はカリニン・ベイに向けて急降下をはじめた。

谷の突入角度はさらに急で、七〇度に近かった。

ただ一番機とちがってこの零戦は、無数の対空砲火の命中弾をあび、

すでに焔を吹き出していた。 (中略)

谷の零戦は危ういところで海中への転落を避けることができ、

かろうじて左舷舷側に体当たりした。機体は海に沈んだが、

今度は二五〇キロ爆弾が破裂し、水柱を吹き上げ、艦体にショックをあたえた。

 

 

息詰まる描写から伝わってくる谷さんは、何か人を超えたような強い意志で

自分の乗っている零戦の何倍もある大きな艦船にむかって行った、

という印象を受けます。

 

 

でも、本当の谷さんは、どのような方だったのでしょうか。

 

 

谷さんと舞鶴中学で同級生だったというSさんは、次のようなお話をしてくださいました。

 

― 谷さんはどんな方でしたか?

谷さんは2人兄弟で、お寺の息子でした。

あだ名は「のんぶ」。のん気なところがあって、誰かとけんかをするようなところはありませんでした。

軍人に向いているタイプではないと思っていました。

 

― 谷さんのことで、一番思い出に残っていることは何ですか?

中学のとき、漢文の先生がクラスの笑いをとるために谷さんを

何度もあてたことがありました。

みんなは「またのんぶが当った」という感じで笑ったことをよく覚えています。

 

― 谷さんが予科練に入ったことについて、どのように思いましたか?

予科練に入隊したのは急なことで、どうして予科練に行ったのか、と思っていました。

海兵(海軍兵学校)や陸士(陸軍士官学校)への道もあり、

皆それを目指していたので、

谷さんの入隊は突然のことで驚きました。

穏やかな性格の谷さんが特攻隊になったことを考えると、

だいぶ訓練を頑張ったのではないか。

よく、辛抱したと思います。

戦後谷さんの親御さんに聞いたところ、最後に帰ってきたときの様子で、

何かあるのではないか、と思ったそうです。

 

― 谷さんが最初の特攻隊になったことについて、どう思われましたか?

何故谷さんが特攻隊に選ばれたのか。海軍に対して言いたいことは今でもあります。

しかし当時はそういうことを口に出したらどうなるかわからない時代でした。

 

 

今日は久しぶりに谷さんに会えて嬉しい。

Sさんは目に少し涙をにじませて、最後にそうおっしゃいました。

 

遠い昔の記憶をたぐるように、少しずつ、少しずつ語ってくださった言葉は

とても重く、ぜひみなさんにもSさんのお話をご紹介したい、と思っていました。

 

谷暢夫さん(『敷島隊の五人』より)

 

 

みなさんは、どう思われましたでしょうか。

 

 

私のような泡沫学芸員ができることといえば、こうした方たちの声を

いただいて、広くみなさんにお知らせすることかもしれないと思っています。

 

またお話を聞く機会がありましたら、お知らせしますね。

 

 

特別展「回天」へのいざない①

6月 22nd, 2012

 私はうっかりして、夏至を迎えたと自覚せずにその1日を過ごしてしまいました。なんと、もう日が短くなり始めるのです。これからますます暑くなっていきますが、暑かろうが寒かろうが夕方の日の長さに安心感を覚える私にとって、夏至こそが一大事です。寂しくなります。

 

 しかし、予科練にふさわしい青空が広がる夏にむけて、予科練平和記念館では特別展が始まります。

 ホームページでは先行して広報を始めていますが、今夏7/21(土)から10/28(日)まで、特別展「回天」を開催いたします。

 「回天」展を開催する動機ですが、2006年(平成18年)にTBS系列の2時間ドラマとして放送された「僕たちの戦争」という番組があり(主演:森山未來)、その撮影に使われ、後に阿見町に寄贈された実物大の回天一型模型を実物大資料として見ていただこうということが一つあります。芸術作品もそうですが、物の大きさ、色、形には必ず意味があります。特攻兵器として誕生した回天の意味を、実物大資料から実感していただきたいと考えています。

 また、戦後まで予科練教育の中心地であった土浦海軍航空隊において訓練を受けていた甲飛13期生(昭和18年12月入隊者)からも回天搭乗員が選抜され戦死者も数えており、予科練というものについても再考していただく機会になると考えています。

 以上の理由を主にして、戦争、特攻について改めて考え、平和の大切さや命の尊さを皆さんと一緒に考え直す機会とすることを特別展開催の主旨としています。

 機会が許される限り、回天についてご紹介していきます。

 今回は、回天の故郷、とも言える山口県周南市(旧徳山市)や大津島についてご紹介します。

 私が展覧会開催のため回天記念館を訪問したのが4月、桜が満開の時でした。

 

 写真は私が泊まったホテルから見える徳山の様子です。稜線が美しい山をもつ町です。かつて地理の授業で習ったように、新幹線に乗り徳山に近づくと大きな石油化学コンビナートが海岸線に立ち並び、その規模の大きさからも重工業の町としての歴史を感じました。海を控えた町でもあり、美味しい魚を売りにしている食事処・居酒屋が多い町でもありました。

 私が島へ渡った日は快晴で、暖かく、見晴らしがよい日でした。

 驚いたのは、島の海の美しさです。透明なばかりでなく青々と透き通り、まるで南国のような瀬戸内の海でした。この美しさは昔から変わらないものだろう、と私は思いました。京都の夕焼け空の美しさが清少納言、紫式部の時代と変わらないであろうように。このような美しい海で、特攻「回天」の訓練が行われていたのかと思うと、戦争の残酷さを改めて考えさせられました。

 島には桜が咲き誇り、人口が少ないこともありますがたいへん静かなところで、「ここは回天の故郷なんです」という回天記念館松本紀是館長のお話が何より実感できました。

 茨城からは遠い山口大津島ですが、その風景を見るだけでも、是非とも訪れてほしい土地だと私は思っています。

幸せの黄色い数珠

6月 16th, 2012

みなさんこんにちは。

オリンピックイヤーということもあり、最近のニュースはスポーツの

話題で盛り上がっていますね。

そんななか、火曜日のサッカー日本代表対オーストラリア戦で、今週一週間分の

全体力を使い果たした学芸員Wです。

 

サッカーをよく知らない私でも、いろんな場面で疑問が残るジャッジが

下されていたように思われて、

個人的にはまだもやもやを引きずっていますが、

それが世界で戦うことの厳しさなのかも知れないな、と思って自分を納得させています。

そういう状況でも全力で戦っているザックジャパンのみなさんは、

ひかえの選手や裏方の方たちも含めて本当にすばらしいですね。

試合を見ている方たちにも、子どもたちにも、大きな夢を与えてくださっています。

私も勇気をもらいました。

エキサイティングな三連戦で毎日が楽しかったです。ありがとうございました!

 

オーストラリア戦応援のための弾丸ツアーに参加したサポーターさんたちの

帰りの飛行機が、たまたまザックジャパンのみなさんと同じだったそうですが、

監督や選手たちがサポーターさんの席をあいさつしてまわってくれたそうですね。

毎試合後のインタビューで、いつもサポーターさんたちへの感謝を

言葉にしてくださる選手のみなさんですが、

言葉だけではなく実際に行動なさるところが、とても男前だと思います。

さすがSAMURAI BLUE。強いからこそ優しくなれるんですね。

 

次の予選は鹿島アントラーズでも活躍されたジーコ監督が率いるイラク。

9月のこの試合も見逃せませんね。全力で応援したいと思います。

 

 

予科練平和記念館で今見逃せないものといえばこれ。

 

 

 

つばめさんたちです。

監視カメラの上でたまごをあたためています。

今日もなにか動きがあったのか、しきりにたまごを気にしているような

そぶりを見せています。

もしかしたらもう間もなく生まれるかな、と、みんなで楽しみにしています。

 

 

さて、先日6月10日(日)には、阿見空襲の慰霊祭が行われました。

今年もこのお二方がご来館くださいました。

 

 

元特別丙種予科練習生(台湾、朝鮮半島出身の予科練習生)の教員だった

橅木(かぶらぎ)光一郎さん(左)と、元甲種14期予科練生の佐藤彰男さん(右)です。

 

佐藤さんは、柔和な笑顔が印象的で、とっても紳士です。

記念館にもたくさん資料を寄贈してくださっていて、その一部を

展示させていただいております。

 

橅木さんは、展示室6「窮迫」の映像の中にも出演して

くださっています。

この映像を撮影したのは夏の暑い日だったのですが、

まわりが暑さでぐったりしているなか、

橅木さんはきちんとジャケットをお召しになり、背筋を伸ばして,

恐ろしい空襲の経験をお話してくださったのがとても印象に残っています。

 

91歳の今もお元気で、この日もご自分で車を運転してのご来館でした。

 

橅木さんはお見えになってすぐ、「これをあげるから」と、私の腕に

黄色い数珠をつけてくださいました。

戦後、受け持っていた台湾の予科練生たちの招待を受けて

台湾旅行をなさったときにいただいたものだそうです。

 

そんな大切なものをいただいていいものかどうか迷いましたが、

「孫娘のようなものだ」と言ってくださる橅木さんのお気持ちがありがたく、

喜んで頂戴することにいたしました。

 

橅木さんは、1942(昭和17)年徴兵により海軍に入団、巡洋艦「高雄」に乗り組みます。

沈没する船から日本兵を助けたり、ダッチハーバーで実戦に参加したりと

様々な経験をなさり、けがの療養後に土浦海軍航空隊に教員として赴任します。

その1ヵ月後、1945(昭和)20年6月10日、勤務地の土浦海軍航空隊は

大規模な空襲にみまわれました。

 

 

橅木さんはその日の朝、警戒警報が発令されたために見張りの責任者として

庁舎の屋上にいたそうです。

空襲は4回にわけて行われ、1回目はそれほど被害がなかったそうですが、

2回目は、低空で侵入してきたB-29が落とす爆弾が兵舎及び講堂に命中、

周りがものすごい勢いで火の海になったため、「総員退避」の命令で

あらかじめ決められていた退避壕に逃げたそうです。

 

その壕に何となく違和感を覚えた橅木さんが別な退避壕に移動したところ、

3回目の空襲で最初に入った壕と庁舎屋上が直撃され、

そこにいた方たちは全員死亡、あたりはおびただしいけが人と死体が散乱して、

橅木さんの言葉を借りれば「阿鼻叫喚(あびきょうかん)の修羅場」だったそうです。

 

まさに危機一髪命を永らえた橅木さん。

戦後は毎年欠かさず空襲の慰霊祭にご出席なさっておられます。

 

 

そんな強い運をお持ちの橅木さんが大切になさっていた数珠ですので、

きっと強いパワーを秘めているのではと思っています。

私Wも、橅木さんの強運を少し分けていただいて、

沈没したタイタニック号から生還した「不沈のモリー・ブラウン」のように

世間の荒波を乗り越えていきたいものです。

 

幸せの黄色い数珠は、今私の机に鎮座しています。

 

 

テープで貼ってあるのはご愛嬌ということで。

台湾の練習生から橅木さんへ、橅木さんから予科練平和記念館へ。

海をわたってやってきた数珠は、予科練平和記念館を護ってくださるのかもしれませんね。

ご縁というのは、本当に不思議なものです。

 

もし、幸せの黄色い数珠をご覧になりたいときには、どうぞ窓口にお声をおかけください。

みなさんにも強い力をわけてくださるかもしれません。

 

受け継ぐ思い

6月 13th, 2012

 よいお天気が続いていましたが、私にとっては「帳じりを合わせる」ように、梅雨入りとなったようです。

 しかし、鬱陶しいと考えずに、紫陽花(あじさい)が映える季節を迎えた、と考えてみませんか。

 

 さて、本年7月21日から、当予科練平和記念館では特別展「回天」を開催します。

 あるいはご存じの方が多いかもしれませんが、2005年(平成17年)にTBS系列の2時間番組として放映された「僕たちの戦争」の撮影に使用された実物大の回天模型が阿見町に寄贈されています。今回その実物大模型を展示し、特攻兵器「回天」を強く実感していただくことにより、戦争の空しさを考え、平和を希求する心を作り出していただくための展覧会を構成したいと考えています。

 実は回天作戦には、茨城県出身の方、また土浦海軍航空隊出身の方(甲飛13期生)が多く関係しており、戦死者も多数を数えています。

 残念ながら、現在の小・中生にはアメリカと戦争をしていたことさえ知らない人も多くいるようです。

 今回「回天」の特別展を開催するに先立ち、太平洋戦争、予科練、特攻、そして回天に関する特別授業を阿見町内の小・中学生に受けてもらいました。

 皆さんには、今の戦争のない社会は、先の戦争で亡くなった方々が遺してくれたものだということを考えてもらえたようです。

 特別展では児童・生徒の皆さんの感想文をご紹介させていただく予定ですが、ここでもその一例をご紹介いたします。

 

予科練平和記念館に行って考えたことがある。この世界に人間がいる限り争いはなくならないものだと思う。しかし、自分が周りに少し目を配るだけで、周囲はどんどんよい環境になっていくのではないだろうか。さらにその行いが広がっていけば、世界は平和になるものだと思う。だから、私は今の社会を作ってくれた、自分の命を犠牲にしてまで日本を守ってくれた彼らに感謝している。本当にありがとうございます。

 

僕はこれからの人生で戦争を経験することがないのかもしれない。少しのいざこざはあるものの、戦争時に比べたら、現在は限りなく平和と言える。それは、昔、日本のために戦ってくれた多くの人たちがいるからだ。彼らに対して「かわいそう」ではなく「ありがとう」という気持ちをもって生活していきたいと思う。

 

僕の住んでいる阿見町も何度か空襲を受けたそうです。今、僕たちが普通に暮らしている阿見町も攻撃されていたかと思うと、とても驚いたし、また恐ろしいことだと思いました。今、僕たちが平和に暮らせているのも、昔、僕と同じくらいの年齢の人たちが国のために命をかけてくれたおかげだということを忘れずに、感謝して生活していきたいです。そして戦争があったことを忘れないように、僕たちも伝えていきたいと思いました。

再会の日

5月 29th, 2012

みなさんこんにちは。

学芸員Wです。

5月最終週にはいりましたが、いかがお過ごしでしょうか。

気温が上がって雨も降るので、植物の成長が早いですね。

こんもりあおあおとした木が、とても美しく見えます。

若草色 若芽色 若菜色 若苗色 草色 苔(こけ)色 松葉色 萌黄(もえぎ) 柳色・・・

日本の緑には植物にちなんだたくさんの美しい名前がありますね。

数値的なものさしではなく、感覚に密着した色の分類の美しさを感じて、

日本の美しい自然に心から感謝したくなります。

 

 

予科練平和記念館のまわりの芝生も青々としてきました。

芝に混じって、あちらこちらにかわいらしい“ばんざい”が見えます。

 

 

気をつけて見るとそこかしこにいろいろ生えていますが、

シラスに混じっている小さいタコとかえびとかを見つけるような楽しさに似ている気がします。

去年はベビーもみじの成長を楽しみにしていたら芝と一緒に刈られてしまったので、

今年は刈られる前にどこかに移植しようと考えています。

 

最近Wにもお気に入りの緑があります。

 

女優の宮崎あおいさんがイメージキャラクターをつとめる服飾ブランド

「earth music&ecology」が行っている「クローバープロジェクト」で、

募金をするといただけます。

 

これは、被災地支援のボランティア組織「ふんばろう東日本支援プロジェクト」の一つ

「ミシンでお仕事プロジェクト」に連携した活動で、南三陸町のお母さんたちの

自立支援をささえるものです。

 

クローバーは全部で5色あるそうですので、

見かけたときには、ご協力いただければ嬉しいです。

 

ミシンでお仕事プロジェクトについては、下記のページにまとまって

おりますので、どうぞご覧ください。

 

 ふんばろう東日本支援プロジェクト ミシンでお仕事プロジェクト

http://wallpaper.fumbaro.org/machine

 

 

さて、先日27日(日)第45回予科練戦没者慰霊祭が

おとなりの雄飛園で行われました。

お天気もよく暖かい一日でしたので、平和を願い故人に想いを馳せる方、

天国からかつての同期生や家族に会いにいらした予科練生のどちらにも

穏やかにすごせたよい一日だったのではないでしょうか。

 

予科練平和記念館にも、慰霊祭にご出席の元予科練生がたくさんおみえに

なりました。

顔見知りの元予科練の方がわざわざあいさつに来てくださったりして、私個人的にも

嬉しい再会の一日となりました。

なかでもスペシャルな方がこちら!

 

 

伝説の予科練生。1期生の伊藤進さんです。

山口県から美しい奥様とご一緒にお越しくださいました。

 

全身から発せられるエネルギーがお若くて、とてもご年齢(98歳)には思えません。

先日もオーストラリアの撮影隊が自宅に来たそうで、錦帯橋まで行って

ロケしていらしたそうです。すごい!!

現在もご自分の会社の会長さんをなさっておられて、

先ごろ豪華客船「飛鳥Ⅱ」でのオセアニアクルーズから

お帰りになったばかりです。

 

伊藤さんには、去年、予科練平和記念館で毎年行っている戦争体験者のインタビューのために

ご自宅におうかがいしたことが縁でお会いすることができました。

伊藤さんのことを考えると、いつも「希望」ということばが思い浮かびます。

人間の可能性を感じるからです。

 

年齢を重ねると、どうしても人間は柔軟性を失いがちになるように思います。

体にしても考え方にしても。

思うようにはいかない人生を必死に生きているうちに、ほとんどの人が

いつしかそうなっていくのかもしれません。

でも、伊藤さんは、今では考えられないような様々な矛盾や理不尽もあったであろう

戦前~戦後の激動の時代を生き抜いて、

不況下でかじ取りが難しいと思われる会社経営をこなし、

なお穏やかに笑っていらっしゃいます。

器の大きい人というのは、このような方をいうのだなと実感いたします。

 

若輩者の私Wですが、「つまらない大人にはならない」ということを自分との約束としています。

(文字にするとなんだか偉そうですね・・・あまり大したことではないのですが・・・)

伊藤さんのように、人生を能動的に生きていらっしゃる方は本当に心から尊敬いたします。

 

伊藤さんのところには毎日お客様がいらっしゃるとのことで、お忙しい毎日だと思います。

どうぞご自愛くださり、またお会いできますことをファンの一人として楽しみにいたしております。

 

 

再会もあれば、新しい出会いもあります。

記念館の入口にある防犯カメラの上に、つばめが巣をつくりました。

おとうさんとおかあさんが巣材を運んできて、あっという間に立派な巣ができあがりました。

人が通るたびにどこかに飛んでいってしまうので、

つばめにとってあまり落ち着ける環境ではないと思うのですが、

無事にひなが誕生してくれることを祈っています。

 

 

ご来館の際には、みなさんもどうぞあたたかく見守っていただければ幸いです。

 

また、昨日5月28日(月)18:10~NHK首都圏ネットワークで、

現在館内でご覧いただけます第5回所蔵資料展「兄を追って」展の

レポートが放送されました。

今日はそのお問い合わせも多く、ご来館のお客様からも、「見たよ」のお声を

たくさんいただいております。

NHKさんの影響はとても大きいですね。

「兄を追って」展は、6月24日(日)まで、常設展観覧チケットでご覧いただけます。

こちらもどうぞご覧ください。お待ちいたしております。

 

第5回所蔵資料展

https://www.yokaren-heiwa.jp/05tenrankai/03zosyoten.html

 

イベント報告

5月 28th, 2012

 過ぎる5/2(日)に、予科練平和記念館学習会「戦跡を巡る」を開催しました。 

 昨年の8月に第1回目を開催しましたが、その時は阿見町内の遺跡を巡りました。そして暑かった…。

 今回は皐月の涼風が吹き通るこの好季節に、阿見のお隣、美浦村の旧鹿島海軍航空隊跡と稲敷市の大日苑を見学しました。

 当日には、元甲飛13期生でいらっしゃる浅川六郎様、町井善録様をはじめ、亡くなられたご主人が元予科練出身で鹿島海軍航空隊にも在籍された山木郁子様、坂入つる子様も遠路からお越しいただきました。バス車中ではそれぞれに、自己紹介かたがた予科練や鹿島海軍航空隊に関する思い出をお話しいただき、お話会の趣を呈するにもいたりました。たいへん貴重なお話を伺うことができ、心より感謝申し上げます。ありがとうございました。

 予科練平和記念館から約40分、田園風景を眺めながら旧鹿島海軍航空隊跡に着きました。現在の美浦村大山という地で、霞ヶ浦を隔てた対岸に行方や稲敷の地が、私にはまるで中国の景勝地を描いた絵のように思える、たいへん景色のよいところです。

 この地は今も穏やかな田園の一角にあることからか、旧本部庁舎(戦後は東京医科歯科大病院棟として使用された)、煙突を伴ったボイラー室をはじめ、倉庫、号令台や防空壕、また各施設の土台などが、緩やかに流れる時に身を任せるかのように残されています。この一帯は現在国有地となっている関係もあり敷地への立ち入りが難しいため、当日も願い空しく敷地周辺から遺跡を遠望することに止まりました。

 また、湖に面したところでは水上機が離発着した滑走台や、やはり水上機を発射したカタパルト跡、またボートの発着場(舟着場)などが残されています。昨年の大地震により東側と南側に残っている滑走台はだいぶ歪んでしまい、現在大規模な修理が行われています。滑走台は水中まで達するなだらかなスロープを持ちますが、そこまで全ての部分を修理するという大規模な工事のようです。とうのも、今、ここはレジャーボートの一大基地になっているためでもあるでしょう。

 私はこの地のすばらしい景色もさることながら、個人的には民間のレジャー施設に変貌している点が好きなところです。

 今回は53名様のお申し込みをいただき、大型バスで移動した関係もあって、思うようなご案内ができないところもありました。その点、ご参加者にお詫び申し上げますとともに、今後に役立たせていただきたいと考えております。

 その後、大日苑を見学しました。

 大日苑は、江戸崎入干拓事業に取り組んだ植竹庄兵衛氏の住宅として昭和14年(1939)に建設されました。その後、昭和18年(1943)から昭和20年の終戦時まで練習連合航空隊司令官をお務めになり、土浦海軍航空隊まで通勤された久邇宮朝融王(くにのみやあさあきらおう)のご住居として選定された建築で、現在は、国の登録有形文化財に指定されています。

 当日は稲敷伝統文化保存会の野口様をはじめとする方々にたいへんお世話になりました。洋館と和館からなる大日苑の内部隅々を熱心に解説くださいました。本当にありがとうございました。

 私は建築の専門家ではありませんが、細部の意匠にまで凝った、当時の「念入りな」住宅という印象です。特に、洋館2階の床柱は各部屋で趣が異なり、見るごとに「おっ」と思わせられるものばかりでした。

 人が住宅を住み慣らし味わいを持たせていく一方で、住宅が人の心を穏やかにも美しくもすることでしょう。かつて、そのどちらの作用も確かにあったかと思わせる大日苑でした。

 ちなみに、大日苑とい名称の由来は「大日如来」を祀るお堂があったことに由来するとのこと。現在も大日堂が敷地内にありました。新たな知見を加えることができ、こうした屋外学習の機会にふさわしいと思いました。

 こうした小さな旅を楽しんでいただく一方、この学習会は、遠くなりつつある戦争の時代に思いを馳せ、戦争がない現代の日本がどれほど恵まれているか、またその恵みは命を張って戦ってくれた方々の賜物であることを再認識する目的を持ちます。

 次回は今秋、10月に学習会を予定しております。詳細については後日に広報いたします。

 お時間があれば、皆様どうぞご参加下さい。

朗読会のご報告

5月 19th, 2012

5月6日(日)に発生した竜巻によって亡くなられた方に、

心よりお悔やみ申し上げます。

また、竜巻と雹の被害を受けられて、今も不自由な生活をなさって

おられるたくさんの方に、心よりお見舞い申し上げます。

 

こんにちは。学芸員Wです。

先週末に起こった竜巻は、本当に驚きましたね。

特に被害の大きかったつくば市北条地区と、予科練平和記念館は、

直線距離にして20㎞ほどしか離れていません。

こちらでも雨風は強かったのですが、まさか竜巻が発生しているとは

思いませんでした。

 

ここ何年も、「異常気象」という言葉が繰り返されていますが、

もしかしたら、地球規模で何かしらの大きな変化が起きているのかも、と

思ってしまいます。

 

いつ何があってもおかしくないと思うと、逆に今の大切さが見えてくるように思います。

あとどれくらい残っているのかわからない私の命の時間ですが、

せっかく使うのなら、誰かのためになる有意義なものにしたいと思っています。

 

 

 

さて、今日は、先週末におこなった朗読会のご報告をしたいと思います。

 

5月12日(土)13:30から、予科練平和記念館のラウンジで、

大人のための朗読会を開催しました。

 

 

読み手は、元茨城放送のアナウンサーで、現在は阿見町の観光大使をなさっている

藤田加奈子さんです。

この日は、戦争と平和を考える6つのショートストーリーを朗読してくださいました。

 

 

『ちいさなへいたい』 パウル・ヴェルレプト作

『ニワトリおばけ』『瀬戸内の鬼』『忠さんと制服』『選手になれ』西澤 實作

西澤さんは、藤田さんの恩師だそうです。

最後に、童話作家小川未明の『野ばら』。

 

人の優しさ、それゆえの悲しさ、戦争の理不尽さなど、それぞれの物語に力があって、

ストーリーの構成もとてもすばらしかったのですが、

なにより、藤田さんの豊かに響く声が、お聞きになっている方の心を

ぐぅっと深いところへ引き込んでいくのがわかりました。

 

ただ読むだけでは見過ごしてしまうような、登場人物の小さな心の動きまでもが

藤田さんの声で鮮やかに再生されていくような感じです。

1時間という時間のなかで、様々な人生を体験したような、

深く感動する映画を観たようなカタルシスを感じることができます。

 

語りに静かに耳を傾ける。

平和であるからこそ持てる時間ですね。

 

大人のための朗読会、次回は来年2月16日(土)です。

皆さんもどうぞ、昼下がりのひとときに豊かな時間をご体験くださいね。

 

 

 

さて、現在、予科練平和記念館では、第5回所蔵資料展

「兄を追って」展を開催しています。

辻兄弟、甘道(かんどう)兄弟という、戦死してしまった予科練生をお兄さんに持つ

二組の兄弟の資料を展示しています。

今回、所蔵資料展で展示している資料の半数は、阿見町在住の

辻 猛さんより寄贈していただいたものです。

 

この度、NHK水戸放送局のニュース番組内で、

辻さんのレポートを放送していただけることになりました。

 

辻さんのお兄さんは乙種第14期予科練生でした。

地元徳島では有名な秀才でしたが、経済的な理由で進学せず、1939(昭和14)年に

予科練に入隊しました。

予科練卒業後、飛行練習生を経て間もなく、アメリカ軍の潜水艦が日本の

領海内に入ったため偵察に出撃、そのまま行方不明になってしまいました。

5日後、静岡県御前崎沖で、片足のない遺体で発見された辻さんのお兄さんは、

まだ二十歳の若さでした。

 

辻 猛さんは、昭和40年代に、予科練があったという縁で阿見町を終のすみかと

定められ、大切に保管なさっておられたお兄さんの小学校時代からの遺品は、

町に寄贈してくださいました。

資料は今、予科練平和記念館の各展示室に展示されています。

 

今回、NHKさんは3日間に渡り辻さんを撮影されました。

 

撮影の様子です。

 

 

結城市から中学生が来てくださいました。

 

 

 

辻さん、長時間の撮影本当にお疲れ様でした。

NHKさんも丁寧に取材してくださり、ありがとうございました。

 

放送は5月22日(火)18:10~19:00の「ニュースワイド茨城」内です。

茨城県の県域放送のため、場所によっては受信できないこともあるようです。

もしご覧いただける環境にいらしたときには、ぜひご覧くださいね。