阿見大空襲の日と第50回予科練戦没者慰霊祭

6月 2nd, 2017

昭和20年(1945)6月10日、予科練生が訓練を行っていた土浦海軍航空隊と周辺地区が米軍機による大規模な空襲を受けました。土浦海軍航空隊をはじめ民間人の犠牲者も多数出ましたが、特に予科練生が身を隠した防空壕を爆弾が直撃したため、予科練生も大勢亡くなりました。

予科練生の死亡者や負傷者は、土浦海軍航空隊適性部(現在の土浦第三高等学校)へ運ばれて治療を受け、また荼毘に付されたと言われています。

死傷者を運ぶため民家の戸板が使われましたので、周辺の家の戸板は、ほとんど無くなってしまったそうです。また衣類も死傷者を覆うのに利用されました。

予科練生が運ばれた土浦海軍航空隊適性部は、予科練生の採用試験や採用後に操縦員と偵察員に区分するための各種の検査や、これに必要な研究を行っていました。

現在も6月10日には、適性部のあった場所に隣接した法泉寺において法要が行われています。

当館では阿見町が被災した大空襲を知っていただくために、この日を特別な日として無料で開館いたします。

6番目の展示室「窮迫」で大空襲を再現した映像をご覧になり、6月10日がどのような空襲だったのか、実感していただきたいと思います。

 

5月28日、公益財団法人海原会が主催する第50回予科練戦没者慰霊祭が行われました。

私は前日の前夜祭に続き出席しました。50回という節目の開催でしたので、来賓や一般参加の方が大勢参列し、国のため命を犠牲にした予科練生の御霊に哀悼の意を表して献花いたしました。

また当館は、この日に海原会様から感謝状をいただきました。

今月6日から収蔵資料展『予科練の思い出』を開催します。全国各地から集められた予科練の資料と、その資料にまつわるエピソードを紹介し、各地に残された予科練の思い出や足跡をたどる展示です。寄贈いただいた資料の中から未公開の資料を展示します。8月20日まで開催します。

大正14年頃の霞ヶ浦海軍航空隊水上班(後の土浦海軍航空隊)

 

検索サイトのグーグルで、当館の外観やエントランスホールなどのストリートビューを見ることができるようになりました。グーグルとの契約により可能となりましたので、ご覧ください。