明日からはじまります

7月 27th, 2011

みなさんこんばんは。

現在夜の10時近く。

学芸員Wがゲリラ的に更新しています。

 

いよいよ明日28日(木)より、第1回特別展「土門拳のまなざし-戦中・戦後と

“幻”の写真」がはじまります。

いろいろありましたが、無事オープンを迎えられそうで

ほっと一安心です。

公開前の会場の様子を少しだけお見せしちゃいます。

 

 

 

モノクロの写真と静かに向き合うのにぴったりな空間になっています。

 

激動の昭和に、「写真の鬼」と言われた土門拳がファインダー越しに見つめたものは

なんだったのか。

 

ぜひ会場でご覧ください。

 

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第1回特別展「土門拳のまなざし-戦中・戦後と“幻”の写真」

2011年7月28日(木)~10月30日(日)

9:00~17:00(入場は16:30まで)

 

常設展とのセット券

大人600(480)円 小中高生350(280)円

特別展のみ

大人200(160)円 小中高生100(80)円

※( )は20名以上の団体及び割引提携カード提示時の料金

お問い合わせ:029-891-3344

 

 

 

 

 

 

 

おさんぽしました

7月 25th, 2011

みなさんこんにちは。

ここ2~3日とても涼しくて快適でしたが、また暑くなりましたね。

急激な気温の変化に体調を崩していませんか?

 

・・・と書きながらマスクマンになっている学芸員Wです。

頭がぼんやりとして、文章がうまくまとまりません。

夏の風邪はなかなか治りませんね・・・。

土用の丑の日にウナギを食べ忘れたせいでしょうか・・・。

みなさんもどうぞお気をつけくださいね。

ぼんやりしている私を見かねてか、解説員Hさんが心配して栄養ドリンクをくださいました。

父のような年齢のHさんには、いつもいつもご心配をおかけしてしまい、

また助けていただいています。

Hさん、ありがとうございます。

 

 

さて、今日から28日(木)からスタートする特別展

「土門拳のまなざしー戦中・戦後と“幻”の写真」展の準備に入りました。

 

 

 

職人さんたちが手際よく作業をなさっていて、みるみるうちに壁が立ち上がり、

特別展の会場ができてきました。

まだ木肌が見える壁ですが、ここにクロスを貼っていきます。

準備段階ってわくわくしますね。

どのような会場になるのか、とても楽しみです。

 

 

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今月16日(土)には、読み聞かせ「おはなしおさんぽの会」がありました。

今年はじめて立ち上げた企画でしたが、

午前、午後あわせて48名のお父さんお母さんとかわいいお子さんたちが参加してくれました。

すてきなお母さんたちもそうですが、イクメンの若いお父さんたちが来て下さって、

「いやー、偉いなー!」と館長がしきりに誉めておりました。

普段は年配のお客様が多い予科練平和記念館ですが、

お子さんたちの元気の良い声が聞こえて、スタッフもついつい笑顔になります。

 

 

この日に読んだのは、

お友達に届けるために、頭のかごにいっぱいにおいしい果物を入れたハンダと

サバンナの動物たちのお話『ハンダのびっくりプレゼント』。

 

今から66年前の8月6日。

広島に落とされた一発の爆弾の下で亡くなった小さな女の子のお話『まちんと』。

 

それから、小さい子たちが一緒に参加できるかみしばい『おいしいとびらをとんとんとん』。

午前の回では、学芸員Aさんが、小さな娘さんを片手に抱えて読んでくれました。

最後は夏にぴったり。大きなスイカを見つけた小さなアリたちのお話『ありとすいか』でした。

 

解説員Mさんは、とってもやさしい声で

みんなに語りかけるように読んでくれました。

 

どのお話も、小さなこどもさんたちは興味を持って聞いてくれたようです。

特に『ありとすいか』は大型絵本で、ページを広げると1メートル弱ぐらいになる

大きな絵本でしたので、みんな本を指で差しながら、次の展開にわくわくしながら、

本当に楽しそうに聞いてくれました。

また、ちょっとむずかしいかな・・・?とMさんと話していた原爆を扱った絵本『まちんと』ですが、

いわさきちひろさんの絵の力なのか、松谷みよ子さんの短くも力強い言葉の力なのか、

Mさんの想いが通じたのか、

お子さんたちはじっと絵本を見つめて聞いてくれました。

 

 

その姿を見ながら、以前Mさんがおっしゃった言葉を思い出しました。

 

子どもたちがのんびり絵本を読めるということは、平和だからできることだと思います。

 

 

今回の地震で大きな被害を受け、いまだ生活を取り戻すことが難しいこどもたちや、

世界中のこどもたちが、どこにいても、自分の好きな絵本を読めるようになれるよう、

今自分ができることをやらなければと思います。

おはなしおさんぽの会を続けることもその一つ。

これからも、お子さんたちにすてきな絵本をたくさん伝えていきたいと思います。

 

 

最後まで聞いてくださったお子さんたちには、折り紙で作ったありがとうメダルを

プレゼントしました。

北海道に嫁いだMさんの娘さんが手作りしてくださったものです。

メダルの真ん中には、模造紙で作られたかわいい動物たちの顔がついています。

みんな大喜びで首にかけてくれました。

 

 

一生懸命本を選んで、練習してくださったMさん、ありがとうございました。

次も頑張りましょうね!

 

 

外のハス田では白いハスの花が風に揺れています。

霞ヶ浦湖畔に美しい夏がやってきました。

 

イベント報告(元予科練生のお話会)

7月 21st, 2011

 皆様、暑中お見舞い申し上げます。

 

 今年は梅雨明けすぐに猛暑となり、平穏に生活を続けることが厳しい夏となっています。大震災の影響もあり節電に努めなければなりませんから、私たち一人一人の生きる知恵が試されるときです。「災い転じて福と成す」老若男女が一段階上の人間となるための夏とも言えるのではないでしょうか。メラメラと燃え、かつクールに時を過ごしましょう。

 

 さて、アスファルトに陽炎立つ日曜日(7/17)、元予科練生のお話会が当記念館にて開催されました。「激闘予科練」と題され、元予科練丙種12期生の橋原正雄様、そして元甲種14期生の戸張礼記様お二人からお話をうかがうことが出来ました。

 

 

 私がまず驚いたことはお二人のお元気さ。むしろ頑丈さと言えばよいでしょうか。橋原様は87歳、戸張様は82歳でいらっしゃいますが、まだ若年の私が恥ずかしくなるほどお元気です。背筋がピンと伸び、やはり、お若いときの鍛え方が年齢を重ねられた後に現れてくるのでしょうか。この暑さの中、それだけで私はすでに脱帽しました。

 

 当日は、山口県の海上自衛隊小月教育航空隊の皆様が研修にご来館されており、元予科練生の講師お二人も感慨ひとしおでいらっしゃったようです。

 

 

   お話会の内容ですが、当記念館歴史調査員でもいらっしゃる戸張様が、歴戦の強者でいらっしゃった橋原様のご経験談を引き出してくださったものとなりました。

 

 終戦の前年1944年(昭和19年)10月に行われたレイテ沖海戦(フィリピン)において、橋原様は第一遊撃部隊(栗田第二艦隊)の旗艦愛宕(巡洋艦)にて作戦参加をなされました。レイテ沖海戦とは、戦艦武蔵が撃沈されたこと、また初めて特別攻撃(特攻)が行われたこと、などの史実が残された戦いでした。

 

 ここに橋原様がお作りになった資料のあとがきを要約し、掲載させていただきます。どうぞ、実戦を体験された方からのメッセージをお受け取りください。 

 

   ※  ※  ※  ※  ※

 

 昭和19年10月25日を期して決行された、わが連合艦隊のレイテ湾突入作戦は、太平洋戦争中最大なものであったばかりでなく、空前のものであったろうと思われます。

 

 連合艦隊は水上艦艇、航空母艦、潜水艦、基地航空隊とありとあらゆる総兵力を動員しました。アメリカ海軍もまた全兵力を集中して戦いました。レイテ沖海戦は海上戦闘の定石たる両軍主力の洋上決戦ではなかったため、作戦の内容が一層複雑になったと私は考えています。

 

 レイテ沖海戦において、私は同作戦の核心となった第一遊撃部隊(栗田第二艦隊)の旗艦愛宕にありましたが、同海戦の惨憺たる光景は今なお脳裏に焼き付いていて、昨日の出来事のようにはっきりと目前に蘇ってきます。

 

 連続4昼夜にわたる陰惨極まりない悪戦苦闘にもかかわらず、連合艦隊の将兵は不眠不休、それこそ精根尽き果てるまで最善を尽くして奮闘しました。

 

 私は終始戦闘配置にあって、艦と共に沈みゆく数多くの戦友の最後を見ました。唯々、戦友は祖国の前途に明るい光が差すこと願っていただろうと思います。

 

 私は戦争を体験して痛切に思うのです「世界中のどこにももう二度と戦争があってはならない」と。太平洋戦争についても、またレイテ沖海戦についても様々な考え方があると思いますが、私は戦争をしない知恵こそ重要だと思います。たとえ戦地で敵となっても、戦う個々に何の恩讐もないのです。

 

 こうした私の思いは戦友の面影に背中を押されて、作戦における事実を正確に記録し後世に伝えようとします。また戦争があってはならないと述べることは、私の当然の義務と考えるのです。

 

 最後に、レイテ沖海戦において命を捧げ、世界平和の礎となられた戦友の御霊魂の永久に安らかならんことを私は祈ってやみません。

(※橋原様は全8ページの資料をご用意くださいました)

 

   ※  ※  ※  ※  ※

 

予科練平和記念館イベントについてお知らせいたします。

 

 7/24(日)歴史調査員講演会「阿見大空襲の悲劇」

 

 ◇講師  赤堀 好夫 氏(予科練平和記念館歴史調査員)

 

・昭和20年(1945年)6月10日の朝、阿見町は予科練を中心とした霞ヶ浦沿岸全区域にわたる米軍の大空襲により甚大な被害を受けた。これらの様子を、当時、被災された方々のお話を中心に講演していただく。

 

◆場 所  予科練平和記念館20世紀ホール

◆時 間  14:00~15:00

◆観覧料が必要です(予約不要)

 

お問い合わせは予科練平和記念館まで

電話 029-891-3344

特別展のお知らせ

7月 8th, 2011

みなさんこんにちは。

今日も湿気の多い暑い一日でしたね。

体調を崩しやすい時期ですので、どうぞご自愛ください。

仮設住宅や避難所にいらっしゃる方々も、水分補給をしっかりして

できるだけ無理をせずに過していただけることをお祈りしています。

 

 

さて、昨日は七夕。

年に一度、織姫と彦星が出会うことのできる日でした。

皆さんは何か七夕にちなむことをなさったでしょうか。

 

子どもの頃は親に竹を切ってもらい、折り紙で飾りを作ったり短冊を作って

願い事を書いたりしていましたが、

最近は全然していないなぁ、と反省している学芸員Wです。

 

何かしなければと思い、とりあえず笹かまを買ってみました。

♪笹の葉さらさら だけに。

来年こそは七夕を楽しめる余裕があるといいなぁ・・・と切なくかみ締めました。

 

 

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さて、今日は皆さんにお知らせがあります。

今月末より、予科練平和記念館の第1回特別展がはじまります。

 

タイトルは

「土門拳のまなざし-戦中・戦後と“幻”の写真」です。

 

 昭和を駆け抜けたリアリズム写真家、土門拳。

対象に肉迫するそのカメラワークからは、切り取られた瞬間の空気感が凝縮されたような

迫力ある写真が生みだされます。

「カメラの鬼」と呼ばれた土門拳のまなざしは、激動の戦中・戦後に何を見ていたのでしょうか。

今回は、数多い作品の中から、特に「昭和」という時代がよく出ている写真30点を展示します。

駆け出しカメラマンだった戦時中から、リアリズム写真家として一時代を築いた

戦後まで、時間を追ってご覧いただくことで、土門のまなざしがどのように変わっていったのか、

また変わらなかったものは何なのかが分かるようになっています。

 

土門拳は、予科練にゆかりのある方でもあります。

昭和19(1944)年の夏、予科練をPRする写真を撮影するために

土浦海軍航空隊に来て、2ヶ月ほどかけて練習生たちの写真を撮りました。

 

練習生のある班とともに生活をしながら、シャッターを切りまくる土門。

気に入らなければ、何度でもやり直しをさせたそうです。

まさに「写真の鬼」という形容詞がふさわしい撮影だったと聞きます。

 

戦後このときの写真はほとんどが失われてしまい、“幻”の写真と言われています。

土門自身により処分された、という説もあります。

 

実はこのときの写真、一部を予科練平和記念館で常設展示しています。

なぜ、“幻”となるはずだった写真が残っているのでしょうか。

そこには、まるで後世に残さなければいけないものだと神様が思われたかのような

偶然のできごとがありました。

 

今回の展示では、当館に所蔵・展示されている予科練の全写真のほか、

財団法人土門拳記念館に収蔵されている予科練の写真8点をあわせてご覧いただけます。

 

さらに、会場内では、土門と一緒に生活をしながら写真を撮られた元予科練習生の

インタビューも放映する予定です。

実際に土門の撮影を体験した方の生の声ですので、リアルに当時の状況が伝わってきます。

 

 

この夏、皆さんも“幻”となるはずだった土門の写真の目撃者になってみてはいかがでしょうか。

 

山形・酒田の土門拳記念館までは遠いけど・・・という方も、

ぜひ予科練平和記念館で土門の傑作の数々をご覧ください。

 

 

特別展「土門拳のまなざしー戦中・戦後と“幻”の写真」

2011年7月28日(木)~10月30日(日)

9:00~17:00(入館は16:30まで)

月曜休館(ただし8/15・9/19は開館)

予科練平和記念館20世紀ホール

 

【観覧料】

特別展のみ 大人200(160)円 小中高生100(80)円

常設展とのセット券 大人600(480)円 小中高生350(280)円

※(  )内は20名以上の団体・各種カード割引料金

※身障者手帳をお持ちの方、阿見町の小中学生は無料です。

窓口にお申し出ください。

 

 

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今日は仕事の合間をぬって、できあがったチラシとポスターの発送作業をしました。

展示解説員さんたちが手際よくお手伝いをしてくださいます。

 

 

チラシのデザインはこんな感じです。

 

 

あれ、何となく見たことがある感じ・・・と思われた方は、真の予科練平和記念館通です。

すばらしい!

実はこのチラシ、館内の展示のグラフィックを担当してくださったデザイナーさんが

作ってくださいました。

とてもすてきな仕上がりで大満足です。

 

チラシとポスターは全国各地に送らせていただきますので、

もしかしたらお目にとまることがあるかもしれません。

ご連絡いただければ、ご自宅にもお送りいたしますので、

ご希望の方はお電話にてお問い合わせください。

予科練平和記念館 029-891-3344

 

また、特別展の準備のため、7月26日(火)は臨時休館となります。

ご迷惑をおかけいたしますが、宜しくお願い申し上げます。

 

大観もあり

7月 1st, 2011

 我が故郷の芸術家と言えば?と問われたとき「横山大観」と答える茨城県人は多いことでしょう。水戸に生まれ育った大観は、茨城を代表する、しかも「BIG」な芸術家でした。

 

 横山大観で通っている大芸術家について1つ、2つ。

 彼は横山家へ養子に入る前「酒井秀麿(ひでまろ)」という姓名でした。水戸藩士・酒井家の子として彼は生まれました。1868年(明治元年)に生まれたとき、水戸藩内は明治維新の大混乱の渦中にあったと言われます。現在の水戸市城東2丁目に酒井家はあったとのこと。実は私が生まれ育った家とは50メートルしか離れていない所です。大観はある面で頑固者でしたが、私も自身を思い合わせ「水戸っぽ」らしさに同胞の親しみを感じています。

 

 

 「大観」という雅号の由来は様々に言われています。ただ、気宇の大きな人間・画家を目指す、といった意味で理解して大過ないでしょう。繊細にして豪放、その人間性は大観の画風そのものと言えます。大観は生涯の師・岡倉天心の影響を受け老荘思想に親しみます。秀才でもあった彼は、一言で言えば「生きる道」に深い関心をもったのです。自分は何者か?自分はどこへ行こうとしているのか?大観は1958年(昭和33年)に90歳で亡くなるまで、それこそ一生懸命にその課題を追求した男子でした。(でも、大観には、十分な学力がありながら現在の東京大学への入試制度でズルをして結果受験資格を失ったという、気が小さいと言うかお茶目と言うかの側面もあったのです。)

 

 

 予科練平和記念館にも横山大観ゆかりの品があります。予科練生が入隊する際に贈られた日の丸2旒(りゅう)です。「近思尽忠(きんしじんちゅう)」「武運長久(ぶうんちょうきゅう)」と揮毫されています。「近思尽忠」とは、身の回りを常に反省し忠義を尽くすこと、「武運長久」とは武人(軍人)としての運が長く続くこと、という意味でよいでしょう。この2つの言葉について詳しい説明はいらないと思います。大観は「お国のため」という思想を強くもった人で、戦時中は絵の売り上げを戦闘機や戦艦を作るために寄付したこともありました。そのため、戦後に戦争協力者と見なされ苦しんだ時期があったようです。

 

 

 大観と予科練生には共通する点が多いように私は感じています。最大のことは「お国のため」「信じるもののため」に身を挺して守るという心です。元予科練生も戦後は苦しんだ時期があったとのこと。大観と予科練生の生き方こそ違え、一生懸命さの悲喜こもごもに私はやはり考えさせられます。

 

 予科練生しかり、予科練生に関係した方々しかり、また戦争を経験した方々しかり、そうした方々のご経験をまずはしっかり受け止めたいと私は思います。そして、いろいろ考えてみたいと思います。

 

      ※  ※  ※  ※  ※  ※  ※  ※  ※  ※  ※  ※  ※  ※  ※

 

後日、別途広報いたしますが、7月、8月の予科練平和記念館イベントについてお知らせいたします。

 

①7/16(土)「おはなしおさんぽの会」

  話題の絵本をママ解説員が読みます。すずしい館内でのんびり絵本を楽しんでください。

  ※参加は無料です。

   ◇時間 10時30分~ と 14時00分~

   ◇場所 予科練平和記念館ラウンジ

 

②7/17(日)元予科練生のお話会 「対談 激闘予科練」(語り継ぐ元予科練生の体験)

   ・旗艦愛宕「総員退艦!」  ・体験目撃「重巡愛宕の最後」

  ◇対談者 橋原 正雄 様(元予科練丙種12期生)

           戸張 礼記 氏(元予科練甲種14期生・予科練平和記念館歴史調査員)

   ・昭和19年10月22日夜、第2艦隊は、ブルネイを出航、レイテ沖海戦に参戦した。

  ・その頃、予科練甲14期生は、決戦の大空めざして、猛訓練に明け暮れていた。 

  ・しかし、23日の朝、待ち受けていた米潜の魚雷6本が、1番艦愛宕を狙って発射された。

 

 ③7/24(日)歴史調査員講演会 「阿見大空襲の悲劇」

   ◇講師  赤堀 好夫 氏(予科練平和記念館歴史調査員)

    ・昭和20年(1945年)6月10日の朝、阿見町は予科練を中心とした霞ヶ浦沿岸全区域に

        わたる米軍の大空襲により甚大な被害を受けた。これらの様子を、当時、被災された

      方々のお話を中心に講演していただく。

 

(②③共通)

◆場 所  予科練平和記念館20世紀ホール

◆時 間  14:00~15:00

◆観覧料が必要です(予約不要)

 

お問い合わせは予科練平和記念館まで     電話 029-891-3344

おさんぽの会

6月 22nd, 2011

「大丈夫」ということばの中には、「人」が三つも入っているから

安心なのだとか。

 

 

みなさんこんにちは。学芸員Wです。

 

 

震災以降、個人的にツイッターで情報を得る機会が多くなりました。

ツイッターとは、不特定多数の人がウェブ上に短い文を投稿し、それを大勢の人が見ることが

できるもので、リアルタイムで様々な情報を共有することができるのが特徴です。

いろんな人がいろんなことをつぶやくので、何が正しいのか、ともすれば

見落としてしまいそうになることもあります。

 

そんな中で見かけたこのツィート。

そう言われれば、「大」にも「丈」にも「夫」にも、「人」という形が入っています。

なるほどなぁ・・・。

 

もう一つなるほどと思ったのは、「信じる」という字は「人」に「言う」と書くので、

人は言葉にしてコミュニケーションすることで信頼が深まるのだ、という言葉です。

 

 

みなさんは、自分の思いを言葉にしていますか?

 

 

 

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さて、今日は「夏至」。

昼間の時間が一年で最も長い日です。

それにあわせてなのか、予科練平和記念館は朝から暑いくらいの陽気でした。

 

 

 

 

館内にも強い陽射しが差し込んでいます。

四角い窓から、四角い光。

 

 

ジェームズ・タレルを思い出します。

 

ジェームズ・タレル(1943-)・・・アメリカの現代美術家。自然光や人工光など

光を使ったさまざまな作品で知られています。

日本にも彼の作品はたくさんありますが、茨城では、

1995年に水戸芸術館で個展が開かれています。

 

水戸芸術館

http://arttowermito.or.jp/

 

 

 

 

館内の壁は真白なので、窓から入る光のおかげで照明をつけなくてもとても明るく、

所蔵資料展が終わってからは、展示室以外の照明をつけることはほとんどありません。

空調もガスを使用していますので、今年の夏の節電には貢献できそうです。

 

 

暑くなりそうな今年の夏。

こんなイベントはいかがでしょうか。

 

 

7月16日(土)、予科練平和記念館で絵本と紙しばいの読み聞かせを行ないます。

涼しい館内で、お子さんと一緒にほのぼの絵本を楽しんでみませんか?

当館のママ解説員が、お勧めの絵本をご紹介します!

参加は無料で、予約もいりません。

お子さんだけでも参加できます。

午前、午後の2回ありますので、ぜひご来館くださいね。

 

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「おはなしおさんぽの会」

7月16日(土) 10:30~ ・ 14:00~ (各30分程度)

予科練平和記念館ラウンジ(無料 チケットも必要ありません)

絵本2冊と紙しばい1冊 何を読むかは当日のお楽しみです☆

お問い合わせは 029-891-3344 へどうぞ。

 

ami

6月 15th, 2011

 思い返せば学生の時、私はフランス語を学習しなければなりませんでした。フランス文学でも専攻していたならよい思い出を作れたかもしれませんが、いわゆる第2外国語の単位取得という消極的な学習態度に終始してしまいました。

 

 そんな不勉強だった私にもフランス語の知識が断片的に残っています。「ami」(男性形、女性形の違いはありますが)ここは「阿見」…そんな結び付きが私の頭の中にできました。

 友人、恋人、などと日本語として理解すればよい「ami」ですが、阿見町にとってはこの響き、この意味は幸運と言えるのではないでしょうか。

 

 

   予科練平和記念館のお隣には児童公園があります。ブランコ、すべり台、砂場などの定番遊具の他、芝生ソリができる築山、キャッチボールなどが楽しめる広場などを備えています。霞ヶ浦を渡る涼風に恵まれ、公園内のトイレも綺麗です。私の子供もこの公園が大好きで、初めて会う子供ともお友達になりいつも楽しく遊んでいます。まさにここは「ami」の園です。

 

 

 また、先日、予科練平和記念館は10万人目のご来館者をお迎えすることができましたが、色々な場所からお出でいただき、いろいろな年齢の方に当記念館を見ていただくことが叶いました。様々なことを知り、感じていただいた感謝、そして敬愛の念も込め、全ての方を当記念館にとっての「ami」と呼ばせていただきたいと思います。

 

 

 ミュージアムはなんだか敷居が高くって…、とご批判いただくこともあり反省すべきところですが、当記念館のラウンジへはいつでも無料でお入りいただけます。お隣の公園で遊び疲れた方、少し休憩したい方、またこれからの夏に「日差しを避けたくて」という方、ご遠慮なくどうぞお入りください、シルブプレ。

 

 予科練平和記念館もまた「ami」の園です。阿見町にいる方、来られた皆さんを「ami」に結びつけるお役に立ちたいと考えております。

忘れられない日

6月 10th, 2011

みなさんこんにちは。

震災後、ガソリンをセルフで給油できるようになった学芸員Wです。

それまでは、遠回りをしてでもお店の人がやってくださるガソリンスタンドへ行っていましたが、

今では得意になって一人で給油しています。

できることがふえると、生きる場所の幅が広がったような気がして嬉しいですね。

 

 

★゜・。。・゜゜・。。・゜☆゜・。。・゜゜・。。・゜★

 

 

さて、今日は予科練平和記念館のある阿見町にとって忘れられない日です。

 

今から66年前の6月10日、記念館があるあたりは大きな空襲を受けました。

土浦海軍航空隊(現陸上自衛隊土浦駐屯地武器学校一帯)を中心に、

午前8時ごろからB-29の大編隊による4度の空襲を受け、

ちょうど日曜日だったので、土浦海軍航空隊にいた予科練生たちと、

その家族やまわりの一般の人たちもたくさん巻き込まれてしまいました。

 

今日は、その中のお一人である戸張園子さんがご来館くださいました。

所蔵資料展が今週末までだということでお越しくださったそうです。

戸張さんは、当館で、ボランティアでお話をしてくださっている元予科練生の

戸張礼記さんの奥様です。

 

航空隊の近くに住んでいた戸張園子さんは、66年前の今朝、

空襲の第一波で落とされた爆弾の破片で深い傷を負ってしまいました。

土浦海軍航空隊の中にある医務科に運ばれ、寝かせられたのは廊下の水道の下でした。

一緒にいた姉に、「ここは危ないからおねえちゃん逃げて!」と言ったそうです。

空襲がおさまって、姉に背負われて病院に行ったのよ、と教えてくださいました。

 

 

 

今朝はね、主人としみじみ話をしたの。

思い出したくもない記憶だけど、そういう経験があるからどんなことでも

頑張ってこれたのよ。

今の若い人はね、生まれたときから平和だから恵まれているのね。

昔はね、本当に我慢強い時代だったんです。

 

 

 

そうおっしゃる園子先生(以前教師をしていらっしゃったので、先生とお呼びしています)は

今日を「バクダンの日」とおっしゃって、展示室6「窮迫」の空襲の映像をご覧になりました。

この映像にはご自身も出ていらっしゃいます。

 

 

今日一日、空襲の展示室の前にお花が置いてあります。

お花と同じぐらいチャーミングな笑顔の園子先生です。

 

園子先生はお肌がとってもきれいで、張りのあるほっぺと福耳がすごくすてきだなと思います。

女学校を出てずっと先生をなさっていただけあって、お話もとても面白いです。

今日のバッグは光沢のあるパープル。首にはラピスラズリのネックレスでおしゃれです。

ミニ園子先生情報でした。

 

 

 

 

午後には、元特別丙種予科練習生の教員で、6月10日の空襲に遭われた

橅木(かぶらぎ)光一郎さんと、

元甲種第14期予科練生佐藤彰男さんがおみえになりました。

 

橅木さんは、90を超えた今でもご自分で車を運転なさって記念館までいらっしゃいます。

いつもお元気で、数年前は肋骨を骨折しながらも予科練の慰霊祭に参加なさったぐらい

強靭な精神の持ち主でもあります。

園子先生と同じく、空襲の映像の中で当時の体験をお話してくださっています。

 

佐藤彰男さんは、当館に貴重な資料をたくさんご寄贈くださっていて、その一部が

展示室1と5に展示されています。

 

橅木さんは、いらっしゃるたびにいろんなお話を聞かせてくださいます。

今日も、空襲のお話や受け持った台湾の予科練生のお話をしてくださいました。

 

戦後は台湾の予科練に本当にお世話になった。

3度も台湾に招待してくれた。

世話はしたけれども、戦後世話になっていろいろ教えられたのはこっちのほうだ。

 

みんな年とってしまった。

(台湾予科練に関係した人で)今生きてるのは、金子さん(分隊士)と私だけになってしまった。

 

そうおっしゃったときは、少しさみしげでした。

 

 

ちょうど園子先生のだんな様で元予科練の戸張さんもおみえになったので、

せっかくだから記念写真を撮りませんか?とお誘いしてみました。

 

 

 

左から甲14期戸張礼記さん 橅木光一郎さん 甲14期佐藤彰男さんです。

 

 

 

今日はいい記念になった。こんなにしてもらってありがたいよ、と橅木さんが言ってくださいました。

 

 

 

悲惨な空襲を経験され、それを乗り越えられた方と、

66年後の今日お会いしてお話できるというのは、とても不思議な感覚です。

お元気なお姿を拝見して、笑ってお話ができることがとてもありがたく、

嬉しく思いました。

 

 

またいつでもお待ちしております。いつまでもお元気でご来館ください。

 

 

 

今日はその他にも、お兄様が予科練で、当館に遺品のほとんどをご寄贈くださった方や、

元甲種第16期生、前阿見町長など、予科練や当館にゆかりの深い方々がたくさんお見えになり、

思い出深い66年目の今日となりました。

 

 

 

また、今日はもうお一方、予科練平和記念館のデザイン・建築を担当なさった

(株)乃村工藝社のクリエイティブディレクター 吉永光秀さんがいらっしゃいました。

読売新聞さんの取材を受けられ、3時間近く熱心にお話しをなさっていました。

 

 

スミマセン・・・写真が下手で・・・。

前にいらっしゃるのが読売新聞の記者さんで、真中の黒いジャケットの男性が吉永さんです。

 

 

詳しくお知りになりたい方はこちら↓↓

英語ですが、吉永さんのお写真と当館の写真が載っています。

  http://www.nomurakougei.co.jp/nomura_design/en/professional/yoshinaga/

 

 

吉永さんには記念館建設前から大変お世話になっておりますが、

いつもスマートでいらっしゃいます。

今日のバッグは黒いアニエス・b。

日本の現代アートを応援してくれているあのアニエス・bです。

ミニ吉永さん情報でした。

 

 

 ★゜・。。・゜゜・。。・゜☆゜・。。・゜゜・。。・゜★

 

 

本日、懐かしい方々とお会いして思ったのは、変わらずお会いできることの

ありがたさでした。

あの震災でそれが難しくなってしまったたくさんの人たちを思うと、本当に胸が痛くなります。

もしかしたらそれは自分だったかもしれず、いつ何が起こるかわからないということでは、

全ての人が同じ地点に立っているのだ、と改めて思いました。

 

明日で東日本大震災から3ヶ月。

みなさんはどのようにお過ごしになるでしょうか。

 

 

祝!10万人

6月 5th, 2011

 予科練平和記念館は、本日午後に10万人目のご来館者をお迎えすることができました。

 

 記念すべきお客様は、野口政次(のぐちまさじ)さん、87歳です。阿見町上長にご在住で、本日は娘さん、お孫さんお二人とご来館いただきました。

 記念のくす玉を割っていただき、町長・教育長から赤とんぼの絵画など記念品を贈呈させていただきました。「絵は部屋に飾りたい」と喜んでいただきました。

 野口さんは戦時中陸軍中尉でいらっしゃったとのことで、岡山方面で任務に就かれていたそうです。当館が開館してからずっと来てみたいと希望していただいていたそうで、本日お越しいただくことが叶いました。ありがとうございました。戦争を知る方に、記念すべきご来館者となっていただいたことにご縁を感じます。館内を見学いただき「昔日の苦しみ、大変さを思い出した」とのことで、涙を流されてもいらっしゃいました。

 「また来たい」と野口さん、ご家族に言っていただくことができました。またのご来館を心よりお待ちしております。

 

 昨年2月2日の開館以来1年4ヶ月、379日目の開館日で記念日を迎えることが出来ました。ご来館いただいた方々をはじめ、皆様にご関心をもっていただき、心より御礼申し上げます。

 

 本年は未曽有の大地震もあり、命について考える機会が多いのではないでしょうか。国を守るため命を懸けた若者がいたことを是非皆様に知っていただき、今日の生活に還元していただきたいと当記念館は考えております。

 

 引き続き、予科練平和記念館へどうぞご来館ください。

スタイル、というもの。

6月 3rd, 2011

  先回の話題に引き続くことになりますが、予科練戦没者慰霊祭(5/29)に参列させていただき私(A)が感じたことを書きたいと思います。

 

 私がこの慰霊祭において一番心に残ったことは元予科練生の敬礼でした。(ちなみに敬礼の分類によると「挙手の敬礼」と言うのだそうです。)

 

  式中、様々な方がご挨拶され、また献花などをされましたが、参列者に対する礼の形も様々でした。挙手の敬礼は現役自衛官もされましたが、元予科練生の「敬礼」は、私には別の光景に映ったのです。

 

 私は戦後生まれで、東京オリンピックも知らない世代に属します。戦争時を知る方々からお話を伺うほか、書籍・遺品などを通じて予科練や戦時の世相、また阿見町について知識を広げ、理解を深めています。私にも想像力はあり、また中年にかかる自身の人生体験を通して他者を類推することも可能、ではあるでしょう。しかし、元予科練生の敬礼を見て「自分は戦争を経験していないのだ」ということが改めて実感されたのでした。

 

 ハッと構えた元予科練生の敬礼から私は音を感じるようでもありました。戦後復員されてからは挙手の敬礼を必要としない世界で生きてこられた元予科練生の方も多いかと拝察します。しかし、敬礼でした。直立し、手腕で三角形を成し、元に直るまで、万感の思いが籠められていたように感じたのです。そのスタイルを、予科練という、戦後もまた別の厳しさに直面した方々の人生そのものと私は拝見しました。式では若鷲の歌が斉唱されましたが、まさに「若い血潮」は消えていないように感じられました。

 

  自身には到底体験できない人生の存在に改めて気付くことが出来たことは私にとって貴重な経験と考えています。学芸員は、真実を捉え、様々な観点から対象に光を当て声なき声を忠実に拾い上げていくことが重要な仕事となります。歴史をありのままに捉え、戦時を想像力でしか把握出来ない者と自覚し、その上で自身も含め、今後の世代に平和を訴えかけることを、私は自身のスタイルとしてお見せしていきたいと考えています。(A)