スタンバイ中

9月 12th, 2010

みなさんこんにちは(^^)/

昨日、今日とまた暑さが戻りましたね。

これから少しずつ涼しくなっていくのだとか。

もう少しの辛抱ですね。


さて、予科練平和記念館では、14日(火)より

館内20世紀ホールにて、所蔵資料展「戦後の予科練」を開催いたします。


これは、当館に寄贈されたなかから、戦後の予科練生の

活動に関する資料を展示するもので、二部構成になっています。


第一部では、陸上自衛隊土浦駐屯地武器学校(旧土浦海軍航空隊)に

ある予科練記念館「雄翔館」と、予科練之碑「予科練二人像」のある庭園

「雄翔園」建設に関する資料や、予科練同期の集まりに関する資料を

約25点展示します。


戦後も続く予科練生たちの強い絆をご覧いただければと思います。


第二部では、予科練生が描いた油絵や、作り続けた艦船の模型など約40点

を展示します。


特にこの模型は、元予科練生が亡くなるまで作り続けていたもので、

亡くなった後は同期生に引き取られ保管されていましたが、

この方も鬼籍に入られたため、別の同期生により当館に寄贈されました。

リレーのように元予科練生の想いが受け継がれて、

こうして皆さんにご覧いただけるようになるというのは、

やはりそこに込められた“想い”が強いのだろうなと思います。


今回は、保管している中から、空母や戦艦、重巡洋艦などの模型を展示します。

現在は収蔵庫の中でスタンバイしています。



この所蔵資料展「戦後の予科練」は、常設展チケットでご覧いただけます。

規模は大きくありませんが、来年の2月27日まで開催しておりますので、

ご来館の際はぜひご覧ください。


関連企画として、10月3日(日)の予科練戦没者慰霊祭にあわせ、

演劇鑑賞会と映画鑑賞会を、阿見町かすみ公民館(阿見町阿見2083-2 

029-888-8111)で行ないます。


また、あわせまして、当館は10月3日無料でご覧いただけます。

皆さんのご来館をお待ちしております。


詳しくはこちらをご覧ください↓↓↓

(予科練平和記念館HP 新着情報)

https://www.yokaren-heiwa.jp/kantan/?detail=true&id=38


軍刀の少年

9月 5th, 2010

みなさんこんにちは(*^-^*)

今日も厳しい暑さの予科練平和記念館です。

何日も雨が降っていないので、

館の周りの芝生が黄色っぽくなってきてしまいました。

夜に職員が水をまいたりしていますが、

なかなか連日の渇きを癒すことは難しいようです。

雨の神様、ここらでひとつみんなのために雨を降らせては

いただけませんでしょうか、と

空を眺めてお願いしてしまう毎日です。



さて、今日はとっても印象深いお客様がいらっしゃいました。

当館に展示してある、写真家土門拳が撮影した

予科練生の写真の被写体となった方です。


当館のエントランスホールから入って左側のロビー1には、

予科練生の制服であるつめ襟の七つボタンにちなんで、

土門拳の写真が7枚展示してあります。

そのなかでひときわ目立つ大きな写真には、七つボタンの白い制服を着た予科練の少年が

日本刀を手入れしている姿が写っています。


まだまなじりと頬のあたりにあどけなさを残した少年の表情と

無駄なく、すっとのびる日本刀の対比が印象的なこの写真、写っているのは

甲種第13期生の岡崎圭一郎さんです。

今日、この写真から66年後の岡崎さんがお見えになりました。

同期生から、お前の写真があるよと案内されてご来館くださったのだそうです。


白髪になられた岡崎さんにお写真をお願いすると

背広をきちんとお召しになり、背筋と腕をぴんっと伸ばして直立不動。

予科練時代に培われたすばやい動作はいまもご健在です。



面影がありますよね。

昭和3(1928)年生まれの岡崎さんは現在82歳。

栃木県の足利中学3年生、15歳のときに予科練を志願して、

昭和18(1943)年10月、甲種第13期生として土浦海軍航空隊(茨城県阿見町)に

入隊されました。


土門が撮影にやってきたのは昭和19(1944)年。岡崎さん16歳のときです。

この写真は、日曜日で外出から帰ってきたあと、

岡崎さん自身も知らない間に土門が撮っていたのだそうです。

手に持っている日本刀は入隊するときに自宅から持ってきたもので、

隊内では所持が認められていたとおっしゃっていました。



土門拳はどんな人だったんですか?とうかがってみました。


― 土門さんは弟子を連れてきていました。助手ですね。私と同じテーブルで

ご飯を食べていたんですよ。31分隊4班です。

 ・・・土門さんはまさに「写真の鬼」でした。同じことを何度も何度もやらされました。

疲れてきて、もう終わりになるかな・・・と思っても、自分が気に入る写真が撮れるまで

「もう一度」「もう一度」と何度もやらされました。


今、ご自分の予科練当時のお写真を見てどう思いますか?


― 若かったと思います。・・・でもあのころは純粋な気持ちで予科練に入ったんですよ。

ほんとうに、純粋な気持ちです。



岡崎さんは予科練を卒業後、鹿島海軍航空隊(茨城県美浦村)で飛行訓練を受けたのち、

山形の漆山派遣隊というところで特攻隊要員となり、訓練中に終戦を迎えました。

同期生は特攻で亡くなった方も多く、人間魚雷「回天」で最初に戦死した予科練生も

同じ甲種第13期生です。


復員した岡崎さんは中学校に戻り、卒業後は薬学の専門学校に入学して

薬剤師になりました。

東京の荻窪にお店を構えて、もう55年になるそうです。

現在も現役で、薬剤師の娘さんとお孫さんと一緒にお仕事をなさっているとのこと。

にこにことお薬を渡していただいたら、それだけですーっと

気持ちが軽くなるような穏やかな笑顔です。


なんと、昭和21年に行なわれた第1回目の国体(国民体育大会)では、

バレーボールの選手として出場なさったそうです。

ポジションはどこですか?とうかがうと、9人制で今とは違うけど・・・アタッカーです、と

教えてくださいました。

やっぱり予科練生は運動神経が抜群なんですね!


お話しをうかがいながら岡崎さんのお顔をじっと拝見したら、白いまつげが

あることに気づきました。

中国では、白いまつげは強運と幸運をもたらす証だそうです。

穏やかでとっても優しい岡崎さんが、いつまでもお元気でたくさんの方を治せる

お薬を調合してくださるように、きっとこのまつげが守ってくださると思います。

岡崎さん、いつまでもどうぞお元気で。

病気やけがに苦しむたくさんの方たちを治してくださいね。

本日はご来館いただけて、お会いできて本当に嬉しかったです。

展示解説員さんたちも喜んでおりました。

お忙しい毎日だと思いますが、紺屋の白袴とならぬよう

お体どうぞご自愛くださいね。

そしてまたぜひ、今度は同じ町会の同期生とご一緒に

お運びいただけたら嬉しいです。心よりお待ちしております。


実は館内にはもう一枚、岡崎さんが写っている写真があります。

みなさんもご来館の折には、66年後笑顔の優しい薬剤師になった少年を

ぜひ探してみてくださいね。


暑サニモマケズ

9月 2nd, 2010

みなさんこんにちは(*^-^*)

9月にはいり、まだまだ残暑厳しいですがいかがお過ごしですか?


予科練平和記念館には今日も強い日差しが照りつけていますが、

そのお陰で光と影の美しいコントラストが見られます。





今日は、予科練平和記念館の頑張り屋さんをご紹介したいと思います。

この暑さにも負けず、生まれついた逆境にもまけずに頑張っています。




ちょっとピントが別なところに合ってしまって見えにくいですね・・・(;△;)

アスファルトを突き破ってぐんぐん伸びている芝生兄弟です。


予科練生たちが訓練した場所の近くにいるだけあって、

さすが根性があります。

この暑さにももくもくと耐えて頑張って育っている姿を見ると

こちらまで元気になるような気がして、

近くを通るとつい気になります。


二百十日を過ぎ、来週は二十四節季の「白露」。

暦の上では大気が冷えて露のおりるころだそうですが、

予報ではまだまだ残暑が続くようです。


もしかしたら夏バテ中かもしれない皆さんに、

少しでも芝生兄弟のパワーが届きますように。


ラスト夏休み

8月 29th, 2010

みなさんこんにちは(*^-^*)

今日もまだまだ暑い予科練平和記念館です。

午後から曇ってきたので外に出てみると、もう秋の雲でした。



でもあと一週間は気温30度以上の暑さが続くそうですね・・・(*´Д`)=з

みなさんも熱中症には引き続きお気をつけくださいね。


今日は8月最後の日曜日です。

すこし寂しさも混じる今日ですが、みなさんは今年の夏、どんな思い出が

できましたか?夏にやり残したことはありませんでしょうか?


本日の予科練平和記念館には、ご家族でいらっしゃるお客様が多く、

館内には小学校にあがらない小さいお子さんの姿もたくさん見られました。



阿見町の小中学生は8月いっぱい夏休みなので、もしかしたら宿題の関係かな・・・?と

思われる中学生も来館しています。



8月最後の日曜日にご来館くださったお客様は、

どんなお気持ちでここにいらっしゃったのだろう・・・と、ふと思いました。


お客様は様々なところからいらっしゃり、当館で展示をご覧になった後、

またどこか、それぞれの場所へと戻られます。

それは、駅や高速道路のサービスエリアなどで感じる、

いろんな人がそれぞれの目的地へ行く途中、

今一瞬だけ同じところにいる、というちょっとわくわくする感覚に似ています。


駅もサービスエリアも、旅のよい思い出になる場所ですが、

予科練平和記念館も、お客様の人生という長い旅路のなかで、

思い出に残る場所でありたいと思っています。



館内では今日も展示解説員さんが一生懸命お客様をご案内しています。



こうしてお会いするのも一期一会。ご案内はお客様の思い出を左右する

大事なお仕事です。

解説員の皆さんは空いている時間に資料を読んだりして勉強をしています。

こつこつと知識を積み重ねる努力が、お客様の感動やありがとうにつながっていきます。

館内展示案内は無料で、ご予約をいただければ何名様でもご案内いたしますので、

これから来る秋の行楽シーズンにぜひご利用ください。

(お問い合わせ:029-891-3344)



秋の予科練平和記念館は、20世紀ホールで展示しています

所蔵資料の展示替えを予定しています。

(常設展示の展示替えではありません)

規模は大きくありませんが、常設展には展示していない資料をご覧いただけるよう

準備を進めています。

これに関連して、演劇鑑賞会や映画会なども予定しています。

詳細はHPやチラシ、ポスターなどでお知らせいたしますので、ぜひご覧ください。


元予科練生の体験を聞く会

8月 22nd, 2010

みなさんこんにちは(^-^)

今日も残暑厳しい予科練平和記念館です。


本日は「元予科練生の体験を聞く会」がありました。

元乙種第20期予科練生の仲川武男さん(稲敷市在住)をお迎えして

予科練時代の体験や思い出に残っていることなどのお話をうかがいました。


仲川さんは1929(昭和4)年生まれの81歳。

14歳のときに予科練に合格しました。

その時の身長は147㎝ぐらいで、同期生の中でも小さいほうだったそうです。

お尻を叩かれ、頬をなぐられながら厳しい訓練の一日を終えると、夜ハンモックの中で

故郷を思い出し涙する予科練生もいたんだそうです。

実際私も泣きました、と仲川さん。


手旗や、バッターという野球のバットぐらいの固い木の棒、竹やりなどを

お持ちになり、実演も交えてお話をしてくださる姿を見ていると、

まるで実際の予科練生活を目にしているかのように感じられました。


これは、手旗で「ヨ・カ・レ・ン・ヘ・イ・ワ・キ・ネ・ン・カ・ン」を表現しているところです。



1944(昭和19)年にはいると、仲川さんは岡山県にあった倉敷海軍航空隊で

特別陸戦隊の訓練を受けるようになります。

”予科練”は、本来ならば飛行機に乗るための基礎訓練の時間であるはずですが、

もうそんなことが言っていられなくなった日本の厳しい状況がわかります。

ここでは竹やりで攻撃する訓練や、地面に穴を掘ってひそみ、棒地雷で

攻撃する訓練などをしていたそうで、実際に竹やりを使って実演もしてくださいました。


特攻隊の募集を受けたときの話や、広島の原爆を目撃した時の話・・・

短い時間の中でもいろんなお話をわかりやすく聞かせてくださり、

最後には暑い夏にぴったりな予科練にまつわるちょっとこわーいエピソードまで

披露してくださった仲川さん。

信じるか信じないかは皆さん次第ですよ!と、まるで都市伝説を語っているかの

ような名調子でした。


元校長先生だけあって、お話がとっても上手で、気が付くとあっという間に

時間が経っていました。

午前の会には150名、午後の会には110名がご参加くださり、立ち見になってしまった

方もたくさんいらっしゃいました。



終わった後も質問攻めだった仲川さん。昔の先輩や教え子の方もお見えになったようで、

握手を交わして旧交をあたためあう一場面もありました。

それが終わった後すぐに、取材に来ていたNHK水戸放送局の

インタビューに答えていらっしゃいました。


とってもハードな一日でお疲れだったと思いますが、仲川さんは始終にこやかに、

また私でできることがあれば何でもやりますから!!と言ってくださいました。

本当にありがとうございました。


当館ではこれからも、こうした予科練生の貴重な生の声を聞いていただける機会を

作っていきたいと思いますので、今回聞き逃してしまわれた皆さんも、もう一度

聞きたいという皆さんも、ぜひご参加をお待ちしております。


8月7日(土)・22日(日)の2日にわたって行ないました「元予科練生の体験を聞く会」。

激動の昭和を生きたかつての少年たちのお話は、ご来場くださった皆さんの心の中に

いつまでも残る夏の思い出になったのではないでしょうか。


「時をこえ」

8月 19th, 2010

みなさんこんにちは(*’ー’*)

今日は曇り空が広がって、いつもより少し涼しい予科練平和記念館です。

コヒルガオが、ちょっとほっとしたような顔で咲いています。



朝晩は大分涼しくなり、夜は虫の声も聞こえますね。

記念館のお隣さんのおうちの栗の木もイガイガが大きくなっていて、

着々と秋の準備を進めているようです。



先日の終戦記念日の8月15日には、入館料が無料になったこともあり、

たくさんのお客様がご来館くださいました。


アンケートには「終戦記念日を実感するために来ました」というご意見もありましたが、

戦後65年目の8月15日、皆さんにとってどんな一日でしたか?


私はその日の夜、NHKで放送されたドキュメント「僕らが伝えなきゃ 

HY 沖縄から“命”をうたう」を見ました。


皆さんはHYというバンドをご存知でしょうか。

10代後半でメジャーデビュー後、大ブレイクした沖縄出身の5人組で、

いばらきの夏の風物詩にもなっているひたち海浜公園

(茨城県ひたちなか市にある国営の広い公園です)

でのロックインジャパンフェスにもよく参加しています。

共感したり切なくなったり、心が温かくなったり考えさせられたり。

すてきな曲をたくさん聴かせてくれるバンドで、ライブもあったかくて

とても楽しいのですヽ(oゝω・o)ノ

メンバーが仲良しな雰囲気とか、地元の沖縄を愛している感じとかも

とってもほほえましいです。


彼らは今、ある曲を届けるため全国ツアーの真っ最中です。

アルバム「Whistle」の最後の曲「時をこえ」です。

キーボードの仲宗根泉さん(いーず)が、厳しくも優しい自分のおばぁの話を聞いたりして

書きました。

おばぁは、たくさんの人が亡くなった沖縄戦を経験しています。

いーずは、おばぁやおじぃたちが、希望を捨てずに辛い戦争の時代を

生き抜いたから、今こうして自分が生きている。

その想いを歌にしたのです。


「時をこえ」のレコーディングでは、英語のコーラスを入れるかどうかで

メンバー同士の意見が分かれたり、

ツアーのアンコールで、沖縄戦の話をして「時をこえ」を歌っても

真剣に聞いてもらえなかったり。

苦悩しながら、それでも“つながる命”を伝えるために全身で進んでいく彼らの姿が

とても印象的でした。

何よりも一番すばらしいのは、ひとごとにしていないところだと思います。

記憶を後世に、とか、若い世代に戦争を伝える、とよく言われますが、

それができるのは、年齢に関係なく、あなたもわたしも含めて、

今を生きている人みんなです。


自分たちで伝える。

あたりまえでいてとても難しいことです。

HYは自分たちができることを自分たちでやっていく。それも真っ直ぐに。

そういう姿勢がほんとにすてきだと思います。


より深く“つながる命”の響きを届けるため、

今回のツアーは、ライブハウスのように観客に近い会場を選んでいるそうです。

12月14(火)・15(水)にはつくばでもライブがありますので、

チケット入手が難しいかもしれませんが、行きたいなと思っています。

 みなさんもぜひ、ライブでもCDでも、HY聴いてみてくださいね。

「時をこえ」は、心の奥からあたたかい涙が流れてくるような曲です。


ツアーは来年の2月まで続きますので、きっと全国でたくさんの人たちが

HYの想いを受け取っていくのでしょう。

とってもハードなスケジュールだと思いますので、

メンバーの皆さんやスタッフの皆さんには、各地でおいしいものや

珍しいケンミン的なものも食べて、体に気をつけて、

すてきなステージを見せていただきたいなと思っています。

頑張れHY!


HYオフィシャルHP

http://www.hymode.net/index.html


ハスの花が咲いています

8月 11th, 2010

みなさんこんにちは(o・ω・o)ノノ゙

台風4号の影響なのか、今日は雲の多い予科練平和記念館です。



もっこもこの雲の上には、きれいな青い空が広がっています。

この先には広い宇宙があって、そこには宇宙飛行士の人たちがいるんですね。

人類はどこまでいくことができるのでしょうか。


さて、館の周りのハス畑には、今ハスの花がたくさん咲いています。



本当はもっと早くお知らせしたかったのですが、連日のあまりの暑さに

なかなか外に出る勇気がなかったのでした。

ちょっと盛りは過ぎ・・・かけ・・・かな?という感じですが、まだまだ

十分に楽しめます。



ハスは泥の中から美しい花を咲かせるので、仏教では聖なる花とされていますね。

仏像や仏画を見ても、仏様がハスの花をかたどった蓮華台に乗っていたり、

ハスの花を持っていたりと深い関係性を感じることができます。

最近あまり聞かなくなりましたが、「一蓮托生(いちれんたくしょう)」という

言葉もあります。

よい行いをした人は、亡くなった後極楽浄土の同じハスの葉の上に

生まれ変わるのだそうです。

なるほど確かに、ハスは花もきれいですが葉もやわらかで美しい形をしています。



間もなく終戦記念日です。

予科練平和記念館は、この日一日無料でご覧いただけます。

この機会にぜひご来館いただき、戦争の時代の少年たちに

思いを馳せてみてください。


お盆で里帰りをするご先祖様と一緒に帰ってきた予科練生たちも

もしかしたら館のまわりのハスの葉の上で笑っているかもしれません。



元予科練生の体験を聞く会

8月 7th, 2010

みなさんこんにちは( ^ ^ )/

暦の上では「立秋」の今日も、暑い暑い予科練平和記念館です。


さて、先日開館より5万人目のお客様をお迎えいたしまして、

館長より感謝のご挨拶です。


「開館来、6ヶ月が過ぎました。

お陰様を持ちまして、50,000人の入館者を迎えることができました。

予科練出身及びその遺族はもとより、県内外の各種団体のご来館が数多く、

好評を得ております。

最近になりまして、小・中・高等学校の生徒さんが授業の一環として

来館される様になりました。

同世代の予科練生を自分と重ね、何を感じているのでしょうか。

暑い8月がやってまいりました。65年前の少年達(予科練生)を見て下さい。

忘れがちなものを思い起こし、忘れることのなきよう次世代に語り継いでいきたいものです。」



今日は、戦後65年目の夏の企画として、「元予科練生の体験を聞く会」を行ないました。

午前11時からと午後2時からの2回、元予科練生の

戸張礼記さんを囲んで、予科練時代の体験談などをうかがいます。


戸張さんはこのブログでも度々登場されていますが、当館の資料調査委員として

勤務されるかたわら、ボランティアでご来館のお客様にお話をしてくださっています。



熱心に語りかける戸張さん。

あこがれの予科練に16歳で入隊した戸張さんですが、待っていたのは

「こんなとこに入らなきゃよかった・・・」と後悔するぐらい厳しい訓練の毎日。

「バッター」と呼ばれる太い棒でおしりを叩かれ叩かれ、それでも歯を食いしばって

必死で過ごした日々は、今も戸張さんの中にリアルに残っています。


午後の部は立ち見の方もいらっしゃるくらい大盛況で、会が終わった後も

戸張さんへ質問やお話をする方がたくさんいらっしゃいました。



時には笑いも交えながら、体験者でなければ語ることのできない貴重なお話を

たくさん聞かせてくださった戸張さん、本当にありがとうございました。


また、当館でこうした催し物を行なうのは初めてでしたので、いろいろ不手際も

あったと思いますが、午前の部には60名、午後の部には80名と多くの方に

ご参加いただくことができました。ご来場のみなさん、ありがとうございました。



昨日の広島の平和式典には、国連の事務総長や、核保有国の代表の方々も

参列されましたね。

一連のニュースを見ていて、「核」や「戦争」は、過去のものではなくて、

日本のみならず世界中で、複雑な歴史や状況をはらみながら進んでいる、

今、この時のものなのだということを改めて感じました。

そして、戦後65年経っても癒えることのない傷を心や体に負わされた

被爆者の方々、関係される方々の苦しみ、悲しみはいかばかりかと思いました。


この仕事をしていると、たくさんの元予科練生や戦争体験者の方にお会いしますが、

やっぱり、唯一の被爆国として、そしてたくさんの若者を戦争で失った国として、

あの時代の体験を語り継ぎ、伝えていくことが、これからの未来を考える上で

本当に必要だし、待ったなしの課題であると思います。


戸張さんも最後に、「特攻隊として亡くなった先輩たちが「あとは頼んだぞ」と言って

突っ込んでいった。先輩たちが守ってくれたお陰で今の自分がある。

たくさんの若い人たちに体験を語り継いでいきたい」とおっしゃっていました。


今月22日(日)には、別の元予科練生をお迎えして体験を聞く会があります。

違った角度から見た予科練のお話を聞くことができると思いますので、

こちらもぜひご参加をお待ちしています。


青空記念館

8月 5th, 2010

みなさんこんにちは(^^♪

先日の入館者5万人のニュースと、当館のディスプレイデザイン大賞受賞をお知りになって

お祝いを述べてくださるお客様がたくさんいらっしゃいます。

ディスプレイデザイン大賞という素晴らしい賞をいただけたのも、

展示デザインを担当した乃村工藝社さんが素晴らしかった

こともありますし、予科練平和記念館事業にご尽力いただいた

皆さんや元予科練生の皆さん、阿見町民の皆さん、

その他多くの皆さんからいただいたお力の結果だと思います。

深く感謝申し上げます。

これからもたくさんの方にご来館いただけるよう頑張ってまいりますので、

今後とも予科練平和記念館を宜しくお願い申し上げます。


社団法人日本ディスプレイデザイン協会HP

http://www.dda.or.jp/news/detail/news_100624



さて、今日も本当に暑い一日ですねε=(・д・`*)

気温が33度です、とか35度です、と言われることに慣れてきている自分に

ちょっと驚いています。

こんなに暑いと、いろんな虫たちのサイズが大きくなってしまうのではないかと

ひそかに心配です。


本日も予科練平和記念館上空は晴天なり、です。

展示解説員Hさんが、休憩時間にご自分の携帯で撮った記念館の写真を

見せてくれました。

そこには、雲一つないラムネ色の空と、亜鉛メッキ鉄板の外壁が空を映して

真っ青に染まっていて、まるで空と同化したかのような記念館が写っていました。


「予科練生は空にあこがれた少年たちだったので、この記念館では、彼らがあこがれた

空の色だけが映るように、外壁がステンレスではなくて鉄板なんですよ」と

お客様に説明しているんです、とHさん。


ご指名で案内のご予約をいただくこともあるHさんの言葉は、とっても説得力があって、

なるほどおっしゃるとおりだなと思いました。

みなさんにもお見せしたかったので、Hさんにお願いして撮っていただいたのがこれです↓




8月のカレンダー写真になっていそうな1枚です☆

光線の加減が一番いい場所だと、このようにきれいに撮れるんだそうです。

年代物の500万画素のデジカメで撮ったとは思えない素敵さですよね。

Hさん、暑い中ありがとうございました!



館内ラウンジの窓からは、水平線ならぬ雲平線になっている雲が見えました。

どこから来たのか、雲と同じぐらいの高さを旅客機がすーっと飛んでいきます。



外のモワァーやムシムシを忘れてしまうほど、

ラウンジでは穏やかな気持ちで夏空の美しさを堪能していただけます。

暑さでやりきれなくなったら、ぜひご来館ください。


今週末7日(土)・8日(日)は阿見町で「まい・あみまつり」、

お隣の土浦市では「キララまつり」が行なわれます。

お祭で熱く燃えたあとは、涼しい予科練平和記念館でのんびりと

祭りの余韻を楽しんでみてはいかがでしょうか。


5万人目のお客様

8月 4th, 2010

みなさんこんにちは(- -)“

毎日毎日暑い日が続いて、体も疲れ気味ではありませんか?

そんな暑さにも関わらず記念館には、毎日たくさんの人がお見えになっています。


予科練平和記念館は、今年2月2日の開館から早くも6ヶ月が過ぎました。 

開館してから156日目の8月3日午前10時50分に、5万人目のお客様をお迎えすることができました。


そのお客様は、阿見町の隣町の稲敷市にお住まいの黒田伸治(くろだしんじ)さん63歳です。 

記念館の前を走る道路を利用し、通勤していた黒田さんは、昨年の建設工事中から、何ができるのか興味を持っていたそうです。

開館後は、足しげくおいで頂き、今回で4回目のご来館だそうです。

 


「新聞やテレビで何万人達成というのはよく聞くが、この様な場面に、自分が遭遇するとはびっくりです。通ってみるものですね。」とおっしゃられて、テレビや新聞の取材を快く受けておられました。

 


記念のくす玉を割って頂き、記念品として町長より、赤とんぼの模型、ハンドタオル、ネックストラップ、予科練ものがたり、ボールペンなどを進呈しました。これらの品は、記念館の売店でも販売しています。

 


「来るたびに、このような資料がどこに埋もれていたか感心します。手紙などを見るたびに目頭が熱くなります。年齢を問わず、たくさんの人見てもらいたい施設です。たくさんの人に見てもらうためにたくさんPRしてください。私もPRしますから、」といって、今日も館内をゆっくりご覧になっていました。

オープンから記念館にいらしてくださった、たくさんの皆さま、ありがとうございました。

皆さまに支えられて5万人目のお客様をお迎えすることができました。

心より感謝申し上げます。


 これからも皆様にご満足いただけるよう、スタッフ一同努力してまいります。

そして、皆様のご来館を心よりお待ちしています。