みなさんこんにちは。
震災後、ガソリンをセルフで給油できるようになった学芸員Wです。
それまでは、遠回りをしてでもお店の人がやってくださるガソリンスタンドへ行っていましたが、
今では得意になって一人で給油しています。
できることがふえると、生きる場所の幅が広がったような気がして嬉しいですね。
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さて、今日は予科練平和記念館のある阿見町にとって忘れられない日です。
今から66年前の6月10日、記念館があるあたりは大きな空襲を受けました。
土浦海軍航空隊(現陸上自衛隊土浦駐屯地武器学校一帯)を中心に、
午前8時ごろからB-29の大編隊による4度の空襲を受け、
ちょうど日曜日だったので、土浦海軍航空隊にいた予科練生たちと、
その家族やまわりの一般の人たちもたくさん巻き込まれてしまいました。
今日は、その中のお一人である戸張園子さんがご来館くださいました。
所蔵資料展が今週末までだということでお越しくださったそうです。
戸張さんは、当館で、ボランティアでお話をしてくださっている元予科練生の
戸張礼記さんの奥様です。
航空隊の近くに住んでいた戸張園子さんは、66年前の今朝、
空襲の第一波で落とされた爆弾の破片で深い傷を負ってしまいました。
土浦海軍航空隊の中にある医務科に運ばれ、寝かせられたのは廊下の水道の下でした。
一緒にいた姉に、「ここは危ないからおねえちゃん逃げて!」と言ったそうです。
空襲がおさまって、姉に背負われて病院に行ったのよ、と教えてくださいました。
今朝はね、主人としみじみ話をしたの。
思い出したくもない記憶だけど、そういう経験があるからどんなことでも
頑張ってこれたのよ。
今の若い人はね、生まれたときから平和だから恵まれているのね。
昔はね、本当に我慢強い時代だったんです。
そうおっしゃる園子先生(以前教師をしていらっしゃったので、先生とお呼びしています)は
今日を「バクダンの日」とおっしゃって、展示室6「窮迫」の空襲の映像をご覧になりました。
この映像にはご自身も出ていらっしゃいます。
今日一日、空襲の展示室の前にお花が置いてあります。
お花と同じぐらいチャーミングな笑顔の園子先生です。
園子先生はお肌がとってもきれいで、張りのあるほっぺと福耳がすごくすてきだなと思います。
女学校を出てずっと先生をなさっていただけあって、お話もとても面白いです。
今日のバッグは光沢のあるパープル。首にはラピスラズリのネックレスでおしゃれです。
ミニ園子先生情報でした。
午後には、元特別丙種予科練習生の教員で、6月10日の空襲に遭われた
橅木(かぶらぎ)光一郎さんと、
元甲種第14期予科練生佐藤彰男さんがおみえになりました。
橅木さんは、90を超えた今でもご自分で車を運転なさって記念館までいらっしゃいます。
いつもお元気で、数年前は肋骨を骨折しながらも予科練の慰霊祭に参加なさったぐらい
強靭な精神の持ち主でもあります。
園子先生と同じく、空襲の映像の中で当時の体験をお話してくださっています。
佐藤彰男さんは、当館に貴重な資料をたくさんご寄贈くださっていて、その一部が
展示室1と5に展示されています。
橅木さんは、いらっしゃるたびにいろんなお話を聞かせてくださいます。
今日も、空襲のお話や受け持った台湾の予科練生のお話をしてくださいました。
戦後は台湾の予科練に本当にお世話になった。
3度も台湾に招待してくれた。
世話はしたけれども、戦後世話になっていろいろ教えられたのはこっちのほうだ。
みんな年とってしまった。
(台湾予科練に関係した人で)今生きてるのは、金子さん(分隊士)と私だけになってしまった。
そうおっしゃったときは、少しさみしげでした。
ちょうど園子先生のだんな様で元予科練の戸張さんもおみえになったので、
せっかくだから記念写真を撮りませんか?とお誘いしてみました。
左から甲14期戸張礼記さん 橅木光一郎さん 甲14期佐藤彰男さんです。
今日はいい記念になった。こんなにしてもらってありがたいよ、と橅木さんが言ってくださいました。
悲惨な空襲を経験され、それを乗り越えられた方と、
66年後の今日お会いしてお話できるというのは、とても不思議な感覚です。
お元気なお姿を拝見して、笑ってお話ができることがとてもありがたく、
嬉しく思いました。
またいつでもお待ちしております。いつまでもお元気でご来館ください。
今日はその他にも、お兄様が予科練で、当館に遺品のほとんどをご寄贈くださった方や、
元甲種第16期生、前阿見町長など、予科練や当館にゆかりの深い方々がたくさんお見えになり、
思い出深い66年目の今日となりました。
また、今日はもうお一方、予科練平和記念館のデザイン・建築を担当なさった
(株)乃村工藝社のクリエイティブディレクター 吉永光秀さんがいらっしゃいました。
読売新聞さんの取材を受けられ、3時間近く熱心にお話しをなさっていました。
スミマセン・・・写真が下手で・・・。
前にいらっしゃるのが読売新聞の記者さんで、真中の黒いジャケットの男性が吉永さんです。
詳しくお知りになりたい方はこちら↓↓
英語ですが、吉永さんのお写真と当館の写真が載っています。
http://www.nomurakougei.co.jp/nomura_design/en/professional/yoshinaga/
吉永さんには記念館建設前から大変お世話になっておりますが、
いつもスマートでいらっしゃいます。
今日のバッグは黒いアニエス・b。
日本の現代アートを応援してくれているあのアニエス・bです。
ミニ吉永さん情報でした。
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本日、懐かしい方々とお会いして思ったのは、変わらずお会いできることの
ありがたさでした。
あの震災でそれが難しくなってしまったたくさんの人たちを思うと、本当に胸が痛くなります。
もしかしたらそれは自分だったかもしれず、いつ何が起こるかわからないということでは、
全ての人が同じ地点に立っているのだ、と改めて思いました。
明日で東日本大震災から3ヶ月。
みなさんはどのようにお過ごしになるでしょうか。