みなさんこんにちは(^^)
今日はお天気も良くてひなまつり日和ですね☆
予科練平和記念館は、昨日無事に開館1ヶ月目を迎えました!
たくさんの方々に支えられていることを実感する毎日です。
まだまだいたらないところがたくさんありますが、逐次改善していきたいと思いますので、
どうぞ長い目でご支援いただければ幸いです。
さて、昨日はとても嬉しいことがありました。
ちょっと長くなりますが、順を追ってお話します。
当館では、写真家・土門拳が予科練習生を撮影した写真を展示しておりますが、
実はこの写真、土門の自選作品集にも収録されていない幻の写真なのです。
この写真の現物をお持ちだったのが、甲種第13期予科練習生として
土浦海軍航空隊(今の陸上自衛隊武器学校)に入隊した大塚嘉孝さん。
旧制土浦中学に通い、成績優秀で人望の厚い少年でした。
予科練時代、彼がいた分隊のもとへ、写真家・土門拳が海軍省から
派遣されてやってきます。
1944(昭和19)年6月のことです。
土門はおよそ2ヶ月間隊内に寝泊りをしながら、膨大な量の写真を撮影していきました。
大塚さんたちが卒業後、その一部を焼き増ししたものが被写体となった練習生に配られます。
戦局がおしせまり、大塚さんたち13期生は各地で様々な兵器による特攻訓練に明け暮れ、
また出撃していきました。
そして1945(昭和20)年8月9日。
長崎に原子爆弾が投下された日。
福島県にあった郡山海軍航空隊で訓練をしていた大塚さんを、米軍の機銃掃射が襲います。
弾の破片が左足を2ヶ所貫通。防空壕に運ばれた大塚さんは、
麻酔もかけずに足から破片を取り出され、そのまま終戦まで過ごしたそうです。
しばらく入院していた大塚さんが郡山空に戻ってくると、部屋の隅に自分の荷物を入れていた
衣のう(キャンバス地で作られた衣類などを入れる袋)がぽつんと残されていました。
中を見ると、衣類とともに焼き増ししてもらった土門の写真が入っていました。
ほかの練習生の手に渡った写真は、戦後焼かれてしまいました。
機密保持のためとも、飛行兵に関する様々なうわさがあったからとも言われています。
土門の自宅にあった大量の写真も、戦後処分されてしまったようです。
そのため、大塚さんが持っている写真は、ほとんど唯一無二と言ってもいいものになりました。
当館では、大塚さんの奥様にご協力いただいて、このとき残った写真のうちの28枚を
大きくひきのばして展示しています。
大塚さんは既に鬼籍に入られ、今は奥様が大切に保管なさっておられます。
そして昨日、大塚さんの奥様が娘さんとともにいらっしゃいました。
奥様が、土門の写真が象徴的に配されているゾーンに足を踏み入れた途端。
「お父さん!」
視線の先には、予科練習生たちが一心に風洞を見つめている写真がありました。
この、箱のような枠の中にいる5人の練習生のうち、右から2番目が
大塚嘉孝さんだったのです。
「お父さんに会えた!」
奥様はしばらく写真を見つめていらっしゃいました。
我々スタッフも、ここに写っているのが大塚さんだとは知りませんでした。
実は、大塚さんと奥様は幼なじみで、大塚さんが予科練に入隊したとき、
奥様は土浦海軍航空隊の適性部というところで働いていたのだそうです。
大塚さんが特攻隊になったとき、軍の機密で誰にも言えなかったそのことを
奥様にだけは告げていました。
戦後、結婚して長く一緒に暮らし、天命によって別れ、
またこうしてかつての若い姿で奥様と再会する。
縁というものがあるのなら、きっとこういう形をしているのだろうと思いました。
展示を見終えてお帰りになるとき、奥様のお顔はとても晴れやかでした。
我々スタッフも、本当に嬉しい気持ちでいっぱいでした。
開館1ヶ月目の記念日に、最高のプレゼントになりました。
大塚様、寒い中ご来館くださいましてありがとうございました。
笑顔が変わらず素敵ですね。どうぞいつまでもお元気で。