台風のあとで

9月 23rd, 2011

みなさんこんにちは。

先日の台風では各地で被害が大きかったようですが、みなさんは大丈夫でしたでしょうか?

 

当日帰宅時間がちょうど雨風の激しい時間にあたってしまい、

リアルな台風体験をした学芸員Wです。

 

 

予科練平和記念館もこの日開館していましたが、強い風で雨粒が

窓にたたきつけられていました。

ガソリンスタンドにある洗車機で洗車中の車の中にいたら

こんな感じなのかな、というくらいの激しい雨でした。

 

うさぎ年には自然災害が多いということも言われているそうですが、

もうこれ以上災害はあってほしくないものです。

 

 

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さて、このブログでも何度かご紹介しておりますが、予科練平和記念館のラウンジでは、

阿見町図書館の絵本が9月30日(日)まで楽しめます。

学芸員Wと解説員Mさんが自信を持って(!)おすすめする

すてきな絵本がたくさんあります。

 

 

 

絵本の近くにはこんな子たちが。

 

 

解説員Tさんが作ってくださった指人形です。

左の予科練生がまーくん、右の女学生がつるちゃんです。

つるちゃんの初恋の人が、予科練生のまーくんです。

 

二人は実在の人物です。

つるちゃんこと鶴江さんは、今もお元気でいらっしゃいます。

 

このふたりの恋の続きはどうなったでしょうか。

予科練平和記念館の常設展示室5にありますので、ご来館の折には

見つけてみてくださいね。

 

 

 

今日はこの絵本をご紹介。

 

 

 

忌野清四郎さんがイラストを描いた絵本『ブーアの森』です。

そうです。あのロック歌手の忌野清志郎さんです。

RCサクセションでご存知の方、坂本龍一さんとユニットを組んでいたことでご存知の方、

ちょっと奇抜なメイクやファッションでご存知の方、たくさんいらっしゃると思います。

残念ながらお亡くなりになってしまいましたが、時々清四郎さんの

はにかんだような笑顔を思い出します。

 

 

主人公のしょうくんは森で出会った小さなブーアを連れて帰ろうとしますが、

酸性雨が降り森林伐採が進むしょうくんの世界に出て、

ブーアは弱ってぐったりしてしまいます。

空色の体に青い目のブーアの名前は、ブルーアース、青い地球からきています。

瀕死のブーアを助けてくれるのは、人間に痛めつけられている木や動物たちです。

 

環境問題はひとごとではなく、自分と無関係のことでもないのだということを、

わかりやすく伝えています。

まるで清志郎さんの歌のように、メッセージ性は強いけれども

押し付けがましくありません。

 

 

大きな地震にみまわれ、原子力発電所の事故で不安な毎日を過ごし、

大きな台風もやってくる。

今、清志郎さんが生きていたら、この日本でどんな歌を歌うのだろうか、

こどもたちに何を語りかけるのだろうか、と思います。

 

 

今日は秋分の日。お彼岸の中日。

みなさんはどう過されましたか?

 

 

予科練平和記念館はこの三連休休まず開館しております。

秋風に何かを感じたら、ぜひおでかけください。

 

 

学びの夏

9月 19th, 2011

 4月に新年度が始まりおよそ半年が経とうとしています。

 

  今年度、新しい環境に入った人たちには「ようやく慣れてきたかな」と実感が湧いてきた頃でしょうか。また、半年後に進学や就職を控えている人たちには「あと半年になったのか」と、あらためて考えると残りわずかな現在の生活を惜しむ心が生まれてきている頃でしょうか。

 

 先日、中秋の名月を陰りない満月で見られたことは、何かと落ち着かない日々を重ねてきた私たちへの光明だったようにも思えます。古くから、満月は円満具足の象徴として信仰を集めてきました。月は暗闇の一隅を照らす存在としても拝まれています。私の未だ幼い子どもたちは「今日は明るい夜だねぇ」と言っていました。

 

 さて、今日はこの夏休みに阿見町近代の歴史について学んだ小学生をご紹介します。

 

 彼の名前は永田響(ひびき)君、阿見第一小学校の5年生です。

 

 当記念館が8/7(日)に開催した「戦跡を巡る」にもお母さんと一緒に参加してくれました。また、過日「美しくも力強い存在」というタイトルのブログでご紹介した山梨県の河口湖自動車博物館を訪問したとき、お母さん共々バッタリと再会し、浅からぬご縁を感じさせてくれる永田君です。自動車博物館でも職員の方に飛行機のことを詳しく聞いていましたし、当記念館にも度々足を運んでくれ質問をしてくれるなど、なかなか熱心に学習する小学生という好印象を私はもっています。

 

 

 

 お母さんの話では、今春、予科練平和記念館に来ていただく機会があり「目から鱗が落ちる」ではないですが、地元の歴史について関心を深め、予科練や阿見町の歴史について夏休みには学習してみようという気持ちになったそうです。

 

 予科練平和記念館の活動主旨には、阿見町の歴史をこどもたちに正確に伝え平和を作り出す考えを持ってもらうことがあります。永田君の今回の取り組みには予科練平和記念館としてもたいへん感謝しています。ありがとうございます。

 

 今後も、1人でも多くの方にご来館いただき、いろいろなことを考えていただくために、広報に努めるのはもちろん、工夫を忘れず運営に努めて参ります。忌憚のないご意見も、どうぞお寄せ下さい。

被災地からの資料

9月 8th, 2011

みなさんこんにちは。

学芸員Wです。

今日は二十四節気の一つ「白露(はくろ)」。

まだまだ日中は暑い日が続いていますが、朝晩のひんやりとした空気で、

季節が確実に移っているのを感じます。

みなさんはいかがお過ごしでしょうか。

 

 

予科練平和記念館のもみじが秋色にお召し替えをはじめました。

高い空には秋の雲が浮んでいます。

 

 

 

最近女子、男子ともにサッカー日本代表がとても頑張っていますね。

 

私も、男子代表のキャプテン、長谷部誠選手の著書『心を整える』を読んで、

いろんなことを整えていきたい、と思っています。

・・・と申しましたのは、昨日今日とケーブルテレビさんの取材があり、

カメラの前でしゃべる機会を持たせていただいたからです。

 

とっても優しく「失敗しても大丈夫ですよ!」と励ましてくださる撮影隊の方の

前でもこんなに緊張するのに、

何万人というサポーターや観客の前で、しかもテレビの先ではどれだけの人が見ているか

わからないという状況の中で、

さらにアウェーだったらブーイングなども聞こえてしまう中で、

落ち着いてプレーできる選手のみなさんは本当にすごいと思います。

 

 

今回、ケーブルテレビのみなさんは、特別展「土門拳のまなざし」展を

取材してくださいました。

 

 

 

放送日は以下のとおりです。

 

□9/17(土)~9/20(火)

 てれびつくば11 「ACCSニュース」(1日4~5回放送)

 http://www.accs.or.jp/accstv/tsukuba_11.html

 

□9/26(月)~10/2(日)

 J:COM 「いいじゃん!」 (1日2~3回放送)

 http://www.jcom.co.jp/index.html

 

お目にとまりましたら幸いです。

 

 

余談ですが、長谷部選手の著書『心を整える』の印税収入は

ユニセフを通じて全額東日本大震災の被災地に寄附されるそうです。

自身を整えつつ誰かにいいこともできるすばらしい本ですので、

お気になった方、ぜひ本屋さんでお手にとってみてくださいね。

 

 

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間もなく、東日本大震災発生から半年が過ぎようとしていますね。

長いようで短い、短いようで長い半年だったように思います。

 

先日、横浜の山下公園に行きましたが、

ここは1923(大正12)年の関東大震災のときに出た

瓦礫を埋め立ててつくられたと知り、驚きました。

家族連れやカップルが楽しそうに行き交う足元に

大震災の記憶が眠っているなんて、思いもしませんでした。

 

私たちの日常は、常に災害と隣り合わせにあるのだということを

足元から実感したような気持ちでした。

だからこそ、今日一日、今この時が大切なのだと、改めて思いました。

 

みなさんにとって、この半年はどんな時間の積み重ねでしたでしょうか。

 

 

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先日、予科練平和記念館に被災地福島に住む元予科練生から資料が寄贈されました。

送ってくださったのは、元甲種第14期予科練生Sさんで、

1944(昭和19)年6月1日に土浦海軍航空隊(現陸上自衛隊土浦駐屯地 阿見町)に

入隊した時に肩にかけていた日の丸や、防毒マスクのケースなど計10点です。

 

Sさんはもともと福島県の浪江町にお住まいでした。

みなさんもよくご存知のように、浪江町は東京電力福島第一原子力発電所の事故により

警戒区域や避難区域に指定されています。

現在、Sさんも福島県内の別の場所に避難していらっしゃいます。

 

家を離れてからもずっとこの資料を気にかけておられたとのことで、

一時帰宅が許可されたときに、親類に頼んで持ち帰ってもらったのだそうです。

 

 

全身防護服の住民の皆さんがバスで立ち入り禁止区域に入られる姿を

ニュース映像としてよく見ていましたが、

実際にそういう方たちがお持ちになったものが、こうして予科練平和記念館に

届けられたということに、深く考えさせられました。

 

 

一時帰宅では、滞在時間も持ち出せるものの量も限られてしまう中で、

どんな思いでこの資料は運び出されたのでしょうか。

住み慣れた土地を離れて暮らすSさんは、どのような気持ちでこの資料を

予科練平和記念館に託されたのでしょうか。

 

今の私では想像することしかできませんが、ほかの資料たちと同じように

末永く、大切に保管させていただきたいと思っております。

 

 

 

(手前が寄せ書きされている日の丸。奥の箱は防毒マスクを入れるものです。)

 

 

美しくも力強い存在

8月 31st, 2011

 8月が終わり9月になろうとしています。早いなぁ、というのが実感です。これから食欲の秋、紅葉の秋を迎え、生きる喜びを謳歌できることでしょう。その後、晩秋をしみじみ味わいながら服を一枚重ね、また一枚重ねしていくわけですが「なんだ、もう正月か」と言うことになるのかもしれません。 一日一日を噛み締めて生きる余裕をもちたいものだ、と私は反省しきりですが…。

 

 さて、8月の半ばのことですが、山梨県の河口湖自動車博物館にて実物大の飛行機を見る機会をもちました。この博物館は8月のみ開館しているというなかなかユニークな博物館です。

 展示されている飛行機のうち、特に私は3機に心惹かれました。

 

 1つは「九三式中間練習機」いわゆる「赤とんぼ」です。

 

 

 

 写真のとおり、機体は最初期のシルバーを基調としたカラーリングです。予科練を卒業し飛行練習生となったパイロットの原石たちが大空を駆け巡った赤とんぼの現存機は国内に皆無という状況ですが、実物大の復元機からは、なにより迫力を感じました。全長約8m、翼幅約11mという機体に切り取られた空間において、写真からは決して感じられない飛行機の「体格」を感じ取ることができました。飛行機にも血肉があるとでも言うような存在感がありました。『飛び立つ姿を見てみたい』とも思いました。

 

 また、1つは「零戦21型」です。かつての部材を多く使っていると聞く復元機です。

 

 

 私はそのピンと張った翼の美しさ、また力強さに心惹かれました。翼幅約12m(全長長約9m)の存在感は、零戦がと言うより「この翼が大空を席捲する」という印象をもちました。他国に勝利するために開発された戦闘機であればこそ、美しくも力強い形を身につけることになったのでしょう。そしてそのような運命こそ悲しいと言えるでしょうか。

 

 それからもう1つ「一式陸上攻撃機22型」です。機体後部のみ、回収された部材を用いての復元機ですが、なにしろ「大きい」と感じました。

 

 

 この一式陸攻(同型機)は山本五十六長官が戦死した際乗っていた飛行機であり、また特攻兵器のグライダー「桜花」がその腹部に取り付けられた飛行機であった、という目で見ると、目前の大きな機体が空を突き進む情景を私なりに想像できるようでした。

 

 私は武器に対して極端な興味をもちあわせている者ではありませんが、これらの飛行機を見ていると、製作した技術者、操ったパイロット、それぞれが信じた心の存在が私には思われました。過ぎてみれば「人生」とはたった一瞬の出来事と言えるのかもしれません。ただ、その人生のはかなさ、言い換えれば一瞬の輝きという宿命が「飛行機」に凝縮されているように考えられたのです。

 

 私自身、くっきりと晴れ渡った富士山を久しぶりに見ることができ、日常の疲れがスウッと抜ける感覚をもちました。正面に富士山を見据えながら河口湖に近づき、雄大な飛行機を見た後、博物館の駐車場からまた晴れ渡った富士山の頂を目に焼き付けることができました。美しくも力強い存在感に元気づけられた日となりました。

茨城新聞の連載が終了しました

8月 25th, 2011

頑張れ オレ!

疲れは酒で流しこめ!

あえて言おう「会社はオレ達が支えてんだ!」

We are ジャパニーズサラリーマン

 

頑張れ オレ!

不条理笑って飲み込め!

言ってくれよ「社会はオレ達が回してんだ!」

We are ジャパニーズサラリーマン

(ケツメイシ 「闘え!サラリーマン」)

 

このヤブレカブレ感・・・不思議と癒されます。

 

 

皆さんこんにちは。

朝の通勤時、「闘え!サラリーマン」で気分を上げている

学芸員Wです。

 

ケツメイシは薬学部出身男性4人のグループで、グループ名は

生薬の「決明子」からとっています。

ちょっと大人になってしまった人たちにじんわりと効く歌を

たくさん歌っています。

「闘え!サラリーマン」は「ケツノポリス7」というアルバムに収録されて

いますので、

最近お疲れの皆さん、ぜひ聴いてみてくださいね。

 

 

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今日は外に出るのをためらわれるような猛烈な暑さではありませんが、

湿気をたくさん含んだ空気がしっとりといろんなものをやわらかくしています。

気温がそれほどではなくても、湿気で熱中症になることもあるそうですので、

皆さんどうぞ、適度に節電しつつ体調にもお気をつけくださいね。

 

 

 

ちょっとどんより空の下の記念館を裏側から撮ってみました。

 

 

ユニークなつくりなので、誰の設計なのかよく尋ねられます。

四方どこから見てもフォトジェニックなにくい奴です。

 

 

 

ちょうどよい環境なのか、もしかしたら当たり年なのか、記念館の周りの芝生には

ホコリタケが絶賛増殖中です。

 

 

グリーンの芝生に白くて丸いホコリタケがぽこぽこ生えているのは

とってもかわいく見えます。

 

名前が名前ですけれども、食べることもできるらしいので

多分害はないものなのだろう…と思います。

どこまでも 増えていくのか ホコリタケ。 一句。

 

 

 

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さて、館内では特別展「土門拳のまなざし-戦中・戦後と“幻”の写真」(~10/30)

開催中です。

これにともなって、茨城新聞さんで8月12日(金)から不定期で連載を持たせて

いただいておりましたが、

きのう、最終回の7回目が無事に掲載されました。

土門拳の経歴や写真について簡単に解説するもので、「7」回の数字はもちろん

予科練の七つボタンにちなんでいます(館長アイディアです)。

 

 

第1回から最終回のタイトルはこんな感じです。

 

第1回:写真家への道

第2回:「写真の鬼」の誕生

第3回:リアリズム

第4回:ヒロシマ

第5回:報道写真家の使命

第6回:幻の予科練写真(上)

第7回:幻の予科練写真(下)

 

 

それぞれ400字の制限があるので、短い言葉の中にどのように情報を組み込むと

わかりやすいだろうかと、悩みながら書きました。

実際の紙面には、編集部長さんがチェックして加筆訂正してくださったものが載るので、

それと自分の原稿を見比べて、なるほどこうすればわかりやすかったなと

勉強になります。

訂正されていないときは、なんだかいっぱしになったようで勝手に嬉しくなっています。

 

 

茨城新聞さんで連載させていただくのは2回目ですが、本当に勉強になります。

N編集長、今回もお世話になりました。ありがとうございました。

 

 

 

第2回:「写真の鬼」の誕生の回では、土門が1938(昭和13)年に撮影した、

日本赤十字病院看護婦さんのクローズアップ写真を載せたのですが、

この記事をご覧になった元看護婦さんから

写真がとてもなつかしくて、とお電話をいただきました。

 

その方は戦争中、茨城の県都水戸にある赤十字病院に勤務なさっていたそうですが、

1945(昭和20)年8月2日未明にあった水戸空襲で病院が壊滅的な被害を

受けてしまったそうです。

しかし、「看護をしましょう!」という看護婦長の指示のもと、瓦礫の中から

包帯が入った缶を掘り出し、どこからも何の支援も受けられないまま、

ひたすらけが人の治療にあたったそうです。

 

彼女たち水戸の赤十字病院の看護婦さんたちはとても規律正しいことで有名で、

皇太子徳仁殿下のお世話をするために皇居に参内したこともあったそうです。

 

厳しい規律や言葉遣いのお話し、今もお元気でいらっしゃる看護婦長さんのお話・・・。

思い出がとめどなく溢れてくるようでした。

 

 

今日はね、もう本当に嬉しいです。

本当にね、なつかしいの。

 

 

そう何度もおっしゃっていました。

それだけで、原稿頑張って書いた甲斐があったなぁ、と思い嬉しくなりました。

 

 

 

連載記事は館のHPの新着情報の欄にアップしてありますので、

皆さんもよろしければご覧になってみてくださいね。

 

 

イベント報告③(予科練平和記念館学習会)

8月 17th, 2011

 皆様、残暑お見舞い申し上げます。

 

 暦の上ではもう秋となりました。そう言われれば、朝夕にはヒンヤリとした空気の筋が交じるようになり、密やかに次の季節を準備する大自然の営みが感じられるようです。

 

 しかし「8月って、こんなに暑かった?」と思わせられる厳しい残暑が昼間には待ち構えています。とにかく、へこたれるわけにはいきません。人の力、自然の力、また機械の力を様々に借りながら乗り切りましょう。スイカも美味しい季節です。

 

 さて、8/7(日)に「予科練平和記念館学習会~戦跡を巡る~」が開催されました。この学習会の主旨は、阿見町内に残る予科練、または戦争に関係する史跡を巡ることで、阿見町の歴史を知るとともに平和への思いを新たにしていただく、というものでした。

 

 

 炎天下が予想される季節ですので、マイクロバスにて9ヶ所の史跡を見て回りました。

 

【コースのご案内】

①陸上自衛隊武器学校(旧土浦海軍航空隊)

・プール跡・号令台跡・常在戦場碑・旧第二士官宿舎・スリップ(水上機滑走台)跡・旧医務科

 

 

②海軍道路桜並木(以下、旧霞ヶ浦海軍航空隊関連)

 

③茨城大学農学部

・旧階段親柱・方位盤跡・国旗掲揚台跡・プール跡・皇太子殿下お手植えの松

 

④サンエイ糖化工場

・旧貯水塔

 

⑤阿見小学校

・旧霞ヶ浦海軍航空隊隊門

 

⑥キリン協和フーズ

・旧落下傘倉庫

 

⑦個人宅

・旧掩体壕

 

 

⑧陸上自衛隊霞ヶ浦駐屯地

・旧格納庫

 

 

⑨阿彌神社

・旧霞ヶ浦神社社殿

 

 現在は過去があってこそ成り立っています。また、過去のある時代に造られた全く同じものを現代で再現することは不可能、という宿命を人間は負っています。ですから、古い時代のものをそのまま残しながら、私たちは先人に学ばなければならないのです。

 

 今回のような、現在生きている私たち自身を見つめ直す機会となるイベントを予科練平和記念館では今後も実施していきます。

 

 今回はご参加のお申し込みをいただきながら、バス定員の関係でご参加いただけなかった方々に対して、この場をお借りしてお詫び申し上げます。またの機会には再び広報いたしますので、是非お申し込み、ご参加ください。

 

 最後に、ご協力いただきました関係各位に心より御礼申し上げます。ありがとうございました。

8月15日(月)終戦記念日は開館します

8月 11th, 2011

みなさんこんにちは。

立秋を過ぎましたが、まだまだ暑いですね。

いかがお過ごしでしょうか。

熱中症に気をつけて、お元気でお過ごしくださいね。

 

連日の強い日差しで焦げそうな気がして、日中なかなか外に出られない学芸員Wです。

 

 

東日本大震災から今日で5ヶ月が経ちました。

未だ行方不明の方、以前の生活を取り戻せない方がたくさんいらっしゃることを考えると、

本当に辛い思いがします。

 

 

昨日、建築家の磯崎新さんが、被災地でコンサートがひらける移動式ホール

「アーク・ノバ(新しい箱舟)」を発表されたというニュースを見て、

終戦後の日本で、クラシックのコンサートにたくさんの人が集まったことを

思い出しました。

 

 

文化は人が人であるための証明ともいいますが、

音楽に限らず、舞台芸術や美術、工芸、建築、文学、伝統芸能から

一本の銀のスプーンに至るまで、

人が生み出した美しいものは、辛い現実で荒れてしまった心に力をくれると信じています。

 

 

 

来週の月曜日、8月15日は66回目の終戦記念日です。

お盆の時期はもの思うことも多くなりますが、この時期に終戦記念日があるというのも

なにか不思議な感じがします。

 

会いたい人、懐かしい人たちが、見えないけれども帰ってきていると思うと、

少し元気がでる気がしますね。

ちょっと小さな声で話しかけてみたら、セミの声に混じって

何か聞こえてくるかもしれませんね。

 

 

8月15日は月曜日ですが、予科練平和記念館は通常通り開館します。

終戦記念日ということで、全館無料でご覧いただけますので、この機会に

ぜひお越しください。

通常の展示のほか、10月30日(日)までの特別展

「土門拳のまなざし-戦中・戦後と“幻”の写真」展も

無料でお入りいただけます。

 

 

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館内のラウンジに、昨日からミニミニ図書館ができました。

 

 

 

 

 

阿見町の図書館からお借りしたもので、親子で読みたい絵本や

夏ならではの絵本などがあります。

仕事に疲れたときに絵本をながめると、その自由な発想や

きれいな色使いにとても癒されます。

 

 

ラウンジは無料でお入りいただけますので、

お子さんとの避暑がてら、一人でドライブがてら・・・などなどに

ぜひお立ち寄りくださいね。

ミニミニ図書館は9月いっぱいまで開館しています。

 

 

 

イベント報告②(歴史調査委員講演会)

8月 5th, 2011

 皆様、暑さが続きますが、お元気にお過ごしでしょうか。

 

 暑さが続くと書きましたが、今年は暑中に涼しいどころか肌寒いくらいの日も経験するなど、例年とは違う夏の要素が感じられます。

 

 しかしやはり、今は太陽の季節、ひまわりの季節、そして蓮の季節です。阿見町の特産品の1つでもあるレンコンは、当記念館周辺の蓮田でもすくすくと成長しています。朝には純白の花が咲き乱れています。

 

 

 

 さて、過ぎる7月のこととなりましたが、7/24(日)に当館歴史調査委員による講演会が開催されました。「阿見大空襲の悲劇」と題され、赤堀好夫氏に講師をお願いし、またアシスタントとして中川龍氏にもご助力いただきました。

 

 

 ご存じの方が多いと思いますが、阿見町は霞ヶ浦海軍航空隊、土浦海軍航空隊など海軍の重要拠点が存在していたため空襲の標的となり、1945年(昭和20年)6月10日にB29 による大空襲を被りました。

 

 講演では、本土空襲が始まる以前の戦況について概説があった後、大空襲を受けた当時の土浦海軍航空隊、また阿見町の状況について説明がありました。それによれば、空襲当日、土浦海軍航空隊には約1万人がいたのではないかと推定されるとのこと、また阿見町の約45%が軍施設で占められていたとのことでした。

 

 

 その後は空襲や兵器の具体的な内容に入りました。内容を箇条書きに記します。

 

◇サイパン、グァム島の航空基地から東京までの距離が約2300㎞。B29の航続距離は約6~7トンの爆弾を搭載して約5200㎞。つまり日帰りでの爆撃が可能であった。

 

◇阿見町における攻撃目標は4箇所(土浦海軍航空隊、舟島格納庫、気象学校、木原送信所)で、グァム、テニアン島から出撃した68機のB29から合計約1500発の250キロ爆弾が落とされたのではないか、とのこと。(爆弾数は爆弾孔の数から推定されたもの)

 

◇午前8時に空襲警報発令の後まもなく第1波が来襲し、午前9時頃の第5波まで攻撃が続けられた。午前9時45分に空襲警報解除。

 

◇土浦海軍航空隊関連の戦死者を含め、阿見町全体では約400人の戦死者が出たと推定される。戦死者の火葬はなかなか進まず、また身元不明者も多かったとのこと。

 

 以上、講演の一端を箇条書きでご紹介しましたが、これだけのことでも胸苦しく、また胸が詰まるような思いがします。

 

 以前、このブログでも書きましたが、私は戦争を体験した者ではありません。ですから空襲の場合でも、その恐ろしさ、悲惨さは想像力で補うことしか出来ません。しかし反面、私が生きている現在、戦争を体験し、その実体験から戦争をしてはならないと考えるようになるなら、先人の厳しくも貴重な戦争体験を無にしてしまうことになるでしょう。

 

 喉元過ぎれば熱さ忘れ、とはよく言われることですが、決して忘れてはならないことがあると思います。この世の巡り合わせで戦争を経験された方からその体験談を伺うことは、戦争を経験していない世代の者にはたいへん貴重な経験となります。

 

  予科練平和記念館では今後もこのような機会を設けて参りますので、1人でも多くの方のご参加をお待ちしております。

職業体験を終えて

8月 4th, 2011

みなさんこんにちは。

今日はとてもいいお天気の予科練平和記念館です。

本日も学芸員Wが更新しています。

 

さて、今日で竹来(たかく)中学校2年生の職業体験最終日となりました。

ここで、二人に感想を書いてもらいたいと思います。

 

 

Tくん

思った以上に、色々な仕事があってとても勉強になった。

とてもいい体験をできたと思う。

 

Kくん

とてもいい経験ができたと思う。

 

↑彼らが書いてアップしてくれました☆

 

 

 

 

二人は今日、学芸員の仕事を体験しました。

下の写真は資料をきれいにしているところです。

受け入れたままの資料はほこりやカビがついていることが多いので、

整理の時にはこうして刷毛などで1点1点ほこりを落としてから

燻蒸作業に入ります。

 

 

文字が書かれている部分なので、とっても慎重に作業をしてくれています。

この後、掛け軸の扱い方や巻き方なども体験しました。

 

また、収蔵庫での整理作業もお手伝いしてくれました。

庫内で、昔のレコードを昔のプレイヤーで聞いてみましたが、

電気がないのに動くこと、レコード盤がCDよりもだいぶ大きいことに

興味を持っていたようでした。 

K君は昔のものに興味があるとのことで、収蔵庫内の色々な資料を

見て回っていました。

 

いろんなお仕事を体験して大変だったと思いますが、

3日間本当に頑張ってくれました。お疲れ様でした。

 

明日からアイドル二人がいなくなってさみしくなります。

どちらも運動部なので、この夏休みも部活で大変だと思いますが、

これからも元気で頑張ってね!!

また予科練平和記念館に遊びにきてください!!

 

 

 

 

 

職場体験学習中

8月 3rd, 2011

みなさんこんにちは。

今朝方は灰色の雲が広がっていましたが、お昼ごろ少し晴れ間も見えた

予科練平和記念館です。

もくもくした入道雲が、窓からよく見えました。

明日あたりからまた暑さが戻ってくるそうなので、

皆さんも熱中症などにはお気をつけくださいね。

このごろ連続してブログを更新している学芸員Wです。

 

 

おかげさまで無事に特別展をスタートすることができ、

間もなく1週間になります。

昨日はNHK水戸放送局さんが取材にきてくださって、

朝の「茨城のニュース・気象情報」で特別展の様子が放映されました。

私Wもひとことコメントさせていただいたのですが、

なにぶんはじめての経験だったことと

少しばたばたしていたこともあり、多分よれよれで映っていただろうな・・・と思います・・・。

 

 

 

実は昨日から、予科練平和記念館がある阿見町の竹来(たかく)中学校から

職業体験学習ということで、2年生二人が来てくれています。

 

同級生の間では、ペットショップや本屋さんなどが人気なのだそうですが、二人は

希望して記念館に来てくれました。

 

昨日は館の説明と見学で、今日から解説員さんたちと一緒に働いてくれています。

慣れない場所で知らない人たちと一緒に働くのはとっても緊張すると思いますが、

二人は一生懸命頑張っています。

さすがバスケ部と陸上部。根性があります。

 

 

 

 

お客様も二人の様子をとてもほほえましく見守ってくださいます。

朝いちでご来館くださった精悍な自衛隊の方たちも、思わず笑顔になっていました。

ご年配の方はお孫さんを見ているようで、つい声をかけたくなるようです。

 

 

職場体験学習は明日まで。

明日は学芸員の仕事を体験する予定です。

 

「学芸員は雑芸員」だから、何でもこなさなければならないと

学生のころよく言われましたが、

実際に学芸員になってみて、あの言葉は本当だった・・・と改めて実感しています。

大変なことも多いし、見えないところでの地味な仕事がほとんどですが、

歴史を残したり資料を残したりと、後の世に生きる人のために何かできるというのは

ありがたいことでもあります。

 

今回の職業体験で、少しでも博物館というところに興味をもってもらえたら嬉しいなと

思います。