みなさんこんにちは(*^-^*)
あちこちでとってもきれいなイルミネーションを見ることができて、
クリスマス時期は夜がとっても楽しげな感じになりますね☆ミ
デパートや百貨店などだけではなく、個人のお宅でも
きれいに飾り付けられているのを見ると、暮らしを楽しむ気持ちの余裕って
大切だなと思います。
先日ディスプレイデザイン大賞をいただいた授賞式でも、
受賞者に渡されたコサージュは、通常使われるバラではなくて、
クリスマス仕様のポインセチアでした。
さすが日本を代表するデザイナーさんたちが集まる授賞式。
季節感を取り入れておしゃれです。
皆さんもよくご存知のとおり、クリスマスはイエス・キリストの降誕日ですが、
日本では明治時代あたりから、百貨店の宣伝戦略にのって
都市部でクリスマスの概念が普及しはじめ、昭和時代の初め頃には年中行事の一つとして
生活の中に定着していったようです。
日本の文化は重層的であるとよく言われますが、
古代から「楽しいこと」とか「素敵なこと」「新しいこと」を自分たちの文化に
うまく取り入れてきたご先祖様のおかげで、今の日本の不思議で興味深い文化が
あると思うと、この国に生まれてよかったなぁと思います。
さて、クリスマスに話しを戻しますが、実は予科練平和記念館に展示している資料の
中にも「クリスマス」の言葉を見つけることができるんです!
戦時中の資料にそんなのがあるのかな、と思われるかもしれません。
私も見つけたときはちょっとびっくりして、そして心を動かされました。
当時日本の軍人として戦った人の、心の深いところに触れたような気がしたからです。
それでは皆さん、できましたら坂本龍一作曲の「戦場のメリークリスマス
(Merry Christmas Mr. Lawrence)」を頭の中で流していただいて、
この先をお読み下さい。
予科練平和記念館の展示室4「飛翔」の出口付近に、胸ポケットに入るサイズの
小さな茶色の手帳があります。
これは、太平洋戦争中の1942(昭和17)年10月から翌1943(昭和18)年1月にかけて
海軍の飛行機乗りだった篠原政男(しのはらまさお)さん、という方が
前線での日々を記していた日記です。
篠原さんはこの時、奥さんと2歳になる娘さんを日本に残して、
南太平洋ソロモン海に浮ぶショートランド諸島で、
死と隣り合わせの日々を送っていました。
篠原さんは予科練出身者ではありませんが、この日記は、
当時のパイロットがどのような行動をしていたのか、どのようなことを考えていたのかを
知ることができる貴重な資料ですので、当館では手にとって自由にご覧いただけるよう
本にして展示をしています。
日記のページをめくっていくと、
はるばる船でたどり着いた前線基地で、時には空襲に肝を冷やし、
時には妻や娘の姿を夢に見ながら出撃を続ける篠原さんの姿が
簡潔で短い文章から伝わってきます。
このころ、海軍はガダルカナル島周辺で激しい戦いを繰り広げ
たくさんの人が命を失っていました。
近々大きな戦闘があることを予期しながら迎えた12月25日、
クリスマスの日の篠原さんの日記です。
一七・一二・二五
大正天皇祭
〇六一五遥拝式なれ共「ムンダ輸送隊」の対潜直ちに出たるため
機上にて遙に北方を拝す「クリスマス」
いよいよ暮も迫り今日を期して反撃を予期したるも何等の反撃なし
少々物足りなさを覚ゆ
12月25日は大正天皇崩御の日で、当時は大正天皇祭として祝日でした。
この日は午前6時15分に皇居を遥拝(=遠くから拝むこと)する式典が
ある予定でしたが、篠原さんは朝早くから敵の潜水艦攻撃を警戒するために
出撃したので、飛行機の中から遥か北の日本を拝した
クリスマスの日であった、と書かれています。
この「クリスマス」という言葉、前後の文面からみると少し唐突な感じがありませんか?
私の勝手な想像なのですが、この頃すでに「クリスマスはこどもがプレゼントを
もらえる日」という認識があったようですので、もしかしたら篠原さんは、
南海の機上から拝したはるか遠くの日本で、
小さなわが子がクリスマスプレゼントをもらって喜ぶ姿を想像なさっていたのかな、
という気がするのです。
いつ永遠の別れになるかわからない状況にある篠原さんにとって、
家族の幸せそうな笑顔は何にもかえがたい宝物であり、
その気持ちを「クリスマス」という言葉に凝縮して記されたような気がしてならないのです。
・゜・。・*:.。.:*・゜
篠原さんの戦地での日記は、新年あけて1月15日まで続いています。
日記の最後の日、運命の1月15日。
篠原さんは味方の機とともにアメリカ軍の戦闘機B-17・P-39と
激しい空中戦になります。
乗っていた飛行機は攻撃を受けて空中分解、自身も深手を負ってパラシュートで脱出します。
死を覚悟しながら海へ向って落ちていく篠原さん。
そこに、一つの奇跡が起きます。
家族への想いが引き起こした、命の奇跡です。
続きはぜひ、予科練平和記念館展示室4でご覧になってみてください。
ちなみに、篠原さんは戦後新聞記者となって活躍されました。
娘さんは予科練平和記念館建設に大変お力添えをいただき、
今もときどきご来館くださって、お父様の日記をじっとご覧になっていらっしゃいます。
・゜・。・*:.。.:*・゜
さて、搭乗員の日記に残されていた68年前のクリスマスをご紹介しましたが、
皆さんは今年、どのようなクリスマスをお過ごしになるのでしょうか。
せっかくご先祖様が取り入れてくださった楽しい年中行事ですので、
できればどうぞ、ご家族やお友達、大切な人と楽しくお過ごしくださいね。
そして、昭和のあの時、クリスマスに家族を遠くから想うことしかできなかった
方たちがたくさんいたことも、少し思い出してみてくださいね。